Section 4-Three
あまり気分の良くない展開が待っています……。
というか、章タイトルに“奴隷”とある時点で、どうしたって気分はよくなりませんが。
周りと比べてはるかに大きな、木組みの一軒家でわたし達を出迎えたのは、立派な口ひげをたくわえた恰幅のいい中年の男性でした。
「わざわざご足労頂いてすまないね。うちの者が迷惑をかけたようで」
「いや、迷惑どころか、あれはただの事故じゃ……」
「あの子は聞き分けこそいいが、学がないうえに要領が悪いものだから、幾度となくへまをしでかしてはひと様に迷惑をかける。困ったものだ」
ローゼさんの言葉を遮って、男性はあの女性を貶めるように言っては肩をすくめます。確かに要領を得ないところはありますし、学がないことは本人も認めていますが、そこまで言うこともないのでは……。
あと、いつまでわたし達を部屋の入口のそばで立ちっぱなしにさせるのでしょうか。いい加減にしびれを切らしそうになったところで、男性が言いました。
「まあ、立ち話もあれだし、適当に座っておくれ。今日は他に客も来ないから、しばらくゆっくりするといい」
男性は食事用のテーブル席を勧めました。四人分の椅子しかないうえに、木製で座面にはクッションの類いもないので、座るとお尻が痛くなりそうです。まあ、ローゼさんとの旅ではもっとひどいところで寝ていましたから、今さらこの程度で文句は言いません。
ただ……この男性、貿易商をされているというドゥアルテさんの言動には、少し文句を言いたい気分です。常に紳士的な笑顔を浮かべてはいますが、端々にどこか、相手を下に見ているような態度が見えます。ローゼさんの話もきちんと聞こうとしませんし。見るからにお金持ちのようですが、それがこの態度の要因でしょうか。
まあ、せっかく勧められたので、わたしとローゼさんは隣り合って椅子に腰かけます。その向かい側に、ドゥアルテさんが座りました。こう、どしっと。
「さてと……コーヒーと紅茶、どっちにする?」
「じゃあ、コーヒーで」
ローゼさんは迷わず答えました。この国のコーヒーが好きらしいです。
「わたしは紅茶をお願いします。カフェインは口に合わないもので」
「そういえばシャルロット、前にコーヒーを試しに飲もうとしたら、一口で顔をしかめていたな」
「言わないでくださいよ、ローゼさん……」
記憶喪失のせいで、コーヒーが苦手だと分からずに飲んでしまったものですから、あまりにも苦くて吐き出しそうになるのを必死にこらえたのです。みっともないところを見られて恥ずかしい思いをして、挙句にそれをローゼさんに暴露されて、なんかもう、穴があったら頭から潜りたい気分です。
まあ、紅茶は普通に飲めましたけど。それこそ、何杯でもいけそうなほどには。
「ちなみに、カフェインは紅茶にも含まれているよ」
「え?」
「ではコーヒーと紅茶をひとり分ずつだな。私もコーヒーをいただくとしよう。おい、コーヒーを二つと紅茶をひとつ、持ってきてくれ」
「……かしこまりました」
ドゥアルテさんに命じられて、女性は控えめに頭を下げて、部屋を出て行きました。厨房は隣にあるみたいです。……そういえば。
「あの、さっきの女の人の名前、まだ伺っていませんが」
「名前?」ドゥアルテさんは眉をひそめます。「名前など知らんな。ただの召し使いに、たいそうな名前など必要あるまい」
そうでしょうか……? 名前がないと不便なことって、いくらでもありそうですが。
「だけど、この家に雇い入れたときに、本人が名前を告げなかったのか?」
「雇ったわけじゃない。買ったんだ、五十万ポルドで」
「え?」
ローゼさんの質問に、予想外の答えが返ってきました。雇ったのではなく、買った。物ではなく、人を。それが意味することは、つまり……。
「ああ、奴隷契約か」
ローゼさんはこともなげに呟きます。あの女性は、雇われた召し使いというより、お金で所有物にされた奴隷、ということのようです。
「東ユーロピアから流れて来た子でね、向こうへ買い付けに行った際、仲間や友人を連れて奴隷市に立ち寄って、そこで買ったのだ。なりはいかにも貧しい家の出という様だったが、よくしつけられていたのか、人の言うことをよく聞くいい娘だったので気に入ってね」
「言うことをよく聞く、ねぇ……」
「そうとも、主である私の言うことなら何でも聞いてくれる。要領は悪いが、そこだけは美点だな」
などということを、穏やかな笑顔でドゥアルテさんは話しています。そのセリフと表情の落差に、わたしはうすら寒い感覚がしました。何でも聞いてくれる、それは、主であるドゥアルテさんが劣情をむき出しにしても、何も言わず従うということでしょうか。
……あまり気分のいい話ではありませんね。
「でも、人身売買は犯罪なのでは……」
「確かに犯罪だよ。昔も今も」ローゼさんが答えます。「だけど、取り締まる側が機能していないから、ずっと放置されたままだ。実際、シャルロットが売りに出されそうになった時、首謀者たちを捕らえたのは警察じゃなく自警団だった……もちろん、そんな組織はどこにでもあるものじゃない。倫理や人道から外れた取引も、利害の一致するものが同じ場所にいれば、公然と行なうことに抵抗はない。それが今の世界だ」
「おいおい、私をあしざまに言わないでくれ。妻に先立たれ、二人の息子も戦死して、家事や身の回りのことをしてくれる人が必要だったんだ。奴隷で召し使いではあるが、私も彼女も必要に迫られていたから取引をした、それだけのことだ」
とても得心がいきません……ローゼさんが何度か言っていましたが、どれだけ崇高な目的があっても、手段をきちんと選ばなければ意味がありません。目的が手段を正当化すると考えるような人間が、あの戦争を引き起こしたのですから。
「お待たせいたしました……」
召し使いの女性が、お盆をかかえて戻ってきました。……やっぱり名前がないと不都合があるので、仮に『女中さん』とでも呼んでおきましょう。
女中さんの入れてくれた紅茶を、一口いただきました。
「あっ……おいしいです」
決して薄すぎず、苦すぎず、純粋に紅茶の風味をたしなめる、上品な出来の紅茶です。わたしは紅茶にうるさいわけではありませんが、これは素直に気に入りました。
「いい水を使ってらっしゃるみたいですね」
「アルビタニアから茶葉と一緒に、紅茶に最適な水も購入しているからね。コーヒーも渋味が適度に抑えられるから重宝しているんだ」
「わたしはもう少し苦い方が好みかも」
ドゥアルテさんが自慢げに話していたところに、空気を読まないローゼさんのひと言が加わって、この場がしんと静まりました。流浪の旅人であるローゼさんに、地元民と良好な関係を築くよう努力するという発想はないようです……。
「えっと……淹れ直してほしい、ということでしょうか……」
「個人の嗜好の問題だから、気にしないで」
ドゥアルテさんを見ながら不安そうな表情になる女中さんに、ローゼさんは気を遣うように言いました。それでも口調は相変わらず淡白ですが。
「だ、そうだ。お前は掃除でもしていなさい」
「かしこまりました……」
ドゥアルテさんの指示を受けて、女中さんはテーブルを離れます。
「そうだ、彼女から聞いたが、お礼は調査の依頼に替えてほしいそうだね」
「ああ」ローゼさんはカップを口から離します。「わたしはたいしたことをしていないと思っているから、大層なお礼は必要ない……どうしてもお礼がしたいのなら、等価交換にふさわしい依頼を、そちらにしてもらおうかと」
「なるほど、依頼料とか報酬を、お礼代わりにしたいということか。しかし、今のところ私に、探偵に依頼するほど困った事態というのはないからなぁ」
「だったらそちらからのお礼は、コーヒー一杯で充分。あるいは、知り合いで心当たりのある人がいれば、それを紹介してくれるというのもいい」
「うーん……ああ、そうだ。競合相手の内情を調べるというのも、探偵の仕事じゃないか」
「そうだな」
「では、『グレゴリオ貿易』というところを調べて報告してほしい。何でもいいが、外部に漏らせないような秘匿事項が望ましい」
「…………」
ローゼさんは即答しませんでした。敵対勢力の内情を調べてほしいという依頼は、これまで二度ありました。わたしとローゼさんが出会ったあの事件も、その類いでした。そしていずれも、ローゼさんは決して二つ返事で引き受けたりしませんでした。
今のご時世、かつて犯罪とされた行為が公然とされるようになっても、断じて道を踏み外さない……ローゼさんはそう決めているのです。
「言っておくが、顧客情報を盗んだり、必要以上に不利益を与えたりするのは御免だ。それに、あなたがそうした情報を手に入れて、悪用しないという保証はない」
「疑り深いなぁ。私は競合相手の手の内を知りたいだけだよ。この仕事を始めて二十年近くたつが、ここ数年はグレゴリオ貿易に成績で負けていてね……戦争の影響で貿易産業はどこも低調だというのに、あそこは業績が右肩上がり、何か隠し玉があるに違いない」
「空想するのは勝手だが、どんな製品を取り扱っているかくらい、そのグレゴリオ貿易とやらも公表しているんじゃないのか?」
「確かに、それを調べれば、好調な業績を支えているものも分かりそうですよね」
一見すると探偵に頼むまでもない、簡単な調査に思えます。しかし、ドゥアルテさんは首を振って否定します。
「昨今はどの企業も、内情をほとんど明かしたがらない。特に貿易関係は、その傾向が強いといえる。かつては一国の経済の指標にもなるほど、多大な利益をもたらす業界だったが、戦争で国同士のやり取りが激減したことで、いくつもの企業が倒産に追い込まれた。いま生き残っている企業も、いつ崩れてもおかしくない状況で、もはや同じ製品で競争するだけの余裕がないんだ。だから、よその会社に市場へ介入させないよう、取り扱っている製品をひた隠しにするようになったんだよ」
「ああ、聞いたことはあるな……おかげで今、産業スパイの動きが活発になっているとか」
「つまりローゼさんに、その産業スパイの真似事をしてほしいと?」
語呂がよくないからでしょうか、わたしには産業スパイという仕事が、泥棒めいていて悪い印象を与えるのです。
しかしローゼさんに言わせれば、探偵の仕事は多かれ少なかれ、スパイや泥棒と重なるものがあるそうです。他人の領域に土足で踏み込んで秘密を暴く、という意味では、探偵とスパイは紙一重で、やっていることは突き詰めれば泥棒と変わらない……ローゼさんはそういう理由で、自分が正義の味方だとは思っていないとか。
「まあ、こっちは仕事を選ぶ余裕なんてないし、人倫に恥じない程度に探ってみるよ。とりあえず最低経費で二十万ポルド、入手した情報の価値の分だけそれに上乗せする、ということでどうかな」
「おお、引き受けてくれるか。うむ、二十万ポルドならお安いものだ。期待しておるよ」
ニコニコと笑って答えるドゥアルテさん。二十万ポルドをお安いというくらいですから、二十年間でそれなりに稼いでいるのでしょう。人間をお金で買うのに躊躇しない程度に、金銭感覚が狂っているのかもしれません。
「あんまり期待しないでくれ……」そう言ってローゼさんは肩をすくめます。「何を探せばいいか、具体的にはっきりしていればやりようはあるが、依頼内容がそもそも曖昧では、どこから手をつけたらいいか迷うからな……ねぇ?」
「なんでわたしに同意を求めますかね」
いえ、ローゼさんの言いたいことは分かりますよ。わたしからの依頼も、ずいぶん曖昧なものでしたから。
「いやいや、女の子にできることなど限られているだろうし、大きな成果を要求しているわけではないよ。君たちの探偵としての能力がどれほどか分からないし、こっちの予想以上の結果が出れば本望というだけだ」
むぅ……ドゥアルテさんの言葉に、どうも釈然としないものを感じます。わたし達が女だからって、少々見くびっていませんかね。
それでもローゼさんは特に気に留めず、いつものように簡単な契約書を書いて、ドゥアルテさんの署名をもらいました。性別を理由に侮られても、仕事で取り返せばいいと、割り切っているのかもしれません。
「さて、申し訳ないが、そろそろ部屋に戻るよ。地元の仕入れ先と話しておきたいことがあるのでね。あまりおもてなしができなくてすまないが」
「いえ……」
「おい、いま何時だ?」
ドゥアルテさんは、女中さんに尋ねました。ところが女中さんはオドオドするばかりで、答えようとしません。そういえば、彼女の持っていた時計は……。
「も、申し訳ありません、旦那さま……只今、私の時計が壊れておりまして……」
「なんだと?」ドゥアルテさんが顔をしかめて立ち上がります。「まったくお前という奴は、主人の与えた時計も大事に扱えないのか。貸してみろ!」
憤慨しながら大股で近づいてきたドゥアルテさんに、女中さんは怯えながらも、例の懐中時計をそっと差し出しました。ドゥアルテさんは、ひったくるように時計を取りました。
「変な時刻で止まっているな……ああ、塗装も剥げているじゃないか。粗雑に扱っていいと言った覚えはないぞ」
「も、申し訳ありません……本当に……」
「もういい、この役立たずが! さっさとこの時計、街の修理屋に持っていって直してこい!」
ドゥアルテさんは懐中時計を、押しつけるように女中さんに渡しました。その勢いで女中さんは一瞬よろけましたが、倒れはしませんでした。しかしその様子は、暴力に近いものに見えます。
思わずわたしは、ドゥアルテさんを止めようと立ち上がりました。でもその前に、ローゼさんが口を挟みました。
「あんた、自分の時計は持ってないわけ?」
「……なに?」
「見た限り、この部屋に時計は置かれていない。あんたは自分の手元にも時計を置かず、召し使いに時計を持たせて時刻を確認しようとしている。いくら何でも横着が過ぎるんじゃないか。粗雑に扱われるのが嫌なら、自分の手に持って自分で見ればいいじゃない」
確かにそうです。ローゼさんに言われるまで気づきませんでしたが、ドゥアルテさんの行動は妙です。
ドゥアルテさんは鼻で笑いました。
「フン、あいにく、私の時計は自室に置きっぱなしでね。取りに行くより、彼女に尋ねた方が早いと思ったまでだ。横着じゃなく、やむを得なかっただけだよ」
「ああ、そう……」
ローゼさんは淡々と返事をして、再びコーヒーを口に含みます。
「忙しい仕事の合間を縫って、わたし達にお礼をしようと思い立ったおかげで、自室に時計を忘れてしまったわけだ」
「まあ、そんなところだ」
「ちなみに、時計を忘れたことにいつ気づいたの? 時刻が気になって自分の服を探ろうとしなければ、とても気づけないはずなのに、そんな素振りは一度もなかった。わたし達が来る前に気づいていたら、その時に部屋へ取りに行けるはず。それすらやらなかったとしたら、やっぱりよほど面倒くさがりだと思うけど」
ローゼさんの指摘に、今度はドゥアルテさんも言い返しません。嫌な所を突かれたと言わんばかりに、苦い表情をしています。やっぱりドゥアルテさんの行動が不自然であることに変わりはありませんでした。
ですが、この不自然さが何を意味しているのか、わたしには分かりません。ローゼさんが何を思って、このようにチクチクと違和感を突いているのか、ということも。
「まあ、召し使いさんがそれでいいっていうなら、どうでもいいことだけど」
そう言ってローゼさんは、椅子から立ち上がりました。テーブルの上のカップを見ると、すでにコーヒーはなくなっていました。
「お礼はこれで済んだな。じゃあわたし達は、これで失礼するよ」
ここでのちょっとした騒ぎには一切関心なさそうに、ローゼさんは隙のない足取りで部屋を出ようとします。またしても、わたしを放置して。
「ちょっ、置いていかないでくださいよ、ローゼさぁん」
そんな彼女を慌てて追いかけるわたしでした。
部屋を出る寸前、ふと振り向くと、女中さんと目が合いました。輝きの薄れた藍色の瞳が、一瞬わたしを捉えたかと思うと、すぐに逸らされてしまいました……何か、わたしに伝えたかったのでしょうか?
どうもわたしは、あの女中さんのことが気がかりで仕方ありません。主人であるドゥアルテさんと、これ以上ひとつ屋根の下で暮らしていて、大丈夫なのでしょうか。あの恫喝にも似たふるまいを見た後では、わたし達が去ってから同じようなことが起こるのでは、と思いたくもなります。
後ろ髪を引かれてしまいますが、ここにひとりで残っても、できることはありません。わたしはローゼさんを追って、その場を離れました。せめて、この判断を後悔しないで済むようにと、祈りながら。
この世界で探偵といえば、スパイや泥棒と変わらない仕事らしいです。やっていることを冷静に見ればそうなりますが、現代日本におけるフィクションの探偵の姿に慣れすぎると、違和感があるかもしれません。某ミステリ漫画では、探偵がスパイや泥棒と敵対するのが当たり前のように書かれていますしね……まあ、この作品独特の考え方だと思ってください。
次週、ローゼとシャルロットがまさかの対立!? お楽しみに。




