悪評令息はアップルパイ令嬢と婚約できるのか?
ドゥシーと呼ばれる、国の僻地に領地を持つ子爵家にまつわる令嬢たちのシリーズものです。
なんちゃって西洋風で、書いている人間は世界史の授業を選択しませんでしたので細かいことはお察し案件。
連載ではなく短編集の形となり、一話完結。
気が向いたら更新していきます。
他作を読んでいなくても、単発のお話として読んで頂けます。
きらびやかな夜会への入り口前で、マリウスは母親から扇を突き付けられた。
「マリウス、何度も言っていますがわかっていますでしょうね」
後ろからの逆光で顔の見えない母親が、どんな顔をしているかはわからない。できれば知りたくもない。
「いまだ結婚できない貴方の年齢は、」
「……28歳」
初手から容赦ない言葉の暴力に、ここ数年でボロボロになった精神では耐えられず、顔を背けそうになるのを何とか堪える。
「婚約者は、」
「いません」
「正確には『できません』でしょう?」
と返された言葉は、初手同様に鋭いナイフのよう。
「それなりに家格のある伯爵位の嫡男である貴方が結婚できない理由、言ってごらんなさい」
思わず黙ってしまえば、扇で突かれて物理的な痛みも与えられる。ついでに胃も最高潮に痛い。
「理解できていないとは言わせません。
さっさと返事をなさいな」
マリウスが口を引き結ぶも無言は許されないだろう。
暫く黙り込んだ後、大きく吐いた息とともに、
「身持ちの悪い男爵令嬢にうつつを抜かし、当時の王太子殿下の乱心を止められず、あろうことか他の令息と一緒になって元婚約者を公の場で婚約破棄し、その名を辱めたからです」
かつての黒歴史を口にした。
- * - * - * -
数年前に起きた集団婚約破棄事件は、今なお貴族の語り草になっている。
当時の王太子が学園で出会った男爵令嬢と『真実の愛』に目覚め、周囲の側近も彼女を護る騎士かのように振る舞っていた中にマリウス・ルルノアールもいた。
男爵令嬢は感情豊かで愛らしく、皆の努力を認めて心に寄り添う姿はあまりにも魅力的で、王太子だけではなく側近ですら叶わぬ恋心を抱いていたのも事実。
王太子の周囲にいたのは家柄のしっかりした者達で、宰相の次男や公爵家の嫡男、騎士団長の末っ子、そして他と比べて家格は高くなけれども歴史の長さと母が侯爵家出身だから選ばれたマリウスは、誰もが高い水準を求められる生活に窮屈さを感じていた。
家からも婚約者からも『常に研鑽を積むことの重要さ』、『立場によって生まれる責任』などを口煩く言われ続けたことで、他の者達だって当たり前のようにしている努力を厭い、それを手放しで認めてくれる彼女の存在は王太子と側近にとっては、なくてはならないものになるのも時間の問題だった。
麻薬にも似た中毒性の高い、安易に承認欲求が満たされる行為は依存性が高く、気づかないままに底なしの沼にはまっていたのに誰も目を逸らしたまま。
涙に暮れる彼女から打ち明けられた『いじめ』や『婚約者の不貞』を真に受け、きちんと精査もせずに信じ込み、結果として悲劇というより喜劇の末路を迎えた王太子達。
王太子は廃嫡となって子ができないように処置され、近隣国で君臨する女王の後宮に11番目の愛妾として送られてしまった。
宰相の次男は卒業すぐに地方文官として飛ばされ、ひたすら書類の清書だけしているらしい。
公爵家嫡男も廃嫡で何をしているかすら噂が回ってこない。死んではないと思うが、優秀な娘が婚約破棄を機に優秀な婿を貰ったので、早々に引退した公爵が一緒に領地の端へと連れて行ったのではないかと言われている。
騎士団長の末っ子は麗しいと言われた顔をボコボコにされ、親戚の辺境伯家でコキ使われているそうだ。
そんな中、唯一変わらない立場を維持できているのはマリウスだけである。
別段マリウスが上手に立ち回っただけでも、婚約者に対して誠意のある対応を取っていたわけでもない。
偶然にもマリウスが糾弾した『婚約者の不貞』が事実だっただけだった。
元婚約者も大概な人物で、マリウスが何をしているのか薄々気づきつつも、婚約破棄できたら想い人と今度こそ婚約を結べると思って放置したのだ。
彼女曰く、見目が良くても決断力のない知識だけ詰め込んだ男は嫌い、とのことだった。
マリウスが図書館で本を読むのを好むのと違い、流行りのカフェや噂のデートスポットに行きたい元婚約者とでは価値観に相違がありすぎたが、それだって政略結婚ではよくある話なのではある。
特に王太子の、ひいては王家の不祥事に関わるのだから教師なり親なりに報告する必要があったのに、目先の私利私欲で止めなかったというのだから罪に問われないまでも、王家からの非難を受けても仕方ない。
結果としてマリウスだけは『事実を言った』のだという体裁が取り繕えてしまった。
とはいえ、マリウスが他の者達より少々運が良かっただけで同じ穴の狢であることくらい、貴族の誰もが把握している。
体面としての言い訳が成り立つことと弟妹がいないことから廃嫡は免れたものの、起こした事件によって次の婚約者を探せるわけもなく、下位の令嬢に声をかけてもお断りされてしまう状態。
両親はマリウスの結婚にふれずにいることで社交を恙無く行えているが、マリウスが夜会に参加すれば年頃の令嬢達は声をかけられないようにと離れていき、その両親や兄弟たちも距離を置く。
こうして今宵も夜会に現れる、今最も結婚したくない男が爆誕した。
- * - * - * -
憂鬱な気持ちで夜会の入り口に辿り着くも、マリウスの名前が大広間に響いた瞬間、活気あふれる夜会に訪れる僅かな静けさが居た堪れない。
鋼のメンタルである両親は気にした素振りも見せず、二人仲良く笑顔で入場していく。
やや俯きがちで誰とも目を合わせようとしないマリウスなど見もせず、代わりにマリウスにだけ聞こえるぐらいの声で「今日こそ嫁を探してらっしゃい」という無慈悲な言葉だけを投げつけて立ち去って行った。
一人残されたマリウスがゆっくりと周辺を見渡せば、誰もが目を逸らし、近づいてくるのはドリンクを配る給仕だけ。
その給仕とて好奇心を隠そうともせずに見てくるので、マリウスは親に叱られることを知りつつも、早々に庭園へと逃げ出すことにした。
数年前までは何度も王太子付として王城には通っていたので、それなりには勝手知ったる場所である。
古い記憶ではあるが禁止区域がどこで、どこなら入っても特に咎められないとか、男爵令嬢との逢瀬をお膳立てするのに、当時の側近たちは把握できていたのだ。今となっては無駄な知識だが。
夜会が催されている大広間から離れていくにつれ、灯火は仄かなものに変わっていく。
マリウスが向かっているのは、住む主のいない離宮へと続く庭園だった。
暗くてはっきりは見えないが、どことなく懐かしさを覚えるのだから景色はさほど変わっていないのだろう。
もう少し歩けば、小さな噴水のそばにガゼボがあったはずだ。そこでよく王太子が男爵令嬢と逢瀬を楽しんでいたのは今でも覚えている。
人目に触れない場所で暫く休んでから、できれば夜会の終わりまで粘ってから戻ろうと歩けば、記憶と変わらない場所に小さなガゼボの姿が見えてホッとする。
安堵から足早に近づけば、ガゼボに設えられたテーブルに燭台が置かれ、そこにロウソクの火が灯されていることに気づいた。
後二歩といったところで立ち止まったマリウスの目の前で、他の燭台にもまた一つ橙色の温もりが色付けられていく。
ここで初めて人がいたことに気づいたが、立ち去る前に仄かな灯りが相手とマリウスを照らしていた。
手元の燭台へと灯りを入れたのは、地味な青色のドレスを身に纏った少女だった。
薄茶の髪は銀を編むように細工された髪飾りでまとめており、橙色の灯りを反射する瞳は何色なのかはわからない。
貴族令嬢らしくほっそりとしているが、そこらの令嬢よりは背が高く見える。年の頃は17か18といったところか。
ドレスの飾り気の無さから男爵か子爵かと推測したが、頭の中にある貴族年鑑のデータを引っ張り出してみても、どの家の令嬢かはっきりしない。
「失礼、人がいると思わず」
「いえ、この辺りは暗いから、誰もいないと思っても仕方がないかと」
薄暗がりで気づかないのかもしれないが、令嬢はマリウスを見ても逃げていかない。
もしかしたら夜会に参加することも難しい、没落しかけた家の令嬢だから自分のことを知らないのではないかと勝手に考え、そうでもしないと誰も近寄らないのだという考えが当たり前であることに溜息をつきたくなる。
「お名前を伺っても?」
令嬢に聞かれて迷ったが、名乗らないほうがよっぽど不審者に思われると覚悟を決めて相手を見る。
「無作法で申し訳ありません。ルルノアール伯爵が一子、マリウスと申します」
既にマリウスの悪評は貴族の中で知れ渡っている。
目の前の令嬢が顔色を変えて逃げ出しても少しばかり、いやかなりショックを受けるのだが、当然のことだと受け入れなければならないのだ。
けれど、令嬢は「ご丁寧に」と返した後に少し言い淀み、「オリーです」と答える。
そうしてから周囲を見渡した後、
「ドゥシーの親戚だといえば、わかるでしょうか」
と声を潜めて言葉を付け足した。
ドゥシーと聞いてすぐに思い当たる家があった。
大昔に国で流行った病から人々を救う一因となった、僻地の子爵家だ。
なるほど、地味なドレスなのも納得だと心の中で頷く。
かつては褒賞として王子を婿に貰ったり、公爵家に嫁いだりと、子爵としては規格外なことで有名であるが、子爵家自体は陞爵することも領地が広がることもなく小さいままである。
その親戚だというのならば貴族籍であるかも疑わしく、今の彼女のように貴族を名乗ることはできないだろう。
きっと王都の夜会に憧れて、ドゥシー子爵家の誰かとコッソリ代わってもらったに違いない。
本来ならあってはならないことだが、黒歴史をべったりと貼り付けたまま生きているマリウスは、こんな無害そうな令嬢が何かするとも思わないので無粋な真似は控えようと気づかなかったことにした。
「ドゥシー子爵家ですか。随分離れた所からおいでになったのですね。
今宵の夜会はいかがですか」
当たり障りのない話題を振ってみれば、令嬢は首を振って見せた。
「華やかな灯りに気もそぞろとなりますが、私には不相応です」
夜会にいたご令嬢達はこぞって着飾っている。
飾り気の無いドレス姿のオリー嬢の気が引けるのも無理はないと納得し、マリウスも肯定するように頷いてみせた。
「わかります。私も華やかな場所は眩しくて苦手で。
家の図書室の明るさぐらいが程よいですね」
冗談めかして返せば、小さく笑う声が夜の空気に散らばっていく。
「そうですね、私も本を手にクッションに埋もれている時の、部屋の明かりが好ましく思えます」
どうやらオリー嬢も本好きらしい。
早々に共通した話題を見つけられたとホッとした。
照明で輝く大広間のご令嬢と話せば、誰かの噂話と流行の衣装やお菓子の話が大半だ。
勿論そうでない女性だっているのだが、夜会では貴族らしい当たり障りない話ばかりが好まれ、王都で流行っているものや噂話ばかりを収集するさえずりは、本で学ぶ歴史や文化を愛するマリウスには少々ウンザリするものばかりだ。
それに話しかけてくるのは数年前の事件を蒸し返し、何か他に隠された話のネタがないか探りを入れてくる人間ばかり。
人間不信まったなしの状態である。
だからオリー嬢との日常的な会話は、大仰にいうならば人間らしさを取り戻せた気がしたのだ。
最近読んだ本について聞いてみれば、オリー嬢の読んでいる本は恋愛小説などではなく、旅行記や図鑑、経済学など多岐に渡っている。
今も昔もマリウスの話題は読んだ本の感想や教養めいた話ばかりだったので、男爵令嬢からは他の話題を振られたりしたものだが、オリー嬢とは話題が途中で切れることも無く続いて心地よさを感じている。
話題を変えて菓子の話となったら洒落た菓子を作る有名店の話ではなく、彼女自ら焼いたアップルパイの話はいかにも林檎が特産のドゥシーらしいと思ったし、初めて焼いたパイが焦げてしまったのに家族が皆食べてくれたのだという話も心にロウソクがともされるように温かくなった。
勿論マリウスが本で得た林檎の知識で話を繋げば、楽しそうに聞いてくれる。
まだ若かった時とは違い、大人となった今では聞いているふりなのかどうかぐらいは察することもできる。
「マリウス様は博識でいらっしゃるのね」
薄暗い場所だから断言はできないが、彼女が纏う空気に煩わしさや退屈といったものは感じられなかった。
夜会や出先で見られる視線とは違う、ごく普通に一人の人間として礼儀を通してもらえることがこんなに嬉しいなんて思わなかった。
と同時に、本来ならありえない期待で思わぬ考えに至ってしまう。
目の前の令嬢と縁を結べれば、と。
貴族令嬢は誰もが淑女然としているものだが、目の前にいる令嬢はマナーとして感情を抑えることを身に付けているからだけではなく、元々落ち着いた性格のようにも思える。
未婚の女性ともなれば彼女とも変わらない年頃が最年長になるだろうが、18歳ぐらいともなると大抵は婚約者がいるものだし、いなかったら大なり小なり問題がある家のご令嬢だ。
マリウスの年齢でも結婚するともなれば年若い令嬢が候補に挙がることになるが、年齢差にどういった会話をすればわからないし、読んでいる本の趣味が合う女性も少なければ、そもそも黒歴史の時点でお断りされることが大半である。
ドゥシー子爵に頼んで養女としてもらえば、婚約に問題無いはずだ。
必要であれば経済援助などを婚約の条件に加えても、息子を何としてでも結婚させたい両親は反対などしないだろう。
なによりマリウス自身が、彼女のアップルパイを食べたいと思ったのだ。
問題は目の前の賢い淑女が、マリウスと婚約してくれるかどうかである。
首を縦に振ってもらいたいのならば、過去の話をしないで話を進めればいい。
彼女が了承してくれたら、相手が子爵であるならば強引に押し切ることもできるだろう。
けれど、それは彼女がいいのだというマリウスの形にならない感情が許してくれない。
騙したくはない。誠実でありたい。
「オリー嬢は婚約者が?」
急に変わった話題に彼女は首を僅かに傾げたが、それを横に振って否定した。
「今はまだ。
父がゆっくり考えればいいと言ってくれますので」
とりあえず婚約を申し込む前提部分は、明るい方向へと舵を切ってくれたようだ。
オリー嬢の前で膝をつく。
「唐突で戸惑われるでしょうが、この時間が非常に楽しく、またオリー嬢と話をする時間を頂けたらと思っています。
勿論、私の悪評を踏まえたうえで聡明な貴女が断っても、伯爵家として何かすることはないとお約束します」
風で揺れる頼りないロウソクの灯りは、オリー嬢の顔を隠してしまう。
「けれど、私は貴族達の中では悪いほうに有名でして。
過去に元婚約者を公の場で婚約破棄を伝えて辱めるという、許されぬ事件を起こしたことから人々に指差される身となり、良い縁に恵まれることもありませんでした」
そっと手を取れば、振り払われることがないことに安堵する。
「いきなり婚約を申し込むことは致しません。
まずは友人として、一緒に時間を過ごす機会をもらえないでしょうか」
少しの無言の後、小さく吐かれた息に身構えてしまう。
断るのなら、できれば過去のことを酷く言われないといいのだけれども。
いや、いっそ言ってくれた方がいいのかもしれない。
「父に相談してみないとお答えするのは難しいのですが」
少し考えるように彼女は口を噤み、視線を大広間へと向ける。
賑やかな声は囁き程度の音でしかなく、けれど人々の熱気を帯びた空気だけは伝わってきた。
「昔のご自身と悪評ばかり気にしておいでですが、過去にあったことを隠さずにお話ししてくださったマリウス様は誠実な方だと思いました。
私もお話しできて楽しかったですし、多くの本を読まれただけではなく、それを教養として備えていらっしゃるところも尊敬できます」
はにかみながらも笑顔を見せたオリー嬢の瞳が、ここにきて煌めく翠玉の色をしていることに気づく。
そして薄茶の髪の下に隠された、白にも近い金の髪が見えていることも。
ドゥシー家の色は薄茶と淡い紫で。
王家の血が入った珍しい子爵家だが、婿入りした王子の髪色は黒だったはず。
白金の淡い髪と緑の瞳の両方を持つ者は国内に少なく、だからこそ高貴な人物だと誰もが理解できるのに。
「マリウス様、オリーは愛称です。態度を変えられることが嫌で、きちんと名乗らなかったことはお詫びします。
まず友人からだというのでしたら、私のことはオリアーヌと呼んでください」
立ち上がった彼女のドレスは簡素で、けれど素材や縫製までは関心を向けていなかった。
知識で蓄えていたとしても、美しいものの違いを目で判別できないことに、今までで一番後悔した。
オリー嬢の名を呼ぶ女性の声がする先へと向かう彼女の背を見送りながら、彼の頭の中の貴族名鑑はドゥシーの関係者でぴったり一致する人物を叩き出せなかった代わりに、貴族名鑑に載せない一人の高貴な女性へと答えを導いてくれる。
彼女の祖母は確かにドゥシー家の子女だったが。
公爵家から王家に嫁いだ母を持つ、月の儚い灯かりに似た白金の髪と翠玉を宿した瞳の姫君。
「……まさか、オリアーヌ殿下か?」
オリアーヌ・ルカ・ブリュイエール殿下、15歳。
ドレスが簡素だったのも当然だ。年齢を考えてもデビュタントしていないのだから夜会に参加していない。
必死に数年前の記憶を掘り起こしても、ほとんど関わることの無かった幼い姫君のことなど思い出せるはずがない。
「確かにドゥシーと親戚とは言えるが」
あまりにも遠すぎると呟いて、懐にしのばせていた胃薬へと手を伸ばした。
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あの後、戻ったマリウスは会場にいなかったことをこっぴどく怒られる羽目となったが、それどころではない状況を説明することができず、数日後にオリアーヌ殿下からの手紙と王家からの書状が届くまで胃薬を手放せないまま過ごすこととなる。
そしてオリアーヌ殿下からの手紙が届いたとき、嫁を見つけてこいと口煩かった母親ですら微妙な顔で年齢差を確認したところで食欲が一気に失せ、その日は夕食を抜いて部屋に閉じ籠ることとなった。
確かに13歳の年齢差は自分でもどうかと思っているうえに、デビュタントすら済ませていない少女がお相手だなんて誤解されるに決まっている。しかも一緒に不祥事を起こした王太子の妹君。
本気で死にそうだと、布団に埋もれながらも手紙を読まないなんてことができるはずもなく。
もれなく一緒についてきた王家からの書状については、一気に老け込んだ父親が確認して要約してくれた。
『オリアーヌ殿下はデビュタントもまだだから節度ある態度を取れよ、この不祥事ロリコン野郎が。』
マリウスは崩れ落ちるように倒れたが父親の前だったことが幸いし、使用人達に担がれて滞りなく寝室のベッドに放り込まれた。
我ながらか弱い胃袋だとは思うが、あの事件から数年過ぎても人の目に晒されて絶えず胃を痛めつけていたのだ。
それに過去も今も、王家からは恨まれて当然のことをした自覚はある。むしろ自覚しかない。
悪意のある文書の一通や二通は耐えるべきだし、オリアーヌ殿下には無難な手紙を返して距離を取るべきだろう。
それでもマリウスはオリアーヌ殿下の手紙に無下な返事をしたくない。
それから暫くの間、ベッドの住人として過ごすこととなったマリウスは、療養生活一日目にオリアーヌ殿下からの手紙に目を通した。
社交シーズンは始まったばかりの春の始まりはまだ寒く、公爵家からお菓子に向いた林檎が届いたという書き出しから始まる文字は、しっかりとした筆跡に人柄が現れていると思う。
再来週にでもお約束したアップルパイを用意しますから、是非城においでくださいと丁寧に書かれた文字をなぞる。
暫く家から出られないことを返信するためと、それからお詫びと記念の贈り物をするべく年頃の侍女に助言してもらおうと呼び鈴を鳴らした。
マリウスがベッドから抜け出してまともな食事が出来るのは三週間後のことであり、オリアーヌ殿下がガッカリしていたことを遠回しに責める文書が三日おきに届くせいで食欲不振が再び起きたために、なんだかんだと林檎の季節を逃してしまうこととなる。
再び赤い陽だまりが木々に実る頃も、新しい友人と過ごす時間は嫌がらせが多くて薬を手放せず、結局マリウスが彼女をオリーと呼んでアップルパイを口にすることができたのは、彼女がデビュタントを済ませた後の婚約時であった。