Section 1-Six
あの決め台詞は、一体何だったんでしょうね。
神秘の箱……かつて何かのコンピュータゲームで使われた言葉らしいが、それは関係なくて、某国の諜報機関が“非常に重要な機密情報”を指して使っていた隠語である。由来は知らない。案外、何かのコンピュータゲームから拝借したのかもしれない。
とある経緯でその隠語を知って以来、わたしは、知りたい事実に辿り着けると確信したときに、この言葉を使うことにしている。神秘の箱は開かれた、と。
もちろん初めて聞いた人は何のことやらと戸惑うのだが、説明する気はなかった。
「……よく分からんが、人身売買の実態はこれではっきりと掴めたのか?」
「すべてではないけど、これから確実に分かるよ。全部知りたければ、関係者を取っ捕まえて吐かせればいいんだからね」
そう言うわたしの表情は、相当な悪人面をしているのだろうなぁ。
「あんた、結構手段を選ばないよな……」
「本来この件を主体的に調べる責任はあなた達にあるでしょう。わたしはあなた達にできなかったことを代行して、核心に手を伸ばすための手伝いをしただけで、その後のことに関しては責任を負わない。拷問しようが金で釣ろうが好きにすればいいわ」
「我関せずを通すつもりか……まあいい。元々そういう約束だったからな。それより、あんたが気づいたこと、そろそろ教えてくれよ」
「そうね。まず……」
ビエラットへの説明を始めようとした矢先のことだった。
「あっ、いた! お姉さーん!」
聞き覚えがあるどころか、ほんの一時間ほど前にたっぷり聞いたばかりの、少女の声にわたしは振り向いた。果たして、あのスリ少女がこちらに向かって駆けてきた。
「エリー、どうしたの?」
少女は息を切らしながら、窓枠に手を突いた。ちなみにこの店の窓は吹き抜けで、ガラスなどの仕切りはない。
「よかった、やっと見つけた……」
「あれ、帽子は返さなかったの?」
すぐに気づいた。走っている最中に落とさないようにするためだろう、例の白い帽子はエリーの左腕に抱えられていた。
「まさか、あの子を見つけられなかったの?」
「いえ、見つけられたんですけど……あのお姉さん、ベッドに横たわったまま、どこかに運ばれて行っちゃって……」
妙だな……昨日の時点では、記憶喪失以外に体の異常はなかったはず。記憶に関する検査も問診だけで事足りるし、そのためにベッドごと移動する必要はない。脳内を検査する装置を使うなら、ベッドごと移動することもあるだろうが、あの病院にそんな大掛かりな装置があるだろうか。
「ねえ、その子を運んでいた人、誰かと何か話してなかった?」
「うん! 誰かと電話で話してたんだけど、それがなんか変だったから、急いで知らせなきゃって思って……」
「どんなことを話していたの?」
「えっとね……『手術はこれからだ。すぐ売りに出せるよう準備しておけ』『素材のいい女の子だし、これなら高く売れる』って……ベッドの上のお姉さんを見ながら、そう言ってました」
「おい、まさかそれって……!」
跳ねるように立ち上がるビエラット。彼も当然、この状況に察しがついただろう。
ちょっと想定外だ……思ったより連中の動きが早かった。昨日の今日で事態が動くことはないと思っていたが、意外とあの子の容姿には需要があったらしい。考えてみれば、つい最近までの記憶がない彼女は、売り飛ばしてもリスクが低いのだ。
こうしちゃいられない。わたしは財布を取り出し、適当に紙幣を掴んでテーブルに叩きつけ、バーのカウンターに向かって叫ぶ。
「店長! お代ここに置いておくから! ビエラット、ついて来て!」
「お、おう……!」
「ああそれと」店を出る前に振り向く。「外にいる手下と、他にすぐ動かせる手下がいたら連れてきて」
「一気に攻め込むつもりか。面白いじゃねぇか」
ビエラットは悪事でも企んでいるように、ニヤリと笑った。本性が見えた気がしたけど、この大事の前ではどうでもいいことだ。
病院で目撃して、すぐにエリーがここに来たとしたら、少女が運び出されたのはだいたい五分前だろうか。今から走っても同じくらいかかる。到着したときには、手術が始まってしまうかもしれない。なんとか時間を稼ぐ必要がある。
「エリーも来て! お姉さんに会えるかもしれない」
「えっ……うん、行く!」
戸惑いながらも、深く頷いたエリーの手を取って、わたしは先陣を切って走り出した。
とにかく急ごう。わたしには、次の被害を止めなければいけない理由があるのだ。
* * *
病院の前に到着した時、わたしとエリーの後ろには、ビエラットと十人近い手下たちが控えていた。まるで全員がわたしの取り巻きのように……言わないが。
出入りする人たちが、何事かと言わんばかりに、こちらをちらちらと見ている。目立つのは好きじゃないのだが、今はむしろ都合がいい。怪しい連中が大勢来ていると噂が広まれば、相手の方も気になって手術を始められないだろう。
「探偵さん、ここが人身売買の拠点で間違いないんだな?」
「さっきのエリーの話を聞いたでしょ。わたしもここに目をつけていたし。それじゃ、手下たちは先に病棟に入って、地下に通じそうな所を見張っていて。ビエラットとエリーはわたしと一緒に来て」
わたしはサングラスのような眼鏡を取り出して装着し、エリーの手を引いて駆け出す。手下たちはビエラットの「頼むぞ」の一言に応じ、一斉に建物の中に踏み込んでいく。
眼鏡のフレームの小さなスイッチを押すと、茶色い視界に赤い光が点滅して見えた。距離と方角を示す数字が視界の端に映っている。歩を進めると、距離の数字は次第に小さくなり、赤い光は視界の真ん中にゆっくりと移動していく。
「こっちか……」
「何だ、その眼鏡」ビエラットが訊く。
「戦前の技術が生んだ遺物よ。まあ、便利に使わせてもらっているわ」
病院の中庭を横切って、やがて建物の裏手にある、ひとつの倉庫らしき小屋に辿り着く。赤い光が示しているのは、この倉庫のようだ。実に都合がいい……他の患者を巻き込むのは、さすがに気が引けたからな。
倉庫のドアは南京錠で閉ざされていた。結構ごつい作りなので、工具で破壊するのは骨が折れそうだ。だが……。
「こんなもの、施錠していないのと同じね」
懐から工具一式を取り出し、先端が複雑に曲がりくねった針金状の工具を選ぶ。南京錠の鍵穴に差し込んで、カチャカチャと細かい動きで回し続けると、ものの数秒で南京錠は外れた。ビエラットとエリーから、驚きの声が漏れる。
「早いな」
「強制解錠の訓練は死ぬほどやったからね」
邪魔な南京錠をドアから外して、ポイと投げ捨てると、わたしはためらわずドアを開けた。当然ながら照明もなく、室内は真っ暗だったが、一見して様子は分かった。予想はしていたが、ただの倉庫だ。
「おい、ここに何かあるのか?」
「いや、ここはただの倉庫よ。でもこの真下に、人身売買の拠点がある」
「真下? まさかここで床を破壊して乗り込むつもりじゃないだろうな」
それはそれで面白そうだが、恐らくその場所にいるであろう、あの子が怪我をしてしまったら本末転倒だ。しかも床をぶち抜く能力を持つ道具などない。
「いや、それよりは平和的にいくよ。どちらにしても爆発は起こすけどね」
再び懐に手を入れて、小型のスタンガンを取り出す。一度スイッチを入れて、火花が発生するのを確認して、一旦スイッチを切る。そして、倉庫内にあった山積みの袋の中から、トウモロコシでんぷんと書かれた袋を手に取り、両手でビリッと破いてから、袋ごと床に叩きつけた。白い粉が舞い上がる。
「外に出て、なるべく離れて!」
ビエラットとエリーの二人にそう言って先に倉庫の外へ出すと、わたしは再びスタンガンのスイッチを入れ、倉庫内に放り込んで間を置かずにドアを閉めた。そしてすぐに倉庫から逃げるように離れた。
直後、倉庫内で大きな爆発が起きて、爆風でドアが吹き飛んだ。
幸い、斜め方向に逃げたわたしやビエラットたちに、爆風や壊れたドアが当たることはなかった。ドアは病棟の壁に衝突して砕け散った。これだけの爆発を起こせば、院内の人たちだけでなく、地下にいる連中も気づくだろう。
「こっちよ!」
この騒ぎで病院関係者が倉庫にやってくる前に、わたしは二人を連れて、裏口から病棟の中に入っていく。案の定、病棟の中はちょっとした騒ぎになっていて、わたし達が侵入したことに気づく人はいなかった。
昨日と同じく、正面入り口近くの待合室は、診察前の患者や見舞客が大勢いた。ここに紛れていれば、さほど怪しまれずに様子をうかがえる。
「まったく……」ビエラットが呆れたように言う。「妙な眼鏡に強制解錠の道具、おまけにスタンガンとは……何でも持ってるな。あのスタンガン、倉庫に置いてきてるけどいいのか?」
「事が済んだら回収するわよ。それより、そろそろ連中に動きがある頃よ」
ビエラットの部下たちがあちこちに散らばって、エレベーターや閉ざされた扉の前で見張りをしている。地下にベッドごと人を運び込むなら、エレベーターの類いを使うだろうから、実際にはどの階と繋がっているか分からない。しかし、病棟のはずれの倉庫の真下に拠点があるなら、エレベーターをどこで降りようと、他の人よりも表に出てくるタイミングは遅くなる。すべての階のエレベーターの前で見張っていれば分かるはずだ。
病院の案内図を見る限り、地下階は存在しないことになっている。当然、表向きには、地下に続く階段もなければエレベーターの階数表示にも地下階はない。考えられるとすれば、どこかの隠し部屋に階段やエレベーターがあるか、もしくはエレベーターが特殊な操作で地下に行けるか……いずれにしても連中が表に出てきたとき、はっきりするだろう。
すると、手下の一人がこちらに駆け寄ってきた。
「旦那、ビンゴです! 地下に通じる階段から、二人ほど出てきた所を捕まえました!」
「案内しろ!」
ビエラットが手下について歩き出した。わたしとエリーも後をついていく。
一階の廊下を奥まで進んで行くと、開け放たれたドアの前で、手下たちに二人の医師が取り押さえられていた。医師たちは必死に抵抗を試みている。
「離せ! 何なんだ、お前ら!」
「あんた達、地下から出てきたよな。案内図には地下なんてなかったのに、これはどういうことなんだ?」
「ふざけるな、離せ!」
まともに会話が成立していない。探られたくない秘密があるのは間違いない。
開けっ放しのドアの向こうには、確かに地下へ続く階段があった。暗がりの中で奥の方にあるので、廊下からは見えにくい。どうやら万が一のために、複数の経路を確保していたようだ。
「行くわよ!」
わたしとエリー、ビエラットと二人の手下で、暗がりの中で階段を下っていく。踊り場を経由して、弱い照明だけの薄暗くて殺風景な廊下に出る。倉庫のあった方向から考えて、右方向に進めばたどり着けるはずだ。
まっすぐに伸びる廊下を駆け足で進んで行くと、両開きの扉で行き止まりになった。間違いない、この扉の向こうに、あの子はいる。
わたしはためらわず扉を一気に開いた。
あの爆発は何だったのでしょう。分かる人には分かりますが、あれは粉塵爆発です。ご存じないという方はググってみてください。
あの眼鏡は何だったのでしょう。なんか、似たような仕組みの眼鏡を日常的に装着している名探偵がいましたね。未来の技術なら普通に作れるでしょう、きっと。
さあ、次週は全ての謎が解かれます。もうほとんど答えは出ていますけどね。