27.兄妹の過去と未来の約束④
「オペラに一つ、言っておきたいことがある」
「はい! なんでしょうか?」
私を見て笑った後、セピア様はお義姉様に向けて言葉を続けた。
「私は今、十分すぎるくらい幸せだ」
「……え」
「もう心配する必要はない。それに、アイリスが私をさらに幸せにしてくれるようだから」
やっぱり聞かれていた! と思い、一気に恥ずかしさが込み上げる。
勢いで言ってしまった分、改めて言われてしまうと耐えられそうにない。
「……っ、お兄様」
「うん?」
何か言おうかと思ったけれど、お義姉様が今まで我慢していた涙を流し始め、黙ることにした。
「わたくし……最初は無理矢理嫁がされたけれど、陛下がとても大切にしてくれて、愛してくれて……幸せなの」
「そうか。陛下に感謝しないとな」
「だから……お兄様はもうご自分を責めないでください。ずっと、わたくしが嫁ぐのを止められずに悔いていたのを知っています。 お兄様は悪くないのに……もうわたくしは大丈夫です。今度はお兄様自身を優先してください。誰よりも幸せになってください、お兄様」
まるで小さな子供のように泣き始めたお義姉様は、セピア様の服を掴んで訴えるように話していた。
「ああ、約束する。だから泣かないでくれ」
「ううっ……ねえアイリス。今だけお兄様を借りてもいい?」
目を潤ませながら私を見つめるお義姉様が美しすぎるあまり、声すら発せず頷くことしかできなかった。
するとお義姉様はギュッとセピア様に抱きついた。
それに応えるように、セピア様はお義姉様を抱きしめ、頭を撫で始める。
何という素晴らしき瞬間に私は立ち合わせていただいているのだろうか。
二人の兄弟愛は神々しさすら感じられ、この世の何よりも美しくて尊かった。
「いくら兄弟とはいえ、あんな風にイチャつかれるとさすがに腹が立つな」
急に私の隣にきた皇帝が何やら話していたけれど、そんなこと耳に入らないくらい二人を目に焼き付けていた。
「おい、聞いているのか……って、どうしてお前も泣いている」
「ううっ……つくしい、お美しい……お二人の儚さ、尊さに感動してしまい……」
「お前さては変人だな?」
何やら陛下に引かれてしまった気がするけれど、別に構わない。
「いっそのこと俺たちも同じことやってやるか」
「はい?」
何をするつもりかと思い、隣に視線を向けると……皇帝の手が私の肩に触れた。
「え……」
一瞬戸惑ったが、ふと皇帝の手が微かに震えていることに気づく。
よく見ると額に汗が滲んでおり、息が少し上がっている。
「はあ……くそっ」
「陛下? いったいどうし……わっ⁉︎」
直後、フラついた皇帝が私に倒れ込む。
受け止めきれなかった私は、体が傾きそのまま床に背中が直撃した。
「いたた……」
背中を強打して痛みが走り、さらに皇帝の体重がかかって苦しい。
「……陛下!」
どういう状況かわからないでいると、お義姉様が叫び声と共に私たちの方へ駆け寄ってきた。
そういえば皇帝が急に私に向かって倒れ込んできて、それで──
「くっ……そ」
皇帝が息を乱しながら、床に手をついて私から離れようとした。
しかし力が入らないようで、再び倒れ込もうとした時、セピア様が皇帝を支えて上体を起こしてくれた。
ようやく私も起き上がると、陛下の顔色が青白くなっていて、明らかに様子が変だった。
「うっ……」
どうしたのか尋ねる間もなく、皇帝は血を吐いてしまう。
「陛下! やっぱりあの時の矢が……!」
「……毒か」
焦るお義姉様に対して、セピア様がボソッとそう呟いた。
毒……?
「オペラ、何があった?」
「王国に向かう途中に、どこからか一本の矢が飛んできて……陛下が庇ってくださった時に腕を射られたのです。その時は大丈夫だと仰っていたけれど、やっぱり……」
「毒矢だったのか。刺客は?」
「発見した時にはすでに自害していました。刺客も一人だけで……」
「まるでその一本に、全てを懸けていたようだったな……何か仕掛けてくると思っていたが……クソッ、視界が……」
お義姉様の言葉に続くようにして、皇帝は途切れ途切れに話しながら、仰向けで床へと倒れ込む。
焦点が定まらないのか、目が虚ろだった。
「陛下! 気を確かに! 早く医者を……」
「いや、王宮の医者は全員国王の息がかかっているだろう。呼ぶのは危険だ」
「じゃあどうすればいいのですか!」
セピア様に向かって叫ぶお義姉様は今にも泣きそうになりながら、焦りで理性を失っている様子だった。
「落ち着くんだオペラ。ひとまず私の方で解毒剤と医者を用意する」
「そんなの陛下が持ちません!」
「何、言ってんだ……俺はまだまだ余裕だから、な……」
先程よりも顔色が悪いというのに、皇帝はお義姉様を安心させようと笑みを浮かべる。
「それに、公爵が俺に手を貸せば……国王が、黙ってないだろ……ゴホッ」
陛下はなんとかして起きあがろうとしたが、再び吐血して倒れ込んでしまう。
血の量からして、かなり危険な状態であることが素人目でもわかった。
ああ、どうして彼らが……善人が辛く苦しい思いをして、悪人はのうのうと生きているのだろう。
クラレット様に聖女の力を使うなと強く言われ、亡くなってしまってからは一度も使ったことはないけれど、あれほどコントロールするために訓練してきたのだ。きっとすぐに使えるはず。
迷いはなかった。
目の前に自分が助けられる人がいて見過ごすことなんてできない。
この力を使わないことに対して、ずっと隠してきた“罪悪感”や“後悔”といった負の感情が込み上げる。
自然と皇帝の胸元に手をかざしていた。
「アイリス、待て……」
何かを察したセピア様に呼び止められたけれど、私は目を閉じて手に神聖力を込める。
金色の光に包まれ、効果はすぐに現れた。
「これはいったい……どういうことだ」
徐々に皇帝の顔色が良くなり、無事に治癒を終える。
力を取り戻した皇帝は驚いたように起き上がり、じっと私を見つめた。
「陛下……!」
「うお⁉︎」
どこから話せばいいのかわからないでいると、お義姉様が勢いよく皇帝に抱きつく。
泣きながら「良かった」と繰り返し口にし、皇帝は嬉しそうに頬を緩めながらお義姉様の頭を撫でた。
お義姉様とセピア様の兄妹愛も美しくて尊かったけれど、陛下との夫婦愛も負けず劣らず麗しくて尊い。
愛し合う二人を見れただけでも、この力を使ったことに後悔はなかった。
「本当にありがとう、アイリス……! けれど、まさか貴女が……」
やはり聖女の治癒能力は群を抜いているようで、今の一瞬であっという間に見抜かれた様子。
「驚きましたよね……聖女の証であるはずの金色の髪でもない私が聖女だなんて……」
「アイリス、もしかして今の自分の姿を見たことがないの?」
「……え」
「だって今の貴女は……」
お義姉様の言葉を聞いて、私は慌てて部屋の姿見の前に立つ。
「うそ……だ、誰これ⁉︎」
そこに映っていたのは、私ではない私の姿。
キラキラと眩しい金色の髪に、瞳の色まで金色に染まっており、まるで別人のようだ。




