勇ある一門
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『魔王を討ち果たした男』というのは虚言ではないのか。そう疑わせるほどに、男のししむらは果敢無げで。加えて、その表情は柔和で人懐こいものであった。
とても、この若者があの血と鉄に塗れた合戦の渦中に居たとは到底思えぬ。
「本当に貴殿が魔王を討ち取ったと申すか」
「はい陛下」
「いや、偽りを申しているとは思わんが、その、なんだ―――」
その細き腕でよくぞ。
あまりに不躾なその言葉を心中に押しとどめ、再び正面の若者へと目を向ける。非礼は決してあってはならない。何故なら、目の前の若者は魔王の手より人類を守った救世主。『勇者』と呼ぶべき英雄であるのだから。
「いえ、仰りたいとはもっともかと。ただまあ、我らは勇者の血筋でありますれば」
「勇者の血筋?」
「私共の開祖は、先代の魔王を打ち倒した『勇者』にございます」
「ほう、我が国勃興の折に尽力したという勇者の末裔であったか。
いやしかし、伝説の勇者の子孫が残っていたとは知らなんだ」
「ご先祖の働き以降は、特に活躍なく辺境にて暇を持て余していました故」
「ならば折角の機会だ。まず、貴公の家について聞かせてみよ」
「承りました。それでしたらまず我が先祖『勇者』の話から始めましょう」
ふと視線を横に移すと、常ならば眠たげにしている衛兵共が今日は目を爛爛と輝かせている。英雄の冒険譚が直に聞けるとあらば致し方もあるまいが、しかし現金な奴らだ。
「およそ500年程前の話にございます。我らが開祖は、僅かな仲間と共に破壊の権化である魔王を打ち倒し。その、働きから当時の王より『勇者』の号を賜りました。
その際、併せて頂戴した極北の領土領民を持って我が一門を起ち上げたのでございます。初代勇者は一平民からの成りあがりであったにも関わらず、領民たちは快く迎え入れてくれたそうです。そして、領民たちは開祖のことを親しみを込め《勇者さま》と呼び慕ったそうです。
以来、我が家の長は総じて《勇者さま》とあだ名されるようになりました。
ところで、陛下は『勇者』の由来をご存じでしょうか」
「勇ある者の意と心得るが」
「いかにも、ただし正確には『魔王を前にして剣を抜く勇を持つ者』にございます」
はてと首をひねる。それは実に妙な話であった。
戦場に身を置く者にしてみれば、剣を抜くなど息をするのに等しき行い。いくら魔王が強大な力を持った魔物であろうと、たかが剣を抜くことをもってして『勇者』と称するとは実に奇異ではないか。
「御疑念もっともかと。私も、この話を初めて聞かされた折、かつての人類は如何に臆病であったのかと嘆いたほどです」
「称号を与えた我が王家もまた臆病者であったと申すか」
ふと湧いたイタズラ心で、目前の若者をチクリと刺してみた。
するとどうだ、見る見るうちに若き英雄の顔が青ざめていくではないか。更に「いや、あの」と取り繕う様は、まるで叱られた童のようであった。どうやらこの若者は、想像以上に見た目通りの中身を持ち合わせているようだ。
「大変失礼いたしました。なにぶん、礼儀を知らぬ田舎者ゆえ……」
「すまぬ。少しばかりからかっただけだ。続けてくれ」
自然と口元が緩むのを感じる。日頃、その厳格さに周囲より恐れられることも多い儂が、このような戯れに興じるとは。どうにも、この若者は不思議と周囲を和らげる力を持っているらしい。
若者は、頭を掻きながら話を続けた。
「剣を抜くだけであれば、確か児戯にも等しき所作にございます。しかし、真に魔王を前にした時はその考えも変わりましょう。
魔王とは、言葉に尽くせぬほど恐ろしい存在なのです。現に、死の覚悟をもってしても我が四肢は悉く震え、腰の剣は岩ほど重く感じられました。あれを前にして、剣を抜くのはとてもとても困難なことなのです。
故に、それでもなお恐怖を振りほどき白刃を晒した我が先祖は勇者と称されたのです」
それは、幼き頃より歴史を学んできた我が身であっても初めて聞く話であった。加えて、魔王亡き今、真偽を確かめようもない話だ。しかし、魔王の下に送り込んだ戦士たちが『勇者の一族』を除いて誰一人として戻らなかったことを思えば、その恐ろしさは信ずるに値しよう。
「なるほど、その子孫である貴殿もまたその栄華に授かったわけだ。して貴殿は、如何にして魔王の恐怖に打ち勝った?」
「―――仲間の助けがあったからこそ」
若者の頬に、一筋の光るものが流れおちた。そしてしばしの間、謁見の間に沈黙が降り若者の啜り泣く声のみが響いた。察するに、魔王との戦いで多くの仲間を失ったのであろう。
見かねた衛兵が、寄り添い手拭きを渡した。若者は礼を言い、それで鼻を嚙み再び面を上げた。
「失礼。我が一門の話でしたね。
―――そう。我らが開祖は、勇を示したからこそ『勇者』と称されたわけでございます。それゆえに、その息子である二代目は自身が《勇者さま》と領民に呼ばれること厭ったそうです。
何も成しえていない己は、決して勇者などではないと。
しかし、そんな思いとは裏腹に領民たちは親しみを込めて、《勇者さま》と声をかけてくる。二代目は領民の気持ちを慮り、忸怩たる思いでそれを受け入れたそうです。きっと、二代目は勇者さまと呼ばれるたびに父の威光を笠に着るような罪悪感を覚えていたのでしょう。
加えて言えば、己も魔王と相まみえることさえできれば、父と同じく勇を示せるであろうという『勇者』の称号への羨望もあったのかもしれません。そして、その二代目の苦しみは我が一門全ての者に脈々と受け継がれてまいりました。
いつか真の勇者となることを夢見て、我が一門は揃って武芸を競い高め合ってまいりました。そして遂に、我らは魔王と相まみえ本物の勇者と成る機宜を得たのでございます」
「魔王城下の大合戦への参集に、もっともはやく応じたのは貴殿の家であったそうだな」
「それはもう、知らせを聞いた時は一門始まって以来の歓天喜地にございました。
名実ともに勇者と成るべく、そして永きにわたり研ぎ澄ました技を存分に発揮できるとあれば。一門総出、押っ取り刀での出陣と相なったわけでございます」
「一門総出か」
「いかにも、赤子と稚児を除いた老若男女問わぬ全ての一門でございます」
「まさか女も戦場に出したのか?」
「足の悪い祖母ですら剣を支えに戦場を走り抜け申した」
ツタと額に冷たい汗が流れた。若者の言に偽りはないのだろう。あの血煙が舞い鼻をつく据えた匂いが漂った悍ましき戦場に女のみならず老婆すら出すとは。勇者一門にとって、『勇者』の称号はそれほどに重いものであるのだ。これは、もはや憧憬などという生易しいものではない。執着。否、妄執といって過言ではあるまい。
「我が一門は、剣で成り上がった身でありますれば。女子供とて、皆その心得がございます。であれば、民の為にそれを振るうことにどうして躊躇することがありましょうや」
「それは、当主である貴殿の考えによるものか?」
「まさか。各々、自身の意思によるものにありますれば、誰一人として強いられてはおりませぬ。それと、当時の家長は私ではなく大叔父でありました」
肺腑より息が漏れる。なんとも、恐ろしい武の一族であろうか。
恐らく、当主であった大叔父とやらは彼の戦場に倒れたのであろう。戦場にて、家督の継承が為されるのはよくあること。勇を誇る一門であれば、なおさらだ。しかし、これほど若き者に長の座が回ってくるとは、それだけ一族の多くの者が倒れたということではなかろうか。
先ほどの若者の涙の意味が、より大きいものとなって心に突き刺さる。
「―――いったい、どのような戦いであったのだ」
我が問いかけに、若者はその日一番の屈託のない笑みをみせた。
「それはもう、後世に胸を張って語り継げるものにございました」