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延宝五年 秋  仙台高尾に妖刀村正 前編

「今回の仕掛けの相手は、仙台藩の誰かだ」


 『蓬莱楼』楼主蓬莱弥九郎の物言いにさすがの半兵衛も呆れ声を出す。

 そばかす顔で呆れ声を出してもさして威厳はないのが玉に瑕ではあるが。


「なんだい。そりゃ。

 仕掛け相手がわからんのにどう仕掛ければいいんだい?」


「まぁ、聞け。

 仙台高尾の話は知っているか?」


「それをここ吉原で聞くか?

 名が継がれる最高級の花魁、高尾太夫の事だろう?

 仙台藩藩主が虜になった事で仙台高尾なんて呼ばれていて、身請けされた今でも絵や話に出る……ん?」


 仕掛けの相手がその高尾太夫と絡む仙台藩。

 そこでやっと気づいた半兵衛が黙るのを見て、弥九郎がゆっくりと続きを口にした。


「高尾太夫はその後若くして亡くなったんだが、まぁ、色々ときな臭い噂があってな。

 仙台藩伊達家六十二万石。

 外様雄藩の一つであり、高尾太夫に溺れた藩主伊達陸奥守綱宗公はその乱行を咎められて幕府によって隠居させられ、若君亀千代君が仙台藩を継ぐ事になったが、当然藩政など行える訳もなく。

 一門や重臣の合議の他に幕閣からのご意見を吟味して藩政を行っていたが、案の定お家争いとなって、藩内でかなりの血が流れた。

 その余波は未だ治まってなくてな」


「ははん。若君が大きくなったから重臣たちが邪魔になったか?」


「その通りだ。

 亀千代君は今や伊達綱村公とお名乗りあそばすが、お家騒動に未だ続く藩政の混乱で藩の財政も悪化しつつある」


 段々と絵図面が見えて来る。

 仙台藩は伊達綱村が政務を執る前は、一門や重臣の合議の他に幕閣からのご意見を吟味してというのが肝要だ。

 外様雄藩にご意見を言えるような幕閣なんて、大老酒井忠清しかいないではないか。

 そして、酒井忠清の機嫌を損ねてもいいという事は、伊達綱村は必然的に堀田正俊に近づいている事を意味している。


「幕府としては、仙台藩のこれ以上の混乱は許容できない。

 綱村公を隠居させて、次の藩主が決まるまで江戸で隠居生活をしていた綱宗公に仙台藩を任せるという策が幕閣内で進みつつある」


 弥九郎はごまかしているが、要するに酒井忠清がそう考えていると言っていいだろう。

 半兵衛のなんとも言えない顔を気にする事無く、弥九郎は続きを口にした。


「で、仙台高尾の話に戻る。

 彼女が身請けされてすぐに亡くなったのは事実だが、綱宗公に無礼討ちされたという噂がある」


「まことか?」


「残念ながら嘘だ。

 何しろこれから流すんだからな」


 いけしゃあしゃあという弥九郎の声に、さすがの半兵衛も姿勢を思わず崩す。

 そんな半兵衛の姿を見て弥九郎が笑みを作った。


「だが、それを探りに来た誰かが死ねば、何をしていたかで咎める事ができる。

 まさか、子が親の悪行を探っていたなんて、儒学を深く学ばれた綱村公にとっては探られて面白くない傷になるだろうよ」


 何ともしまらない仕掛けであるが、そんな仕掛けが横行するほど今の江戸は太平から程遠い事を示していた。

 だからこそ、弥九郎や半兵衛みたいな人間が働けるのだが。


「しかし、どうやって無礼討ちの証拠を用意するんだい?」

「高尾太夫の墓の中に、お手討ちの刀を入れておくのさ」


 墓荒らしとはまたと半兵衛は言おうとして、弥九郎が取り出したその刀に魅了される。

 かつて、その刀を半兵衛は見た事があったからだ。

 由井正雪の愛刀として。


「『村正』。徳川に仇なす刀。

 盗品市で流れていたものだが、悪くはない仕掛けだろう?」


 話もでっち上げに証拠もでっち上げだが、暗闘だからこそ、その曖昧さが武器になる。

 酒井忠清にせよ、堀田正俊にせよ、現状仙台藩を大事にしたくないという点では一致していたのである。


「……幕閣も大事にしたくないようで」

「越後国高田藩の騒ぎが収まらぬ中で、仙台伊達家の騒動がまた騒がれたら、今度こそ取り潰しは免れんだろうからな」


 ふと、便所の壁越しに声を交わした酒井忠清を思い出す。


 

「愚かなものよ。

 高田藩は神君の血を引く御一門の家。

 騒ぎ立てて取り潰しにでもしたら、どれほど世が乱れるか分からぬものが多すぎる」



「……」

「何か言ったか?半兵衛?」

「引き受けたって言ったのさ。

 どうせ断るすべもないしな」


 そう言って半兵衛は部屋を出る。

 最初の言葉を口の中でかみ殺しながら。


(酒井様がもっと早く幕政を差配していたなら、由井先生は死ななくてよかったのではないか?)


 そんな言葉を。

 だが、それを言えども油井先生が帰る訳もなく。口を噤む他なかった。

 詮無きことと知っていたからこそ。

 弥九郎が見た去る半兵衛の足取りは重たかった。




 仙台高尾の墓は、吉原の近くにある西方寺に葬られたという。

 下準備とばかりに墓参りの体で西方寺に入ると、場違いな侍が一人いた。

 着流しのその男に、どこか既視感があった。

 記憶を探るとあの時、長谷川を庇っていた柳生の影――その顔が、今ここにいた。


「ちと物を訪ねたい。

 墓参りに来たのだが、肝心の墓が分からなくてな」

「……住職に聞けばよろしいのでは?」

「住職もここだと教えたきりでな。役に立たんのだ」


 半兵衛が言うと、相手は鼻を鳴らして卒塔婆を眺める。

 剣を帯びたまま、背筋を伸ばして卒塔婆を見つめている。無防備にも見えるが、全身が静かに“間”を張り呼吸一つ乱さぬ佇まいに、俺は警戒心とは別のものを感じていた。


(……これは、殺しを楽しむ者ではない。殺しを、役目として美しく成し遂げる者の姿だ……)


 それでいて、自然と刀の間合いに半兵衛を入れていたのは、無意識なのかそれとも半兵衛を敵と察したからか。

 男は着流し姿で鞘に手を添えている様子もなく、ただ立っているだけなのに妙に威圧感がある。

 静かな目と礼を重んじるその態度が、かえって殺気を薄くしていた。だが俺には分かる。これは、生きるためではなく、“武を通すために斬る”男だ。


「で、その方のお名前は?」

「たしか、高尾大夫と言ったかな?」

「また有名な吉原の花魁ですな。

 けど、それで墓に葬られる訳ないじゃないですか。

 せめて戒名を言ってくださらないと」

「なるほど、うっかりしていた。お気遣い、痛み入る」


 穏やかな会話の中で続く腹の探り合い。

 墓に葬られた死人は戒名をもらう事になる。

 無縁仏として葬られる事もあるが、今回の仕掛けは敵を吊り出す事を意図しているので、それっぽい墓を用意する事が決まっていた。


「戒名は、なんと言うのか?」

「それは、私のような者が知るはずがないでしょう?」


 侍の質問に対する当然の答えを半兵衛は苦笑して言う。

 すると、相手の方でも気づいたらしく一瞬だけ眉をひそめたが、それ以上は何も言わずに再び卒塔婆を眺める。

 半兵衛の方は、持っていた手桶を置き懐から煙管を取り出す。

 火をつけず、ただ吸口を軽く噛むだけだ。

 相手が何かしら仕掛けて来るのを待つように。

 しばらくの沈黙の後、相手の方が先に動いた。


「お主は誰の墓に参りに来たのだ?」

「無縁仏に葬られたお方で、墓も本当はそこじゃない。

 けど、時折思い出したくて、こうして」


 半兵衛の言葉は当たりでもないが外れでもない。

 彼が由井正雪を偲ぶのはそうすることしかできないからだ。

 そういう言い方をすれば、侍も察してくれるだろう。


「お主、名は何という?」

「雑賀半兵衛と申します。

 しがない簪職人で」


 一瞬、侍の眉が動いた。

 雑賀――その名に反応しない武家はいない。


「その顔と名で簪職人とな……そういう事にしておこう」


 火縄銃は撃つ時に派手に火花を散らすので、顔にそばかすみたいな火傷の跡が残るのだ。

 そばかす顔は鉄砲撃ちと思えという言葉は戦国から遠ざかった江戸の世に聞くことはまれなのだが、そのまれをあえて侍は言ってのける。

 半兵衛はそれに気づかないふりをした。


「某の名前は、上野国安中藩堀田備中守様食客。石川新右衛門と申す。

 いずれ、またどこかで」


 そう言って侍は去っていった。

 正体に気づかれたことは半兵衛にも分かっていたが、ここで殺さなかったのは彼が誰の手か分からなかったからか。

 それとも、この死者が眠る場所を血で汚したくなかったからか。

 考えても分からない半兵衛は目の前の適当な墓に手を合わせて寺を後にした。

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