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Section 4-Four

前回のあとがきで、謎のアオリ文句が出てきましたが、一体何だったのでしょう?


 港へ続く、くねくねと曲がった道を、スタスタと進んでいくローゼさんの後を、わたしは必死でついて行きます。


「あのっ、ローゼさん、放っておいていいのですか?」


 背中に問いかけると、ローゼさんはようやく立ち止まってくれました。


「何のこと?」

「何のこと、じゃありません! あの女中さんのことです。ドゥアルテさんからの扱いはどう見ても、奴隷そのものじゃないですか」

「シャルロットも気づいたか。あの男の嘘に」


 時間はかかりましたが、わたしにも分かりました。ドゥアルテさんは自室に時計を忘れたのではありません。最初から女中さんだけに時計を持たせていたのです。時計を取り出して時刻を見る、たったそれだけの行為さえ、女中さんに命令してやらせていたのです。

 これはもう、横着どころではありません。ひとりの女性を手足にして酷使する、奴隷に等しい扱いです。


「このままだと、あの女中さんが可哀想です! 助けた方がよろしいのでは?」

「必要ない。本人が救いを求めていないなら、余計な手出しは無用だ」


 ローゼさんは淡々と、そして冷たく言い放ちました。わたしよりも先に、女中さんの置かれている厳しい状況に気づいたはずなのに、まるで見捨てるような言い草です。

 わたしは愕然としました。


「何ですか、それ……本人が何も言わないからって、放っておいていいわけないですよ。わたし達が見たものが、女中さんの受けている仕打ちの全てとは限らないですし」

「そうだな。わたし達の目に映るものは、ほぼ全て氷山の一角だからな。そういう視点を持つようになったとは、シャルロットも探偵助手の自覚が芽生えたな」

「お褒めに(あずか)れるのは光栄ですが、だからこそ、ローゼさんの判断がわたしには理解できません。もし彼女が、ドゥアルテさんからよからぬ命令をされたら? 逆らえない立場をいいことに、どんな仕打ちを受けるか分からないのですよ?」

「それはただの可能性にすぎない。根拠がなければ、ただ偏見でもってあの男を侮辱しているだけだ。感心はできないな」


 ……ぐうの音も出ません。確かにわたしは、奴隷という言葉の印象だけで、女中さんの境遇を想像しているだけです。わたし達が見ているのは氷山の一角……でも、その氷山が悪いものだとも限らないのです。

 でも、それでもやはり、女中さんを助けない理由にはなりません。


「ローゼさんは、あの女中さんが可哀想だとは思わないのですか」

「思わない」

「…………!」


 即答されました。そうであってほしくないと、思っていたのに。


「……なぜですか。奴隷ですよ。お金で買われて使役されているのですよ。初めて会った時、ローゼさんも見ましたよね。リンゴが足りなかったり時間に遅れたりしただけで、あんなに青ざめるほどの仕打ちを受ける、そんなところにいるのですよ。ローゼさんと変わらない年頃の女の人が、いるべき境遇じゃありません」

「もっとひどい境遇にいる、同じ年頃の女性はいくらでもいるが?」

「手の届くところにいる人の話をしているのです! 同じような人が何人もいるからといって、目をそむけていい理由にはなりません!」


 心なしか、自分でもよく分からないうちに、熱くなっている気がします。ローゼさんと意見や考え方が合わないことは、これまでもありました。でも今回は、決定的に意見が衝突していて、妥協点も見出せそうにありません。

 たぶんそれは、ローゼさんが弱者を決して見放さないと、わたしが信じているからなのでしょう。その信用を裏切られた気がしたから、わたしは冷静でいられないのです。勝手だとも承知していますが……。

 ローゼさんは、表情ひとつ変えずに、わたしに向き合っています。


「弱い者を憐れみ、手を差し伸べたいと思う気持ちは尊い。シャルロットが、あの召し使いを気の毒に思うのなら、それを否定する気はない。だけど忘れるな。わたし達は探偵だ。他人の事情に責任を持てる立場の人間じゃない」

「……依頼されない限り、口出しはできないということですか」

「半分はそうだな。探偵は他人の事情に踏み込む仕事だから、相手が望まない限りは手出ししないのが原則だ。それに……彼女を厳しい境遇から救い出す手段を、わたし達は何ひとつ持っていない。あの家から引き離したところで、彼女が路頭に迷うのは目に見えている。そうなれば、また奴隷に逆戻りするのがオチだ。根本的な解決にはならない」

「そんなこと、分からないじゃありませんか! これを機に自立して、ちゃんと生きられるようになるかもしれませんよ」

「希望的観測だな。今の世界は、それが簡単にできるものじゃない。それに、彼女が自発的に奴隷になったとすれば、逆戻りする可能性の方が圧倒的に高い」


 ……この人は、何をおっしゃっているのでしょうか?

 自分の耳を疑いたくなりました。ローゼさんはあの女中さんを、まるで根っからの奴隷だと考えているみたいです。


「ローゼさん、それは暴論です! 自分から奴隷になりたがる女性なんて、いるわけがありません! そうならざるを得ない事情があってなるのが普通じゃないですか!」

「その“普通”に当てはまらない人もいる。それだけのことだ」

「でも……!」

「シャルロット、『そんな人がいるわけない』という考えは、それこそ暴論だ。この世界には五百万の人間が……戦争の前は百億もの人間がいたんだ。自発的に奴隷になる人間が、絶対いないなんて言いきれるか? この世界には白いカラスもいるし、毒をもつ鳥もいる。どちらも実際に見つかるまでは、『そんなものはいない』と思われていたんだぞ」


 ……何も言い返せません。存在しないことを証明するのは、存在することを証明するよりはるかに難しい、ということを知っています。わたしは単に、自ら奴隷になることを選ぶ女性がいると、信じたくなかっただけかもしれません。

 それでも、わたしはゆずれません。


「……あの女中さんがそうだとも、言いきれないじゃないですか」

「…………」

「…………」


 長い沈黙を破ったのは、ローゼさんでした。


「……やめよう、この話は。そもそも押し問答は好きじゃないんだ。とにかくわたしは、よほどのことがない限り、奴隷解放の手助けなんてことはしない。本人の意思を無視して、一時的な感情だけで手を差し伸べるのは、誠実な行動とは言えないからな」


 そう言ってローゼさんは、先を進んでいきます。

 納得はしていません。でも、ローゼさんのお話はどれも的を射ていて、どこまでも理性的かつ慎重に考えていることが分かります。思い返せば、ローゼさんはいつだって、自分の感情を理由に手を差し伸べたことはありませんでした。わたしの時も、わたしの意向をしっかりと聞いたうえで、一番いい落としどころを見つけてくれたのです。

 この世界は決して、すべての人間に優しくありません。そんな中にあって誠実でいるためには、ローゼさんのような考え方が必要なのかもしれません。

 でもそれは、はたから見たら冷たく見捨てているようにも思えます。手を差し伸べるものとそうでないものを、選別しているようにも見えます。愛車を簡単に手放すように、ローゼさんにとっては、周りの人間はその程度の存在なのかもしれません。

 ……正直、聞いていて気分のいい話ではありませんね。


「……冷たいですね、ローゼさんは」


 彼女の後ろにぴったりついて歩きながら、わたしはぼそっと呟きます。もちろん本人にも聞こえています。


「なんとでも言ってくれ。わたしはかつて、何百人もの人間を殺している。今さらあたたかい心を持とうとは思わないし、たぶんその資格もない」

「そんなこと……軍の中にいたら、殺さないと生き残れないのでしょう?」

「嫌な話だよな。人を殺せば非難され、罰せられるのは兵士も一緒なのに、上が決めたやり方に従えば、いくら殺しても咎められず、むしろ多く殺すほど称賛される。要するに、戦争において軍は命の選別をしているわけだ。神様のような気分になって、つけあがるのも当然だよな。そんな連中が国の舵取りに加わったことで、今のような世界になっている」

「後悔はしていないのですか? 大国の軍に入ってしまったことを」

「わたしの場合、選択肢が他になかったんだ。後悔のしようがない。だけど今は、自分のやり方を自分で選んで決められる。後悔することもあるが、あの頃よりはましだ」


 人生は選択の連続だと、誰かが言っていました。どこかで選択を誤ったから、後になってその選択を悔やむことができるのです。選択の余地がない一本道では、どこで悔やむこともできないのでしょう。その道が、深い崖に繋がっていたとしても。

 今のわたし達がいる道は、分岐がいくつもあります。なるべく後悔しないように、進む道を選びたいですね。


「それで、これからどうします? ドゥアルテさんから依頼を受けたわけですけど」

「ああ、その依頼は却下する。いま決めた」

「はい?」


 ローゼさんの唐突なひと言に、わたしは戸惑いました。旅の費用を稼ぐために探偵の依頼を探していて、やっと訪れた好機だったはずですが。


「えっと……ドゥアルテさんの女中さんに対する態度が気に食わないから、ということではありませんよね」

「当たらずとも遠からず。召し使いへの態度はどうでもいい。ドゥアルテが彼女を本気で奴隷扱いしているなら、当然といえば当然だ。だが、あれはかなりの見栄っ張りだな。奴隷扱いすることで心証を損ねたくないんだろうな、このわたしに嘘をついた」


 ああ、そういうことですか……ローゼさんにとって信用に値しないと判断されたから、依頼を却下することにしたわけですね。さすが、嘘つきが嫌いなだけあります。


「でも、一応契約もしたのに、一方的に破棄したら向こうも黙っていないのでは?」

「お金のやり取りはしていないんだから、こっちの都合で調査をやめても、向こうが損をすることはない。元々、リンゴを拾ったお礼という名目だし、それはコーヒーと紅茶一杯で十分に元が取れている。気にすることはないさ」

「そこはかとなく屁理屈っぽいですね……」

「屁理屈だって理屈のうちさ」

「約束は絶対に破らないと決めていたはずですよね」

「わたしはその前に、調査で得た情報を悪用する可能性があったら御免だ、とも言ったはずだ。この可能性が捨てきれないなら、約束そのものが果たせなくなる。わたしが守るのは、絶対に果たせる約束だけだ」


 確かにそんなことも言っていましたけど。


「もっとも、依頼の件とは関係なく、あの男が言っていたグレゴリオ貿易には、これから接触するつもりでいるけど」

「調査はやめるのではなかったのですか?」

「ドゥアルテとグレゴリオ貿易、対立しあっている以上、どちらかは叩けばほこりが出る。ならば、出なかった方から情報の対価として報酬をもらえばいい。探偵としてよからぬ企みに加担するわけにはいかないが、そうでなければどこから金をむしっても構うまい」


 そういうローゼさんの方が、よからぬ企みをしているかのように、口角を上げてニヤリと笑っています。抜け目がないというか、ローゼさんってこういう所がありますよね。やっぱり優しいだけじゃ生きていけないのですかね、この世界は。

 まあ、わたしもついて行きますけど。たまに意見がぶつかっても、わたしは助手なので。


今回は、ミステリらしい展開があまりありませんでしたね……その代わり、妙に説教臭いご高説がバンバン飛び出したように感じます。ここら辺で一度、ローゼとシャルロットが言い争いをする場面を書きたかったのです。

次週より、ミステリが本格的に動き出します。

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