アトランティス5
ハイエースに乗せていた折りたたみ式自転車で会社の事務所に戻ったのは、昼前だった。
近くの寮は五階建てで、三畳ほどの細長い小部屋でピアノ盤みたいに区切られている。
最初に案内された時は監獄かと本気で後悔したものだが、住めば都である。
居住区の住人達が寝泊まりしている物件はパンク寸前だった。
最初はアトランティスの建設運営管理するという名目で自衛隊関係の人達が生活していたが、当然のように苦情が集まる。
そこで政府は、民間企業にも門出を開く代わりに仕事の斡旋料を課す事でアトランティスの財政を賄う事にした。
青色吐息の日本企業が縋る形で大挙押しかけ、アトランティス・ドリームという言葉が生まれると、ただでさえ足りない物件を住人が奪い合う事になる。
こうして防潮堤は、スラム街になる前に慌ててアパート街にするべく、建設ラッシュが始まっていた。
そうして足りない電力を賄う為、さらに発電関係のインフラ建設が捗るという好循環が生まれているのがアトランティスの現状である。
そもそも海上都市アトランティスが完成するまでは、難産だったと聞く。
発端は、東日本大震災の時だった。
海上都市の構想は震災以前にあったが、その規模から荒唐無稽と考えられていた。
震災後、想定外の津波に対処する案として浮上した海上都市は、起工から百年後に基部が完成する。
それまでの間、資金的な事や政治的な事で紆余曲折はあったが、一応の形にはなった。
問題があるとすれば、移動可能な海上都市アトランティスの治安維持を名目に、厚木航空基地と横須賀基地からイージス艦と艦載ヘリコプターの部隊がそれぞれ駐屯している事くらいだ。
「空母どころの騒ぎじゃないだろ!」という風評もあったが、直後に起こった『カグヤの旅路』で帳消しとなる。
海上都市アトランティスは東京都の管轄で父島は東京都、法的には問題が無かったからだった。
海外からは多少のツッコミはあったが、日本政府が「無重力海域は全世界共通の資産とする」という発表をした途端、該当海域に到達した海上都市アトランティスは「国際都市」という希有な存在となり、今に至る。