Section 4-Five
『グレゴリオ貿易』なる会社がある場所は、案外すぐに見つかりました。普通に看板を掲げていますし、地元民にも知られた存在ですから、少し聞き込みをしたら簡単にたどり着けたのです。
そして、その会社がある建物というのが、コンクリート製の殺風景なもので、看板とか窓がなければ、ただの直方体の塊に見えます。窓の配置からして、四階建てのようですが。
「貿易で順調に稼いでいるわりに、小ぢんまりとした建物ですね」
建物を見上げながら、わたしは隣のローゼさんに言いました。
「聞いた話だと、ここはユーロピア系の企業の傘下にあった会社が、戦争の直後に独立したものらしい。元はただの子会社だから、たいした建物を必要としなかったんだろう。今は世界中で物資が不足しているし、どれほど儲けても、建物を拡張する余裕はない、といったところね」
「世知辛いですねぇ……」
「戦前の基準でいうところの大企業が、もうほとんど残っていないからな、どこでもこんな感じさ」
「それで、これからどうします? 内情を探るといっても、どうやって」
「いきなり心臓部に突っ込んでも意味はない。まずはここが見える所に陣取って、社員たちの行動を把握する。そこから少しずつ、グレゴリオ貿易の現状を探っていこう。外堀からじわじわと攻めていくのは、企業調査の基本だからな」
余裕をにじませてローゼさんは笑みを浮かべます。
ローゼさんって、かなり若いように見えますが、探偵の仕事に関しては熟練の玄人みたいな風格さえあります。五年前まで続いていた戦争に途中まで参加していたそうですが、その後の短い期間で、ここまで探偵としての技能を身に付けたようです。元から才能があったのでしょうか、それとも……。
なんて、毎度のごとく油断したらローゼさんのことで頭がいっぱいになってしまうわたしでしたが、肝心の彼女は、どこで建物を見張ろうか思案していて、わたしのことは眼中にないようです。うーん。
そうしていると、ひとりの男性が駆け足で、建物の中に入っていきました。かなり慌てていたようで、まだ建物の前にいたわたし達にも気づきません。……遅刻でしょうか?
「とるものもとりあえず、といった様子だったな」
ローゼさんは冷静にあの男性を観察していました。確かに、お召し物が所々乱れていましたし、カバンのような荷物も持っていませんでした。
「何かトラブルでも起きたのでしょうか……?」
「よし、ちょっと探ってみるか。ついて来て」
飯のタネになりそうだと直感したのか、ローゼさんはすぐに行動を開始しました。内部に潜入するのは難しそうですが、どうやって探るのでしょうか……。
ローゼさんは建物の裏手に回ると、避難用に備え付けられている梯子を見つけました。この国では、それなりに高さのある建物でも、こうした避難設備がないことがほとんどなのですが、ユーロピア系の企業の子会社なら、あるのが当然だと考えたのです。
避難用の梯子は、地面から胸の高さほど離れていましたが、ローゼさんはその場で一度高跳びして、数段上の所に掴まって、あっさりと両足を梯子にかけました。おお、さすがの身体能力です。
……いえ、ちょっと待ってください。
「ローゼさん、まさか屋上から建物の中に侵入するつもりじゃ」
「ほら、シャルロット、お前も乗って」
ローゼさんは片手で梯子を掴みながら、もう片方の手をわたしに向けました。引き上げるから掴まれ、ということでしょう。こっちの話などお構いなしのようです。
ああ、もう。わたしはため息をつきながら、差し伸べられた手をとりました。
そうしてわたし達は、『グレゴリオ貿易』の建物の屋上に到着しました。しかし、建物の中に入ることは幸運にも……もとい残念ながらかないませんでした。建物内に通じるドアが施錠されていて、しかも外からは開けられないのです。(わたし達みたいな)侵入者の対策でしょう。
ですが、ローゼさんは顔色ひとつ変えず、別の手段に打って出ました。懐からフックとワイヤーを取り出して、ワイヤーの端を結んだフックを屋上の柵に引っかけると、ワイヤーを両手で掴みながら、後ろ向きに飛び降りたのです。
「ちょっ、ローゼさん!」
慌ててわたしは柵から身を乗り出し、ワイヤーの先を覗きました。
ローゼさんは窓枠の上部の、ごく狭い出っ張りにつま先を引っかけ、体を支えていました。そればかりか、わたしの目の前でくるっと体をひねると、ワイヤーを滑らせながら膝を曲げ、さかさまの体勢になったのです。支えているのはワイヤーを掴む手と、窓枠に引っかけた足だけという、あまりに不安定な姿勢で、ローゼさんは窓の向こうを覗いています。
もはや探偵でもスパイでもなく、サーカスの演者です。
「ふむ、なるほど……」
四階の窓の様子をうかがいながら、ローゼさんは呟きます。さかさまです。何度でも言いますが、さかさまです。頭が痛くならないのでしょうか。
やがてローゼさんは体を起こし、ワイヤーをたぐって屋上に戻ってきました。色々突っ込みたいことが多すぎますが、それはひとまず横に置いておきましょう。どこから突っ込めばいいのか、整理するのもひと苦労ですし。
「それで、何か分かりましたか」
「窓越しに聞こえた程度だったが、興味深いことが分かった。どうも、グレゴリオ貿易が所有しているコンテナで、小火騒ぎがあったらしい」
「ボヤ騒ぎ……それで、急いで報告しに来たということですか」
「ああ。さっき慌てて入っていった社員が、まさにその話をしていた。被害状況は一部しか聞き取れなかったが、商品がいくつか燃えて、売り物にならなくなったそうだ」
「なんか、大変な所に出くわしてしまいましたね……」
厳密にいえば、出くわす一歩手前なので、関わりを避けようと思えばできるのですが。
「話を聞く限り、どうやらボヤの原因はまだ分かっていないらしい。放火の可能性もあるが、警察が出動している様子はない。原因不明ながら内輪で片づけたい事情がある……探偵がつけ込みやすい状況だと言えるな」
ふっふっふ、と怪しげに笑うローゼさん。悪だくみをしているようにしか見えません。積極的に関わって、旅の費用を稼ぐ腹積もりなのでしょう。
「ボヤの現場には、まだグレゴリオ貿易の関係者がいるはずだ。急ぐぞ、シャルロット」
そう言うが早いか、ローゼさんは避難用の梯子で屋上から降りていきます。四階建ての屋上からなので、結構高さがありますが、ローゼさんの動きには一切のためらいがありません。一度でも足を滑らせたら無事では済まないはずですが、怖くないのでしょうか。
……怖くないのでしょうね。元軍人さんですし。わたしは普通に怖いので、慎重に一段ずつ確かめながら降りました。
ところで、ひとつ気になったことがあったので、現場に行く前に尋ねました。
「ローゼさん、今のところわたし達、グレゴリオ貿易には存在すら知られていませんが、どうやって依頼させるつもりですか?」
「んー、まあどうにかなるでしょ」
普段は抜け目なく立ちまわるのに、たまにこうしていい加減になります。それでも本当にどうにかなるのですから、やっぱりローゼさんは底が知れません。
* * *
「どうかしましたかー?」
ローゼさんは小さな人だかりに向かって尋ねました。タネを知っているわたしが見ると、なんだか、わざとらしいです。
ボヤ騒ぎがあったというコンテナは、すぐに見つかりました。貿易会社が所有するコンテナがあるのは、港だと決まっています。もちろん、積み荷を降ろしたり、逆に積んだりする場所は港とは限りませんが、ボヤで商品が燃えて社員が慌てて報告に来るほどですから、コンテナの中は積み荷でいっぱいだったと推測できます。ならば、降ろす前か積んだ後の状態なので、いずれにしても港にあるはずだと考えられます。
港に到着したら、ボヤの痕跡、つまり煙の匂いを探します。そのうえで、不自然な人だかりがあるところを見つけたら、そこがボヤの現場でほぼ確定です。あとはごく自然なふうを装って、声をかければいい……というのが、ローゼさんの作戦です。
で、この尋ね方です。こう言ったらあれですが、ローゼさん、役者には向いていません。
「ん? 何だ、あんたら」
掛け声に振り向いた社員のひとりが、眉をひそめました。
「ちょっとここを通りかかったら、変な人ごみが見えまして……好奇心に負けて来てしまったんです。わたし、これでも探偵やってるんですよ」
ひとつも嘘はついていません。でも、事情を知らない人が聞いたら、たまたま出くわしただけの野次馬にしか見えません。“偶然”という言葉を使ってないのに、無意識に付け加えて誤解することを、ローゼさんは狙ったのでしょう。嘘をつかずに相手を騙す、ある意味で嘘つきよりたちが悪いです。
「ふうん、探偵ね……こっちは大変だってのに、平然と出しゃばってくるとは」
「知りませんでした? 探偵って、出しゃばるのが好きなんですよ。そして同じくらい、土足で踏み込んで探りを入れるのも好きなんです」
「ろくな奴じゃねぇな」
「なんとでもどうぞ。でも、探偵なので秘密は必ず守ります。探偵の役目は真実を知ることであって、真実を広めることではないので」
ローゼさんはニヤリと笑いながら、口元で人差し指を立てました。
突然現れた、探偵を名乗る素性不明の女性によって、コンテナに集まっている社員たちがどよめいています。信じるべきか追い払うべきか、判断に迷っているようです。まあ、迷っている時点で、すでにローゼさんの思う壺なのですが。
社員たちが何やらこそこそと話し合った後、代表してリーダーらしき男性社員がローゼさんに告げました。しぶしぶといった様子でしたけど。
「実はこのコンテナでボヤ騒ぎがあって、商品がいくつか燃やされちまった。あんたが調べて、誰の仕業か突き止めてくれねぇか」
「ほお、ボヤ騒ぎねぇ……」
あたかも今知ったように振舞うローゼさん。たぶん本人に、演技をしている自覚はなくて、ただ好奇心からそう言っただけだと思いますが。
「誰の仕業、ということはあなた達、これが放火だと思っているんですか?」
「ひと通り調べたが、コンテナの中に火の気はなかったからな」
「コンテナの中……これが本当に放火だとすると、犯人はわざわざコンテナの中に入ってから、火をつけたということになりますね」
先ほどからローゼさんは、リーダーさんの言葉尻を捕らえて情報を集めています。そのことがリーダーにとっては、あまり面白くないようで、顔をしかめてローゼさんを睨んでいます。ローゼさんは無視していますが。
すぐそばのコンテナを見ると、人が通るためのドアが開け放たれ、ドアの枠の周りに黒い焦げ跡がこびりついています。コンテナの外壁には他に焦げ跡はないので、確かに火元はコンテナの内部のようです。しかし……。
「あの、コンテナの出入り口に鍵はかけてなかったのですか?」
気になってわたしはリーダーさんに尋ねました。ローゼさんも同じことが気になっていたようで、わたしの質問にふっと微笑みました。
「まさか。ちゃんと施錠していたよ」
カバンの形の錠前を見せながら、リーダーさんは苛立たし気に答えます。
「ほら、この南京錠をかけていて……」
「犯人はそれを壊して中に入ったってこと? だいぶ骨が折れそうだけど」
「い、いや……普通に外されていた。壊されてもいなければ、こじ開けた跡もない」
「つまり犯人は合い鍵を持っていた……内部の人間の仕業かもしれないな。もしくは合い鍵をどこかで盗まれたか……どっちだろうね?」
「し、知らん! それを調べるようにあんたに頼んだんだろう!」
確かに頼まれはしましたが、引き受けると言った覚えはありませんね……。まあ、ローゼさんの様子からすると、調べる気はあるみたいですが。それと彼女、タガが外れたのか、丁寧な言葉遣いをもうしていません。
内部に犯人がいる。あるいは合い鍵を盗まれた。どちらにしても、『グレゴリオ貿易』にとっては汚点に違いないので、認めたくないのは分かります。ただ、大事な商品が燃やされている以上、体面を気にしている場合ではありません。分かっているのでしょうか?
「まあどちらにしても、犯人はコンテナそのものよりも、中身に注目していたと分かる。最初から燃やすつもりだったのか、あるいは証拠隠滅のために火をつけたのか、そこまではまだ分からないが……ちなみに、出火に気づいたのはいつだ?」
「今朝のことだよ。今日の夕方に船に載せる積み荷が、ちゃんと揃っているか確認している時に、このコンテナのドアから煙が出ているのを見つけたそうだ。もっとも、密閉状態だったからか、見つけた時にはすでに火が消えていたらしいが」
「密閉状態だったということは、発見時にコンテナのドアは閉じていたと?」
「ああ。すぐに気づいて消されないようにするためだろう」
「だったら運がよかったな。完全に火が消える前にドアを開けたら、一気に新鮮な空気が流れ込んで、あなた達も炎に巻かれていたかもしれないし」
逆気流現象というそうです。酸欠状態で、可燃性の一酸化炭素が室内に充満すると、そのままだと火は弱くなりますが、新しい空気が供給されると、一酸化炭素が急激に燃えだして、大きな炎になってしまうのです。
社員たちはこういう現象があることを知らなかったのか、みんな瞠目して驚き、ぞっとしたのか顔が青ざめている人もいます。本当に運がよかったですね……たぶん最初から火の勢いが弱くて、酸欠で消えるまで時間がかからなかったのでしょう。犯人がそこまで想定して、あえてドアを閉めて逃げたのか、そこまでは分かりませんが。
「最初の炎の状態にもよるが、今朝の時点で火がほとんど消えていたとすると、火が放たれたのは深夜ということになるな。最後にここの施錠を確認したのは?」
「たぶん、僕です」作業着姿の社員が手を挙げました。「昨夜、最後の積み荷を運び入れて、鍵をかけました。南京錠なので、錠前を持ってきてドアにはめただけですけど」
「一人で?」
「いえ、ここにはいませんが、他にも二人、一緒に運び込んでいました」
「その時に、不審な人物を目撃したとかは?」
「さあ、それらしい人影もさっぱり……何しろここはコンテナだらけで死角も多いし、その時は真夜中で、周りも暗かったですから」
つまり、最後の運び込みが終わるまでどこかに隠れ、社員が立ち去った所を見計らって、コンテナに入って火をつけたということでしょうか。死角がいくつもあって真っ暗なら、逃走するのも難しくないはずです。
ローゼさんは何やら少し考えてから、再び尋ねました。
「最後にあなたが鍵を閉めたということは、あなたが南京錠を管理しているの?」
「いえ、鍵やコンテナの管理は、現場の責任者に一任されています。一日の最後に運び込む予定の人が、責任者からあらかじめ南京錠を預かっておくんですよ。運び込むたびに鍵を開けるのは手間ですし、合鍵の数も限られていますから」
「じゃあ、昼間だったら南京錠はなくて、コンテナは自由に入れるのですか? 不用心じゃないですか」
わたしが尋ねると、再びリーダーさんが答えます。
「昼間はひっきりなしに人が通るし、第一、どのコンテナにどんな荷物が入っているか、すべてを把握しているのは責任者だけだ。コンテナの壁には数字しか書いていないし、目当ての物がどこにあるか分からない以上、泥棒目的で入る奴はまずいない。それに、ここのコンテナに入れる荷物は、ほとんどが工場や農村で積み込まれるから、港に運ばれて来た時点では、たいていどれも施錠されているんだよ」
「じゃあ、このコンテナは港で運び入れる荷物があったということですか?」
「ま、まあ、そういうことだな」
そう答えるリーダーさんの視線は、ゆらゆらと泳いでいます。
……どうも煮え切りませんね。ここで積まれる荷物については、簡単に口を割れない事情がありそうです。もしかしたらそこに、ドゥアルテさんが言っていた、『グレゴリオ貿易』の隠し玉が絡んでいるのかもしれません。まあ、そんなものが本当にあれば、の話ですが。
ローゼさんが尋ねます。
「ちなみに、南京錠はどこで保管されているの?」
「この港から近いところの宿泊施設の一室を、事務所代わりにして、そこで南京錠とか資料を保管しているよ。うちの会社の本部はちょっと離れているから、現場に関係するものはみんなそこに置いているんだ」
「宿泊施設の部屋を借りているのですか?」と、わたし。
「物資不足の中で、新しく事務所を作る余裕もなくてね……それで、宿泊施設が持て余していた部屋を借りることにしたんだ。でもいずれは、ちゃんとした事務所を作るつもりだって聞いたぞ。よその会社はどこも、独自に事務所を持っているし」
そういえば、維持管理が追いつかないせいで、宿泊施設が部屋のいくつかをお客さんに貸し出さず、物置に使っていると聞いた気がします。
「ふうん……じゃあ、その事務所に案内してくれる?」
ローゼさんが言うと、リーダーさんは眉をひそめました。
「それはいいが……俺たちは、このコンテナに火をつけたやつを突き止めてほしいと頼んだはずだぞ」
「そのつもりだよ。でも、火をつけるだけなら十秒もかからないし、証拠隠滅のための放火なら、今さらこの現場を調べても、手掛かりを見つけられる可能性は低い……ならば、犯人が取ったであろう、昨夜の行動を後追いする方がはるかに効率的だ」
探偵ならではの正論に、社員たちは何も言い返せませんでした。もうすでに状況は、ローゼさんの思うがままとなっています。
ところで、まだ調査に関する契約を交わしていませんが、大丈夫なのでしょうか?
タガの外れたローゼはもう止まりません。真相解明に向けて一直線、他人が横から何を言おうとお構いなしです。この横暴っぷりこそ探偵のあるべき姿。
次週もローゼが思い切り躍動します。お楽しみに。




