Section 1-Seven
百合フラグが立つかもしれない謎解き編です。
その部屋は、やけに薄暗いことを除けば、普通の手術室のように見える。光源は手術台を照らす専用の照明器具だけだ。手術台と壁際の棚しかないため、部屋の中はやけに広く感じる。全体的に暗いのはそのせいだろうか。
手術台の周りには、マスクをつけた医師らしき人物が三人いた。手袋も装着して今にも手術を始めそうな様子だったが、その手にはまだ何も握られていなかった。わたしの闖入に気づいて、三人は一斉にこちらを振り向いた。
「な、なんだ、君たちは!」
三人の医師のうち一人が、声を張り上げて警戒感を示した。マスク越しだし目元しか見えないが、その医師が何者かすぐに分かった。ということは当然、向こうもわたしに見覚えがあると気づくはずだ。
「あっ、お前、昨日の……!」
「昨日はどうも。その子を迎えに来たよ」
わたしがエリーの手を引いて、手術台に向かって歩き出すと、他の医師二人がわたしを取り押さえようと飛び出した。だが、一人はビエラットによって押し留められ、もう一人は他ならぬわたしに返り討ちにされ、みぞおちへの手刀ひとつで気を失った。
呆然とする残り一人を無視して、わたしは手術台に歩み寄る。予想どおり、あの記憶喪失の少女が、眠ったまま仰向けに横たわっていた。大丈夫、傷ひとつない綺麗な顔のままだ。……いや、肌が、だ。
「おい、起きろ。お・き・な・さ・い」
少女の頬をペチペチと平手で叩きながら、わたしは呼びかける。全身麻酔で眠っているのだろうが、ここで目を覚ましてくれないと困る。
幸い、少女はすぐに目を開けた。寝ぼけ眼がわたしの姿を捉えると、驚いたように一気に目を見開いた。
「……わっ。ローゼさんだ」
「おはよう、シャルロット」
「シャルロット……?」
「いつまでも名前がないのは面倒だから、勝手にそう呼んでおく。さて……」
シャルロットの無事は確認したことだし、そろそろ本題に移ろう。わたしは唯一残った医師に向き直った。医師はすでにマスクを外している。
「ここ、どう見ても手術室だけど……彼女をここに連れ込んで何をするつもりだったの」
「し、手術室に来てるんだから、手術に決まっているだろう」
この状況で白を切れると思っているのか。原因の分からない爆発、一向に戻ってこない見張りの医師たち、秘密の地下室に突如乗り込んできた怪しい連中……自分たちの行ないが露顕したのは明らかなのだが。
「でも昨日の時点では、記憶喪失以外に目立った異常はなかったわよ。何か検査をするならともかく、昨日の今日で急に手術に踏み切るのは変じゃない?」
「き、急に異常が起きたんだよ! 脳の問題なんだ、何が起きても不思議じゃない!」
「見た感じ、そんな異常が起きているようには思えないけど……まあいいか。ひょっとしてその異常って、あんたが昨日、この子に変な質問をしたせいかしら?」
「変な質問……?」
「そう。昨日あんたが問診に来たとき、彼女にこんな質問をしたでしょ」
―――名前とか年齢以外で、思い出せることは? 家族構成とか……お父さんやお母さんがどんな人だったかとか。
―――薪がたくさん積まれている所? どこかの小屋とか? 近くに住んでいたのかな。
これが昨日気になった、この医師の質問だ。
「その質問のどこが変なんだ。普通に誰でも尋ねそうな内容じゃないか」
「素人ならね。でも、記憶喪失の疑いがある人への、医者の質問としてはおかしいのよ。本来、記憶に関する質問では、具体例を含めてはいけないから」
医師は初めて言葉に詰まった。医者なら専門外のことでもある程度は知識を持っているべきだろうが、こいつは基礎さえままならないようだ。
「人間の記憶は、暗示や誘導によって簡単に変わってしまう……その記憶が曖昧だとなおさら変わりやすい。だから、必要以上に具体例を入れて質問すると、『そうだったかもしれない』というように、ありもしない記憶を作ってしまう恐れがある。それに、記憶喪失は外的な衝撃とか精神的な負担が原因であることが多いから、無理に具体的に思い出させようとすると、それこそ拒絶反応などで脳に異常をきたすことがある。どちらにしても、具体例を含めた質問なんて、医者は基本的に行なわないのよ」
「そ、それは……」
「そもそも、精神科の医師は別にいるんでしょう。確か、モーリスって人が唯一の精神科担当だったわよね。あの時、看護師にその人を呼んでくるよう頼んだのに、専門外であるあなたが、なんでモーリスが到着するより前に、記憶に関する質問をしたの?」
「くっ……」
「どうしても自分で聞いておきたかったのよね? 彼女の家族構成と住んでいる場所を……わたしが病室を出てからは、趣味とか特技とか、日常の行動範囲も尋ねたかしら」
「なっ、なぜそれを……あっ」
医師は慌てて口をつぐんだが、あまりにも手遅れだった。質問された本人が、すでに目を覚ましてここにいるのだから。
「どうしてご存じなんですか?」シャルロットが訊いた。
「すべては、人身売買の計画のための、重要な一部だったのよ。この病院にやってきた患者の個人情報を利用して、買い手の要望に見合った子どもを選別して売りに出す……それが、二年前からあんた達がやっている事でしょ?」
医師はもはや何も言い返さなかった。わたし達が何も知らないただの暴漢である可能性に、わずかながら賭けていたのかもしれない。だが、その望みは潰えた。
「あんた、いつからこの医者が怪しいと思っていたんだ?」
そう尋ねるビエラットの足元では、さっき取り押さえられていた医師が、きゅうと伸びていた。いつの間に戦闘不能にしていたのやら。
「そうだな……こいつの質問を妙に思ったとき、この病院の存在を考慮すれば、今回の人身売買の謎に説明がつくかもしれないと考えた。売られたはずの子どもが、なぜ探しても見つからないのか。答えは簡単、そもそも顔かたちが変えられていたからよ」
「外科整形手術か……!」
ごく単純な話だ。身体的特徴を把握していながら見つけられないのは、その身体的特徴が意図的に変えられたからだ。通常の整形手術は体の表面をいじる程度だが、外科的な手術では骨の形まで変えることがある。高度な技術をもってすれば、顔を完全な別人にしてしまうのも不可能じゃない。
当然、そんな手術は危険が伴う。だから様々な制約が必要になった。
「この手術は、年齢が低いほど危険度が増す。特に十歳未満の子どもとなれば、骨の発達も進んでいないし、全身麻酔による副作用も起きやすい。売りに出す子どもを死なせるわけにはいかないから、どうしても小さな子どもは扱えなかったのよ」
「麻酔か……もしかして、ここ二年で合成麻薬の輸入量が増えたのは、そいつを麻酔に使うためか」
「ええ。病院の名義で本国から取り寄せたら、量が増えすぎて不自然に思われる。治安も環境も決してよくないこの国なら、麻薬という扱いで取り寄せた方が、かえって病院に目をつけられにくくなるって理屈よ」
「なるほど、警察も税関も機能していない現状では、密輸された麻薬がどこに流れるかまでは調べられない。どうせやくざ者の組織が集めているのだろうと決めつけられ、病院を怪しむ奴は出てこないってわけか……まあ、初めから病院に目をつけていたあんたは、違ったみたいだけどな」
だからこそ、わたしは運がよかったといえるのだ。あるいは、シャルロットが運を連れてきたというべきか……いや、どっちでも同じことだ。
「だ、だが……」ようやく医師が口を開く。「それだけなら、本当にやくざ者の組織の仕業かもしれないじゃないか。私だけを疑うのは筋違いだろう!」
どうにか論破しようと必死だ。無駄な抵抗ではあるが。
「わたしも昨日の時点では、その可能性を捨てきれなかった。麻薬の密輸に関しては、これから流通先を調べることで、とりあえず何かの証拠にはなると思ったし、確信を得るために必要だったから調べてもらっただけ。でも、その結果を知らされる前から、あんたに疑いを絞れば充分だと思っていたよ」
「な、何を言って……」
「あんた、足がつかないように、色々と奇策を練りすぎたのよ。おかげで、ちょっとした証言ひとつで、見当がついてしまったのよね……あんたが考えた、誰にも怪しまれずに子どもを百人誘拐する方法に」
「それって、さっき言っていた“信頼”ってやつか?」
ビエラットが訊いてきた。もったいぶるつもりはなかったのに、ようやく説明する機会が訪れた。
「そう……この街の医師という“信頼”だ。四日前、ここにいるエリーの姉が行方をくらませた。そしてエリーの証言によれば、姉は失踪する前に、仕事場で起きた事故で頭に怪我を負い、この病院で治療をしてもらったそうだ」
わたしに手を繋がれていたエリーは、しっかりと頷いた。表情を歪めた医師に目をやりながら、ビエラットが尋ねる。
「その姉の治療を担当していたのが、こいつだったのか?」
「いや、そこまでは分からない。そもそもこの人身売買に関わっている医師が、こいつ以外にいる可能性もあったからね。でもこの証言と、シャルロットへの不可解な質問の意図を重ねて考えると、この計画の筋立てが見えてくる」
これは二段階の計画だ。治安も環境もよくないこの地域では、けが人は続出するし、常に感染症の危険にさらされている。医師は病院にやってきた多数の患者の中から、特定の年代の子どもを見つけては、自然なふうを装って住所や家族構成、行動範囲を聞き出し、一度は退院させておく。入手した個人情報をもとに買い手が決まれば、その子どもが一人で行動している所に偶然を装って近づき、検査の続きがしたいと言って、あとで病院に行くよう言いくるめておく。感染症の脅威にさらされていれば、術後の経過を気にするのは自然なことだし、一度治療に加わった医師であれば、子どもはほぼ確実に信頼して、何の疑いも持たずに病院へ行くだろう。そしてその後に整形手術で顔を変え、売りに出す。それが彼らのしてきたことだ。
ちなみにエリーの姉の場合は、頭部の怪我なので、急変の恐れがあるから再度検査したいと言えばいい。シャルロットの場合は、身元も親も分からない子どもだから、今すぐ売りに出しても事件にならないと判断されたのだろう。
ビエラットが腑に落ちたように頷く。
「なるほど、そうやって子どもを自分から病院に行かせれば、目撃されても怪しまれず、結果として目撃証言も出なくなるってわけか。俺たちも、子どもの行動範囲でばかり聞き込みをしていたが、この病院はその行動範囲にないから、病院の周辺で目撃されても俺たちの耳には届かなかったんだ」
「むしろ、ここを行動範囲に含めていない子どもだけを、狙っていたと言えるわね」
「……確かに同じ方法は、やくざ者には使えないな。まさに、信頼がある者だから使える方法だ」
「小さな子どもが狙われない理由はここにもある。あまり幼いと、病院に行くのに大人の手を借りる可能性が高い。それでは病院で行方をくらませたことがばれてしまう」
「一人で病院に行かせるには、それなりに年齢が高くないといけないわけか……だったらどうして、十八歳以上の人間は狙われていないんだ?」
「手術で顔の形は変えられても、どうしても変えられない特徴はある……声よ。さすがに声帯をいじるのは危険だからね。声を変えられない以上、対象者の声を身近で聞き続けていた人が、何らかの偶然で対象者に出会ってしまったら、気づかれる可能性が高くなる。でも、十代前半の子どもなら……」
「そうか、声変わりか!」
「一般的に変声期は十代の頃に現れて、特に男性はかなり声が低くなる。行方不明の間に声が変われば、ばったり出くわしても同一人物だとは気づけないでしょう。他にも、身長や体型も手術では簡単に変えられないけど、これも十代前半で大きく変化する。この年代に対象を絞ったのは、手術で変えられない特徴を自然に変化させて、近親者などが簡単に気づかないようにするためよ」
すべては、ビエラットのようないずれ敵対する勢力に、尻尾を掴ませないための工作だった。もっともその工作が、かえって事件の不自然さを際立たせ、実態を突き止める手掛かりを与えてしまったわけだが。
「さすが、噂どおりの名探偵ぶりだな。一日でここまで解き明かすとは」
「昨日、この医師が不自然な質問をしなければ、わたしも気づけなかったよ。まあその時点で、何かよからぬことは起こるだろうと予想していたから、もしこの子が巻き込まれても、すぐ対処できるように仕掛けを施しておいたんだ」
そう言ってわたしは、シャルロットの首の後ろに手を添えた。衣服の襟元に付着していた一センチ角のシールを取り外す。昨日、別れ際に彼女の衣服に貼ったものだ。
「どこに連れて行かれてもいいようにね」
「小型の発信機か……そいつの位置を検出することで、人身売買の拠点を見つけられたってわけか」
「そう、これも前時代の遺物よ。人工衛星そのものは、まだ機能を止めていないから」
地上測位用の人工衛星を制御する施設は、戦争で失われてしまった。そのうち、制御されなくなった衛星は故障あるいは破損して、この発信機もただのゴミになるだろう。元々これは使い捨てにするつもりだった。
「さて、わたしの出した結論は以上だ。決定的な証拠とか、あとの始末はビエラットたちに任せるよ。こんな地下の施設、一部の医師の独断で造れるものじゃない。恐らくこの病院の経営者も、何らかの形で関わっている。それらを徹底的に洗い出すまでは、人身売買の全容は解明できない」
「そうだな……」
ビエラットは悪人のようにニヤリと笑って、医師の左肩をがっしりと掴んだ。小心者の医師はびくりと震える。
「とりあえず五人ほど確保できたし、ちょっと問い詰めれば余裕で吐いてくれるだろ。俺たちの手柄になれば、この地域の覇権は手にしたも同然だ」
「ご勝手にどうぞ。エリー、ちょっと来てくれる?」
ビエラットのことは無視して、わたしはエリーを連れて手術室の外へ出る。わたしの想像どおりなら、この地下空間のどこかに、エリーの姉はいる。
「エリー、大声でお姉さんを呼んでみて」
「うん、分かった……」
エリーは大きく息を吸って、地下空間に響き渡らせるほどの声で叫んだ。
「お姉ちゃーん! シーナお姉ちゃん! どこぉー!」
姉の名前を、泣いて求めるように、呼び続ける。その声はコンクリートの壁に反響し、じわじわとこの薄暗い空間に広がっていく。
そして、エリーの声が途切れたその一瞬に、かすかに聞こえた。
「ここだ!」
わたしが駆け寄ったのは、廊下の途中にあった一枚のドア……ではなく、そのドアと隣のドアの間の壁だった。どこまでも敵の裏をかくのなら、ドアの向こうの部屋に隠すとは考えられない。目立つドアが並んでいれば、壁に仕込んだ隠し扉には気づきにくい。
人差し指の腹で、壁を軽く叩きながら、触診で隠し扉を探す。手元に置いている子どもは十人もいないだろうし、隣り合う部屋があまり離れすぎていると怪しまれるから、隠し部屋の幅はそれほど大きくない。ということは、扉が設えられる所も限られる。
……見つけた。ここだ。手探りで開閉のスイッチなどを見つけてもいいが、面倒だ。わたしは壁から少し離れ、助走で勢いをつけながら、足の裏で踏みつけるように壁を蹴る。扉のすぐ向こうに人がいる可能性もあるので、慎重に力を加減しながら。
はっ。
果たして、壁板は縦長の長方形に割れた。外れた壁板を両手で抱えて、慎重に廊下へ出すと、裸電球がひとつだけの部屋の中に目を向ける。思ったとおり、患者服姿の子どもが四人、足枷をつけられた状態で閉じ込められていた。一見して全員、顔に痛々しい手術痕がある。
「シーナさんってひと、いる?」
「お姉ちゃん!」
わたしの問いかけに誰かが答える前に、エリーが姉を呼びながら入ってきた。その声に、一人の少女が応え、泣き顔で大手を広げた。
「エリー!」
駆け寄ってきた妹を、姉はしっかと抱きとめた。驚いたことに、この薄暗い部屋で、すでに整形で顔を変えられたはずの姉を、エリーは一瞬で見つけたらしい。幼くして二人で力を合わせ、精一杯生きて育んだ絆は、手術ひとつで惑わされるものではないらしい。
「エリー……もう、二度と会えないと思ってた。よかった……」
「お姉ちゃん……!」
姉妹は互いを強く抱きしめ合い、離れていた時間を取り戻すように、寄り添い、名前を呼び合い、感情の溢れるままに涙を湛えていた。
「よかったですね、二人が会えて」
「シャルロット、いつの間にここに……もう歩いても平気なのか?」
「はい。ローゼさんの姿を見たら、すぐに回復しました」
なんじゃそりゃ。屈託なく微笑むシャルロットを見ていたら、突っ込む気も失せる。
まあそれはいいとして……わたしは手術室の方を振り向き、ビエラットによって後ろ手に拘束されている医師を、嘲笑しながら見た。
「失踪していたエリーの姉が、足枷つけられてここに閉じこめられていた。これはもう立派な証拠だと思っていいんじゃない?」
「任せると言っておきながら、結局証拠もあんたが手に入れるのか」
ビエラットが苦言を呈した。別に決定的ではないし、わたしはただ、エリーからの依頼を果たしたかっただけだ。
「なぜだ……」医師がうわ言のように呟く。「お前、なぜここまでする? そんなに俺たちの商売を邪魔したいのか。それとも正義の味方でも気取っているのか?」
「別に……わたしは、あんた達が何をしたって構わないって思ってる。子どもを売りさばいて小遣い稼いでも、責められるべきとは思わないし、そんな権利もない」
「じゃあ、なぜ!」
医師は今にも暴れだしそうだ。屈強な男に拘束されているから、心配はいらないが。
「まあ、エリーからお姉さんを見つけてほしいって頼まれていたし、それに……」
わたしは、そばにいたシャルロットの肩に手を回し、そっと自分に引き寄せた。
「この子はわたしが助けた」
「…………!」シャルロットが驚いてわたしを見る。
「無闇に傷つけられたら、わたしの寝覚めが悪いでしょ」
彼女を助けようと思った理由は、それだけだ。
医師は、意味が分からないと言わんばかりに、ゆらゆらと頭を振る。
「それだけの理由で……? あんた一人の個人的な事情だけで、俺たちの邪魔をしたのか」
「あんた達も、子どもたちの事情なんて眼中になかったでしょ。お互いさまよ」
冷徹に言い放つと、医師は反論が思いつかないまま、がっくりと項垂れた。
この時、わたしの腕の中にいたシャルロットは、少し頬を赤らめていたらしいが、薄暗い地下空間の中では気づけなかった。まあ、どうでもいいことだ。
クール&ドライ、でも弱者には何だかんだ優しい。それがローゼです。本人は気づいていませんが、これまでも旅で訪れたあちこちで、女の子にモテモテだったとか。