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英雄譚③


 子を三人産んでなお、その美しさが評判だった叔母上の腹から腸が漏れ出る。厳しい稽古から逃げ出した俺を、よく探しに来てくれていた兄弟子の首が胴から離れた。片目を抜かれながらも、再び立ち上がった父は顔をつぶされてしまった。


 共に育ち、共に飯を喰らい、共に支え合い生きてきた家族が魔王に蹂躙(じゅうりん)されていく。


「ばば様、いい加減に降りてくれ! 俺も行かねば!」


 俺の言葉に、背負った祖母は微動だにしなかった。それどころか、より一層肩を掴む手に力がこもる。


「待て……今のお前では勝ち目はない」


「ならば、臆病者の誹り受けて死ねと言うのか!」


「だから見よ。奴の剣筋を追え、奴の思考を先んじろ、勝機を見つけるなら今しかない」


 あまりの歯痒さに、腸が煮えくり返りそうになる。だが、だからと言って祖母を投げ出すわけにもいかない。俺は祖母の言葉に従い、じっと目を凝らす。


 呼吸を整え、魔王の剣に穴が開くほどみつめる。そうすると微かながら、その剣に違和感を覚える。


「何が見えた?」


「魔王は右手を庇っている。大叔父上の一刀は届いていたんだ」


 振り下ろされた大叔父上の巨剣は、魔王の手甲を砕くに留まらずその骨にまで衝撃を与えていたのだ。加えて、魔王の体さばきも当初に比べ確実に悪くなっているように見える。皆の必死の剣が、少しずつではあるが確実に魔王を消耗させていたのだ。


「このまま押せば、いつかは倒せるはず」


「その通り、だが我ら一門が根絶やしにされるのが先かもしれぬ」


「不意打ちならあるいは。いや、奴は死角からの親父の剣すら躱して見せた」


「奴の目は、異常なほど良い。動きあるものに常に意識を向け、その挙動を把握できるように努めておる……」


 急に黙り込んだ祖母。


「どうした、ばば様?」


「奴は、お前のことだけ見ていない。いや見えていない気がする」


「どういうことだ?」


 祖母は、ようやく背から降り俺の姿を一瞥(いちべつ)する。


「ばば様、何か知恵があるなら貸してくれ」


「奴は、剣を未だ抜いていないお前を敵としてとらえていない。故に、お前の剣ならば魔王の不意をつけるかもしれぬ。しかし、一刀の下に切り伏せられなければ……」


「ばば様。俺の得意な剣を忘れるとは、もうボケたのか」


「居合か」


 魔王を中心に、倒れた(むくろ)が円周に広がっている。だが、勇者一門の誰一人として意に介することはない。仲間の骸を踏み荒らし、血に足を滑らせようとも我らは宿願たる魔王を打ち倒すことしか頭にない。


 俺は、祖母の手振りを合図に魔王の背後へと回り込む。


 魔王を狭間に、祖母と目が合った。これが、今生の別れとなるやもしれぬ。減らず口の絶えない、気難しい年寄りであったが、いまとなっては何もかもが愛おしくてたまらない。


「ちぇえええいぃあああああああああああああ」


 気勢を上げ、祖母が魔王へと躍りかかる。同時に、俺は全身全霊をもって地を蹴った。


 居合。極東の地より伝わる秘技。本来剣技にあるべき構えを捨て、静から動への瞬時の入れ替わり、剣を鞘から抜き放つ所作を持って敵に必殺の一撃を与える迅速の剣。本来は、《後の先》をとる待ちの剣であるが、祖母の読み通り魔王が俺を敵と認識していないのであれば。魔王の剣を待つ必要もあるまい。


 完全なる無から放たれるそれは、真に最速の剣となろう。


 あえて魔王の気を引くべく気勢をあげた祖母が、その小さき体で魔王の蹴りを受け、壁まで飛ばされる。その衝撃に、肺腑の空気がすべて抜けたのであろう。祖母の叫声が止まり、ほんの一瞬だけ場が沈黙に包まれた。


 ちりん。


 後に、鈴の音のようであったと語られた鞘を走る刀身が調。続くは、魔王の右腕がヌルリと地面に堕ちる音であった。

 

 胴を上下に切り分けたつもりであった。生涯にわたり、最高に剣が鞘を走った。だが、それでも魔王は躱して見せたのだ。額から冷や汗が流れる。必殺の剣を躱され、魔王の前に晒されたいま、待つのは死あるのみ。恐怖を振り払い勇を示したものの、遂に魔王を打ち倒すには至らなかったのだ。


 不意に、人の気配を感じた。大勢の人間の声に、鎧と剣がすれる音。沸き立つ歓声。


 ああ、いったいどれほどの時間、我ら一門は戦い続けていたのだろうか。大平原にて戦っていた、国の兵隊たちが遂に魔物の軍団を突破し魔王城に雪崩れ込んだのだろう。


「ここまでか」


 魔王は独り言ち、右腕に握られたまま地に落ちた剣を拾い上げ器用に鞘に納めた。利き腕ではないであろうに、その所作は静かで麗しくすらある。


 しかし、何故剣を納める? 敵を前にして、どうしてそのような隙をみせることができる。理解の及ばない魔王の行動に、俺の思考はしばし動きを止めてしまった。


「我が腕を堕とすとは見事なり。しかし、今日はここまで。

 今宵の大合戦は貴公らの勝利だ。しかし、私は力を蓄え再びこの魔王城へと帰って来よう」


 魔王は(きびす)を返し、俺のことなど気にも留めず歩みを進める。未だ、理解が及ばぬ俺を含め生き残った一門は何もすることができずに立ちすくんでしまっていた。ただ一人を除いては。


「なっ!?」


 魔王が、初めて驚きの声をあげた。突如、骸の山から飛び出した黒く大きな影が、その背に覆いかぶさったのだ。


「儂゛が勇゛者゛だ!」


 その声は大叔父上であった。袈裟切(けさぎ)りにされ、仲間の骸に埋もれていた大叔父上が息を吹き返し、魔王を逃すまいと飛びかかったのだ。


 それと時を同じくして、人ならざる獣じみた叫喚が骸の中よりあがった。


「あ゛あああ゛あ゛あ゛ああ゛ああ」


 声にもならぬ声をあげたのは、顔を二度もつぶされたはずの我が父であった。父は血と涎をまき散らしながら、魔王の足へと剣を突き立てた。


 魔王の喉から唸り声があがる。


「この卑怯者め!」


 魔王からの誹りに、俺はようやく合点がいった。

 ああそうか、魔王は思い違いをしているのだ。我ら勇者一門が、生涯を武に捧げ、背を向けた相手に剣を振るうような卑怯者ではないと。


 違うのだ魔王よ。我ら勇者一門が欲するは《武》ではなく《勇者》という英雄の号なのだ。武を学ぶは、そのための手管にしか過ぎない。どのような手段を用いようとも、魔王の首を持ち帰ることこそが我らの宿願であるのだ。


 『ここまでか』だと? 圧倒的な力で、我が家族を蹂躙し、その果てに利き腕を落とされ。さぞお前は楽しんだのだろう。だが、これは勇者と魔王の戦いだ。お前ひとり満足してどうして終わらせられる。まだ、まだまだ、まだまだまだ、我らの楽しみはこれからだ。


 まとわりつく死に際の男たちを振りほどこうと、魔王が再び剣を抜き振り上げるも、その手首を槍が貫く。腹を割かれ漏れ出た腸を片腕で抱え込んだ伯母上が、槍の一突を見舞ったのだ。


「ははははは! 見ろ、私の槍が魔王を貫いたぞ! ほら、初めてを奪われた女のように泣き喚け! 」


 伯母上のあげた艶やかな声に、倒れたはずの一門の皆々が続々と立ち上がっていく。


「俺にもやらせろ」「次は耳を削ごう」「爪もはごう」


「このイカレどもめええええええええええええ!!」


 動きを止められた魔王の体に、次々と剣が差し込まれていく。もはや、右腕だけでは足らない。もう片方の腕も、足も、二十全ての指も、鼻も、目も、皮も、爪も、肉も、髪も、耳も、歯も、腸も。そして、その首も。全部、全部全部全部。一かけらも余さず落とさなきゃ我らはもう納まらない。


 魔王の膝が地についてもなお一門は止まらなかった。受けた痛み、失った家族、勇者の末裔としての宿命。あらゆる思いを載せて、皆が魔王へと剣を、槍を、斧を、突き立てていった。


 その呻き声が消え、魔王の目より光が失われた時分。魔王の体は、かつて生ある者であったとは思えぬ巨大な剣山と化していたのだった。




 玉座の間に、沈黙が降りた。若き英雄のあまりに壮絶な戦いに、つばを飲み込むことすらできなかった。


「―――何人生き残ったのだ」


「20余名ほど。当主含め、我が家の主だった男たちはほとんど死に申した。最期に立ち上がった者たちも、もはや執念にのみ体を突き動かされていたのでしょう。魔王亡き後、しばらくして息絶えました」


「それは申し訳ない事を聞いた」


「いえ、それが我ら勇者一門の宿願なれば」


 世界はまさに勇者一族によって再び救われたのだ。さて、その類まれなる働きには当然、王家は報いなければならぬ。


「貴殿らの武勇を讃え、望む褒美を与えようではないか」


「なれば、魔王に立ち向かった全ての一門の者に《勇者》の称号を頂きたく」


「―――よかろう。しかし、それだけではちと寂しすぎる。他に、望むことはないのか?」


「……ならば、我ら一門に仕事をお与えください」


「恩賞ではなく仕事が欲しいと申したか?」


「我らは、長年の苦しみに耐えようやく真の勇者たる機会を得ることができました。しかし、此度の戦に列することのできなかった童ら。それに、まだ見ぬ我が子孫たちは、我らと同じ《勇者》への執着に苦しみ苛まれることでしょう。故に、彼らにも我らと同じ機会をお与えいただきたいのです」


「具体的には、どうして欲しいのだ」


「未来永劫にわたって、我ら一門を魔王番として彼の地に配して頂きたく―――」


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