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Section 6-Ten


 心なしか、朝よりも雨足が強くなった気がします。

 今わたしとローゼさんが雨宿りに使っている小屋は、元は誰かが住居として使っていた痕跡がありますが、現在は無人のようです。木造で古い家屋ですが、屋根はしっかり作っているようで、雨漏りしている様子はありません。

 開けられた小窓からも聞こえてくる雨の音と、暖を取るためにローゼさんが用意した焚火の音だけが、静寂の中に響いています。濡れた服を脱いで毛布に包まったわたしは、ローゼさんと並んでベッドに腰かけて、これから話すことを頭の中で整理しています。ちなみにベッドの上に布団はありません。


 しばらく無言の時間が続いた後、わたしは口を開きました。


「……昨日の、サンプソンさんの話にあった、お兄様という方ですが、それはわたしの兄ではなく、父上の兄のことです」

「…………」

「現国王の兄ですから、もちろん王族の一員ではありましたが、昔から王室のお仕事とは距離を置いているようでした。わたし自身、伯父様とはほとんど顔を合わせたことがありません。でも、王室内での発言力はかなり強かったみたいですよ」

「……まあ、国王の兄だからな」


 ローゼさんはぼそりと呟きます。

 サンプソンさんが語っていた“お兄様”のお話は、わたしの幼少期の出来事なので、実をいえばはっきりとは覚えていません。しかし恐らく、父がその相手のことを“お兄様”と呼んでいた所を目撃して、わたしはそのことをサンプソンさんに伝えたのでしょう。この時、サンプソンさんは父から『来客はなかった』と聞いていますが、王族で身内だったので、来客と思わなかっただけなのです。


「伯父様は王宮の離れみたいな所にこもって、王室の業務とは別の仕事をされているみたいでした。詳しいことはわたしもよく知らないのですが……」

「離れみたいな所って、離宮のこと?」

「たぶんそうです。普段はそこにいて、たまに気が向いたときや、父上に用事がある時に王宮を訪れていたのです。三年前、王宮で暴動が起きた時も、伯父様は王宮にいました」

「そうなのか……王宮で起きた暴動事件は、今でも詳細が分かっていないらしい。戦後処理にかなり手間取っている中で起きて、被害もあまりに大きくて、王族が狙われたことによる混乱も尾を引いているそうだ」


 ローゼさんのその説明に、違和感を覚えます。サンプソンさんは、そこまで話していなかった気がします。


「ローゼさん、もしかしてこの事件のこと、ご存じだったのですか」

「小耳に挟んだ程度しか知らないよ。戦争の影響で国際的な報道も制限されて、他国の情報は簡単に入手できなくなっていたし、当時はわたしも、情報機関をやめたばかりで、そういう内部情報が入ってくる環境になかったんだ」

「そういえばローゼさんが旅を始めたのも、三年前でしたね」

「まあ、同じ年に、旅の手始めにアルビタニアを訪れたことはあったから、王宮で暴動が起きたこと自体は知っていたよ。でも詳しいことはもちろん知れなかったし、ましてその最中に王の娘が生死不明になっているなんて、つい最近まで知らなかった……」

「つい最近って……昨日初めて聞いたわけじゃないのですか」


 昨日の出来事を、つい最近とするにはやや無理があります。もしかしてローゼさんは、わたしが王宮で行方不明になったことを、もっと前から知っていたのでしょうか。

 ローゼさんは視線を少し落として、呟くように話します。


「貨物船に乗る前に、向こうの事情に少し詳しい人と会って……その時に、王宮で王女が行方不明になったことを聞いた。その王女が、たぶんお前だということも」

「それって……」

「ああ。サンプソンが話す前から、シャルロットの素性に見当はついていた。でも確信はまだなかったし、暴動事件の詳細も分からないから、サンプソンからより確かな情報を得るまでは、黙っておこうと思っていたんだ」


 ……正直に言って、かなり驚いています。

 ローゼさんはそんなに前から、わたしがアルビタニアの王女だと知っていたのです。いえ、正確には、その可能性を考えていたのです。それにも関わらず今まで黙っていたのは、探偵として、あやふやな情報でわたしを混乱させてはならないと、思ったからでしょう。


「なんというか……ローゼさんがすでに知っていたのは、予想外です」

「サンプソンの話で、シャルロットも自分が王女だと分かったみたいだし、もう隠さなくてもいいと思ったから、わたしも自分の知っていることは話すよ。とはいえ、この件に関しては、わたしもほとんど知らないんだけどね……」

「では、わたしのお話で、色々知ることになりますね。何しろわたしは、その暴動が起きた現場に居合わせていますし、三年前のことですが、強烈に覚えています。つい昨日まで忘れていましたけど……」


 以前にローゼさんは言っていました。記憶喪失の原因の主なものは、脳への物理的な衝撃や、精神的な負担であると……わたしの場合はたぶん後者です。それくらい、わたしの身に起きたことは、とてつもなく重くつらい出来事だったのです。


「あの日、わたしも家族も、ごく普通に暮らしていたはずだったのです。でも突然、王宮の中に武器を持った人たちが大勢乱入してきて……わたしは兄上たちと共に、王宮の隅の方へ避難しました。ですがしばらくして、火の手が上がったのです」

「暴徒の誰かが火を放ったのか?」

「分かりません。その瞬間を見ていたわけではありませんから……それで、王宮内に留まるのも危険と判断されて、わたし達は先に、別の出入り口から脱出することにしたのです。しかし、相手は想像以上に狡猾でした……あらかじめ他の出入り口も探しておいて、逃げようとしたわたし達を待ち伏せていたのです」

「そんな重要な脱出ルートが、相手側に漏れていたというのか?」

「実際のところ、どうやってあの出入り口を見つけたのかは不明です。でも、かつて王宮内にルシエトのスパイがいたことを考えると、完全に隠せていたわけではなかったかもしれません」

「まあ確かに、スパイなら秘密裏に出入りするために、建物の構造をあらかじめ調べるくらいはするだろうな」


 ルシエトのスパイが王国を追放された後、あの武装勢力に、王宮に関する情報を流した可能性はあります。いずれ消されると分かっているから、死ぬ前に一つでも爪痕を残そうと、王室に不満を抱く勢力に近づいたのかもしれません。もちろんこれはただの想像で、実際のことは分かりませんが。


「待ち伏せしていた人たちが、わたし達に同行していた侍従や衛兵たちと激しく争っている間に、母上や兄上たちは巻き添えになってしまいました。唯一わたしだけが、脱出するときに後れを取ったせいで、巻き込まれずに済んだのです。そのとき、伯父様の手引きでどうにか、脱出することができたのです」

「その伯父様とやらはどこにいたの?」

「わたし達とはずっと別行動をしていて、先に問題の脱出口を見に行っていたようです。でも待ち伏せしていた人たちと鉢合わせしそうになって、ずっと様子を窺っていたみたいなのですが……火の手が上がったことで、慌てて逃げようとした母上たちを見て、これではまずいと思ったそうです」

「このままだと暴動に巻き込まれると?」

「はい……煙も出ていたせいで視界が悪く、唯一見つけられたのが、遅れてやってきたわたしで、なんとかわたしだけでも脱出させようと、してくれたのです」


 伯父様の手助けによって、わたしは混乱のさなかにある王宮を脱出しました。本当なら、その後に政府機関に保護されて、行方不明にはならずに済んだのです。でも、わたしはどこにも保護されず、王宮にも戻りませんでした。


「それは無理もないかもしれないな」と、ローゼさん。「戦後の経済状況はどこも大きく落ち込んで、政府機関の停止が相次いでいた。警察すらろくに動けない状況だった……王宮で暴動を起こした連中は止められても、この事件に触発されて、似たような犯行に及ぶ奴が次々に現れて、そいつらにまで手が回らなかったのが実情だ。王室の生き残りであるシャルロットが、安全でいられる場所は限られていた……」

「ええ、王宮に戻ることはもちろん、政府が用意したシェルターさえ、安全だとは言いがたかったのです。政府の中にも、反王室派がいるかもしれませんし、シェルターに閉じこめられたら、やっぱり命に関わりますから……結局わたしは伯父様と一緒に、アルビタニアの田舎町へと逃げていったのです。ほとぼりが冷めるまでは、反王室派が追って来られない所で身を隠そうと、伯父様が判断されて……」

「じゃあ、ずっとその伯父様とやらと、二人で暮らしていたのか?」


 さっきから、ローゼさんが伯父様と口にする度に棘を感じるのは、気のせいでしょうか。


「いえ、伯父様と仕事で付き合いのあった方の家に、しばらく居候させてもらっていたので、二人ではなかったですね。もっとも、わたしも伯父様も、アルビタニアの国民のほとんどに顔を知られていますから、滅多に外出なんてできなくて、居候というより軟禁に近い状態でしたけど……」


 それでも、他の人に見られる心配がなければ、外に出て遊んだりすることはできました。王宮にいた頃は、同年代の友達と一緒に過ごすこともありましたが、それも叶わなくなりましたので、遊び相手のいない、ひとりぼっちの時間の方が多かったです。伯父様も身分を隠して、インターネット上で仕事をしていたので、わたしの相手はしてくれませんでした。

 寂しい三年間でした。それでもいつか王宮に戻って、家族や侍従、一緒に過ごした人たちと再会できると信じていました。

 でもその希望は、逃亡から三年後、最悪の形で潰えたのです。


「それで? どうしてお前は記憶を失って、あんな僻地に流されることになったんだ?」

「…………」

「まあ、無理して話さなくてもいいけど」

「いえ、話をさせてください」


 ローゼさんの気遣いはありがたいですが、ここで終わるわけにはいきません。この人には最後まで、全てを話さなくてはなりません。

 だってわたしは、ローゼさんとこの先も、一緒にいたいですから。


「三年が経った頃、居候していた家に突然、銃を構えた人たちがやって来たのです。その時は偶然、わたしは家の外にいたのですが、銃声がしたのですぐ家に戻ろうと思ったのです。音を立てずにこっそり家の中に入ったら……」

「入ったら?」

「……居候先の家の方たちが、血の海に倒れていたのです」


 ローゼさんの眉間に、しわが寄りました。


「……銃で撃たれたのか」

「はい。殺害した人たちは、必死にわたしと伯父様を探している様子でしたので、わたしは隠れてやり過ごそうと思ったのです。でも伯父様は、銃を持った人たちの前に出て、穏便に事を進めようと説得を試みたのです」

「無謀なことをしたものだな。民間人を簡単に銃殺してしまうような連中に、まともな説得が通用するとは思えないけど」

「いま思うと伯父様は、わたしを逃がすための時間稼ぎをしたかったのかもしれません。でもわたしは、怖くて逃げられなくて……結局わたしは、伯父様の相手をしていなかったもう一人の仲間に見つかって、引きずり出されました」

「…………」

「相手の人たちは、伯父様の説得に耳を傾ける気はありませんでした。そして、わたしを見つけると、もう用済みだと言わんばかりに……伯父様を撃ったのです」

「お前の目の前で、か」

「わたしの目の前で、です」

「それは……ショックを受けてもおかしくないな」


 ローゼさんは必死に言葉を選んでいるみたいでした。三年間もずっと寄り添ってきた肉親が、目の前で銃殺される……心に負った傷がどれほど深いものか、とても想像など及ばないでしょう。わたしでさえ、その瞬間をはっきりと思い出そうとしても、胸がキリキリと痛んで上手くいきません。


「それで、お前は記憶を失ったのか」

「たぶん……それ以降のことは、何も思い出せませんので。時期を考えても、そのときにショックで記憶を失ったのは、確かだと思います。ですから、どうしてわたしが遠く離れたあの街に流されたのか、はっきりとは分からないのです」

「次に目を覚ました場所があの街なら、お前が自力で行ったとは考えにくい。たぶんお前の伯父様とやらを撃ち殺した犯人たちの手で、お前は運び出されたんだ。あそこはアルビタニアとの船の行き来もあるし、いくらでも運ぶ手段はある。どうして伯父様とやらを殺しておいて、お前だけを生かして遠方に流したかは、推測のしようもないが」

「そのことなのですが……」


 ローゼさんなら何か気づいてくれると期待して、わたしはひとつの手掛かりを話すことにしました。


「あの銃を持っていた人たちに関して、気になることがあったのです」

「気になること?」

「はっきりと見たわけではありませんが、服装や、服についていた紋章に、見覚えがあったのです。それが、アルビタニア王国軍の、王室警護を担当する部隊に見えたのです」

「……それはつまり、本来王族を守る立場の軍隊が、王族の人間を殺害した、ということなのか」


 そういうことになります。最初はてっきり、反王室派の人が残党狩りのごとく追いかけてきて、わたしや伯父様を討つつもりなのかと思っていましたが、どうもそうではなかったようです。伯父様を殺したのは、王室の身内だったのです。


「ローゼさんは、このことをどう思いますか?」

「……三年前の王室襲撃事件、その首謀者が、その伯父様とやらだと、王室側が考えたんじゃないか。シャルロットの幼少期から、そいつは王室内で不遇な扱いを受けていた。その報復のために、反王室派を煽って襲撃させた……少なくとも王室側はそう考えたのかもしれない。あくまで想像で、証拠はないが」

「やっぱり、ローゼさんもそう思いますか」


 しかしその場合、考慮に入れなければならない存在があります。他ならぬわたしです。


「すると、伯父様とやらがシャルロットだけを生かして、王宮から逃走した理由は、完全に異なるものになる。武装集団を王宮内に入れるために、最初は王宮内にいたそいつは、襲撃が始まると、自分の安全を確保するために一度脱出した。国王一家が全員亡くなった後、混乱が収まりかけたところで、自分が王室の政務に復帰するために。その際は、一番の年少者で後見人が必要になりそうなシャルロットだけを、後継ぎとして生かしておいたんだ。ところが、武装勢力は鎮圧され、国王だけは生き残ったために、伯父様とやらは復帰する目途を失ってしまったわけだ」

「わたしは伯父様に利用されるためだけに生かされ、一緒に三年間を過ごした……」

「まあ、本当にそんなことを目論んでいたかは分からないよ。王室側がそう考えただけで、実際はただ単純に、助けられる人を助けて、ほとぼりが冷めるまで身を隠していただけかもしれないし」

「伯父様がわたしに説明してくれたように、ですか?」

「ああ。利用するつもりなんてなかったかもしれない。もっとも王室側は、そうとは考えずに伯父様とやらを断罪した。本当ならその時点で、シャルロットは救出され、王宮に戻されるはずだが、そうはなっていない……」


 結局、問題はそこに行き着きます。なぜわたしは王宮に戻れなかったのか。その答えは、王室警護を担当していた、あの男の人たちが漏らした言葉にありました。


「伯父様を殺した人たちは、その後にこんなことを言っていたのです。『これでようやく、王室を閉じることができる』と……」

「王室を、閉じる……」

「たぶん、王室襲撃事件をきっかけに、もう今の王室を維持することはできないと、父上は判断されたのです。経済は停滞し、国民の分断も広がって、政府機関も次々と機能を止めている状態で、一国を統治する力はもう残されていないと、思われたのでしょう」

「そうして出した結論が、王室を閉じること、なのか」

「王室を閉じて、所持していた財を解放して国民や政府機関に分配すれば、少しは安定を取り戻せると踏んだのでしょう。もちろんそのためには、王としての統治権を返上しなければなりません」

「統治権か……当然だけど、アルビタニアの統治権を狙う連中に、そんなものを渡すわけにはいかないよな。王室の持っていた権限を、ほぼ残らず奪われて、せっかく解放した財をまた取り上げられるかもしれない」

「そうです。だから王室襲撃を煽動して、王の権限を奪おうとした伯父様を、殺す必要があると考えたのです。そして、わたしは……」


 その場合、わたしの存在はどうなるのか。まだ若く、政治経験も浅く、それでいて王の血筋を受け継いでいる存在。アルビタニアの統治を狙う勢力があれば、わたしほど、祭り上げるのにふさわしい人物はいないでしょう。何しろ、王の子どもはわたししか、生き残っていないのですから。


「王室を閉じて、財と権力の集中を避けたい人たちにとって、わたしはとても厄介な存在です。できるならこのまま、世に出てほしくはなかったはず……」

「でも、王の子どもであるゆえに、罪を犯していないゆえに、殺すことはできなかった。だから遠方へ追放することにしたわけか。統治権を返上した王の元に置いても、またすぐに狙われて、同じことになるのは目に見えているから、逆に遠ざけるしかなかったのか」

「はい……わたしはもはや、アルビタニアでは、必要とされていません。戻ることを許されない存在なのです」


 わたしは陰鬱とした気分を抱えながら、身の上話を終えました。

 世界が破滅へと舵を切る中で、王族の人間として生まれたために、わたしは嫌でも政治的な荒波に翻弄されるしかなかったのです。軍隊でその才覚を発揮したために、国同士の諍いに巻き込まれ、翻弄されたローゼさんと同じです。そしてその結果、わたしは帰る場所を失ってしまったのです。


「ローゼさん、わたし達はこのまま、アルビタニアへ行っていいと思いますか……?」

「なんとも言えないな。記憶喪失の経緯と、南の大陸に流された理由について、とりあえず説明はついたけれど、ひとつだけ解けていない謎があるからな。それを探ることに意味があるのなら、王女という身分を隠してでも、アルビタニアへ行く必要はあるかもしれない」


 ひとつだけ解けていない謎……記憶を取り戻したわたしも、これだけはどうしても分からないのです。


「わたしがなぜか強烈に覚えていた、死ぬべき場所に行かなければならないという感覚、ですね。正直、どうしてこんな感覚だけが残ったのか、戻った記憶の中ではどうしても説明がつかないのです。その意味も分かりませんし……」

「まあ、恐らくその答えは、シャルロットが気を失っている間の出来事だから、記憶を取り戻しても分からないだろうけどね」

「でも、もしその答えが、王族として王族の墓に入るべきということなら、それこそこだわっても無意味です。わたしはもう王族じゃなく、行き場を失った普通の女の子ですから」


 わたしの頭に一つだけ残っていた感覚が、王族としての誇りや責任感から来るものなら、それらは、伯父様が殺されてアルビタニアから追放された時点で、すでに奪われたことになります。王の子どもとして帰還することを許されない以上、誇りや責任感を取り戻す意味はありませんし、今のわたしにそのつもりもないのです。

 他に意味があるとしても、アルビタニアに居場所がないのであれば、死に場所は別にあるということになります。いずれにしても、わたし達が必死にアルビタニアを目指す意味は、もうどこにもないみたいです。


「……じゃあ、シャルロットはこれから、どうしたいんだ?」

「わたしは、自分の力だけでは生きていけません。この滅びゆく世界では、生きる力のない人は孤立すれば、その瞬間に死を選ぶしかなくなるでしょう」

「うん、そう、だな……」

「勝手ではありますが、わたしは今のまま、ローゼさんの旅に同行したいです。何の役にも立たないかもしれませんが、今のわたしが頼れるのは、ローゼさんしかいないので」

「わたしと一緒に旅をしたい、か……」


 ローゼさんのその声に、感情がこもっているようには聞こえません。


「ひょっとしたら、ローゼさんは一人旅の方が、性に合っているかもしれませんが」

「それはわたしにも分からん……今まで誰かと一緒に旅をした事がなかったし、一人旅が特に気楽だと思ったこともない。シャルロットとふたりで旅をするのは、決して悪くないと思い始めてもいる」

「では……」

「だけどその場合、わたしはシャルロットを守るつもりでいるが、この先どんな危険が待ち構えているか分からない。そのうちお前の素性に気づいた奴の中から、お前を利用しようと企み、危害を加えてくる輩も現れるかもしれない。それが個人規模ならまだ対処のしようがあるが、大きな勢力となると、守れるかどうかは確約できない」

「…………」

「最善の提案をするなら、アムリゴの中央情報局に掛け合って、別の身分を与えたうえで保護下に置くほうが、シャルロットの身の安全を確保できる。もちろんこれも、いつまでも安全とは言えないが、終わりのないわたしの旅路と比べれば、はるかに危険度は低い。シャルロットがこれからも平穏に暮らしていくなら、悪くない選択だと思うけど……」


 そう言ってわたしの顔を見た途端、ローゼさんの双眸が大きく開かれました。わたしの顔を見て何やら驚いたようです。

 ……そんなにわたしは、嫌そうな顔をしていたでしょうか?


「ローゼさんが、わたしのことを心配してくださっているのは分かります。でもわたしは、たとえ危険があろうとも、ローゼさんのそばを離れたくはありません。ローゼさんと一緒がいいのです!」


 しがみつくように迫りながら、わたしはローゼさんに訴えます。珍しくローゼさんは戸惑っている様子です。


「……どうして、そんなにわたしにこだわるんだ?」

「……逆にローゼさんは平気なのですか? わたしの安全を優先した結果、わたしと離れることになったとしても」

「…………」


 ローゼさんは無言で目を背けました。それが沈黙による肯定なのか、後ろめたい否定なのか、わたしには判別がつきません。

 でも、これだけははっきりと分かります。ローゼさんは、わたしと一緒に旅をする時間を、簡単に手放せないほどには大切に思っています。わたしの安全と、二人旅への望み、その二つを天秤にかけても、どちらに傾くか分からないのです。


「わたしは、自分の安全とローゼさんとの時間、どちらを取るかと聞かれたら、迷わず後者を選びます。ローゼさんは、どうなのですか」

「……まいったな。二者択一でこんなに迷ったのは、初めてかもしれない」

「以前のローゼさんだったら、迷わず前者を選んだと思いますよ」

「それは……そうかもしれない。探偵として日銭を稼ぎながら、荒廃した世界を旅する危険に巻き込んでまで、シャルロットを道連れにする利点があるとは思えないし」


 冷静に言われるとちょっと悲しくなりますね……。


「それなのに、いつの間にかわたしも、シャルロットと離れることが、想像できなくなってしまっている。本当にまいったよ」

「だったら、もういいじゃないですか」


 わたしは、困り顔で笑っているローゼさんの頬に、手を添えます。少し表情の強張ったローゼさんと、真っすぐに目を合わせて言いました。


「わたしは自分の安全より、ローゼさんとの時間を選びたい。ローゼさんはどうしようか迷っていらっしゃる。ローゼさんがわたしのことを思うなら、わたしの望みに応えてはいただけませんか」

「シャルロット……」

「ローゼさんの答えを、聞かせてください」


 選択を迫りながら、わたしはローゼさんとの距離を詰めていきます。彼女にこれ以上、逃げ道を与えないように。彼女の答えを、しっかりと受け止めるために。


「わたしは……」


 同じように真っすぐ見つめ返すローゼさん。

 本当に、吸い込まれそうなほど、綺麗な人です。

 いっそこのまま、ひとつになってしまいましょうか……そんな気持ちになります。


 わたしとローゼさんの距離は、限界まで近づこうとしています。

 それが彼女の、もといわたし達ふたりの、答えであるかのように。


 ……でも、限界は思いのほか早く訪れました。

 ローゼさんは、頬に添えられたわたしの手を掴み、そのはずみで顔から引き離したのです。わたしの接近を拒むように。


「ローゼさん?」

「シャルロット。わたしは、探偵だ。辿り着いた真実を、無視することはできない」

「え?」

「神秘の箱は、開かれた」


 真っすぐにわたしを、射るように見つめながら、ローゼさんは真顔で言い放ちました。

 その言葉が出た瞬間、わたしは血の気が引くのを感じました。サンプソンさんの謎が解けたときには出なかったその言葉が、今ここで放たれることを、わたしは何よりも恐れていたのです。

 ……言われるなんて、思っていなかったのです。


「シャルロット。お前、記憶が戻っていないな」


やっと神秘の箱が開かれたと思ったら、まさかのタイミングでした。

私の作品は大多数が登場人物の一人称なので、時おりこういう“信頼できない語り手”となることがあります。だから今回、『アクロイド殺し』の真似事じゃありませんが、語り手であるシャルロットに嘘をつかせてみようと思った次第です。“信頼できない語り手”を、いつの間にか信頼してしまっていた読者は、どれくらいいるでしょうか?

フェアじゃないと思われましたか? でも私は、シャルロットの話をずっと“物語”と言っていましたし、この章のタイトルも『ロイヤル・フェイク』ですからね。

さて、なぜローゼはシャルロットの嘘に気づけたのか、なぜシャルロットは嘘をついたのか。そのすべてが次週、明かされます。そして、嘘が嫌いなはずのローゼはどうするのか、二人の関係の行方にも注目。ここに来てようやく、ミステリと百合の融合が実現しそうです。

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