幕間:闇夜の脅し②
「お、お前は……!」
「彼女は公爵家の使用人ですが、どうされましたか?」
「あ……い、いえ! なんでもありません、はははっ」
セピアの質問に素直に答えると、アイリスに手をあげようとしたことがバレてしまうため、都合が悪いと判断した男爵は大人しくなる。
そうして家の中に入ると、外観に負けず劣らず手入れが届いておらず、埃や蜘蛛の巣が目立っていた。
「散らかっていて申し訳ありません。まさか公爵様がさっそく来てくださるとは……早速ご用件をお伺いしても?」
男爵はセピアたちを居間へと案内し、座るや否や早速本題に入ろうとした。
その目には期待の色が浮かんでおり、アイリスが仕事をしたのだと勘違いしていた。
「今日……といっても日付は変わってしまいましたが、お二人が屋敷に来たと聞きました」
「そうなんです。実はアイリスが神殿に行ってしまってから、連絡が途絶えてしまって……公爵様と婚約したと聞いた時は本当に驚きました。それでアイリスに会いに行ったのです」
「きっと神殿での暮らしが良くて、私たちのことなど忘れてしまったのです」
「そう考えると少し悲しいですが、神殿で楽しく幸せに過ごせていたのなら親として嬉しいものです」
まるで二人はアイリスのことを大切に想っているが、アイリスが二人と距離を取ったような言い方に、セピアは表情を曇らせる。
「神殿での生活が幸せだったと……?」
「貴重な神聖力を持っているのですから、とても大事されていたことでしょう」
男爵はセピアの表情に気づかず、ニコニコと機嫌よく話している。
セピアはそれに合わせるように、無理矢理口角を上げた。
「それより、今日はお二人にお渡ししたいものがあってこちらへ伺ったのです」
セピアの一言で、スカーレットが動く。
テーブルに並べられたのは一生遊んで暮らせるほどの大金だった。
「お、おお……!」
男爵と夫人の視線は瞬く間にお金へと移る。
セピアにとってはここからが本題だった。
「結納金を前倒して欲しいとお聞きしたのでご用意しました。この金額だと一生遊んで暮らせますし、家の立て直しも十分可能でしょう。これでもうアイリスに関わる必要がなくなりましたね」
「……え?」
男爵はセピアの最後の言葉に引っかかり、ふと顔を上げる。
「あの、公爵様……それはいったい」
「以前、アイリスが神殿に入ったことで得た報奨金の使い道について調べてましたが……その全てが賭け事や酒、娼館等に消えていたようですね」
「なっ……なぜそれを」
男爵と夫人はセピアの言葉に動揺の色を見せる。
すでに二人のことを徹底的に調べ上げているセピアは、怒りを表に出さないよう意識して微笑んだ。
「現在は借金もあるそうですが、それでもやめないところを見るに、すでに依存しておられるようなので、きっとまた今回も繰り返すのでしょう。金銭がなくなる度、アイリスに迫る魂胆でしたか?」
「ははっ、ご冗談を。娘に迫るつもりなどありません」
不意に、セピアから笑顔が消える。
「まだわからないのか?」
声のトーンが落ちたセピアの威圧感によって、空気がピリつく。
「お前らが仮にもアイリスの親だからと、私は譲歩してやってるんだ。改心するどころか、慢心する奴らをこれ以上放っておくつもりはない」
「ぐっ……⁉︎」
男爵は突然体が重くなり、苦しそうな声をあげる。
黒い影のようなものが全身に纏わり付き、動けなくなっていた。
圧迫感が男爵を襲い、嫌な汗が流れる。
言葉を発することすら躊躇われるほど、緊張感が張り詰めていた。
「お前らは本当に何もわかっていないらしい。神殿での生活が幸せだと? 自由を奪われ、嫌でも神殿に尽くすしかないあの生活のどこがを指しているんだ?」
「ひっ……お、お許しください公爵様……! け、軽率でしたわ」
男爵の代わりに恐怖に怯えた夫人が謝罪したが、セピアは形だけのそれを求めていない。
「お前たちの存在が、心ない言葉がどれだけアイリスを苦しめたと思っている?」
セピアはチラッとスカーレットに視線を向け、紙とペンを用意するよう指示する。
スカーレットは男爵と夫人の前に、その二つを置いた。
「第一、謝る相手を間違えている。本当に悪いと思っているなら、アイリス本人に伝えるべきだ」
有無を言わせぬ圧力を前に、二人は頷くことしかできず、震える手でペンを持つ。
「もちろん謝罪だけでは意味がない。反省の意は行動で示してこそ成り立つ」
「……それは、いったい」
セピアの意図が汲み取れず、男爵はようやく口を開いた。
か細く間抜けな声だった。
「二度とアイリスの前に現れないと約束しろ。お前たちにはアイリスに会う資格すらない」
アイリスに謝罪と、二度と会わないこと。
これがセピアにとって絶対条件であり、それを達するためにここに来たのだ。
二人がペンを置くその瞬間まで、セピアは無言の圧をかけ続けていた。
「万一アイリスの視界に入ろうものなら、その日がお二人の命日になることをお忘れなく。では、私はこれで」
最後の言葉は男爵と夫人をさらに怖がらせるには十分で、顔を真っ青にしていた。
セピアはおもむろに立ち上がり、二人の反応を横目で見ながら部屋を後にした。




