12.誘い
公爵様の屋敷に来てからというもの、私はずっとのんびり過ごしていた。
礼儀作法をはじめ、勉学に裁縫、ダンスといった教養を身につけたかったけれど、公爵様には「新しい生活に慣れるまで何もしなくていい」と言われてしまった。
私を心配してくれてのことなのはわかっているけれど……神殿では貴族と関わる機会があるため、最低限の礼儀作法は習ったが、神殿に尽くすだけの生活をしてきたため、それ以外の教養などないに等しい。
一方で公爵様は仕事が忙しそうで、余計に申し訳なかった。
神殿ではあらゆる雑用をこなしていたため、屋敷の掃除でもしようかと思ったけれど、使用人からは全力で止められてしまい、むしろ私が公爵家の邪魔をしているのではと不安になる。
「暇だあ」
何もしない時間に慣れていないせいか、数日で飽きてしまう。
「ねえ、スカーレット。やっぱり何か」
「いけません」
「うう……」
洗濯も掃除も慣れっこの私って意外と力になれると思うけれど……全て言い終える前にスカーレットに拒否されてしまう。
「引きこもり辛い……体を動かしたい……外に、そうだ外!」
うなだれていた私は勢いよく顔を上げる。
神殿の時は外に出るのも申請が必要で厳しく取り締まっていたけれど、ここは神殿ではない。
外に出るのは可能ではと思い、スカーレットを見つめる。
「ねえスカーレット、今から外に……」
「申し訳ありません。当主様の許可なく勝手に出ることはできないのです」
「そんなあ」
ここも許可制か。
神殿は申請が必要だけれど、その申請とやらも滅多に通らない。
ある聖女候補は賄賂を渡してようやく通ったという噂もあるほどだった。
「じゃあ今日頼んでみる……公爵様、許可してくれるかなあ」
「そう案じる必要はないかと思いますよ」
スカーレットの言葉の意味は、公爵様にお願いして初めてわかることになった。
◇◇◇
公爵様は私が屋敷に来てからずっと忙しそうにしていて、朝早くに家を出て夜遅くに帰ってくる日々が続いていた。
「おかえりなさいませ!」
「どうして君が……」
いつも私が眠ってから帰ってきていたようで、中々会えない日々が続いていた。
今日は頑張って起きていると、日付が変わった頃に公爵様は帰ってきた。
玄関で出迎えると、とても驚いていた。
数日会えていないだけで久しぶりだと感じるのは、ここ最近ずっと一緒だったからだろう。
「いつもこれほど遅いのですか?」
「いや、今は少し仕事が多いだけだ。そろそろ落ち着いて、領地に戻る目処が立つだろう」
公爵様は普段、領地で魔導士団を統率し、戦や討伐に備えて訓練に励んでいる。
魔導士の数は年々減少傾向にあり、個々の力も衰えているというが、公爵様の手腕で今の魔導士団は全盛期と引けを取らないほど強く、国外からも恐れられる存在らしい。
「しっかり休めていますか?」
「ああ、もちろん」
公爵様は平気そうにしていたが、この環境に慣れてしまっただけで、疲れは溜まっているはず。
「それより、私に何か用があるのか?」
「あ……そう、なのですが、まずは公爵様のご飯にしましょう!」
「私のことは構わない。君こそ早く眠らないと体に障る」
「いいえ! 私はこの屋敷に来てからたくさん休ませていただいてるのでこの通り元気です! それよりも公爵様に休んでいただきたく……!」
「心配してくれているのか」
「当然です! 朝から夜まで働きっぱなしで、倒れたらどうなさるおつもりですか。たくさん食べてたくさん寝てください」
公爵様は目を見張った後、どこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ああ、ありがとう。だが私は大丈夫だ」
「私が大丈夫じゃありません! 私の部屋に食事を用意してもらっているので行きましょう」
近くにいた使用人に指示を出し、半ば強引に公爵様を私の部屋へと連れていく。
こうでもしないときっと休んでくれないだろう。
「君の言う通り、食事はしっかりとるから安心してくれ。夜も遅いから君は早く眠って……」
「ダメです。公爵様はそう言いながら、この後も仕事をなさるおつもりでしょう?」
「君が監視しなくとも、他の者にさせればいいだろう」
「私がこの目で確認しないと安心できません」
「君は私を信用してくれないのか」
「公爵様はご自身に無頓着なので、それに関しては信用していません」
もちろん他のことに関しては信用しているけれど、自分で自分を雑に扱う姿は見ていられない。
「では私の執務室に行こう」
「執務室だとまた仕事を始めそうなので私の部屋に行きます」
公爵様は少し焦っているように見えたけれど、気にせず部屋へと案内する。
「では公爵様、座ってくださいませ!」
「……君の警戒心のなさは信用の証なのだろうな」
「はい?」
独り言か、それとも私に対しての言葉かわからず、思わず聞き返す。
けれど公爵様はそれ以上何も話さず、私の部屋に足を踏み入れた。
すでに料理の準備はできていて、公爵様の前に並べてもらう。
私は監視する勢いで公爵様をじっと見つめた。
「それほど見つめられるとさすがに食べにくい」
「ではしっかり食べてくださいませ」
ようやく公爵様は食事をとってくれ、安心することができた。
それにしても……綺麗な所作。さすがは貴族としての教養を身につけているだけある。
もはや食べている姿すら絵になるなんて。
私も公爵様のようなレベルを身につけなければと心に決める。
「これで安心してくれたか?」
「これからは毎日しっかり食べてくださいね」
「努力する」
「濁さないでください」
うまく躱せさせるものか。
公爵様を心配する人がいることをもっとわかってほしい。
「食べない度に私が付き纏って食べさせますからね!」
「それは少し惹かれてしまうな」
「なっ……冗談で言ってるわけじゃないですよ」
「わかっている」
そっと、公爵様の手が私の髪に触れる。
私を見る視線に熱が篭っているようで、思わず公爵様から目を逸らす。
直後、なんとも言えない沈黙が流れ、ようやく本題に入ることにした。
「あの! 公爵様! 私、外出したいのですがよろしいですか?」
「もちろんだ」
「本当ですか⁉︎ では早速明日出かけ……」
「ああ。明日、外出しよう」
まるで公爵様も一緒に外出するような言い方に、疑問を持つ。
そんな私を見て、公爵様は言葉を続けた。
「明日は私も一緒に行って構わないか?」
まさかこれはデートのお誘い⁉︎
むしろ本当に良いのかと私が聞きたいぐらいだ。
「私で良ければぜひ!」
公爵様の貴重な時間を私との外出に費やしてくれるなんて……嬉しい。
それに婚約したことはすでに国中に知れ渡っているため、証明するためにもいい機会かもしれない。
きっと公爵様もそれを考えて一緒に行くことにしてくれたのだろう。
「ふふ、絶対に私たち注目の的ですよね。公爵様の婚約者として、失態は犯さないようにしないと……!」
序盤から婚約者としての勤めを果たせなかったらと思うと申し訳なく、気を引き締める。
「心配する必要はない。むしろ、私が君に迷惑をかけてしまうかもしれない」
「公爵様が迷惑だなんて、そんなことあり得ません」
突然何を……と思ったけれど、やけに真剣な表情をに引っかかる。
私を気遣っての言葉ではなく何か意味がありそうだ。
けれど真意はわからないまま、明日を迎えることになった。