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延宝七年 冬  溜間詰清談

 江戸城黒書院溜間。

 将軍に最も近い場所であり、ここには老中や親藩などの限られた人間しか入れない。

 この時期、その部屋の主として君臨していたのが大老酒井忠清である。

 体調の思わしくない徳川家綱が表に出てくる事はまれで、今の幕府の政務は彼が差配していたと言っても過言ではないだろう。

 彼は、ここから老中たちを呼び、幕府の政務を差配していたのである。


「御成りはめでたく終わったみたいで」


 そんな酒井忠清と同じ場に居たのは老中首座だった稲葉正則。

 今や一万五千石の加増によって十万二千石とこの場に入るにふさわしい石高を得て、大政参与についていた。

 老中職一新に伴って、上に『上がらされた』と見えなくもない。

 お数寄屋坊主が火鉢に炭をくべるが、二人とも見る事無く話を続ける。


「後は、上様がお元気になられる事を祈るばかり。

 折角大奥に新しい御中﨟を送り込んだのですから」


 酒井忠清は稲葉正則の言葉に億劫に頷く。

 その言葉を二人とも信じていない事を、長く幕政を主導した二人はよく理解していた。

 以前ならば老中を呼んでいた酒井忠清だが、今しばらくは老中の好きにさせていた。

 稲葉正則が去った今、誰が老中を主導するかを確かめているとも言うし、新老中たちのお手並みを拝見しようという気もあったのは事実だ。

 二人とも、上様こと徳川家綱が去った時に、この場から去る事は自覚していた。


「上様の御加減は?」

「秋の御成りからお疲れの様子」


 酒井忠清の質問に、稲葉正則も小声で話す。

 御殿医からは『年を超えるのは難しい』という診断は二人によって口止めされているので、知っているのはこの二人だけである。

 御殿医が黙っているのならばの話だが。

 お数寄屋坊主は火鉢から目を離さない。耳はそばだてているのだろうが、二人にとって彼に漏らすようなへまをしないし、そんな輩がこの場所に座れる訳がない。


「お世継ぎの事、真剣に考えねばならぬ」

「舘林様でよろしいのでは?」


 稲葉正則の返事が今の江戸城の空気だった。

 それに酒井忠清も異を唱えるつもりはない。

 一つの問題をのぞいて。


「高田藩の連中を何とかして大人しくさせねばならぬ」


 越後騒動の問題は、世継に選んだ永見万徳丸こと松平綱国の父親が酒井忠清にまで噛みついた永見大蔵という事と、彼の祖父が徳川家康にまで繋がるという所だろう。

 既に永見大蔵は騒動の責任を取って萩藩毛利家にお預けになっているが、松平綱国が高田藩藩主となった暁には呼び戻されて藩主の父として権勢を誇るのが目に見えていた。


「駿河大納言様のような事はあってはならんのだ」


 当時の幕府を真っ二つに割ったと言われる徳川家光と駿河大納言徳川忠長の次期将軍を巡る争いは、徳川忠長の切腹という形で幕を閉じたが、その裏では更に多くの人間が失脚、改易、切腹に追い込まれていた。

 世が落ち着いたとはいえ、落ち着いたからこそ、血を流す事に幕府は耐えられないだろう。

 酒井忠清の真意を稲葉正則は気づかないふりをする。

 彼が本当に恐れていたのは、松平綱吉が五代将軍に就いたと同時に、他の将軍候補を粛清する事であり、高田藩や紀伊藩をはじめとして、親藩・御三家も叩けば埃が出る程度の後ろ暗さは存在していたのである。


「申し上げます。堀田備中守様がいらっしゃいました」


 障子越しに控えていた侍の声の後に障子が開けられて、新老中である堀田正俊が二人の前で頭を下げる。

 空っ風が部屋を冷やすが、障子は堀田正俊が入った後にすぐに閉められ、お数寄屋坊主が炭を入れて部屋を暖めなおす。

 今や老中を主導しているのは彼であり、酒井忠清の政敵となった堀田正俊を酒井忠清は億劫な顔で眺めるのみ。


「江戸の街に巣食う浪人たちの対策についてお二方のお知恵を拝借したく……」

「備中守に頼られるというのも悪くないものよの」


 若手老中が頼ってくるのを稲葉正則がうれしそうな声をあげる。

 だが、酒井忠清の方は億劫な顔を崩さない。

 浪人対策とはつまる所藩を取り潰さなければ、いずれは減るものなのだ。

 新将軍就任後の大藩の取り潰しは、新将軍の武威を示すものになると同時に、そこから派生する浪人対策に頭を痛める事になる。


「そうよな。

 我らは長く浪人たちの問題に頭を痛めていた。

 新老中殿に誇れるとは思わぬが、語るぐらいの事はしようか」


「お二方のご配慮に誠にありがたく……」


 頭を下げた堀田正俊の顔は酒井忠清からは見えなかった。 

 お満流の方ご懐妊の報が江戸城に轟く前のわずかに平穏な一幕の出来事であった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 酒井雅楽頭と稲葉美濃守に堀田備中守が揃うと、なんだかモニョる。 堀田備中、稲葉美濃守の娘婿でしたっけ。
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