婚約破棄されたお嬢様が美しくなったので、絵師の私が描いて広めようと思います
「君との婚約を破棄する!!」
ハルマン伯爵家の嫡男がお嬢様に一方的に突き付けた婚約破棄のセリフ。
あの衝撃的な夜会から1か月が経とうというのに、私はまだその衝撃を忘れられずにいた。
直接関係のない私がこれだけショックなのだから、お嬢様は一体どれほどのショックを受けたのだろうと、想像するたびに胸が苦しくなる。
私はミレイア子爵家に努める侍女。
孤児院で育ち、お嬢様に拾われて今の安定した仕事を得ることができました。
貴族の御令嬢は、人によっては癇癪持ちだったり、金遣いが荒かったり、悪い場合侍女に手を挙げる人もいるのだとか。
そんな中、私が仕えるユフス・ミレイア様は非常に寛大な方で、貴族と一切つながりがなく、親もいない私に大変良くしてくれます。
初めて出会ったのは8年も前のことで、私の描いていた絵を気に入ったユフス様が子爵様に頼んで私を専属の侍女にしたのだ。
あの出会いがなければ、今頃何をしていたのだろうとゾッとしてしまいます。
ここでの仕事はやりがいがあるし、ユフス様に仕えられるのは私の幸せです。
私の絵の才能を認めてくださるお嬢様は、私の為に絵を描く道具をいつだって買い与えてくださいます。
庶民の私じゃ本来一生かかっても買えないようなものまで……。
そんな大恩人であるユフス様が、すっかりふさぎ込んで、一ヶ月も外に出ていません。
今日も食事を持って、ユフス様の部屋の扉をノックする。
「ミユです。お嬢様、食事を摂らないとお身体に障ります」
「……ありがとう。扉の前に置いてて頂戴。後で食べるから」
「嘘です。昨日だって、その前だって食べていないじゃないですか」
「……いいのよ。こんな体、どうなったって」
そんなことはない。
ハルマン伯爵家の嫡男は婚約破棄した後に、お嬢様の見た目の悪口まで言っていた。本当に最低な男だ。あれを気にしているのだろうけど、お嬢様は誰よりも心の美しい方だと私は知っている。
そりゃ……少しだけぽっちゃりしているけれど、そんな小さなこと気にしない殿方がきっと現れます!
生きていれば、きっとお嬢様の素敵さに気づく方が沢山現れます!
バタン!
私は食事をどうにか食べて貰いたくて扉の前で粘っていると、室内で何かが倒れた音がした。
最悪の想像が頭を過り、血の気が引いた。
食事を運んで来たトレーを床に置き、急いで部屋に飛び込んだ。
「お嬢様!!」
最悪の想像は当たっていた。
お嬢様がやせ細った体で倒れ込んでいて、意識を失っている。
「誰か! 早く医者を呼んで! お嬢様が倒れてしまったの!!」
大きな子爵家の屋敷に響くように、声を張り上げた。
お嬢様……息はある。
栄養失調で意識を失っただけだ。
胸が痛む。
そして怒りも沸いてくる。
あのくそったれの伯爵家のクズ息子がああああああ!!
他の侍女が駆け付け、事情を理解して医者を呼びに行ってくれた。
私は怒りで頭に血が回り、でも冷静に対処しなくてはと自分の感情を抑えた。
少し頭が冷え、抱きしめているお嬢様の顔を見た時、私ははっとした。
あれ? お嬢様、滅茶苦茶美しくない?
いやいや、決して今までのお嬢様が美しくないと言っているわけではない! 決して!
だけど、なんだこれ!
前のような、御餅みたいなプルプルさはなくなっちゃったけど、女の私が思わずドキッとするくらい、美しい。
まるで絵画の中に描かれた伝説の大聖女様のような美しさ。
「……きれー」
私の後に駆けつけて来た侍女が、お嬢様を見て無意識のうちに声を漏らす程。
子爵家お抱えの医者はすぐに駆け付け、お嬢様を診てくださった。
診断結果はやはり栄養失調で、しっかりと食べるように厳しく言われた。
子爵様からも無理やりにでも食べさせるようにと強く言われ、騒動は一旦収まった。
あれから数日が経つ。
「お嬢様、煩わしいかもしれませんが、傍にいるように言われております。出来るだけ邪魔にならないように部屋の隅でひっそりしておりますので、何か必要でしたら申し付け下さい」
「……ごめんなさいね、ミユ。今度はちゃんと食べるようにするから。でも、まだ部屋は出たくないの」
「良いんですよ。自分のペースで。お嬢様が復帰されるまで、私がずっと傍にいてお仕え致します」
「……ありがとう」
そう言って微笑んでくれたけど、お嬢様のカラ元気だということは容易に想像がつく。
窓の外を眺め、ぼんやりと行き交う人々を眺め始めた。ここ数日、ずっとこうだ。
まあ、食欲が戻ってくれたので、それだけでも良しとしよう
「ぽっ……」
おっと。
間抜けな声が漏れた。
仕方ない!
こんなボロボロのお嬢様に言えることではないけれど、今のお嬢様、本当に美しい!
芸術的な美しさがある!
一ヶ月も碌に食べなかったことですっかりとやせ細り、弱弱しい体つきが儚さを漂わせ、美しい顔立ちがくっきりと表れている。
部屋の隅にずっといても仕方ないので、私はお嬢様を描いてみることにした。
昔から唯一、絵だけは得意だった。
今のお嬢様を描いて見せてあげれば、少しは元気が出るかもしれない。
早速傍にいる時間を使って描いてみた。
総制作時間、実に2週間もかけた大作だ。
完成した頃には、お嬢様も比較的元気になっていた。
「ミユ、私ね。別にあの方に恋していた訳じゃないの」
あの方とはハルマン伯爵家の嫡男、通称クズ男のことだとすぐに分かった。
事情を話せるくらいには、心も落ち着いたのだろう。
「ではどうしてこれほどに落ち込まれているのですか?」
「……伯爵家との縁談が来た時、お父様とお母様が凄く喜んでくれたの。私はそれを見るのが幸せで。……でも、全部台無しにしちゃった。私があの子ほど綺麗じゃないから」
「あんな見た目だけの薄っぺらい女に靡く男、お嬢様を取られなくてせいせいしています!」
「ふふっ。お父様たちの前で言っちゃだめよ」
「はい! クビが飛びますので!」
「ミユと話していると、元気が出るわね。ありがとう、いつもそばにいてくれて。でも、もう少しだけ休ませて頂戴」
「もちろんです! ずっと一緒です。ところで、こちらを見てください」
私は完成した絵をお嬢様に見せた。
「あら、やはりミユの絵は上手ね」
「モデルはお嬢様です」
「あらあら、嬉しいわね」
どうやらお嬢様は自分の美しさにあまり興味がないらしい。
というよりも気づいてすらいない?
まさか、こんな女神の生まれ変わりのような見た目なのに、自覚がない!?
お嬢様は見た目で相手を差別することがない。もしかして、それは自身にも当てはまるのかもしれない。
ぐぬぬぬ。悔しい。この美しさを誇らないのがなんとも歯がゆい。
さらに数日が経ち、お嬢様の回復が良好らしく、私にも久々に休みが貰えた。
お化粧をして、所持している一番高価なドレスを着こんで、私は王都の夜会へと出かけた。
私のような侍女でも会場に入れるが、こんな庶民に声をかけてくる殿方などいない。
別にそれでいい。
今日は、これが目的だ。
夜会の裏方に相談して、絵を飾れないかと聞いてみた。
「これは、これは。なんとお美しい!」
「ミレイア子爵家のユフス様がモデルです。どうか会場に飾っては貰えませんか?」
「これがあれば会場に華が出ますね。構いませんが、私の権限では対価などお支払いできませんがよろしいのでしょうか」
「それこそ構いません。作品名は『ユフス』。聞かれたらそれだけ教えておいてくれれば問題ないです」
「ありがたい申し出だ。ふむ、やはり美しい。額縁を変えて、一番目立つところに飾っておきましょう」
私たちはがっしりと握手を交わし、取引を終えた。
お嬢様が落ち込んでおられる理由は、失恋ではないと判明した。
伯爵家のクズ男に婚約破棄されたことで変な風評被害が出回り、それで縁談が来なくなったことを気に病んでいるのだ。
どこまでも孝行娘なユフス様は、一刻も早く結婚してご両親に恩返ししたいと思っておられる。
ならば、新しい縁談がくればいいのだ。
それも伯爵家よりも条件の良い家柄から。
今のユフス様のお姿を見れば、きっと縁談の一つや二つくらい。
「あ……あわわわわわ」
3日後、私は自分がとんでもないことをしてしまったことを知る。
「急にどうしたのでしょう。突然こんなにも縁談が」
ユフス様の元に、100通を超える縁談が舞い込んできてしまっていた。
ごっごめんなさい!!
そんなつもりじゃ!!
縁談が2,3通来たらいいなあ程度の考えでした!!
本当にごめんなさい!!
「ユフス!!」
お嬢様と同じく気性が優しくて、穏やかな子爵様が、声を荒げてお嬢様の部屋に飛び込んできた。
「これは一体どういうことだ!?」
私、またなんかやっちゃいました?
「王太子殿下がユフスに会いたいそうだ。出来れば今日中にでも、と手紙に書かれている」
「まあ!」
お嬢様が口に手を当てて驚いていた。
その頬は少し興奮して紅潮している。
「それって、縁談ってコト!?」
思わず、私が口を挟んでしまった。
「いや、まだ分からない。けれど、なぜか今日はやたらと縁談が舞い込んでくる。王太子様の件ももしかしたら……けれど、なぜこんな弱小子爵家に王太子様が! もしや縁談ではなく、私がなにかまずいことでもしたのかもしれない」
お嬢様だけでなく、この子爵様も自分の娘がどれほど美しいか理解していないらしい。
私の描いた絵がとんでもない事態を引き起こしてしまったみたいだ。
どうなるのかと心配していたが、王太子様は本当にその日のうちにやってきた。
悩んでいる暇さえ与えてはくださらない。
急な来客だったため、子爵家では碌なお出迎えの準備もできておらず、二人は屋敷の中庭で初めて相まみえた。
私も専属侍女としてその席に同席する。
「あっ、あのっ。ユフス殿は、実物も本当にお綺麗で……驚いています」
顔を真っ赤にした王太子が、歯切れの悪い言葉でお嬢様を誉める。
惚れとる!
一発でお嬢様に惚れとる!
「シェイル様、今日はどのようなご用件で? 父上が驚いているので、用件を先に聞かせていただいても?」
お嬢様、天然!
「いや、その……ユフス殿は、聞いたところによると、婚約を破棄されたとか」
「……お恥ずかしながら」
「いや! 責めているわけではないのだ! むしろ……むしろ僥倖。こんな素敵な方が……」
歯切れが悪い!
天然とシャイボーイで話が進まん!
「お嬢様、王太子様はお嬢様の美しさに惹かれてしまったようです」
「なっ!? おい、侍従風情が口を挟むな! ……けれど、まあ、そういうことだ」
王太子はその威厳を取り戻すかのように、厳しい口調を私に向けた。
けれど、テーブルの下からわずかに覗く右手は、親指を立てて私に向けられている。
「えっ! ……ありがとうございます」
ボソッとお嬢様がお礼を述べる。こちらも顔が真っ赤になった。
薄々気づいてはいたのだろうけど、信頼する私の言葉と王太子の返答で、それが確信へと変わっていった。
やれやれ。手のかかる天然とシャイボーイですね。
けれど、私の仕事はまだ終わっていない。
王太子だろうと関係ない。
お嬢様に見合う相手かどうか、私には確認する必要がある。
お嬢様の美しさに惹かれた、ただの軽薄な男なら、帰って貰うまで!
「王太子様、ユフス様は先の婚約破棄で心身ともに疲れております。またあのようなことがあれば、今度はどうなることか」
「俺を値踏みしようというのか?」
「そう聞こえたのなら、そうなのでしょう」
「図太い女だ。よかろう! あの日、ユフス殿の絵を見て、運命の人だと感じた。その決意を今現してくる!」
次の瞬間、王太子がとった行動に私はポカーンと口を開けた。
「きゃっ!」
「ななななななな、なんでシャツを脱ぐんですか!」
上着を払うように脱いで、シャツも脱いだ王太子は上半身裸になった。
「父上が母上に出会った時、一目ぼれしたらしい。強情だった母はなかなか父のアプローチに頷かず、大変苦労したそうだ。そして、父は愛を誓う代わりにようやく母を口説き落としたという。その愛の誓いを、俺も再現しようと思う」
「いやいや、全然話が見えないけど!」
「父はこうして裸になり、街を一周走り回ったそうだ。母への愛を叫びながら。両親は未だに愛し合っている。私もユフス殿とそうなりたい!」
何やってんだ、国王!
学ぶな、そんなとこから学ぶな!
「では、行ってくる!」
では、じゃないが!
走り去る王太子の背中を見ながら、お嬢様は笑っていた。
それも、かなりツボに入ったらしくて、楽しそうに。嬉しそうに。とても幸せそうに。
「お嬢様、あんなのでいいのですか?」
「ミユ。私、なんだかあの方に今すぐ戻ってきて欲しいけど、でも戻って来られると恥ずかしいような。なんでしょう。この気持ちは……」
恋ですね。
あんな突飛な行動で恋に落ちるのか……。わからん!
なんか王太子の思い通りになりそうで悔しいので、お嬢様の気持ちは教えないことにした。
へいへい。二人でゆっくり迷走しながらイチャイチャしてくださいな。
「そういえば、王太子様が先ほど絵を見たと言っていましたが、まさか……」
「さて、何のことでしょう?」
すっとぼけておいた。
お嬢様に幸せが訪れて何よりだ。私の功績など、どうだっていい。
これからもずっと傍にいさせてくれるだけで、それだけ満足なのだから。
「げっ。なにこれ」
次の日、私宛になんか変な手紙が届いていた。
相手は宰相の息子で、是非私に会いたいとの旨が書かれている。
私、またなんかやっちゃいました?
「あら? それは?」
「さて、なんでしょうか」
私は手紙をゴミ箱に捨てておいた。
そうそう、例のクズ男こと伯爵家の嫡男は早速トラブルを起こしたらしい。
婚約した相手の御令嬢が、御金遣いが非常に荒く、彼女に貢ぐために新しく始めた事業が大失敗したとのことだ。
そんなことは、ユフス様の耳に届けるまでもない。
だって、ユフス様は今日も変人の王太子様と楽しく過ごされているのだもの。
「ユフス殿、今度は我が国最大の泉を見に行こう。あそこは綺麗なんだ」
「まあ、シェイル様と行けるなら、それは楽しみです」
「それが終われば一緒に狩りなんてどうです? 涼しくなった季節に森に入りましょう」
「ふふっ、先の楽しみが増えましたわ」
二人は仲睦まじい。今度の婚約は当たりだったみたいだ。
この王太子、変人だが善人だ。ギリギリセーフってところね。
「そういえば、今日は友人を呼んでいる。もうすぐ来ると思うが。おっ、噂をすれば」
子爵家の中庭に新しい来客が来た。
高身長で、凛々しい顔つきをした男性だった。騎士を思わせるような逞しい体つきで、王太子とも知り合いみたいだった。
「宰相の息子のラエルドだ。無礼なやつだが、頭が切れる」
「王子、そんな紹介の仕方はないでしょうに。ユフス殿、初めまして。お噂は兼ねがね聞いております。本物もやはりお美しいですね」
「あらまあ、無礼だなんて。とても礼儀正しい方ですわ」
「ありがとうございます。では王子とのお茶会、引き続きお楽しみください。俺はこっちに用事がるので」
そう言って、ずしずしと迫ってくるその男。
「よう、俺はあんたに用事があるんだ」
確実に私を見ている!
「例の天才絵師様があんたじゃないかった噂があるんだが、実際のとこどうなんだ?」
切れ長の目が鋭く私を射抜く。
「何のことでしょう」
「俺からの手紙が届いていると思うが、なんで返事しない?」
「私風情が貴族様と関わるだなんて……」
ここでユフス様が助け舟を出してくれた。
「その絵師の方を見つけてどうなさるんですか?」
気になっていたところだ。
夜会の会場にあんなもの設置したから、罰金でも取られるのかもしれない。
宰相の息子だ。そこのところうるさそうだ。
「当然、嫁に貰う。俺は芸術が何よりも好きなんだ。貴族の縁談には興味ない。宰相の座も実力で親父から奪う。嫁も気に入った女を手に入れる。それだけです、ユフス様」
「あらあら。それはとっても良いことだと思いますわ。私も助力いたしましょう」
ユフス様!?
更に私に迫ってくるラエルドと呼ばれた男。
その獰猛で美しい目が私にひたすら向けられる。
ううっ。
「暴いてやるからな」
「ふ、ふーん、無駄な労力になりますよ」
私の描いた絵が、とんでもない事態を引き越した一件は、まだまだ事態が収まりそうになかった。