Section 4-One
準備不足は否めませんが、なんとか予定通りに新章開幕です。
相変わらず目新しいトリックはないですが、あちこちに散りばめられた伏線を見逃さず、最後の答えに辿り着けるでしょうか?
世界戦争の影響で、各国の経済が激しく落ち込んだことで、貿易産業にも暗い影を落としている。政府機関がろくに機能していない以上、国単位の取引を正常に行なうこともできない。というか、今は貿易が統制されないことが正常といってもいい。農産物だろうが、粗悪な工業製品だろうが、あるいは人体に害のある薬物だろうが、どんな取引でも監視されずにやりたい放題、それが今の世界の標準となっている。もっとも、ここ数日のアルビタニアのような例外もあるが。
そういうご時世にあって、首の皮一枚つながった状態で国を維持しているのは、それなりに物を作れるところに限られる。戦場にならなかった、あるいは核兵器や生物兵器の影響が飛び火しなかった、ごく少数の国がそれに当てはまる。
わたし達が今いるこの国は、戦争の影響が及ばなかったわけではない。石油産業に頼る面が大きかったため、様々な大国と貿易をすることで稼いでいたが、それが全て吹っ飛んでしまったのだ。それでも、自国の市場規模が縮小したために、農産物の取引でどうにか賄えるようになっている。
さて、貿易の主な舞台といえば、もちろん港だ。かつては空路も頻繁に使われていたが、貿易の相手国で空路は戦闘機の拠点に配置換えされたため、当然のように戦争で攻撃を仕掛けられ、ほとんどが使い物にならなくなったのだ。港も事情はほぼ同じだが、空路に比べて修復の手間が軽いということもあって、船が寄港できる程度には回復している。
現在、海峡を隔てた他国に移る手段は、船だけとなっている。もちろん船の数も限られているから、乗れるかどうかは運と金次第だ。まあ、お金は交渉でどうにかなるかもしれないが、そもそも乗れる機会があるかどうか……。
「それにしてもローゼさん、大きな船ですね!」
ちょうどここの港に来ている大型の貨物船を目の当たりにして、シャルロットは目を輝かせてはしゃいでいる。……大きな子どもだ。
わたし達は長旅の果てに、この国の玄関口といえる港に辿り着いた。この国の貿易の拠点というだけあって、様々な大きさの船が立ち寄って、大量の木箱あるいはコンテナを積んだり降ろしたりしている。人の行き来も盛んだし、この国で立ち寄ったどの街よりもにぎわっている。まあ、建物の密集度や数は、よそとあまり変わらないが。
「ここの船を使って、他の国にも行くのですか?」
「まあ、わたしは地元の漁師の船に乗せてもらって、この大陸に来たんだけど。隣国に渡るだけなら、こんなでかい船に頼る必要はないんだよな」
「でもこの辺り、漁師さんの船は見当たりませんよ。なんでわざわざこの港に?」
「情報収集も兼ねているからだ。ここなら、貿易相手のあらゆる国の情報が入ってくる。シャルロットが目指している場所の手掛かりが、拾えるかもしれない」
シャルロットと出会っておよそ一か月、その間に彼女の言動を観察した限り、彼女は別の国から、恐らくユーロピア系のどこかからやって来たと推察できる。彼女の言う「死ぬのにふさわしい場所」がどこを指すのか分からないが、彼女が記憶を失った経緯を探れば、何か見えてくるかもしれない。そのために、彼女が元いた場所を探しているのだ。
「で、運よく拾えたら、その場所に船で連れて行ってもらう……遠方だったら、ここの船を使わないと厳しいからな」
「そこまで考えていたのですか……確かに、これだけ大きな船でしたら、車も余裕で積めそうですね」
「許可が下りれば、の話だけどな。でも車は持っていかないぞ」
「え?」
シャルロットは首をかしげた。元々、この大陸での移動用に、こっちに来てから入手したものだし、海を渡るときにはむしろ邪魔になる。渡航してから必要になったら、また現地で手に入れればいい。
「じゃあ、この車はどうされるのですか?」
シャルロットが一台の車を指差して尋ねた。わたし達がここまでの旅で使ってきた車だが、今はエンジンが壊れて動かなくなっている。この港に到着した途端に寿命を迎えたのだから、まあ仕事は果たしたと言っていいだろう。わたしは車体を撫でながら答える。
「もちろんここに置いてくよ。愛車として役目は果たしてくれたし、この港町にいる間は、たぶん必要ないだろうし」
「愛車とかいう割に、簡単に手放しますね……」
「墓場まで持っていくには少々でかいからな。いいところで関係を絶つのも重要だ」
「……ローゼさんって本当に、人に対しても物に対しても淡白ですね。見捨てることにも躊躇がないというか」
そんなため息をつかれるほど、わたしは冷淡だろうか。まあ、昔から薄情な奴だとはよく言われていたが。それともシャルロットは、自分もいずれこの車のように扱われると思っているのだろうか。それはそれで心外だが。
「安心しな。シャルロットからの依頼を果たすまで、お前のことは絶対に見捨てない」
「…………」
後ろにいるシャルロットはしばらく無言だった。だが突然、わたしの背中をポカポカと、軽く叩くように殴ってきた。
「ちょっ、何だ、なんで叩く」
「もー、ローゼさんってそういう所が」
「いやなんなんだ、一体……」
「どうもどうも、しばらくぶりですな」
ずいぶんとなれなれしい口調で、わたし達に話しかけてくる声がした。振り向くと、帽子をかぶった真っ黒な肌の初老の男性が、駆け寄ってくるところだった。
「ああ、その車ですか、売ってほしいというのは」
「ええ。エンジン壊れていますけど」
「古い型ですからねぇ、これに合うエンジンはもう手に入らないでしょう。解体して鉄くず業者に持っていかないと、こっちの採算が取れませんな」
「まあ元からタダ同然で手に入れたものですから、そっちの言い値で引き取って構いませんよ。これで稼げる資金なんて高が知れていますし」
「あのー……」
男性と話を始めたわたしに、シャルロットが困り顔で声をかけてきた。
「ああ、すまない。この人は、わたしにこの車を譲ってくれた業者だよ。どうせ手放すなら、それなりに信用できる業者に頼んだ方がいいと思ってね」
「中古車を扱う業者さんでしたか。初めまして、シャルロットと申します」
片足を引いて両手でスカートの裾をつまんで、恭しく頭を下げるシャルロット。相変わらず挨拶の仕草に庶民らしさが感じられない。
「ああ、これはご丁寧に」業者の男性は特に気にしなかった。「いつの間に旅のお供を拾ったんですかい」
「まあ、仕事の成り行きで……」
「そうですかい。俺も探偵の依頼の報酬で車をあげたから、似たようなものだ」
「へえ、これって仕事の報酬でもらったものだったんですね。だからタダ同然だったのか……って、そんな車を元の持ち主に引き渡すのですか? しかも壊れた状態で」
「いいじゃないか。もらった以上はわたしの所有物だし、エンジンが使い物にならないなら解体するしかない。それは業者に任せた方が確実だよ」
「自動車なんて個人で修理や解体をするものじゃないからねぇ……しかしエンジンが壊れていたとは。牽引装置を持ってきておいて正解だったな。じゃあ、もらっていくよ」
業者の男性は車の後ろ側をジャッキで持ち上げ、その下に台車をかませて固定した。そして、台車に固い縄を結びつけると、自分の乗ってきた車にも縄のもう一端を結んで、車を引っ張りながら去っていった。後輪駆動で前輪は自由に動くから、こういう形にしたのだろう。よくよく思い返せば、四輪駆動でもない車が通るには厳しい悪路ばかりだった気がする。エンジンにも相当負担がかかっていたに違いない。
「……というかローゼさん、いつの間に業者に連絡していたのですか」
「ん? シャルロットが車で寝ている間に。どうせ港に着いたら手放すつもりだったから、途中で電話を借りて連絡しておいた」
「本当に用意がいいですね……あれっ?」シャルロットは驚いたように両目を剥く。「ここって、電話が使えるのですか?」
「旧式の電話線が生きている、この街の中だけだけどね。外との通話はできないよ」
百年以上前に、移住したジパニカの人たちが設置したものの名残らしい。携帯電話が普及してから長らく放置されていたが、戦争で無線通信の基地局が使い物にならなくなり、旧式の電話線を使ったものに急遽置き換えられたという。この街で貿易が盛んに行なわれているのは、電話が使えるという理由もあったのだろう。
「へえ……電話のことは知識として知っていましたが、もう使える所はないと思っていましたよ」
「ちなみに、出力の弱い一部の携帯電話を、子機代わりに使っている所もある。昔は法律で制限されていたが、今はどうにでもなれという状況だ」
「凄まじく自由……というかやりたい放題ですね」
「わたしだって、戦前なら法律に引っかかりそうな無線機を平気で使っているからな、人のことは言えないさ。さて、まずは今夜の宿を探すとしますか」
わたしは港から離れて、街に向かい歩を進める。シャルロットは相変わらず、わたしの後をトコトコとついて来るだけだ。犬を連れている気分になる。
「まだ昼間ですよ。早くないですか?」
「情報収集のついでに、資金稼ぎのために探偵の仕事をする……とても一日で終わるとは思えない。どうせ泊まることになるなら、宿をとって荷物を置いた方が身軽になる」
「確かに、車に積んでいた荷物、全部抱えることになりますからね……」
シャルロットはともかく、わたしはそのくらいの荷物なら何とか運べる。しかしどうしても両手が塞がるから、仕事に支障が出るのは避けられない。もっともこのご時世、車に置いた荷物を盗んでいく奴はどこにでもいるから、毛布や寝袋などの大きなものは施錠できるトランクに入れて、それ以外は持ち歩くようにしていたが。
今回はそうした大物まで担いでいくから、はっきりいって邪魔で仕方ない。さっさと宿を探して置いていくに限る。
幸い、この辺りは以前に来たことがあって、地図も頭に入っていた。泊まれそうな宿にも数か所、心当たりがある。そのひとつを目指して、わたしとシャルロットはゆるい上り坂を歩いていた。
「この辺りって、結構にぎやかですね」
シャルロットが言うように、この坂道沿いに、いくつもの小さな店が立ち並んでいる。他国から入ってきた物を売る店や、他国から訪れた人向けに土産を売る店など、その種類も様々だ。もちろん、この街に住む人たちも、この辺りの店を頻繁に使っている。
「街の人間と、外から来た人間……その両方が気軽に立ち寄れる場所だから、どの業者もこの辺りを狙って出店するのさ」
「なるほど、商売の一等地ですね。でも、やっぱりほとんどが物々交換ですね」
「港があって、外貨が入りやすい場所でもあるけど、この国では、使い物になる貨幣を元から持っていない人がまだ多いんだ。だから外から来た人はお金で、そうでない人は物々交換で買い物をするしかないんだよ」
「あの戦争で、世界の通貨の八割が紙くずになったらしいですからね……」
「まあ、それ以前からポルドやエウロなどの、ユーロピア系の通貨が世界中で使われていたから、それ以外の通貨は淘汰されつつあったんだが」
なんて話をしながら歩いていると、坂道の向こうで女の声が聞こえた。
「ひゃあっ!」
買い物袋を抱えていた女性がひとり、坂を下る方向へ前のめりに倒れたのだ。どうやらつまずいて転んだらしい。そしてそのはずみで、買い物袋に入っていた大量のリンゴが、袋からこぼれて坂道を転がり始めた。
「わっ、大変です!」
シャルロットが真っ先に駆け出した。こぼれたリンゴは一個、女性の近くにいた通行人が拾えたようだが、他のリンゴはそのまま、わたし達の目の前に迫ってきている。その数は優に十個を超えていそうだ。
ひとりで全部拾うのは無理だ。仕方ない、加勢するか。
わたしは抱えていた荷物を空中に放り上げると、這い回るように地面を素早く動き、転がり迫ってくるリンゴをかすめるように拾ってゆく。とりあえず視界に見えたらすぐさま手を伸ばし、掴む。手が届かないときは足を向けて、転がるリンゴを靴で軽く跳ね上げ、飛んできたところを掴み取った。
拾えるものをすべて拾うのに、五秒もかからなかった。そして、一仕事終えて立ち上がったところで、落ちてきた荷物を片手で受け止めた。
シャルロットをはじめ、周りはみな唖然としている。ちなみにわたしが拾えなかったリンゴは、全部シャルロットが拾ってくれたようだ。
しばしの静寂ののち、おおーっ、という歓声が轟いた。拍手の音まで聞こえる。わたしの素早い動きに対する称賛なのだろうが、軍にいた頃でさえこんな扱いはなかったから、どうもこそばゆい。わたしは周りを一瞥することなく、転んだ女性のもとへ歩いていく。
女性はすでに起き上がっていた。この国では珍しい、色白の肌に長い黒髪、背はやや低めの、大人しめな印象を与える女性だ。
「大丈夫ですか?」
先に駆け寄ったシャルロットが彼女に話しかけた。
「はい、平気です……リンゴ、ありがとうございます……」
「どういたしまして」
か細い声で感謝しながら、彼女は袋の口を広げた。シャルロットはそれを見て、手元にあった三個のリンゴを袋に入れた。
遅れて来たわたしは、両手に抱えたリンゴを続けて袋に入れた。一瞬覗き込んだところ、確かに袋の中には三個のリンゴが入っている。…………ん?
「そちらの方も、ありがとうございます……助かりました……」
「まあ、それほど礼には及ばないさ。それより、これで全部拾えたか?」
「ええと……確認しろ、ということでしょうか?」
オドオドとした様子で女性は聞き返してきた。わたしの物言いはそんな高圧的に聞こえただろうか?
「いや、念のために確認した方がいいんじゃないかと思っただけだが……」
「わ、分かりました。そうします……」
そう言って袋の中のリンゴをゆっくり数え始める。
わたしとシャルロットは思わず目を合わせた。どうもちぐはぐな印象を受ける女性だ。言葉が通じていないわけではなさそうだが……。
やがて女性の表情が、険しいものに変わった。
「……一個、足りません」
「えっ」瞠目するシャルロット。
「十二個買うよう頼まれたのですが、十一個しかありません……」
「そんな! 拾い損ねたものがあったのでしょうか」
「どうしましょう……このままじゃ、旦那さまにまた……」
その先を言うことはなかった。口ぶりからすると誰かに雇われている身分らしいが、その雇い主がなかなか厳しいらしい。この後のことを想像して、女性が顔面蒼白になるほどに。
まあ、乗りかかった船だし、放っておくわけにもいくまい。
わたしは目星をつけていた人物に、駆け足で近づいていく。服装も背格好も覚えていた、あの通行人の男性だ。そいつの肩に手をかける。
「!」
男性は驚いたような表情で振り向いた。向こうの騒ぎは聞こえていただろうが、こんなに早く目をつけられるとは思わなかったのだろう。無言で近づいてきたわたしにも気づかなかったようだ。
「悪いが、見逃すわけにはいかない。リンゴ一個でも泣くやつがいるんだ」
「な、何のことやら……」
頬を引きつらせて目を逸らす男。図星だと思っていいだろう。
明日食べるものに困っているのかもしれないが、そんなの知ったことじゃない。食べ物がほしければ山や川に行けばいいのだ。でもそんな理屈が通用するとは思えないし、ここで論破に時間をかけるのも面倒だ。
というわけで、手っ取り早く解決するために、男をすっころばせた。男は仰向けで宙に浮いて、そのまま背中を地面に叩きつけられた。そしてそのはずみで、服の中に忍ばせていたリンゴがこぼれ落ちた。これが証拠だ。
わたしはそのリンゴを拾い上げて、苦悶の表情で倒れている男に告げる。
「リンゴ一個で痛い目に遭ったんだ。割に合わないことはやめときな」
男の反応を見ることなく、わたしは女性のもとへ戻っていく。その最中も周囲からの視線にさらされていて、どうにも居心地が悪い。……もう目立つ行動はやめるか。
「ほら、最後の一個だ」
「あ、ありがとうございます……」
恐縮する素振りを見せながら、女性はわたしからリンゴを受け取った。
「お使いに出ていたようだけど、時間は大丈夫なの?」
「時間……あっ、そうです。確認しなければ……」
女性は慌てながら自分のスカートのポケットをまさぐった。すぐに金色の懐中時計を取り出して文字盤を見たが、女性は表情を曇らせる。
「時計……止まっています……」
次から次へと厄介な事態が起きているな……幸薄い体質なのだろうか、この女性。
旦那さまという人が、いつまでに戻るよう命じたのか分からないが、今からこの時計を修理するのは現実的じゃないだろう。仕方なくわたしが自分の時計を見て、今の時刻を教えてあげた。
「あまり時間がありません……私、これで失礼します。リンゴ、拾ってくださって、ありがとうございます……」
弱々しい声で何度も頭をペコペコと下げながら、女性はその場から立ち去っていく。とりあえず、旦那さまとやらに厳しい仕置きをされないよう、願うばかりだ。
その場に取り残される、わたしとシャルロット。
「……慌ただしい方ですね」
「どこかの金持ちの家の、召し使いってところだろう。服も靴も少し傷んでいたが、どちらも生地は立派だったからな」
「それより、よくあの男の人が、残りのリンゴを持っていると分かりましたね」
「見たんだよ……彼女が転んですぐ、あの男がリンゴを一個拾ったところを。でもシャルロットが先にリンゴを入れる直前、袋の中は空っぽだった……つまりあの男は、拾ったリンゴを彼女に渡さなかったってことだ」
シャルロットが三個のリンゴを入れて、その後にわたしが袋の中を見たら三個あった。つまりシャルロットが入れる前の袋は空っぽだったのだ。
「それであの人が、どさくさに紛れてリンゴを盗んだと考えたのですね。さすがです」
「たいした推理じゃないよ。それよりわたし達も、早くやることを済ませよう」
「ですね……まずは宿を探して、荷物を置きますか」
わたし達は宿を求めて再び歩き出す。わたしが目星をつけている宿のひとつには、間もなく到着するはずだ。そしてその後は情報収集をしつつ、探偵の依頼を募集する……今ひとつ計画性に欠けるが、まあ、これが旅の醍醐味だと思うことにしよう。
初回からいきなり本領発揮(推理、身体能力、スケコマシ)のローゼでした。
次回からはシャルロットの視点に変わります。お楽しみに。




