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先王の死

 千年もの永き間、(あるじ)なく冷え切ったその玉座に今再び熱が籠った。その強大なる力をもって名のある魔物どもをねじ伏せ、彼は遂に魔族の(いただ)き魔王にたどり着いた。


 (たくま)しき体躯からは、黒き(もや)のようにオーラが立ち昇り、蜃気楼のようにその輪郭を霞ませている。しかし、その確たる存在感に彼が夢幻では無いかと疑う者は誰一人としてあるまい。


 ほどなく、人類にも新たな魔王の即位が伝わろう。滅びと嘆きにあふれる来るべき世界に、人々は夜毎震えて過ごすこととなるのだ。

 

 ふと、私は自身の手が震えていることに気づいた。


 永きにわたる魔王の不在に、いっそのこと私がその席に座そうかと企んだこともあった。あるいは、新しき王に相応しき力なければ、その首討ち落とし己が成り代わろうかとも。それを適えるだけの器量は持ち合わせているつもりでいた。


 震える手が、意図せず剣の(さや)に触れる。その鞘のあまりの冷たさに、私は思わず拳を強く握りこんでしまった。加減が効かなかったせいか、手の腹へ爪がくいこみ血が静かに滴り落ちる。


 私は、浅はかな野心を抱いた自身の愚かさを恥じた。


 新たな魔王と、剣を交えれば私に命はあるまい。しかし、死ぬことなど恐れていない。では、この手の震えは何だというのか。


 かつて幼き日に聞かされた、 御伽噺(おとぎばなし)。そのあまりの恐ろしさに、魔王を前にして剣を鞘から引き抜けた者はいなかったという。なるほど、伝説は真実であったのだ。私のこの固く閉ざされた手で、どうして剣の柄が握れようか。


 目の前に居る男こそ、新たな魔王に相応しい。私の愚かな考えは、真の恐怖と対峙することで(つゆ)となり散り果てた。もしそれが許される身であれば、私は泣き喚きながら裸足で逃げ出していたことだろう。


 そんな私の心中を察してか、魔王はくつくつと笑い目を細めた。


「なに、とって食いはせん。だが、(いささ)か無礼ではあるな」


「―――我が一族は、礼より先に剣を学ぶ故」


「貴様は誰だ」


「我ら一族は、その玉座の守部(もりべ)にございます」


「なんとも、健気な。しかし、我が問うたは貴様自身のことよ」


 魔王からの問いかけに、私は自らの役目を思い出す。


 なぜ、私はここにいるのか。それは、三千世界に蔓延(はびこ)る影を確たるものとするため。新たな魔王には、これまで以上に世界の脅威に成ってもらわねば困るのだ。


 まずは、語らねばなるまい。一族に伝わる、先の世の魔王と勇者の戦いを。


「私は、一番槍にして語り部にございます。先代魔王の最期を、お伝えするべく御前に参りました」


 魔王は、私の答えにしばし前のめりとなった。


「人に滅ぼせられし先の魔王。しかし、我は先王を侮りはせん。それほどに、魔王の座は遠く果てなき高みにあった。なれば存分に語るがよい、それを以って我が糧としてくれる」


 既に、天下に並ぶもの無き力を携えながら、それでもなお先に学ぼうという姿勢。その御身姿に、私は改めて確信する。今上の魔王に、傲りや慢心は塵芥ほどもない。なれば、新たな魔王は歴代のどの災厄よりも最悪と成ろう。


 この勤勉なる魔王を、人類が打ち倒す隙など一寸すらありはすまい。しかし、そもそも魔王とはそうあらねばならないのだ。否、そうあってほしいが為に我が一族は語りを紡いできたのだ。たかが一人の勇者に打ち倒されるような男では、我らが欲する魔王足り合えない。


 私は、大きく息を吸い一気呵成に捲し立てた。


「勇者死すとも、棺を(おお)いて事定まること無し。


 先王、幾たびも勇者の首を撥ね、胴を螺旋(ねじ)きり、頭顱(とうろ)()り潰し。その眼を飲み、皮を剥ぎ、腸を喰らった。されど勇者怯むことなく漸進す。かの者に恐れなし。喜んで命差し出すなり。


 勇者、死す度、力を得る。遂には先王の戟を躱し、その肌に擦疵(かし)を刻む。次いで指を堕とし、肉を削ぎ、その切っ先が喉を貫き申す。


 勇者、侮るべからず。かの者に、久遠(くおん)の死を与う」


 魔王の喉が、低く鈍く唸った。


「我が一族に伝わる、先代魔王の最期にございます。口伝故、委細わかりませぬが。かつての勇者は死しても蘇る力があったものと我らは解しております」


「馬鹿な」


「なぜ、否定できましょう」


「魔法とは、世界の理を超え奇蹟(きせき)を現出する術。邪法、魔法と呼ばれる所以はそれだ。だが、その魔法をもってしても失われた命には触れられぬ。それが、理外の術、唯一の理なのだ」


「勇者は、女神の加護を受けていたと聞きます。神の力をもってしても不可能でしょうか?」


「ふむ、神もまた理外の存在。ならばあるいは―――。いや、人類と先の王の戦いの一端を知れたのみで充分であろう」


「一族に伝わる物語。王の力添えとなりましょうや」


「うむ、よくぞ千年の永きにわたり伝えたものよ。大儀であった。

 時に、貴様は己をもって一番槍と申したな。ならば、早速その槍振るう機会を与えよう」


 魔王は、嫣然(えんぜん)と立ち上がりその右手を力強く前へとかざした。


「我は魔王。全てを()り砕き、打毀(うちこわ)し、滅尽せし存在。

 光を闇に、希望を絶望に、ハライソを地獄に、罪を賞に、生を死に。悉くを覆し、万物を翻す。


 王の名のもとに命ずる。大いなる冬の使徒(フィンブルヴェト)として、その先駆けと成れ」


 魔王の豪然たる令に、私の拳はいつしか震えを止めていた。魔王の言葉は決して、夢や願望といった(はかな)げなものではない。その口舌の全ては、必ずや実現されるであろう。なれば、人類から長き安寧は失われ、魔族の悲願たる真なる恐怖に世界は包まれるのだ。


 その事実に、私の胸中より恐怖が立ち消え、ふつふつと熱と力が沸き上がった。そうか、これが我ら一族が血に宿し魂に刻まれた力。


 なれば今こそ。


 後世に語られるべき、我らの新たな伝説がいま幕を開くのだ。

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