Section 1-Five
こんな未来が訪れないことを祈りたいです。
行きつけのバーに到着すると、すでにビエラットが来ていて、窓際のテーブル席に座って待っていた。入店したわたしに気づき、手を挙げながら声をかける。
「おう、こっちだ」
「……てっきり建物の外で待っていると思ってた」
そう言ってわたしは、ビエラットの向かいの席に腰かけた。昨日は人目を気にして、店を出てから機密資料を渡してきた。今日も資料の受け渡しがあるのだから、店の外で話をすることになると思ったのに、来てみたらビエラットの姿が窓の向こうに見えたのだ。
「ゆっくり話を聞きたかったからな。それに、何かあれば外で待ち構えている手下たちがすぐに駆けつける」
そういえば店の周りに、明らかに店を見張っている不審者が五人ほどいたなぁ。誰かと思えばビエラットの手下たちだったか。
ビエラットはすでにグラスの酒を頼んでいた。わたしもコーヒーを注文する。
「それで、調査の具合はどうだ」
ビエラットの質問に、わたしは少し考え込んでしまう。今回は地道な聞き込みによって、攫われた子どもの特徴や行動歴に共通項を見出し、身売りの実態を徐々に暴いていくつもりでいた。しかし、その目論見とは裏腹の展開になっていた。
「……首魁の目星はついている。そいつがどこにいるのかも分かっている。だけど、まだ決定打に欠けている」
「ほお、こいつは驚いた。たった一日でそこまで進展していたのか。どうやって調べたのか、ぜひご教示を賜りたいものだ」
「悪いけど、これはただの運だよ。手掛かりが向こうから転がってきただけ。それに、まだきちんと調べられていないから、間違っている可能性も否定できない」
「ふうん……だから俺の持ってきた資料が必要だと?」
ありていに言えばそうなる。自力で調べるのも不可能ではないが、すでに調べている人がいるなら、そいつの協力を取り付けた方が早い。
「あなた達はこの地区の住人の、あらゆる個人情報を握っている。誘拐された子どもたちの行動範囲くらい、把握しているでしょ」
「まあ、学校も機能していないし、治安も決していいとは言えないからな。子どもの行動範囲は限られる……それに俺たちも、子どもがどこで誘拐されたのか特定するために、親や近所の人たちに聞いて回って、調べ上げている」
「やっぱりね。おかげで二度手間にならずに済んだ」
「使えるものは骨まで使う気か……だが、人海戦術を駆使して、その行動範囲を手当たり次第に回っても、それらしい目撃証言は出なかったんだ。今さらこんなものを調べたところで、有力な証言が得られるとは思えないぞ」
そう言いながらも、ビエラットはあっさりと紙の資料を手渡した。すべて地図で、一部がマーカーで塗られて、そのそばに人名が書かれている。その名前の子どもの、行動範囲を示したものだろう。
「目撃証言を期待しているわけじゃない。あなた達がそれなりに調べ上げて、それでも手掛かりを得られなかったことは予想していた。じゃなきゃ、よそから来た探偵に頼ったりなんてしないでしょ」
「そりゃそうだが……じゃあ何のために」
「道筋を確定させたいのよ。わたしが睨んでいる人物を、このまま首謀者と想定して考えを進めていいのか、見定めておきたい」
わたしの推測のとおりなら、首謀者と思しき人物がいる場所と、誘拐された子どもの行動範囲は、それほど離れていないはず。恐らく首謀者は、地域全体に影響の及ぶ、ビエラットのような存在を最も警戒している。人海戦術の穴を突くように、なるべく目撃者の印象に残らない方法で、子どもたちを攫おうとする。ならば、身売りの拠点となる場所から近ければ近いほど、目撃されるリスク自体が減ると考えるだろう。
逆に、誰か一人でも、行動範囲が大きく外れている子どもがいるなら、首謀者も人攫いの方法も見当違いということになる。果たして、そんな子どもはいるだろうか。
「…………」
すべての地図を見て、マーカーで塗られた範囲を頭の中で重ねていく。
そして結論は出た。資料をテーブルの上に放り、嘆息をつきながら虚空を仰ぎ見る。
「どうした?」ビエラットが尋ねる。
「大丈夫……どうやらわたし、思ったより順調に進んでいたみたい」
額を押さえて苦笑しながら答えた。攫われた子どもの行動範囲はいずれも、目星をつけていた場所を含まず、しかもその場所から歩いて十分以内の所にあった。
「ということは、あんたが睨んでいる人物が、首魁だと考えていいんだな?」
「そこまでは断定できない。だが、調べるべき対象はこれではっきりした。そいつが一枚噛んでいると仮定すれば、昨日からわたしが抱いていた疑問に説明がつく」
「疑問? 売られたはずの子どもがなぜ見つからないかってことか?」
「それもひとつ。他にも二つある。ひとつは、なぜ目撃証言が出ていないのか」
昨日ビエラットの言っていたことが誇張でなければ、人海戦術で目撃者を捜し出そうとしただろうと予想していた。そしてその調査が空振りに終わったことも……これはさっき話した通りだ。昨日の聞き込みはあくまで、ビエラットの話がどこまで事実と一致しているか、念を押して確認するためだ。
「確かに俺も妙に思ってはいたが……人目につかない所にうまく誘い込んで、車とかに押し込めば、目撃証言が出なくても仕方ないんじゃないか」
「ほんの数件ならね……でも、すでに百件近く子どもが攫われているのに、ひとつもそれらしい目撃者が現れないのは不自然よ。単に人目を避けるだけじゃなく、もっと別の方法を使っていたと考えるべきじゃない?」
「……あんたまさか、人身売買の拠点から近いところで拉致すれば、人目に触れる頻度が減るから、相対的に目撃者も減ると……連中がそう考えたと思っているのか? だからこの資料を用意するよう頼んだんじゃ」
ふうん……なかなか勘がいい。確かに目撃証言のなさから、地理的要因に目をつけたのはそのとおりだ。しかし……。
「惜しいけど違う。連中はそんな確率論で考えていない。もっと確実に目撃者をゼロに近づけるには、そもそもそれが人攫いだと思わせなければいい」
「人攫いだと思わせない?」
「要するに、子どもたちの方から、自発的に拠点となる場所に向かわせたのよ」
昨日からその可能性をずっと考えていた。この街で貧困にあえいでいる子どもは多い。多少でも経済力をちらつかせることで、自発的に動かす手段はいくらでも思いつく。もっとも、さっきのスリ少女の姉に関しては、怪しいと言わざるを得ないが。
ビエラットが苦笑する。予想していた反応だが、やはり本気にしていないな。
「まるでどこかの国の寓話だな。笛を吹いたらぞろぞろと子どもが集まってくるのか」
「実際にはそんな魔法じゃなく、もっと現実的かつ確実に、そして誰が見ても怪しまない方法を使ったはずよ」
「おいおい、もったいぶらずに教えろよ。笛じゃなきゃ何を使ったっていうんだ」
もったいぶっているつもりはないが、まだ確信が持てないのだ。でもヒントくらいは話してもいいだろう。
「信頼よ」
「信頼……?」眉をひそめるビエラット。
「そう。わたしがこれを思いついたきっかけは、この件のもうひとつの疑問点にある」
「ああ、そういえば疑問が二つあるって言ってたな。もうひとつって何だ?」
「年齢よ。ビエラットの口からも聞いたし、資料にも載っていたけど、姿を消した子どもは全員が十代で、十歳未満の子どもや二十歳以上の人物はひとりもいなかった。詳しく資料を見た限りだと、十歳から十七歳までの、ごく狭い範囲に集中している」
「うむ……」ビエラットは髭を撫でながら考える。「百人近くいて、年齢の幅がそれだけ狭いのは、意図的なものを感じるな。確かに統計的には、二十歳以下の子どもが被害者になるケースは一番多いが、百人すべてが十代というのは奇妙だ」
「もしこれが意図的なものなら、連中にとって、誘拐の対象は十代が最も好都合で、それより下でも上でも都合が悪いと考えられる」
「理屈は分かるが、その都合っていうのは何なんだ」
「なんとなく予想はしているし、この予想が正しければ、他の二つの疑問にもうまく説明がつくけど、まだ確信は持てない……だからあなた達の力が必要だった。資料、もうひとつ用意するように頼んだわよね?」
「ああ、そうだったな。これでいいか?」
ビエラットはそう言って、別の書類を取り出してみせた。数値の並んだ表とグラフが書かれている。
「国境をまたぐ不審な物品のやり取りの記録……こんなもの、何の役に立つんだ?」
「何か痕跡はあると思う。人身売買はほとんどが遠方との取引になるから、国内だけで成立することはまずない。必要なものも、今のこの国で賄えるとは思えないし」
「まあ、先の戦争で国全体の経済がボロボロになっているからな」
それは他の国も同じなのだが、かつての先進国の中には、世界戦争に主体的に参加しなかったことで、致命的な崩壊を免れた国がいくつかある。他国に医療支援などを行なっているのは、主にそういう国だ。同時に、戦争以前は違法とされていた類いの輸出入も、そうした国を中心に堂々と行なわれている。
「つまり、国内で賄えないものは国外から入手するしかない。今は貿易自体が下火になっているし、税関とかも機能していないけど、かつて密輸に頼るしかなかった物品は、扱いたがる業者がそもそも少ないから、見逃されたとしても記録には残りやすい」
「その記録から実態を掴めると考えたわけか……俺にはない発想だ」
実を言えばそんな発想はわたしにも無い。これはただの賭けだし、何らかの痕跡があったとしても、恐らく証拠にはならない。
だが、ビエラットの依頼はあくまで、人身売買の実態と首魁を突き止めることであって、裁きの場に送り込んで罪状を立証することじゃない。確実な証拠がなくても、特定の人物を疑うに足る痕跡があれば、何でもいいのだ。
さて、どんな痕跡があるだろうか……パラパラと資料をめくって、表の数値やグラフの形に目を通す。そして、あるひとつの項目に辿り着き、手が止まる。
「これ……麻薬の密輸?」
「ああ、それなら俺も、データを整理していて気づいたよ。この国じゃ昔から、麻薬に使われる植物を栽培しては、国内外で大量にさばいていたから、輸入量はそれほど多くなかったんだ。もっとも輸出の方も、栽培拠点の経営が行き詰まって低空飛行状態だが。ところが見てのとおり、ここ二年ほどは輸入量が四倍に膨らんでいる。しかも……」
「扱っているのが、合成麻薬……」
「そう、奇妙だろう? しかも二年前といえば、人身売買のための誘拐が始まった頃と一致する。偶然かもしれないと思ったが、探偵さんが目をつけたのなら、やはり何か意味があるってことなのか……」
もちろん偶然じゃない。そしてこれこそが、わたしが探していた痕跡だ。
ふっ……思わず笑みがこぼれる。
「どうした?」
「いや……攫われた子どもが十代に限られていた理由だけど、やはり、成長期だから、というのが一番大きいみたいだ」
「成長期?」
「ええ……これなら十分、あなたの依頼に応えられるわ」
わたしはコーヒーを一口だけ含み、ごくりと飲み込んで、告げた。
「神秘の箱は、開かれた」
やっぱり主人公には決め台詞のひとつでもあった方が、印象に残りやすくていいですね。
それはそうと、推理のための材料は早々に揃ったので、この時点で謎を解くこと自体は可能です。トリックそのものは非常に単純です。ひねりも何もありません。でも、このトリックに辿り着いた後、主人公がどうやって解決に導くのか、それはもう少し頭をひねる必要があるかと思います。
なんにせよ、ローゼの本当の活躍はここからです。次週をお楽しみに。