第四話
先ほどよりもゆったりした速度で、台車は空を駆ける。裏街エリアから出てマーケットに向かうにあたって、人に衝突しないようにするためだ。
鉄血商会は歴史の古い組織で、遡れば、まだフォルティトゥードが国の形を保っていた時から存在している商会だ。市場の秩序と価格変動を司る、いわば市場の支配者である。その力は『大厄災』後も、いやそんな世の中だからと言うべきか、健在である。
マーケットに近づくにつれて、市場特有の喧騒がフィリアの耳に届く。だが、喧騒の中に、普段は聞かない罵詈雑言が混ざっているのを聞き取ったフィリアは顔をしかめた。
「今日は荒れてるかな…。行くのやめようかな…」
だが、今日中に卸してしまいたいものもあるため、フィリアとしてもマーケットに行かないわけにもいかない。
「アレテル?」
「うん、ちょっと危ないかもしれないから、あなたはなるべく声を出さないようにね」
もしロボットが不用意に誰かに話しかけて問題でも起こったらコトだ。そう思ったフィリアはロボットに注意を促して、マーケットへ入場した。いざマーケットに着くと、フィリアの予想通り、市場は荒れに荒れていた。
「なんっで俺の持ってきたもんがあいつの半額なんだよ!同じ品物だろうが!」
「と言われましても、お客さまの仰る通り、こちらはつい先ほど卸された商品でございます。さらに言えば、お客さまの持ち込まれた品物は、とてもではありませんが状態がいいとは言えないシロモ…、いえ、品物となっております故…」
「あんだと!じゃあどんだけの差があんのか使って確かめてみろや!」
「そうは言われましてもですね…」
見れば、商会のバイヤーとスカベンジャーが騒ぎの中心になっているようだ。内容は大方、バイヤーがつけた値に納得がいかないといったことだろう。騒ぎ好きの街の連中も一緒になって囃し立てている。冷静なバイヤーを、大柄な男が顔を真っ赤にして怒鳴りつけている。文句を言っている男には、フィリアも見覚えがあった。確か半月ほど前にハンターからスカベンジャーに転職した男だ。あまり漁り場での素行もいいとは言えず、フィリアは関わり合いにならないようにしていた。
(あいつ、商会にたてつきすぎると何があるか知らないのかな。あんまり良い奴とも思えないけど、だからってほっとくのもな…)
そんなフィリアの心配と葛藤をよそに、場はヒートアップしていく。
「てんめえ、いい加減にしろよ!俺はこの間までハンターをやってたんだ!あまり怒らせない方がいいぜ?」
「左様でございますか。ですがこちらとしても、そう簡単に値を変えられるわけでもないためご理解をいただけますと…」
男は背中に差した大刀の柄に、今にも手をかけそうだ。商会の細身なバイヤーは、そんな男を、困ったような笑みを浮かべて見ている。それを見た聴衆たちが男を煽る。
「お!やれやれ!」「応援してっぞー!」「いくら賭ける?」「商会に500!」「そもそも賭けが成立しねえよ」「いや俺は大穴だ、スカベンジャーの兄ちゃんに1000!」
場の熱が高まり、賭けまで始まりそうである。だが、この先の展開は分かりきっているため、ほとんど退廃した娯楽のようになっているのを、渦中の大柄な男だけが分かっていない。熱に当てられ、自分のプライドだけに支えられ、男は大刀を抜こうとする。だが、
「待ってッ!」
やや高いがよく通る女性の声が男を硬直させた。場の視線が一気にフィリアに集まる
(マッズい、やっちゃった。関わりたくなかったのに…)
後悔してももう遅い。深呼吸を一つして、待っててねと言うようにロボットを少し叩くと、フィリアは意を決して台車から降りて、場の中心に向かって歩き出す。男のターゲットは、目の前にやってきたフィリアに変わった。
「あんだよクソガキ!俺は今からあいつを軽く撫でてやろうとしただけだぜ!」
口角泡を飛ばしながら男が詰め寄る。その表情は興奮で歪んでおり、この際相手は誰でもいいと言うような勢いだ。血走った目とタバコ臭い息に辟易しながらも、フィリアは男を睨む。
「彼らがここの原理だよ。ここのルールを守れないなら出ていって!」
喧嘩腰な相手に呼応し、フィリアの声も自然とつっけんどんなものになる。女性としては長身なフィリアも見上げるほどの大男相手に、一歩も引かずに啖呵を切る姿に、聴衆からは落胆半分だが、感心の声があがる。
「やるなあ、あいつフィリアだろ?」「いい女だよなあ相変わらず」「でも盛り下がっちまったな」「まあ結末は見えてたしな」
勝手な声をあげる野次馬たちを尻目に、フィリアは男に厳しい目を遣りながら続ける。
「ほら、早くその悪趣味な包丁から手を離しなよ。ここは血を流す場所じゃないんだ」
「女の癖に俺に口出ししてんじゃねえよ!」
フィリアの言葉に激昂した大男は、一際大きな声で叫びながら、フィリアの腰ほどもある太い腕で、彼女の胸ぐらを掴んだ。
「カハッ…」
自らの胸を襲う衝撃に息が詰まる。
(〜〜〜〜〜〜っ!だから関わりたくなかったのに!)
後悔したのも束の間、胸ぐらを掴まれたままフィリアの足が宙に浮いた。
「ちょっ、と…。離しなさいよ…」
満足に呼吸できない中で、フィリアは必死で抵抗する。だが、空中でブラブラと足を揺らし、自分を締め上げる腕を叩くのが精一杯だ。フィリアが意識を手放しそうになったその時、
「…困りますねえお客さま」
先ほど、男と言い争っていたバイヤーの声が後ろから聞こえた。
「『それ』がお望みでしたら私どもも最初からそちらでお相手して差し上げましたのに」
余裕のある声色だ。さっきまでの困ったような雰囲気は微塵も感じられず、むしろ少しイキイキしてすらいる。大男はバイヤーを見て、フィリアを投げ捨てた。地面に叩きつけられる格好となったフィリアを野次馬が介抱する。フィリアは介抱されながら、再び場の中心となった男とバイヤーを見る。バイヤーは男に並ぶほどの長身ではあるものの、向き合えばまるで細枝のようにしか見えない。
(ダメ…)
朦朧とした意識の中でフィリアはそう思った次の瞬間、大男の体が宙を舞った。野次馬たちがワッと湧く。先ほどのフィリアと同じように地面に叩きつけられた男は、何が起こったかわからないとでも言いたいような顔で目を白黒させている。
そんな男にバイヤーが声をかけた。
「お客さまはどうやらご存知でないようなので、僭越ながら私がご教示して差し上げましょう」
バイヤーはそう言うが早いか、痛みで起き上がることのできない男の髪を掴み、片手で自分と同じ高さに吊り上げた。
「一つ、鉄血のマーケットにおいて、バイヤーの判断は絶対」
男は痛い痛いと叫びながらのたうつが、バイヤーの細腕は万力のような力を込めて、男の髪を掴んで離さない。
「一つ、バイヤーとお客さまは常に対等」
空いた片手で、男の腹に拳を叩き込む。男が着込んでいた鎧が大きくひしゃげた。
「一つ、力には力」
もはや焦点の合わない男の目を蔑んだように見ると、バイヤーは男を地面に打ち捨てた。
「最後に、公正は我が手にあり。これらが我ら鉄血商会の掟でございます」
地面に倒れ伏す男に、張り付いたような笑みを浮かべながら慇懃に礼をするバイヤーに、周りから拍手が上がる。
(こういうのが嫌だから割り込んだのに、結局こうなっちゃった)
先ほどのダメージは少し残っているものの、もう既に立ち直ったフィリアが苦虫を噛み潰したような顔で、拍手されているバイヤーを見遣る。
「少し滞りましたが、皆様、本日も良い取引を!」
そう宣言したバイヤーがフィリアの元へ向かってきた。