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Section 5-Three

今回はちょっと長いですが、まだ青臭いローゼと、ナオコさんという女性の人となりが、少しでも分かればと思います。

日本って、本当に変わった国です。


 一軒家に引っ越したその日から、ナオコさんとの交流は始まった。

 彼女は五年前に、夫と娘と一緒に三人で、ジパニカから移住してきたそうだ。夫がアムリゴに本社を置く企業のジパニカ支社に勤めていて、本社に異動するにあたって、一家でアムリゴまで引っ越したという。

 八歳の娘の母親ということもあって、わたしより一回り以上も年上だけど、挨拶を交わすたびに浮かべる笑顔は、そうした年齢を感じさせないほど瑞々しかった。普段は自宅の庭に作った小さな菜園で、ときどき娘と一緒に、野菜を育てるなどしている。出会った時もそうだけど、外で会うと彼女はいつも泥だらけだった……でも、とても楽しそうだ。

 神の采配の結果、わたしは兵士になる以外の道を失った。そうでもないと生きられないから兵士になっただけで、この仕事を楽しいと思ったことは一度もない。普段の生活も軍のための訓練が中心だから、なおさらだった。だから、そう、いつも楽しそうにしているナオコさんを、どこか羨ましく思っていた。


 いつからか、ナオコさんは休日になると、わたしの家に来て料理のおすそ分けをするようになった。自宅でも訓練に明け暮れて、食事をおろそかにしがちなわたしを、見かねてのことだという。

 ……悔しいが、さすが母親というべきか、わたしが作る下手な料理より、断然うまかった。


「まだあなたは育ち盛りなんだから、しっかり栄養つけなくちゃだめよ」


 なんてことを、ナオコさんによく言われていた。確かにこの時は二十歳にもなってなかったし、まだ育つ余地はあったかもしれないが……。

 ナオコさんと話していると、なんだか母親を相手にしている気持ちになる。まあ事実、彼女は子持ちで母親なのだが、親を知らずに育ってきたわたしにとって、任務以外のことで気にかけてくれる彼女は、母親とはかくなるものかと思わせる存在だった。


 最初の頃こそ、鬱陶しく思っていたこともあったが、次第に、休日になると彼女が来るのを心待ちにするようになった。……胃袋を掴まれたわけではない。断じて。

 いつしか休みの日は、彼女と雑談をする日になっていた。


「……それでね、旦那が新事業立ち上げの一員に抜擢されたものだから、なかなか帰って来なくなっちゃってね。ほら、ここ最近、世界情勢がきな臭くなっているじゃない? 大企業はどこも、軍事に関わる部門に予算を割くようになって、人員もそこに集中させることが多くなったそうよ」

「ああ……軍の中でも、いつ全面戦争になってもおかしくないって、そういう話題で持ちきりですね。詳しくは知りませんけど」

「ローゼちゃんのところに、その手の情報は入ってこないものなの?」


 国籍と市民権を得たことで、それまで名前を持ってなかったわたしにも、名前が与えられるようになった。だけど、名前を付けたコメット氏のセンスが微妙で、わたし自身は気に入っていない。そういうわけで、上官に呼ばれる時や辞令を受ける時を除いて、わたしは他人に別の名前で呼ばせるようにした。

 ローゼ。以前ナオコさんに名前を尋ねられたとき、視界に見えた花からとっさにそう名乗って、以来、どこでもこの名前を使っている。自分の考えた名前を使ってもらえてないコメット氏は、たいそう不満げだったが。


「……わたしは、入隊して間もない一兵卒です。ただの駒にすぎないのに、上層部の駆け引きを知らされる道理はないですよ」

「ふうん、そういうものなんだ」

「そういうものです」

「でもね、ローゼちゃん。違う世界の出来事だからって、知る努力、分かろうとする努力をやめてはいけないわよ。他人に体よく使われるだけの生き方は、いずれ必ず後悔することになるから、そうならないように、自分の力で知って、自分の力で理解できるようになるのが大切よ」


 他人に体よく使われるだけ……わたしはきっと、物心ついたときからそうだった。そうでない生き方を、わたしは知らない。何ひとつ思いどおりになったことがないから、望むことすら諦めていた。流されるままに生きた方が、傷が少なくて気楽だった。

 ナオコさんは、わたしのそんな生き方を、いずれ後悔すると断言した。知ったような口を利いてくれる、と思ってしまった。


「……ナオコさんは、それで後悔したことがあるんですか」

「うーん、ないわねぇ」ナオコさんはあっけらかんと答えた。「今まで結構、好き勝手に生きてきたからなぁ。今だって、旦那がたくさん稼いでいるのをいいことに、家で娘と好き放題に菜園なんてやっているし」

「……幸せそうでいいですね」

「あれ、もしかしてその口調は皮肉かな」


 経験値の差なのか、わたしの皮肉はあっさりと受け流された。嫌味だと分かっておいて、それでも笑っていられるのだから、器の大きさの違いが見て取れた。


「そんな幸せそうなナオコさんに、わたしの何が分かるっていうんですか」

「わたしの目に見えているものしか、分からないわよ。ローゼちゃんだってそう。わたしが娘を産んだ時はひどい難産で、一時的とはいえ、死ぬかもしれないって思ったこと、知らないでしょ?」

「…………!」


 それは知らなかった。当然だった、彼女の口から一度も語られていないのだから。


「娘と無事に会えたときは、生きていてよかったって心底思った。そして同時に、娘も将来子どもを産むときは、同じようにつらい目に遭うかもしれない、とも思った。だからせめて、娘にも自由に、幸せに生きていてほしいって……そのために、できることは何でもしようって思ったの。つらいことがあっても乗り切れるようにね」

「…………」

「ね? 見えるものがすべてじゃないし、見えないことは分からない。でも、分からないままにしていたら、何かのはずみで分かったとき、後悔してしまうでしょ? だからまずは、自分から分かろうと努力するのが大事なのよ。知りたいことはほっといても向こうからやってくるけど、知るべきことは自分で見つけるしかないの」


 ああ……今なら身に染みて分かる気がする。人間は、自分の知りたい事しか見ようとしないし、自分が信じたいことを真実だと思い込む。誰かがそう言っていた。わたしはそうやって、ナオコさんのことを、ただの能天気な女性としか思わないようにしていた。彼女のすべてを知っているわけじゃないのに、分かったつもりになっていた。

 なんて愚かなのだろう、わたしは……。


「すみません……」

「謝らなくていいのよ。わたしだって、ローゼちゃんのことをよく知っているわけじゃないから、こうしてたびたびお邪魔するのも、ひょっとしたら迷惑だったかもしれないし」

「そんなことないです!」


 ほぼ反射的に、わたしはナオコさんに言ってしまった。ナオコさんに、自分が邪魔だと思ってほしくなくて、とっさに口をついた。

 ……分かっていた。羨ましく、時に憎らしく思っても、こうしてナオコさんと一緒にいる時間は、いつしか心地よく、手放したくないものとなっていた。空っぽで、大切なものなど何もなかったわたしに、初めてできた、かけがえのないものだった。

 わたしが珍しく大声を出したからか、ナオコさんはポカンと口を開けて呆然としていた。が、すぐにいつもの穏やかで、包み込むような笑みを浮かべた。


「……そっか、よかった」

「なんか、全身がくすぐったいです……」

「あははっ。そうだ、ローゼちゃんが良ければ、今度はうちにも遊びに来ない?」

「ナオコさんの家に、ですか?」

「ええ。娘にもあなたの話をよくしているのよ。遊び盛りだし、わたしが手を離せないときに、相手をしてくれると助かるわ」


 たぶんそれは口実だろう。本心は、純粋にわたしとの交流を深めたいだけに違いない。わたしが普段ひとりで生活していて、寂しがっているのではないかと思い、隣人らしくお節介を働いているのだ。まあ、別に寂しくはないのだが……。

 とはいえ、断る理由なんてどこにも無かった。


「じゃあ、今度の休みにでも……」

「本当? ありがとう。娘も喜ぶわ。お姉ちゃんみたいに接していいのよ」


 そう言ってわたしの頭を優しくなでるナオコさん。これは……わたしもナオコさんの娘みたいに扱われているのか? 親子にしては、やや歳が近すぎる気もするが。

 不思議と、悪い気はしなかった。わたしにとっても彼女は、母親みたいな存在だったし、家族みたいに接してくれるのは嬉しかった。

 でも、彼女が笑うたび、優しく触れるたび、心に生まれるざわめきが何なのか、まだこの時のわたしには分からなかった。


  * * *


 ナオコさんからは、ジパニカの文化についてもよく聞かされていた。コメット氏からはアムリゴの常識や倫理観を教わり、植え付けられてきたが、それらがことごとく通用しない世界に、いつもわたしは驚きを隠せなかった。

 最初に驚かされたのは、ナオコさんの住む家を初めて訪れた時だった。長くジパニカに住んでいたこともあって、家の構造がジパニカ風なのはいいが、なぜか玄関には大きな段差が作られていた。なんて不便なのだろうと思っていたら……。


「あ、ごめんねローゼちゃん。ここ、靴を脱いでから中に入るのよ」

「…………は?」


 ジパニカでは家に中に入る時、“上がり(かまち)”なる所で靴を脱いで、家の中では靴下かスリッパを履いて生活するという。信じられない……スリッパはともかくとして、これでは足の裏が簡単に汚れてしまうではないか。

 だがナオコさんいわく、普段から床を綺麗に掃除しておけば、たとえ裸足でもそれほど汚れはしないとのこと。それに、靴を脱いでいる時間が長い方が、足でかく汗が蒸発しやすくなって、結果として靴下の汚れも抑えられるという。

 言われてみれば、アムリゴでは土足で家の中に入るとき、玄関で靴の泥を落とすけれど、それでも完全には落とせないから、どうしても外の汚れを持ち込むことになる。小さな子どもがいることを考慮すれば、靴を脱いで家に上がるのは確かに合理的といえる。

 うぅむ。ジパニカ、侮りがたし。


 またある時は、ナオコさんの家でだし巻き卵なる料理をごちそうになったことがあり、オムレットとは違う淡い味わいに舌鼓を打ったものだが、その時にこんな話を聞いた。


「そういえばジパニカ以外の国だと、卵かけご飯は食べないわよね」

「卵、かけ……?」

「白米のご飯の上に、生のままの卵を載せて、醬油をかけて食べるの」

「…………正気ですか?」


 卵は腐りやすいうえに、雑菌が多く含まれがちだと聞く。料理に使うときは加熱するのが原則のはずだ。それを、こともあろうに生のままで食すなんて……未開の国でもなければそんな食べ方はしないのではないか。

 ところがこれもナオコさんいわく、ジパニカだと卵は国民食で、出荷する前にしっかりと洗浄して、安全が確認されたものだけが消費者に渡るよう徹底されているという。だから生で食べてもほとんど問題ないそうだ。ジパニカは食品の安全管理が他国より厳しいと聞いたことがあるが、これほどとは思わなかった。

 ……未開の国なんて言って、すみません。


 またある時は、居間の天井付近に設えられている神棚のようなものを見つけ、ナオコさんに尋ねたこともあった。まあ、神棚そのものだったのだが。


「ジパニカに住んでいた頃、家にあった神棚をそのまま持ってきたの。引っ越した先でも、わたし達家族を見守ってくれますように、と思ってね。もっとも、この国にジパニカの神様がいるかどうか、分からないけどね」

「ふうん……わたしには、神に祈る人の気持ちが分かりませんね」

「ん? 神様はいると思ってるの?」

「死神や疫病神ならいると思います」

「苦労してきたのね、ローゼちゃん……」

「神は気まぐれに、身勝手に、人を振り回す存在です。そんなものに祈り、救いや赦しを乞うなんて、どうかしていますよ」


 たぶんわたしも、どうかしていた。今までは、神の采配に翻弄されたところで、自分の境遇を嫌だと思ったことはなかった。それなのに最近は、今までの、振り回されるだけの人生を、ひどいものだと思うようになっている。……それほど、今の自分が充実している、ということかもしれないが。

 神に関する解釈が、人によって異なるのはわたしも理解していた。だから、こればかりはナオコさんと通じ合えるとは思わなかった。わたしが神を嫌うことに、理解や共感を示さなくても当然のはずだった。

 だが、ナオコさんは「うーん」と少し考えてから、予想もしない話を始めた。


「ジパニカではね、昔から、あらゆるものに神様が宿っていると考えられていたの」

「アニミズム思想ですか?」

「近いものはあるけど、ジパニカの場合、自然にあるものだけじゃなく、人工的なものにすら神様が宿っていると考えているのよ。資源が少ない島国だから、ものを大事にしようという考え方が、あらゆるものに神様がいるという思想につながったのかも」

「ふうん……変わっていますけど、まあ、宗教の成り立ちとしては自然ですね」

「さらにわたしはこう思うの。人間の、一人ひとりの中にも、神様がいるんだって」


 人間の中に神がいる……それは、神を崇拝の対象としがちな有名な宗教とは、一線を画す考え方だった。


「どんな宗教も最初は、人間の力ではどうしようもない事態に直面して、救われたいという気持ちから生まれたんだと思うの。災害とか、戦争とかね……。人智の及ばない出来事に遭遇したとき、人智を超える存在があると思い、それに神様という名前を付けた。その神様に自分たちを認知してもらい、災禍ではなく幸福をもたらしてほしいと願うために、人間は祈るという行為を始めた。やがて、人々から崇め奉られる存在となった神様に、時の権力者が都合のいい物語を付け加えたことで、今のように様々な宗教が生まれたのね」

「権力者が都合よく神様を物語に落とし込んだのが宗教の始まり……敬虔(けいけん)な信者からすれば、受け入れがたい話でしょうね」

「まあ、宗教の言葉に救われる人だっているわけだから、それが悪いことだとは一概に言えないけどね。でもね、結局神様なんてものは、人間の願望のカタマリみたいなもので、災禍だろうが幸福だろうが、人間に何かをもたらすことなんてない。災害や戦争を止めることなんてできないし、都合よく願いも叶えてはくれない。全知全能とか、超常的な奇跡を起こすとか、みんなそれこそ、権力者たちが都合よく作った物語にすぎない」


 うわあ。呆然とするしかなかった。あらゆる宗教の考え方を真っ向から否定してきた。ジパニカは宗教に関してはおおらかな国だと聞いているが、よもやここまでとは……。


「そういう考え方って、虚しくなりませんか……」

「いいえ、そんなことないわ。だって結局、どんな願いも祈りも、人間の力で実現するしかないってことだもの。災害には、技術でもって上手く付き合うしかない。戦争は、しっかりと話し合ってルールを作ることで避けるしかない。大きな願いも、小さな祈りも……人間が、ひとり一人が手をとり合うことで、ようやく叶えることができるのよ。神様なんて不確かなものに頼るんじゃなく、手の届くものと繋がることが、願いを叶えるために必要なことじゃないかなぁ」


 ナオコさんは、心の中に語りかけるように、持論を述べた。

 ……分かり合えるなんて思ってなかった。何を信じるかは人によって異なるし、共感を得る必要なんてない。ナオコさんはそういう考えの持ち主なのだと、他人事のように聞いていればよかったのだ。

 でも、違った。代表的な宗教にありがちな綺麗事とは違う。結局それ以外に、願いを叶える方法はない、ただそれだけの単純な話だ。それゆえに、何よりも真理で、核心を突いているように思えた。


「では、神に祈るのは無駄だというんですか」

「それはかなり極端な話ね……まあ、祈ること自体が問題を解決することはないけど、無駄ではないと思うわよ。さっきも言ったような、人と人の繋がりを求めることが、祈りの本質だと、わたしは思うから」

「えっと、それはどういう……?」


 首をかしげるわたしをちらっと見てから、ナオコさんは神棚から離れ、壁際のチェストから財布を取り出した。どこかへ買い物にでも出るのかと思ったが、違うみたいだ。


「ジパニカではね、神様を祀っているお社でお祈りをする時、その前にこれを専用の箱に入れて、大きな鈴を鳴らす慣習なの」


 これ、というのは、ナオコさんが手のひらに置いてわたしに見せた、指でつまめそうなほど小さな円形の金属板だ。真ん中にも丸くて小さな穴が開いている。


「ジパニカのお金のひとつよ」

「へえ、これがジパニカの硬貨……やっぱり変わっていますね。穴が開いているし、人物の肖像も描かれていないし」

「穴が開いているのはジパニカの硬貨の一部だけどね。人物を描かない代わりに、ジパニカの硬貨には植物が描かれているわ。これには稲穂が描かれているわね」

「これを、お祈りの前に箱に入れるんですか……ビタリア共和国にある『トリヴィオの泉』と似ているけど、あれは確か、背を向けながら放り投げるんでしたっけ」


 トリヴィオの泉は、宮殿の壁と一体となった人工の噴水で、三体の女神像の下に造られている。後ろ向きに硬貨を投げ入れると、その枚数に応じて願いを叶えてくれる、という言い伝えがあるとか。


「ジパニカでは普通に正面を向いて投げるわね。で、なんでこの硬貨を使うかというと、ジパニカでの語呂合わせで、“ご縁”に通じるからだといわれているの」


 語呂合わせでご縁……ゲン担ぎみたいなものか。どこの国にもあるなぁ。


「つまり、神様とのご縁がありますように、という願いを込めているわけですか」

「まあ、そうね。でも、最初に言ったよね。人間のひとり一人にも神様がいるって……きっと、神様のかたちは人によって違っていて、それはひとり一人が違う価値観を持っていることと同じだと思うの。違う神様、違う価値観と結びつくことで、自分一人ではなし得ないことを実現できる……神様との縁は、すなわち人との縁であり、人との繋がりでもあるのよ」


 ああ、そういうことか……ようやくナオコさんの話がひとつにつながってきた。

 願いを叶えるには、祈りが通じるには、手の届く人との繋がりが必要になる。ひとり一人の中にある“神様”と“ご縁”を持つことで、今までにない人との繋がりが生まれ、巡り巡って願いを叶えることになる……それが、祈りの本質なのだ。


 幻想もいいところだ。形だけ神に祈ったところで、人との繋がりが生じるかどうかは、それこそ神の采配次第だ。無意味とまでは言わないが、結局は運頼みの域を出ない。

 だけど……人智を超越した存在が、気まぐれで人の運命を弄ぶよりは、遥かに救いのある話だった。わたしは神に祈ったことなんてないけれど、今こうしてナオコさんと出会い、繋がりを作ったことが、いずれわたしの望みを叶えてくれるのならば、悪くないと思える。運命とか関係なく、人間の力で叶えたことになるのだから。

 あの頃のわたしは、選べる道がひとつしかなかった。だから後悔する余地もない。でも、ナオコさんと出会えたことは、きっとこの先何年経っても、後悔しないだろう。

 それにしても、やはりジパニカは変わった国だ。特定の宗教に染まらず、こんな地に足のついた考え方をしているなんて……。


「あ、ごめん。お祈りの仕方と語呂合わせ以外は、ぜんぶわたしの個人的な解釈。たぶんほとんどのジパニカ人はそんな考え持ってないわ」


 ……なん、です、と?


  * * *


 何はともあれ、ナオコさんと出会ってから、わたしの視界はずいぶん広がった。相変わらず軍の中では、突出した成績のために孤立しがちではあったが、自分の置かれている状況については、誰に教えられるでもなく自分で調べるようになった。

 その結果、これまで命令されるままに動いている間は気づけなかった、内部の不穏な動きを知ることになった。


 数十年前からアムリゴと経済的に対立していた某大国とは、これまで軍事的な衝突を避け続けてきた。だが、元から莫大な軍事費を抱えているアムリゴに対抗するように、その大国はたくわえた経済力を次々と軍事開発に投じていた。アムリゴやユーロピア各国は、こうした動きに対してずっと批判的で、その一方、某大国と政治思想が似ている国や、経済的に依存している国々は、擁護する立場に回っていた。そうした国々は、歴史的にアムリゴと良好な関係を築けていないという。まさに、敵の敵は味方というわけだ。

 世界各国の代表が集まって話し合う『世界融和会議』でも、この対立は鮮明になっていた。百年ほど前にも起きた『世界戦争』の戦勝国が中心となって設立した国際機関だが、その戦勝国同士で対立しているせいもあって、当初から正常に機能していなかったという。そしてあろうことか、融和を目標に掲げているはずの『世界融和会議』内で、対立する大国のどちらに与するかで、参加国が二分される事態になっていた。

 片方が軍事力を強化すれば、もう片方が「平和と安定を乱す」と言って非難しながら、対抗するように軍備を強化する。片方が貿易に高い関税をかければ、もう片方も報復措置として関税を引き上げ、双方ともに経済的な損失を被り、互いのせいだと非難する。売り言葉に買い言葉。やることなすことが蝸牛角上の争い。軍に所属するわたしは、まさにそうしたくだらない争いに、どこよりも早く巻き込まれる立ち位置にいた。


「うーん……知らなくちゃいけないことだけど、知りたくなかったなぁ」


 軍の施設内にある資料室で、アムリゴ合衆国や軍の歴史について調べて、口をついた率直な感想がこれだ。人間の歴史は愚行の歴史……いつだったかコメット氏が言っていた気がするが、こうして調べてみると、なるほど言い得て妙だと思える。

 軍隊教練の最中は、アムリゴがとにかく偉大な国だと、耳にタコができるほど言い聞かされるが、今になってそれが、たちの悪い冗談に思えてくる。きっと、今アムリゴと対立している某国の軍でも、同じようなことを言い聞かせているに違いない。政治思想が違っていても、人間性が似通っていると、ただの子どもの喧嘩と同レベルに成り下がるのだ。


「これじゃ、何のために戦うのか、分からなくなるなぁ……今はまだ、テロリストや犯罪組織を相手に戦う程度だけど、これが国同士の衝突となったら、もう何が正しいのか分からなくなってくる……訳も分からずに相手を殺しまくったら、ナオコさんに叱られそう」


 自分で言って、はた、と気づいた。

 いつの間にか、思考の中心がナオコさんになっている……軍人である以上、中心に据えるべきは国家のはずなのだが。


「いかんいかん。そろそろ持ち場に戻る時間だし、一旦引き上げるか……」


 わたしは資料を棚に戻し、廊下に出た。そして入れ違いで、別の人が資料室へと入っていった。顔は一瞬しか見えなかったが、女の人だった。


「……あんな人、軍にいたかな」


 見覚えのない顔だった。キリッとした顔つきに、服の上からも分かる鍛え上げた肉体、隙のない身のこなし……この特徴だけなら、軍の上層部とかにいても不思議はない。だが、アムリゴ国軍の人員を、制服組や他の部署まですべて把握しているわたしでも、彼女の風貌に覚えがなかった。

 ん? さらっとすごいことを言わなかったかって? 何の話よ。

 外部の人間だとして、基本的に軍の関係者でも限られた人しか立ち入れない資料室に、どうしてのこのこと入って来られたのだろう。軍の施設には簡単に侵入できないし、たぶん内部の人の許可を得ているのだろうけど……。

 ちなみにわたしは、コメット氏に頼んで入室を許可してもらっていた。一兵卒に内部資料を見られても、わたしなら問題ないと判断されたらしい。


「……まあいいか」


 わたしは気にせずその場を離れた。どうせまた会うこともないだろうから、と思ったからだ。少なくとも、このときは。


 ところで、この当時のわたしはまだ、本格的な戦地従軍をした事がなかったが、世界各地での紛争の処理や、アムリゴ国内に潜伏しているテロリストたちとの戦いには、頻繁に駆り出されていた。俊敏な動きと、急所への的確な攻撃力を買われてか、たいていは本陣の前に相手の防御態勢を崩す役目を与えられていて、わたしが敵に急襲を仕掛けて混乱させ、それに乗じて本陣が乗り込んで殲滅に追い込む、というのが毎回の流れとなっていた。

 敵への急襲はとにかく危険で、成功する確率は他の戦闘に比べてもかなり低いが、その分、成功するとその後の戦闘を優位に進められる。ほぼ無傷で、確実に急襲を成功させるわたしの働きは、軍部で重宝されるようになった。とはいえ、入隊して間もない女性兵士に、そんな危険な役目を任せることに、躊躇する場面も少なくなかったが。

 実践的な仕事はどんどん増えていった。軍の仕事は戦闘に限らず、物資の輸送に災害時の支援など幅広くあるが、わたしに戦闘以外の仕事が回ってくることはほとんどなかった。部署が違うというのもあるが、わたしはそもそも、戦闘員としての能力を評価されて、軍に配属されたようなものなのだ。

 そして、仕事を次々に果たしていくごとに、実感することがあった。


「……敵側の装備が急速に強化されている。軍事的な後ろ盾があるのか……?」


 大規模な戦争が、近づいていた。


だんだんきな臭くなってきました。

いま、大国同士の対立が厳しくなっていますが、せめてこんな事態にはならないでほしい、と思いながら書いています。第三次世界大戦は勘弁して、本当に。

次週はさらに雲行きが怪しくなっていきます。楽しみに……されるのも考え物だなぁ。

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