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Section 6-Five

いよいよ、この第六章のキーパーソンとなる、伝説の情報屋のお目見えです。


 森の中に橋は六つあるはずですが、わたし達が確認したのはその半分、三つだけです。ローゼさんは残りの三つの橋を確かめることなく、もと来た道を戻って森を出ました。

 つまり、レスター・サンプソンさんは森の中にいない、とローゼさんは考えたのです。まだその理由を教えてはくれませんが。

 何も聞かされないまま、わたしはローゼさんの後をついていきます。吊り橋を震えながら渡り、欄干のない橋をゆっくりと渡り、森を出てからは小さな橋を渡り……そして現在、町長さんのお屋敷までの道をひたすら歩いています。先頭を行くローゼさんの足取りに迷いがないので、自然とわたしも迷いなく進んでいきます。


 本当に来た道をそのまま逆に辿っているようで、わたし達は結局、町長さんのお屋敷の裏門に戻って来てしまいました。

 堀に架けられた橋を、渡り始めました。もう一度町長さんに会って、何か確かめたい事でもあるのでしょうか……。

 しかしローゼさんは、橋を渡りきると屋敷には向かわず、渡ってすぐの所にある見張り小屋に足を運びました。町長さんがまだ屋敷にいるか、確認するためでしょうか?

 出る時に会釈であいさつを交わした、見張り番の男性に、ローゼさんは声をかけます。


「ちょっといい?」

「あれ、もう戻ってきたのか。町長なら、たぶん昼食の時間だと思うが……」

「いや、リカルド町長に用はないんだ。ちょっとあなたに、案内してほしい所がある」

「俺に? どうして」

「レスター・サンプソン、この小屋の中にいるでしょ。彼の元に案内して」


 …………え?

 ローゼさんの発言を理解するのに、少し時間がかかってしまいました。

 サンプソンさんがここにいる? その人を探していて、本人から唯一手掛かりを与えられた町長さんの、住処としている屋敷のすぐそばの、ここに?


「あの、ローゼさん、それってどういう……」


 頭の混乱も治まらないうちに、わたしは彼女に訊きました。


「“七番目の橋”っていうのは、あれのことだ」


 ローゼさんが指差したのは、ついさっきわたし達が渡ってきた、堀に架かる橋でした。

 えっ、あれが?

 確かに、あの橋が問題の“七番目の橋”なら、“渡ったすぐ先”にあるのは、この見張り小屋しかありません。でもそれは……ええ?

 まるで状況が呑み込めませんが、置いてきぼりにされているわたしには構わず、ローゼさんは見張り番の男性に告げました。


「ここにレスター・サンプソンを訪ねてくる人が現れたら、通すように言われていると思うけど、どうなの?」

「…………」


 男性は眉間にしわを寄せて、ローゼさんを見返しています。怒るでもはぐらかすでもなく、ただ沈黙を返しています。……これは、ローゼさんの指摘が正解だと、雄弁に答えているようなものです。

 やがて男性はため息をついて、小屋の窓から離れると、窓の隣にあるドアの向こうで、カチャカチャと音を立てました。どうやら鍵を開けているようです。

 ドアを開けて、どこか面倒くさそうに男性は顔を出しました。


「入りな。先生には、さっきベルで来訪を知らせた」

「ふうん……二年目にして初めてベルを鳴らしたのかな。それとも、わたしや他の人が知らないだけで、過去にも辿り着いた人はいたのかな」

「俺は手引きを頼まれただけだ。話があるなら、直接本人に言ってくれ」


 男性に促されて、わたし達は小屋の中に入りました。

 その直前にふと気づいたのですが、ここは表門と違って、裏門の前に見張りがいません。普段から住民が訪問しやすいよう、開け放たれる頻度が多い表側と違って、よほどのことがないと開けられない裏門は厳重に施錠されているから、見張りがいないのでしょう。それはつまり、裏手の見張り小屋で何が起きても、屋敷の人間には気づかれない、ということでもあります。

 ここのお屋敷を今のように造り替えた土木業者は、サンプソンさんが紹介したと聞きました。彼が屋敷の設計に関わっていれば、自分が潜むための場所を敷地内に確保し、見張り番が彼の食料や日用品を持ち込んでも、ばれないような構造にできます。

 裏手の見張り小屋にサンプソンさんがいる……最初は荒唐無稽だと思いましたが、よく見ればこの場所は、彼が身を潜めるのに適しているといえます。


 でも、見張り小屋というだけあって、ここは住居としては小さすぎます。見張りの仕事をするだけなら十分でも、二年近く住むとなると窮屈がすぎるような……。

 しかしその疑問は、小屋の中に入ってすぐに解けました。


「ほら、この先に先生がいる。終わったらノックして知らせてくれ」


 そう言って男性は、床に作られた蓋を開けました。その下には、地下へ続く階段がありました。なるほど、こうすれば生活空間を確保できるわけですね。

 そういえば、横暴な人たちに連れ出されそうになった時、落とし穴に嵌めて追い出したことがあると、町長さんが言っていました。サンプソンさんにかかれば、このくらいの仕掛けは余裕で作れるのでしょう。……底の知れないお方です。


「よし、行こう、シャルロット」

「あ、はい」


 ちょっと不気味な雰囲気がありますが、わたしは覚悟を決めて、ローゼさんに続いて地下への階段を降りていきます。何らかの罠が隠れている、という可能性は低そうですが、用心するに越したことはありません。もしもの時は、ローゼさんが守ってくれると、わたしは信じています。


 灯りの少ない、ほぼ真っ暗な空間に、ひんやりとした空気が漂っています。石でできた階段は、一段下るたびにコツコツと冷たい音が鳴ります。湿っているせいか、足元は少し濡れて苔も生えていて、気をつけないと滑って落ちそうです。

 それでも下の方は、かすかに明るくなっています。人の気配もします。慎重に階段を下りていって、明るい空間を目指します。

 一番下に辿り着くと、思いのほか広い空間がありました。牢屋のような狭い所を想像していましたが、たぶん、わたし達が町長さんと対面した、あの応接間と同じくらいの広さはありそうです。いえ、もしかしたら少し狭いくらいでしょうか。殺風景なここと違って、応接間は壁際に飾り棚が置かれていて、実際より少し狭く感じていたでしょうから。

 階段を降りてすぐ、左手は壁があって、唯一の窓に鉄格子が嵌められています。そして右手は、ずいぶんと生活感のある空間になっています。その一番奥にはベッドがあり、ぐちゃぐちゃに乱れた布団の上に、年老いた男性がひとり腰かけていました。まるで、わたし達を待ち構えていたように。


「……お前さんたちか。俺に会って話をしたいというのは」


 しゃがれた声で男性が声をかけました。猫背、痩身、伸びた白髪、伸びた白髭。全体的に浮世離れした老人という雰囲気があります。この人があの、伝説の情報屋なのでしょうか。


「ああ。あんたがレスター・サンプソンか?」


 ローゼさんが問いかけます。初めて会う人で、情報屋の大先輩に向かって、いつもの無遠慮な物言いです。町長さんには終始丁寧な口調で話していましたのに……。


「いかにも、俺がレスター・サンプソンだ。だが、この言葉が事実かどうか、お前さんに分かるはずもあるまい」

「そうだな。論理的には、その言葉が嘘でも本当でも矛盾はない。厳密に真偽を確かめようとするなら、レスター・サンプソンに会ったことのある全ての人間に、首実検をしてもらうしかない」

「全ての人間に、か……俺が影武者だとしても、いつから入れ替わっていたのか分からなければ、直近で会った人物、例えばリッツ・リカルドとかと顔合わせをしても無駄なわけだ。その時点で偽者だったら意味がない」

「ひょっとしたら、レスター・サンプソンという人間そのものが、空想の産物かもしれない。アムリゴの情報組織で流れていたあんたの噂も、存在の痕跡も、全てが偽装かもしれない。だから現時点では、あんたがレスター・サンプソンだっていう確実な証拠が、わたしの手元にはないことになる。でも、とりあえず今は、あんたがご本人だという前提で話を進めるよ。それでいいよね?」

「……なるほど、情報の扱いにずいぶん慣れているようだな。ここにすぐ辿り着いた時点で、ある程度は評価していたが」


 会話する二人の口調は冷静そのものですが、どこかお互いに、相手の腹の内を探りつつ、自分がぼろを出さないよう徹底しているように感じます。理知的な会話の中に、厄介な爆薬でも仕掛けられていそうで、聞いているこっちははらはらします。

 というか、この二人は先ほどから、この老人がサンプソンさんでない可能性を、真剣に議論しているみたいですけど、そんな疑問を挟む余地があるでしょうか?


「あの、ちょっといいですか」

「ん?」

「わたし達は、サンプソンさんが町長さんに残した言葉をもとに、ここに辿り着いたわけですよね。しかも言葉どおりというより、ちょっとひねった解釈で」

「まあ、ひねっているといえばそうだね……それで?」

「ひねった解釈が必要な手掛かりを残しておいて、それを解いた先に待っているのが偽者というのは、なんというか、慎重になるとしてもやりすぎかと」

「そのひねった解釈すら、このひとが仕掛けた罠、あるいは誤誘導(ミスリード)だとしたら? 本当は何が正しいかなんて、神様でも分からないものよ」


 確かにそうですけど……いちいち自分の持っている情報を疑っていたら、キリがありません。もっとも、情報組織に勤めていたローゼさんは、慣れっこかもしれませんけど。


「神様でも分からない、か……」男性は呆れたように笑います。「俺の同僚だったら、神様にしか分からない、と言っていただろうな。お前さんは違うのか」

「神は人間の願望そのもの……わたしの大切な人が、そう言っていた。正しいか間違っているか、そんなものは関係なく、信じたいものを信じるのが人間で、そういう信じ方を正しいと思うことこそ願望だ。そんなものが形を成した、神様なんてものに、正しいことなんて分かる道理がない」


 ローゼさんは厳しい口調で言い切りました。生い立ちがあまりに過酷だっただけに、神様への嫌悪感が人並み以上に激しいのです。少しですが昔の話を聞いていたわたしは、ローゼさんがここまで断言できる理由が、なんとなく分かります。

 そして、ローゼさんの言う“大切な人”とは、ナオコさんのことでしょう。その人に向けていた感情がどんなものか、ローゼさん自身は説明できなくても、大切な人だったことだけは、確信を持って言えるみたいです。

 ……分かっていても、少し妬けてしまいますね。


「なるほど、理屈だな。神を信じる者からすれば、詭弁そのものだろうが」

「それでも論理だ。信仰心に弄ばれ、論理を使いこなせないやつに、真実を導き出す力はない」

「真実か……そんなものに意味があると、本当に思っているのか」


 男性にそう問いかけられ、ローゼさんは目を細めます。


「……普遍的な価値は、ないでしょうね」

「そうだな。真実を導き出す力は尊いものだが、それは誰にとっても歓迎される力ではない。お前さんのような人物を疎ましく思う者は、この世界に腐るほどいるだろう」

「…………」

「まあ、その程度のことは、お前さんもよく知っているだろう。俺と同じく、アムリゴの中央情報局に在籍していた、あんたなら」


 …………!

 その何気ない一言に、身の毛のよだつほどの戦慄を覚えました。わたしも、ローゼさんも。名前はもちろん、探偵であることも、その前歴も一切明かさないうちに、ローゼさんがアムリゴの情報組織に所属していたことを、男性は知っていたのです。


「お前さんだろう? 組織に入る前は“戦場の薔薇”と称された、元少年兵の諜報員。今は元の名前を捨てて、ローゼと名乗り、探偵として世界を渡り歩いているとか。お前さんの噂はよく耳に入っていたが、よもやこんな形で会うことになろうとは」

「……わたしの噂を知っていることに、今さら驚きはない。だけど、どうしてそれがわたしのことだと知っている? リカルド町長に名乗りはしたが、その話までここに伝わってくるとは思えないが」


 ローゼさんは険のある表情で問いかけました。これほど警戒感を露わにするところを、わたしは見たことがありません。


「そうだな。裏手に常駐している見張り番にまで、数多い来客のひとりについての、詳細な情報までは入ってこない。だが、女性の旅人がレスター・サンプソンを探している、という噂くらいなら、もうすでに耳に入っている。あちこちで聞き込みをしたみたいだな。しかもそいつが、貨物船で起きた事件をうまいこと処理して、その際には探偵と名乗っていた。噂に聞く、ローゼなる女探偵と同一だと考えるのが、筋ではあるまいかね?」


 男性……もといレスター・サンプソン氏は、こともなげに説明しました。

 やっぱり本人としか思えません。情報収集の緻密さは言うに及ばず、その洞察力もずば抜けています。これが、世界の情報の八割を握っていて、そのすべての真偽を把握していると噂される、最重要秘匿事項と見なされた諜報員……。


「つまり、あんたは最初から、わたしの素性を知っていたわけか」

「まあ、お前さんが例の旅人だという確証は、ここに来た時点ではなかったがね。だが、お前さんが俺の噂を、アムリゴの情報組織で聞いたと言ったとき、間違いないと思ったよ。俺の噂を組織内で聞けるのは、組織に所属していた人間だけだからな。これが偶然の一致だというなら、出来すぎというほかにあるまい」

「そっか、探り合いはわたしの負けだったみたいだな。実を言うと、そのように口を滑らせたとき、内心、失敗したと思ったんだよ。相手の素性に確信が持てないうちに、自分の腹の内は見せたくなかったんだけどね」


 ローゼさんは肩をすくめて言いました。駆け引きでローゼさんがあっさり負けを認めるというのも、珍しいことです。


「だがお前さんも、俺が用意した謎にはきちんと答えを出せたみたいだな。それも、こんなに早く……他の連中はどんなに短くても三日はかかったな。俺の考えを正確に読み解けなければ、ここまで早くに辿り着くことはできないだろう。情報収集も分析力も、決して俺に引けは取らないと思うが?」

「光栄だね。そう評されただけでも、ここに来た価値はあったよ」

「あの、ローゼさん?」


 わたしはどうしても我慢できず、お二人の会話を遮りました。


「いま、聞き捨てならない一言があったような気がしたのですが」

「何が?」

「他の連中は短くても三日かかったって……ここに辿り着けたの、わたし達が最初じゃないのですか?」


 町長さんの話を聞く限り、この二年間、誰ひとりとしてサンプソンさんに接触できた人はいないはずです。でも、サンプソンさんのその一言は、この場所に辿り着けた人物が、すでに複数存在することを示しています。


「どういうことですか、これは!」

「別に不思議ではないぞ。なんとか接触には成功したけど、そのことを誰にも打ち明けていないってだけだ。大方、レスター・サンプソンの身の上話でも聞いて、公表しないほうがいいと判断したんだろう。彼は、そういう分別のある人間だけが辿り着けるように、今回の謎を用意したんだ」


 ローゼさんは、なんてことないように答えました。もしかして最初から、すでに“七番目の橋”の謎が他の人に解かれている可能性を、考えていたのでしょうか。だからサンプソンさんの一言にも、一切動じていなかったのですね……。

 というか、よく思い返してみれば、さっきも見張り番の男性に、他にもここに来た人がいた可能性をほのめかしていました。あの時点ですでに、これまで誰もサンプソンさんに接触できていないという話を、疑っていたようです。


「リカルドの話を真に受けず、あらゆる可能性を考慮して正解を導いたか……さすが、探偵の素質を十分に備えている」

「たいしたことじゃないよ。嘘をついていなくても、勘違いしている可能性もあるし。人間の口から真実が語られることはない……情報を扱う人間なら、頭の片隅に留めておくべき。そうでしょう?」

「……やはり、他の連中とは格が違うな。短時間で謎を解いただけある」

「その謎についてですけど」


 わたしは再び、ローゼさんとサンプソンさんの会話を遮りました。忘れる所でしたが、わたしはまだ、ローゼさんの辿り着いた答えを、聞かされてないのです。


「わたし、まだ橋の謎の答えを聞いていないのですが」

「ああ、そういえばそうだったな」


 なんとローゼさんは普通に忘れていました。相棒を放置しないでくださいよ、もう。


長くなりそうなので、今回はここまで。レスター・サンプソンの居場所は分かりましたが、ローゼの推理の過程については、また次週ということで。

それにしても、高度な情報戦の中にいる人間は、下界に降りたらとんでもなく面倒な性格をしていますね。浮世離れして見えるのも必然かも……。

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