32.約束
しばらくして、セピア様は少し落ち着いた様子だった。
けれど私は咄嗟に抱きしめてしまったばかりに、離すタイミングがわからないでいた。
ただ、涙で頬を濡らすセピア様は絶対に美しくもあり可愛いだろうなと思うと、それを見たい気持ちもあった。
ダメだ、この状況で考えることではない。
邪念を振り払うようにしてセピア様を再度強く抱きしめたけれど──
「アイリス……す、まない」
どこか気まずそうにセピア様が口を開いた。
「お気になさらないでください。思いっきり泣いた方がスッキリすることもありますし」
「違うんだ。それほど、強く抱きしめられると……」
何やらセピア様が焦っている気がして、どうしたのだろうと疑問を抱く。
「先程から、その……当たって」
「……え?」
異変を察知した私はゆっくりセピア様を離すと、耳まで赤く染まっていた。
それほど私の前で泣いてしまったのが恥ずかしかったのだろうか。
けれど、先ほど私に何かを伝えようとしていた。
確か『当たっている』と言っていたが、いったい……と思った時、ようやくわかった。
そういうことか。
セピア様は私の胸が顔に当たっていて、ここまで恥ずかしがっていたのだ。
理由があまりに可愛くて胸が苦しい。
人前で堂々とキスはできて、これに照れるのは突っ込みたいところだが、可愛いから許してしまう。
「……ふふっ、落ち着きましたか?」
「私をからかっているだろう」
「そんなことありません」
つい頬が緩んでしまい、セピア様は勘違いして拗ねてしまう。
「私はセピア様が苦しみを打ち明けてくださって嬉しかったです。どうか、これからは一人で抱え込もうとしないでください。クラレット様や私のほかに、セピア様を心配したり大切に想っている方はたくさんいるのですよ」
「……私はいつも自分のことばかりで、全く周りが見えていなかったのだな」
「それは違います。セピア様はいつも周りのことを気にかけてくださり、感謝している人はたくさんいます。もちろん私もその一人です」
ただ自分のことに関して疎いだけだ。
「私は君に何かしたか……?」
「クラレット様が亡くなってしまってから、セピア様が神殿に訪れた時だけが私の安らぎだったのですよ。それにこうして、神殿から連れ出してくれました」
「感謝するなら私の方だ。こんな私を受け入れてくれたのだから」
「セピア様、どうか自分を卑下する言い方はやめてください。私はセピア様に救われたのです、そんな風に言われると悲しくなります」
わざとらしく悲しそうにすると、セピア様は小さく微笑んだ。
「ああ、すまない」
「約束ですよ?」
「約束する。だからアイリス、君も一つ約束してほしい」
「私もですか?」
いったい何のことだろうか。
特にダメなことをした記憶はなく、首をかしげる。
「そうだ。聖女の力を使った後、自分を傷つける選択を取ろうとしだろう?」
「あ、あれは……それ以外方法はないと思い」
「君を大切に想う人もいることを忘れないでほしい。だから、自分を傷つけるようなことはしないと約束してくれるか?」
自分に向けて言われると、こんなにも胸がくすぐったくなるのか。
クラレット様以外にも私を大切だと言ってくれる人がいて、素直に嬉しかった。
「……はい、約束します」
私の言葉を聞いて、セピア様は満足そうに笑う。
「あ、ですが人前で突然あんなことするのは……その、どうかと……」
怒っているわけではないため、責めるような言い方にはならないよう意識する。
思い出すだけでも恥ずかしいため、セピア様の顔を見て話せない。
「私のためとはわかっているのですが……! 一応、形だけの婚約関係ですし……セピア様にも申し訳ないと言いますか……」
さすがに『私のことが好きなんですよね』なんて自惚れ発言はできないため、それとなく伝えてみる。
「君がそれを言うのか」
まるで私を責めるようにも聞こえる言い方が気になり、顔を上げる。
「君に怪我を負わせてしまって婚約をした時、君と結婚したいのは怪我をさせた以外にも理由があると言ったのは覚えているか?」
もちろん覚えている。
セピア様に求婚された時のことを忘れるはずがない。
その時、私はセピア様が結婚の圧から逃れるために私と愛のない結婚をしたいのだと思っていたけれど──
「……あ」
もしかして、セピア様は私に想いを告げようとしていた……?
「君が私の話を聞く前に、愛のない結婚だと言ったんだ。そういうことにしておけば、君は私との結婚を受け入れてくれそうだったから何も言わなかったが……愛する人が現れたらすぐに身を引くと言った時、私がどんな気持ちだったかわかるか?」
「それは……」
セピア様が私のことを好きだなんて考えたこともなかったため、あの時は先走ってしまったけれど……まさか好きと言わせない状況を作ったのが私だったなんて。
「あの、悪気はなくて……本当に」
「わかっている。君が私に好意がないことは知っていた」
「そんなこと……私はセピア様が好きでした!」
「君にとっては恋愛的な意味合いではなかっただろう?」
バッサリと言い切られてしまい、何も言い返せない。
だって身分も低く無能な私がセピア様を慕うなど、失礼だとすら思っていたくらいだ。
「それでも君を手に入れられたのだから、今となっては気にしていない」
セピア様は私の髪に触れる。
先程まで顔を真っ赤にして照れていたとは思えないほど、色っぽい瞳を私に向けながら。
「言っただろう? 私は身を引く気がないと。君が今後、慕う相手を見つけようと離すつもりはない」
セピア様の手が私の頬を撫でる。
触れられた部分が熱くなり、今度は私の顔が赤くなっていることだろう。
いつの間にか立場が逆転していた。
「アイリス、私は君が好きだ。すぐに顔に出てしまう君はいつ見ても愛おしく、眩しいくらい明るいところも、強くて美しいところも……君の全てが好きなんだ」
初めてセピア様から聞いた『好き』の言葉はあまりにも真っ直ぐで、心臓が壊れてしまうのではないかと思うぐらいドキドキして苦しい。
「……やり直させてくれないか」
何も答えられないでいると、セピア様が私の唇に触れる。
それが指すものが何かは聞かなくてもわかった。
ゆっくりと頷くと、セピア様がふっと笑みをもらす。
そうしてどう私に顔を近づけ……そっと、唇を重ねられた。
セピア様の性格を表す、優しく包み込むようなキスだった。
キスを終え、互いに見つめ合う。
何とも言えない恥ずかしさが襲い、二人で笑い合った。
「改まってしまうのも恥ずかしいですね」
「そうだな。だが、君が受け入れてくれたのが何より嬉しい」
可愛い発言をされ、キュンとする。
私だって、セピア様がこれほど私を想ってくれていて素直に嬉しい。
「ありがとう。私と出会ってくれて」
「……お礼を言うのは私の方です。あの日、私に声をかけてくださってありがとうございます」
もし墓地でセピア様が声をかけてくれなかったら、私たちの関係は何も進まなかっただろう。
「あの時から私は、君が気になっていたんだ。揺るぎない、強い瞳でクラレット様の墓を見つめる君の姿は、とても心惹かれた」
まさか、あの日に声をかけてくれたのは単なる気まぐれではなく、意味があったなんて。
「知りたいと思ったんだ。クラレット様から聞いた話だけではなく、私の目で君のことを」
セピア様の言葉は私の心を温かくした。
「嬉しいです。ありがとうございます」
「……ふと思うんだ。もしかしたら、クラレット様が私たちを引き合わせてくれたのかと」
確かに、とセピア様の話を聞いて納得する。
「クラレット様は、こうなることがわかっていたんですかね」
「どうだろうな。ただ……クラレット様なりの考えがあったのかもしれない」
セピア様は過去を思い出しながら、懐かしむように話していた。




