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Section 6-Nine

何も事件が起きない日常回に見せかけて、実はこの章で一番重要な回だったりします。


 見張り小屋を出た後は、川辺に行って魚を焼き、再び見張り小屋に行って見張り番に魚を手渡しました。サンプソンさんの居場所が知られるわけにはいかないので、誰にも見られていないことを確認しながら……まあ、他に誰もいないのは分かっているのですが、念のためです。

 その次は、サンプソンさんの返答が書かれた手紙を、リカルド町長へ渡しに行きました。どんな内容かは見ていませんが、手紙を読んだ町長さんは、嬉しくもどこか寂しそうに微笑んでいました。


 直筆の手紙を持ち帰ってきたということで、町長さんからの依頼は達成され、わたし達はめでたく、報酬として一台の車を手に入れました。移動手段を得たので、とりあえず喫緊の課題は解決したといえます。宿の周りには車を置ける場所がないので、明日か明後日あたりに、町長さんの手下の方が宿の前に車を持ってきてくれることになりました。

 そうしてわたし達は、徒歩で宿に戻ります。その足取りは意気揚々と……しているとは言いがたいです。


「…………」

「…………」


 そろそろ日没になりそうな空模様の中、並んで歩いているわたし達の間には、ひとつの言葉もありませんでした。気まずいわけでもないのに、不思議と会話が生じません。


 なんとなく理由は分かっていました。

 サンプソンさんからもたらされた、わたしの素性に関するお話です。わたしはアルビタニア王国の王女様で、幼少期にサンプソンさんとも顔を合わせていて、三年前に起きたという王宮での暴動をきっかけに、行方不明になっていた……ということが判明しました。サンプソンさんを探していた目的のひとつが、わたしの出自を探ることでしたから、その目的は達せられたはずです。本来であれば喜ぶべきところです。

 しかし、とても手放しで喜べる状況ではありません。暴動で家族の多くを失ったこともそうですが、わたしがこのままアルビタニア国内に入ることで、さらなる混乱を引き起こす恐れも出てきたのです。アルビタニアへ行かない理由はないですが、本当に行って大丈夫なのか、という迷いも当然のようにあります。


 そしてそれ以上に、ローゼさんを巻き込むことへのためらいもあります。形の上では、わたしがローゼさんの旅に同行していますが、わたしが目指している場所を探す、という依頼を受けて、彼女が探偵として一緒に行動している一面もあります。わたしがアルビタニアへ行くと望めば、ローゼさんは一緒に来てくれるでしょう。

 アムリゴの元兵士で、先の世界戦争を生き延びたローゼさんであれば、大抵の危険には対処できると思います。それでも、アルビタニアへ行けば何が起こるか分かりませんし、何が起きてもそれはわたしの問題であって、ローゼさんは無関係です。巻き込めば、わたしが罪悪感を抱くのは避けられないでしょう。


 この先、色々と悩ましいことがありすぎて、ローゼさんと些細な会話をする余裕もありません。ローゼさんも同様なのか、難しい顔をするばかりで、隣を歩くわたしに一声もかけようとしません。……いえ、割といつもそんな気がしますが。

 ローゼさんも、今後の旅をどう進めるべきか、考えているのでしょうか。それなら、同行者であるわたしと、一度相談する必要がありそうです。

 などと色々考えていると、妙な唸り声が唐突に鳴り響きました。こう、ぐうぅ、と。


「…………」

「……市場に寄って何か買っていくか」


 ローゼさんからの第一声でした。会話のきっかけが、わたしがお腹に飼っている虫の不気味な唸り声とは、情けない限りです。羞恥で赤くなりながらお腹を押さえるわたしには、頷くことしかできませんでした。


 この町の市場に立ち寄って、パンとお肉と果物を手に入れて、わたし達は昨日も泊まった宿に戻りました。二人分ですし、数日は持ちこたえる量があれば十分ですが、やはり市場にもそんなに多くの食べ物は並んでいません。お肉や果物はともかく、パンは材料を他の地域から調達しないといけないので、輸送路を整備できていないこの地域で、パンなどの加工品は希少みたいです。

 ちなみにここのパンは、代用品として他の穀物もパン生地に加えているので、以前に食べたパンとは少し風味が違うのです。食べ物の味の、ちょっとした違いも、旅の楽しみ方のひとつですね。

 なんてことを言ったら、ローゼさんは呆れたように笑いました。


「楽しみながら旅をしてこなかったからなぁ。どのみちこんな世界じゃ、楽しめるものも多くないし」

「だからこそ、こういう些細なことも楽しまないと、旅は面白くならないのですよ」

「シャルロットも旅の経験なんてほとんどないだろうに、三年も一人旅を続けてきたわたしに、よく説教できるわね」

「……すみません」

「まあ、旅の捉え方は人それぞれだし、そういうのも一理あるかもね」


 出しゃばった真似をして落ち込むわたしに、それでも気遣いを忘れないローゼさんです。まだぎこちないですが、元のわたし達に戻りつつある気がしました。

 ローゼさんがふと、空を見上げます。


「……ひと雨きそうだな」


 西から徐々に暗い雲が広がってきて、あっという間に光が飲み込まれていきます。灰色に染まっていく空は、荒れ狂うようにゴロゴロと唸っています。

 わたし達が宿の中に入ってすぐ、爆ぜるような雨音が鳴り始めました。


「本格的に降ってきましたね」


 強烈な雨が打ちつける天井を、思わず見上げてしまうわたしです。


「この豪雨なら近いうちに止む……なんていうのは、甘い考えなんだろうな」

「そうだな」


 カウンターの向こうで煙草を燻らしている、この宿の店主さんが言いました。


「この地域じゃ、激しい雨が降った後には、少し弱まった雨がしばらく続くものだ。この調子だとたぶん、明日もずっと降るだろうな」


 本当に雨の多い地域なのですね、ここは。


「どうしましょう、ローゼさん?」

「止むまで待つしかないだろうな。リカルド町長も、この雨だと車を持ってこれないだろうし、来るとしたら明後日じゃないかな」

「これから必要になりそうなものは、あらかた揃いそうですし、事件の依頼もないと本当にやることがないですね」

「それが探偵の宿命だと思った方がいいよ」


 ローゼさんは壁際の長椅子に腰かけました。わたしも隣に座ります。他のお客さんがほとんどいないせいか、黙っていると雨の音だけがはっきりと聞こえてきます。そしてかすかに、濡れた土のにおいが漂っています。

 やることがないと分かると、どうにも活動的になれません。わたしもローゼさんも、長椅子に座ってぼうっと虚空を見つめています。そんなときの会話は、中身が空っぽです。


「そういえばローゼさん……旅の資金は大丈夫なのですか」

「一応ちゃんと管理はしているが……そろそろ稼ぎ口を見つけたいところだな。まだ数日は余裕があるけど、もしものために、資金は十分に確保しておきたい……」

「わたし達の場合、事件が起きないと稼げませんからねぇ……」

「別に事件じゃなくても、調べてほしいことがあれば調査するのが探偵だよ。でもそのためには、人と出くわす機会がないといけないんだよなぁ……」

「では望み薄ですねぇ。今は大雨ですし、この宿には他に人がいませんし」

「聞こえてるぞ、おい」


 ぼうっとしているわたし達に、店主さんの苦言は聞こえません。


「これなら、リカルド町長から報酬としてお金もいただけばよかったですね」

「彼はそのつもりだったかもしれないけど、一日もかけずに依頼を達成したからなぁ……でもまあ、車があるだけで行動範囲は広がるし、これからいくらでも稼ぎ口は探せる。報酬としては、あれで十分だったんじゃないかな」

「今度はいつまで、その車を使うことになるでしょうね」

「そうだな……アルビタニアへ行くには、どうしても海を渡る必要があるから、大陸を離れるまでだろうな。今の時代、車も一緒に積んでくれる、気前のいい旅客船なんてないし」

「…………」


 少し、眠くなってきました。

 心にも無いことを、寝言のように言ってしまいそうです。


「まあ、燃料を近場で確保できなくなったり、エンジンが壊れたりしない限りは、しばらく乗り続けると思うよ。別の車を入手するのも骨が折れるし……」

「乗れなくなったら、すぐに手放してしまうのですか。前に使っていた車と同じように」

「良心的な修理屋も滅多にいないからね。仕方ないよ」

「そうでしょうね……ローゼさんは、別れを惜しむような人ではないですからね」

「…………まあな」


 そこから先は、よく覚えていません。たぶん、ぼうっとしすぎて寝落ちしてしまったのでしょう。ローゼさんの肩にもたれて寝てしまったのかと思うと、恥ずかしすぎて思い出したくもないですが。


 目覚めた時、わたしはローゼさんと一緒の布団にいました。


「…………わあ」


 すぐ目の前にローゼさんの美しい寝顔があって、わたしは驚きと緊張と混乱で、大声すら上げられませんでした。

 どうやらあの後、ローゼさんの手でベッドに運ばれたようです。この宿には、ベッドが二つある部屋はないので、ローゼさんも特に気にせず同じ布団で寝たのでしょう。一昨日の夜はわたしに遠慮して、椅子に座って寝ていましたが……。

 窓の外はまだぼんやりと暗いですが、時計ではすでに朝になっています。昨日よりは弱くなっていますが、雨の音はまだ止んでいません。どうやら雨雲のせいで太陽の光が遮られているようです。

 上体を起こして、隣でまだ眠っているローゼさんを見つめます。


 いつだったか、こうして眠っているローゼさんの口から、ナオコさんの名前を初めて聞いたとき、わたしはとても動揺していました。しばらくして、その女性がローゼさんにとって、大切な存在だったと知りました。彼女はすでに亡くなっていますが、今もローゼさんの心の中には、ナオコさんの存在が強く残っているのです。

 空っぽだったローゼさんと触れ合って、彼女を血の通った人間にしてくれたナオコさん……そんな人のことを、忘れられるわけがありません。


 対してわたしは、旅先で出会ってまだ一か月かそこらの、ただの同行者にすぎません。わたしの目的地を見つけたら、その瞬間に、ローゼさんと一緒にいる理由は失われます。そうなれば、ローゼさんにとって、わたしの存在はどうなるでしょう?

 忘れられる、ということはないでしょう。きっとローゼさんなら、別れた後もわたしの幸せを祈ってくれます。でも、絶対に忘れられない存在には、ならないかもしれません。


 わたしとローゼさんは、その程度の関係でしかないのです。

 わたしがどれほどローゼさんのことを好きでいても、その程度なのです。


「……欲張りですね、わたしは」


 いま以上の関係なんて、望むべくもありませんのに。

 ローゼさんが、同じことを望んでいるはずもありませんのに。

 それでもわたしは、甘い期待を抱いてしまうのです。だから、賭けることにしました。


 ローゼさんがわたしのことを、惜しみなく手放せるのか。それとも繋ぎとめるのか。前者だったら、わたしはそのまま彼女から離れ、この気持ちが消えるのを待ちましょう。後者だったら……。

 ひとりで考える時間を作るために、わたしはベッドを離れ、雨の降りしきる外の世界へ出ていきました。きっと彼女は追って来ないと、思いながら。


 でも、ローゼさんは来てしまいました。

 だから、話すしかありません。わたしの隠された記憶のすべてを。


時系列的には、この次はSection 6-1となっています。まあ、もう一度読み返す必要は、たぶんないと思いますが。

それにしても、シャルロットが腹の音で雰囲気をぶち壊して、ローゼの気遣いに心を痛める……お約束になりそうな感じがひしひしと。まあ、彼女が成長期でいるうちは、何度でもこのお約束の展開を使う気がします。

さて、次回はいよいよ、シャルロットが自分にまつわる物語のすべてを語ります。ここからは、もはや何が起きてもおかしくありません。覚悟を持ってお楽しみに。

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