クリスマス外伝①
本編が始まる前のエピソードです。
ヒース・クロックフォードはクリスマスが嫌いだ。
遠くに住む家族が一同に集まり旧交を温め、お互いの愛情を確認し合うかけがえのないひと時。街は華やぎ、全てがクリスマス色に彩られ、フワフワと浮ついた雰囲気に包まれる。そんなもの、最初から縁がない人間にとっては煩わしいことこの上なかった。更にもっと辛いのは、かつて少しでもその楽しさを味わってしまったら、失われた後の喪失感は筆舌に尽くしがたいということだった。
「いやー、改めて見ても今年のツリーは大きいですね。ロビーが狭く感じるほどですよ」
そう言いながらヒースの執務室に入って来たのは、専属秘書のウィルだった。ウィルは、書類の束を抱え、彼の机の上に置いた。
「クリスマスにわざわざギャンブルする奴にまともなのはいないんだから、こんなところにいいツリーを回さなくてもいいのにな」
ヒースは、ウィルに背を向ける形で窓の外を眺めながらそう言った。ヒースはこの窓からの景色が好きだった。建物の裏手に面する窓から見えるものと言えば、乱雑なゴミ捨て場に、当てもなくたむろする野犬に、狭く汚らしい路地を通り過ぎる怪しげな人間しかない。しかし、彼はこの華やかな都会の裏の顔を見るとなぜかほっとした。仕事で疲れた時、何か考え事をしたい時、ぼんやりと煙草をくゆらせながら煤けた景色に目を向けるのだった。
「まあ、そうおっしゃらずに。なかなか壮観じゃないですか。いい宣伝になりますよ。玄関からロビーに入ったら本物の立派なツリーがどーん! ですからね。あ、これ、届いてました。今回は手紙だけでなくプレゼントも一緒です」
ウィルが付けたしのようにヒースにそっと渡したのは、一通の手紙とクリスマス用にラッピングされた箱だった。ヒースは、一瞬はっとしたがすぐに元の表情に戻り、まるで禁輸品を扱うのように余りにもさり気なく、それらを受け取ってすぐに見えない場所に隠した。
(全く、こんなのいつまでやってんだよ。子供じゃあるまいし、さっさと会いに行けばいいじゃないか)
ヒースが、名前と素性を偽ってある女性と文通をしているのは、ウィルのみが知っている極秘事項だった。もっとも、悪筆に悩んだヒースが、流暢な字を書くウィルを代筆係として指名しただけなので、その手紙についての一切の質問は禁じられていた。ひたすらタイプライターのように文字を写すのみ。そして実体のない住所に届いた手紙をヒースに届ける。これがウィルに与えられた任務だった。
とはいえ、ヒースの返信しか読めなくても大体やりとりの内容は想像がつく。どうやらうちのオーナーは、育ちのいい初老の紳士という設定らしい。本人は初等教育しか受けていないのに、普段粗野な人種としか付き合わないくせに、よくもまあこんなに巧妙に化けるものだと、ウィルは内心舌を巻いた。独学で習得したであろう文化的な教養は、確かに一朝一夕で身に着くものではなく、裏では相当苦労したと見える。それでもヒースは、「お前は元の育ちがいいからな。結局育ちがいい奴には勝てないよ」とぼやくことがあった。ウィルにしてみれば、育ちがよくてもそれ以外が駄目な人間なんてごまんといるのだが。むしろ、ヒースのような本当に実力のある人間が評価される社会であって欲しいと願っていた。
ウィルがさりげなく散らかった机の上を整理していると、ヒースが落ち着かない様子になって来た。ウィルは一瞬訳が分からなかったがすぐにはっとした。届いたばかりの手紙を早く読みたいのだ。ウィルは己の鈍感さを恥じながら部屋を出ようとしたが——
「ちょっと! 今日はイブだってのにここだけお通夜会場みたいじゃない! 控室でクリスマスパーティーやってるのよ! ボスったら何で来てくれないのよ~」
頭に紙でできた三角の帽子を被り、シャンパングラスを手にしたアネッサが勢いよくドアを開けて入って来た。彼女はすっかりできあがっており、上機嫌さを隠そうとしなかった。
「俺みたいなのが不景気なツラ見せたらみんなテンション下がるだろ。毎年同じこと言ってるんだから分かってくれよ」
ヒースが困り果てたように言っても、アネッサはどこ吹く風だった。
「ボスこそいっつも同じ言い訳して顔見せないんだから。こういうのはトップが現れなきゃ格好がつかないのよ。今年こそは出てもらいますからね」
酔っぱらったアネッサはヒースの服を掴んで引っ張ろうとしたので、ウィルが慌てて止めに入った。
「もう、姐さんったらすっかり酔っているんだから。ボスはこれから用事があるみたいだから俺たちは出ましょうよ、ね?」
そう言って、アネッサをヒースから引きはがして、一緒に部屋を出ようとしたら、今度はヒューゴ・ジョーダンが入って来た。
「ボス、ここでしたか。ちょっと見てもらいたい書類があるんですが……」
「今度はジョーダンさんまで! それ今日やらなくてもいいでしょう! もうみんなボスを一人にさせてあげましょうよ!」
たまらずウィルは叫んだが、ヒューゴはぎろりとウィルを睨んで言った。
「お前らはクリスマスだからと浮かれてもいいかもしれんが、ボスはこんな時でも一人仕事に没頭しているんだ。せめて俺だけでもボスに着いてやらなきゃ駄目だろ? ボスを一人にしておけるか」
(だからその気遣いが余計だって言うんだよ! むしろボスは一人になりたがっているの! 早く手紙を読みたいんだから!)
しかし、ウィルの悲痛な叫びは声になる事はなく、代わりにアネッサが酒臭い息をまき散らしながら反論した。
「あら、ボスを好きなのはジョーダンさんだけじゃありませんよ? 私だってボスを思う気持ちなら負けませんからね! この際どちらが好きか勝負しましょう!」
「ちょっと、姐さん! 勝負ってどうやってするんだよ! もう訳が分かんないよ!」
「そうねえ——じゃあボスの好きなものや苦手なものをどちらが多く知っているか競争にしましょう! まず私から! えっとね、ボスの好きなものは、一口大のかわいいチョコレートでしょ? 苦手なものは……脂っこい食べ物! 次ジョーダンさん!」
「え、えっと、なんだいきなり?……ボスの好物と言えば……ブラックコーヒーかな?」
アネッサのノリにヒューゴも釣られてしまったが、そろそろヒースに限界が来ていた。
「もういい加減にしろ!」
ヒースの一喝で辺りは一気に静まり返った。
「ウィルの言う通りだ。俺はこれから他にやることがあるからみんな出て行ってくれ。それが終わったら、パーティーにも顔を出すし、ヒューゴに言われた件もやっておくから。それでいいだろう?」
ここまで言われたら、みな黙って受け入れるしかなかった。3人が去ってようやく静けさを取り戻した執務室で、ヒースは一人ため息をついた。
(やれやれ……やっと静かになった)
そして椅子に深く座り込み、ようやく、バイオレットがクラーク氏に宛てて送ったプレゼントの包みを開けた。中にはカシミアでできたキャメル色のストールが入っていた。色合いからして、バイオレットが初老の男性を想定して選んだことが伺える。それを思うとヒースは可笑しくなって、一人クスクスと笑った。実際メッセージカードにも「今年の冬はとても寒いですから、どうか風邪をお召しになりませんよう」と老人の体を労わるようなことが書いてあった。
(ありがとう、バイオレット。すごく嬉しいよ)
例え自分に宛てられたものではないとしても、ヒースは十分に満足だった。バイオレットの真心に触れられることが至上の喜びだったのだ。
次に彼は手紙の封を開けた。中には整った筆跡で書かれた手紙が入っていた。
「拝啓、J.H.クラーク様。素敵なクリスマスプレゼントをありがとうございます。クリスマスまで待ちきれなくて一足先に開けてしまいました。そして中身を見てびっくりしました! どうして私が新しいブーツを欲しがっているのが分かりましたの? しかもサイズまでぴったりなんて!」
そりゃ、トーマスたちにあらかじめバイオレットの欲しいものをリサーチするよう指示していたからに他ならない。お陰でトーマスたちは、バイオレットにバレないように探りを入れるのに四苦八苦した。
ヒースは、バイオレットの手紙を夢中になって読んでいたが、ある一節にさしかかって、ぴたっと動きが止まった。
「毎年この時期になると、幼馴染のことを思い出します。彼は、私がまだ小さい頃にこの家に通いで来ていた使用人の息子でした。私は彼によく懐いていつも一緒に遊んでいました。余りに仲が良かったので、クリスマスの日も一緒に過ごしたのを覚えています。もう10年以上も会ってなくて、顔も忘れかけている程ですが、彼はどこで何をしているのだろうと今でも考えることがあります。もしかしたら結婚して子供もいるかもしれない。それでもいいからどこかで幸せに笑って暮らして欲しい。クリスマスの時期は、彼に会いたいという気持ちが一層強くなります」
バイオレットとクリスマスツリーの飾りつけをした日、ジンジャーブレッドを一緒に作った日、前から欲しかった本をバイオレットからプレゼントされた日。幸せな記憶があるからこそ、それを喪った今が辛いのだ。幸せさえ知らなければこんな孤独を味わうこともなかったのに。
(僕はここにいるよ、バイオレット。僕も会いたいよ)
だからクリスマスは嫌いだ。幸せだった日々を思い起こさせるから。それでも、幸せを知らなければ今の自分はない。もっともっと地の底に落ちていたに違いない。だからこの痛みを抱えたまま生きなければならないのだ。ヒースは窓の外に目をやりながら、新しい煙草に火を点けた。
外伝①としましたが②や③があるかはまだ分からず……w




