Section 3-Six
あの子に何があったのか、そして今、何が起きるのか。
短い間に散りばめられた伏線を、どんどん回収していきます。
いつから気づいていたのか。その問いかけに、わたしは肩をすくめながら答えた。
「情けないことに、ついさっきなんだよ。あなたの話を聞いたときから、何か違和感があったけれど、その意味に気づくのが遅かった」
「違和感、ですか?」
「些細なひと言だったから、たぶんあなたも気づいてないわね……あなた、こんなことを言っていたのよ」
―――それにしても、四年か……お父さんも心配しているだろうね。
このひと言が、ずっと引っかかっていた。
「どうして、エミリアを心配しているのが、お父さんだけだと思ったの? あのとき、わたしはエミリアに母親がいないなんて、ひと言も話してなかったのに」
「あっ、そうか……心配して、探偵に依頼するとしたら、お父さん以外にいないって分かっていたから、思わずそう言っちゃいました」
「うん、あのときにわたしは、あなたがエミリアの素性を知っていると予想したの。でもそれ以上は分からなかった……最後に、あなたが店に戻っていって、わたしに後ろ姿を見せたときまではね」
「後ろ姿?」
そう言って青年……いや、エミリアは、身をよじって自分の背中を見ようとするが、当然ながらうまくいかない。その場所は、鏡でもないと自分で見るのは無理だからだ。
「うなじの所、化粧で肌を白くしているけれど、かすかにホクロがあったのよ。あなたに見せたものとは別の写真でも、エミリアのうなじの、全く同じところにホクロがあった。普段見えない所だから、ちゃんと隠せてなかったのね」
「そっか……うまくごまかせたと思ったんだけど、まさかこんな所にホクロがあったなんて……もっとちゃんと、自分の体の特徴を把握しておくべきでした」
まあ、化粧で薄くなった首筋のホクロなんて、よほど意識しなければ気づかないし、わたしの場合はエミリアの発言に違和感を覚えていたから、ほとんど無意識に、彼女を観察していたから気づけたのだ。実際、この街の人のほとんどが、コルドバの見せた写真の人物と、ここにいる彼女が同じ人だと分からなかった。
「それにしてもまさか、男性になって堂々と、この店で働いていたとはね……ユーロピア出身というのも出まかせだったか」
「ええ、実際には性転換のために、一か月だけフランクス共和国に行っていただけです。探偵という仕事があることは、そこで初めて知りました」
「性転換か……よくそれだけのお金があったわね」
恐らく彼女がやったのは、男性ホルモンの注入と、乳房の切除くらいのものだろう。写真を見る限り、エミリアは決して胸が大きい方ではなさそうだし、切除はもしかしたら不要だったかもしれないが……それでもあらゆる物価が高いこのご時世だ、ユーロピアのまともな病院でも、性転換の費用は馬鹿にならないだろう。
するとエミリアは、弱々しく微笑みながらも、表情を暗くした。
「……わたしが昔雇われていた店から、逃げる時に持ち出したお金があったので」
「……持ち逃げ?」
「ひどいところに買われてしまって……街の中に限らず、あちこちに遣わされては何人もの男たちの相手をさせられて、ボロボロになって店に戻っても、稼ぎのほとんどは店に取られる。そんな奴隷みたいな暮らしが嫌になって、逃げだしたんです」
ああ、そうなのか……わたしは呆然とするしかなかった。エミリアは売春婦として売られていたのだ。それも、女の子を使いまわして私腹を肥やす、たちの悪い店に。
だが、そんな店から金を持ち出して逃げたら、店は黙っていないだろう。そもそも、辞めたいという意思を少しでも見せるだけで、ただでは済まないはず。無傷で逃げおおせることができたかどうか……。
「あなたもしかして、売春通りの端っこで行き倒れになってた? あなたに似た人が倒れている所を見たという証言がいくつかあったけど」
「はい……実は一度、店側に辞めたいと漏らしたことがあって、でも店の人は稼ぎが減るのを嫌って、怒りにまかせてわたしに……」
そこから先は言わなかった。わたしも、言わせる気はなかった。
「……それで、逃げ出したんだね?」
「はい……逃げても普通に暮らしていける自信はなかったから、店の隠し金庫にあった札束を掴んで、朝には脱走していました。でも、途中で体に力が入らなくなって、そのまま倒れてしまったんです。彼らに見つかることも覚悟しましたけど、幸い、あの肉屋のおばさんが助けてくれて、事なきを得たんです」
そういうことだったか。あの紹介屋の男が言っていたとおり、エミリアはボロボロの状態で倒れていた。だが、そのまま犬死にすることなく、親切な人に助けられて、なんとか生き延びていた。やはり断片的な情報だけでは、真実にたどり着けない。
「それでその後は、持ち逃げしたお金を使って、性別を男に変えたわけか。性別を変えるというのは、あなたの案なの?」
「そうですね……最初はただ隠れて暮らすつもりでしたけど。性別を変えれば隠れる必要もなくなると考えはしましたが、決め手は、わたしの体がもう、ダメになっていた事でした」
エミリアは下腹部に手を添えて言った。それで察することができた。彼女は、女性としての生殖機能を失っていたのだ。
「後で分かったことですが、子宮と卵管がほとんど壊死していて、切り出さなければ命にかかわる状態だったそうです。だったらいっそ、女であることをやめようと思いました」
「それで性転換か……国外に出るのも簡単ではないよな?」
「ええ、持ち出したお金だけでは、渡航費を賄えなくて……だからしばらく、肉屋の仕事を手伝いながら、三年かけてお金を貯めたんです。もちろん、外には姿を見せないように、解体の仕事とかをしていました」
家畜の解体はかなりの重労働だが……まあ、度重なる性行為で体を痛めることと比べたら、よほどましだと言えるだろう。とはいえ、感染症で体力を奪われていた可能性もあるし、逃げる前にもひどい暴行を受けている。そこから完全に回復しないうちに仕事をするのは、想像を絶する過酷さがあっただろう。
「そして半年前、渡航費と手術費を賄うのに十分なお金が貯まって、ようやくフランクス共和国に行くことができたんです。まあ手術といっても、生殖器を切除して、男性ホルモンを注入するだけで終わりましたけど」
「体質だけ男性にすれば、後は少し見た目を変えるだけだからな。褐色の肌は化粧で白くして、髪を短く切って、男性っぽい服装をすれば、まず女性だとは思われない。問題となるのは声と体格だけで、それさえ手術で変えればどうにでもなる」
「ええ。そうやって男になって戻って来ても、誰もわたしがエミリアだとは気づきませんでした。事情を知っている、肉屋のおばさんを除いては……」
「本当にそのおばさん、あなたのことを親身になってお世話したのね」
「店によく来ていたお母さんの娘だから、大事にしたいと言ってました。お母さん、優しい人で、街の人たちに慕われていましたから……」
亡くなった母親の存在が、彼女を今まで生き永らえさせていたのか。まったく、親を知らないわたしからすれば、十分に恵まれているよ、彼女は。
そうだ、親といえば。
「エミリア、お父さんに会う気はないの?」
わたしがそう尋ねると、エミリアはうつむいていた顔を上げた。
「肉屋のおばさんに助けられた後、お父さんに助けを請うこともできた。そうしなかったのは、お父さんをこの件に巻き込みたくなかったからなの?」
「それもありますが……何よりわたしが、お父さんに会うのが怖いんです」
すぐに分かった。先の戦争に関わって以来、世界のあちこちで見たことがある。屈強な男に弄ばれて、心に深い傷を負った女が、男そのものに恐怖、あるいは拒否反応を示すという事例を、何度も。
「お父さんがそんな人じゃないってことは、わたしもよく分かってるんです。でも、会ったときにもしも、お父さんのことを拒絶してしまったらって思うと……」
「…………」
「家を出るとき、お父さんに言われたんです。街でわたし一人で生きていくなんて無茶だ、仕事が落ち着いてから一緒に戻ればいいって……わたしはそれが嫌で、一人でこの街に出てきたけど、なかなか上手くいかなくて、結局売春するはめになって、身も心もボロボロにされて……わたし、間違ってた。お父さんが正しかった。でも今さら、どんな顔して会えばいいのか分からない。こんなになってしまったわたしが会って、もっとひどいことになるんじゃないかって思うと、怖くて、怖くて……」
エミリアの目が、じわじわと潤みだす。わたしは何も言葉をかけてやれない。
後悔と不安に押し潰されそうになる日々の中で、父親がたびたびこの街に来ては、エミリアを探していると知ったとき、彼女は何を思っていただろう。もはやわたしの想像も及びそうにない。ならば、かけるべき言葉など、持ち合わせている道理もない。
今になって、肉屋のおばさんの真意を理解した気がする。おばさんはわたしのことを、最初は売春の店の手先かもしれないと疑って、何も知らないと嘘をついた。しかしわたしの話を聞いて、父親であるコルドバに頼まれたのだと確信し、エミリアに関する決定的な手掛かりを与えることにしたのだ。おばさんはきっと、エミリアを父親に会わせたかった……そうでなくても、エミリアの無事を父親に知ってほしかったのだろう。
泣きじゃくるエミリアを前にしても、ひどく冷静でいる自分がいる。そのことが憎らしくも、これでよかったとも思えてくる。わたしはエミリアのそばに歩み寄り、その華奢な肩を引き寄せる。
「……エミリア、わたしは」
頭に浮かんだ考えを、エミリアに伝えようとした、そのときだった。
「ご苦労だったな」
背後から男の声が聞こえてきた。ハッとして振り向くと、あからさまにガラの悪い黒ずくめの二人組の男が、ニタニタと笑って立っていた。
「あんたのおかげでやっと見つけられたよ。まさか男に化けていたとはなぁ」
わたしはこの二人を全く知らない。だが、わたしの後ろに隠れているエミリアの怯えようを見るに、恐らくこいつらが、昔エミリアを雇っていた売春の店の連中だろう。わたしの後をつけていたというところか。逃げられてから三年以上経ったのに、今もエミリアを追っていたとは、しつこいというか粘着質というか。
「困るんだよぉ。契約を無視するばかりか金まで盗んで……俺たちに雇われた以上、逆らうなんて許されないって言っただろ」
「こりゃ、もう一度厳しくしつけないとダメだろうなぁ」
本当に、こういうろくでもない手合いはどこにでもいる。自分より弱い者を暴力と抑圧で支配することでしか、自分の優位性を示すことができない……それが結局、おのれの無能さをさらけ出していることに気づいていないのだ。ある意味憐れな奴だ。
だが、こんな奴らが相手でも、心底怯えてしまう人もいる。わたしはエミリアを守ることまで依頼されていないが、放置するわけにはいかなかった。ここでエミリアが彼らの手に渡った後、ただの暴力を受けるだけで済む保証はない。
「エミリア、下がって」
すぐそばの彼女にしか聞こえない小声で、わたしは彼女に言った。不安げな表情を見せながらも、エミリアはゆっくりと後退する。そう、それでいい。
実を言うと、この連中が後をつけてきていることは予想していた。肉屋のおばさんが最初わたしを警戒していたのは、今でもこいつらがエミリアを追っていると知っていたからだろうし、コルドバの家を出たときも、何者かの気配を感じていた。わたしがエミリアを見つけた段階で、姿を現すことも想定していた。おかげで全くといっていいほど動揺がない。
エミリアが下がったのを見て、わたしは前に出る。奴らはこの行動を、おとなしく服従することの合図だと思ったようだ。
「やるじゃないか、お前。こうも見事に見つけ出すとは。さあ、さっさとそいつを引き渡してくれ」
「なぜ? わたしはそんなことを頼まれた覚えはないけど」
男たちは瞠目した。まさか言い返されるとは思わなかったようだ。
「……そ、そうか。だったら今頼んでやるよ。ほれ、報酬も弾むぞ」
男のひとりがそう言って、懐から取り出した札束をわたしに差し出した。エミリアを連れ戻した暁には、わたしに渡すつもりで用意していたのだろう。これだけの金があれば、しばらく旅費には困らないだろう。
というわけで、わたしはその札束を受け取って……懐に入れていたライターで札束に火をつけて、その場に放った。
「なっ……!」顔が歪む男たち。「何しやがる!」
「あぶく銭に用はない。とっとと失せろ、口やかましいザコどもが」
続けざまに反抗的な態度を見せられて、さすがに堪忍袋の緒が切れたようだ。男たちは顔面に朱を注いで、わたしに掴みかかろうとした。
「テメェ、舐めた真似をぐほぉっ!」
だが、その前にわたしの左足が、片方の男の胸板に命中した。男は弾き飛ばされ、あえなく仰向けに倒れ込んだ。その様子に気を取られたもう一人の男にもすかさず、右足のつま先を頬骨めがけて打ち込んだ。ひび割れるような音が足先から伝わった。
五秒で、男二人を蹴散らした。これでも遅い方だ。しかも致命傷にはなっていない。それでも別に構わなかった。
「あんたらが何をしようと、わたしの知ったことじゃないけどね……わたしはもう二度と、人を死なせないと決めたんだ。あんたらを放っておくと、それが叶いそうにない。だからあんたらには、ここで退散してもらう」
「……っ。ざけんじゃねぇぞ、この女ぁ!」
起き上がった男のひとりが、わたしの顔面に向けて拳を突き出してきた。
すっと避けた。そして、距離を詰めてきたその男の股間に、膝を突き上げた。
「くおぉぉぉ……!」
睾丸を潰された男はかすれた声を上げて、その場にばたりと倒れ込んだ。何やら口から泡を吹いているようだけど、見間違いだと思うことにしよう。
なんて、呑気にしていたわたしの背後から、いつの間に復活していたもう一人の男が首元に両腕を回して締め上げてきた。
「!」
「ははは! 油断していたな! このまま絞め殺してやる!」
「探偵さん!」
おとなしく見ていたエミリアも、たまらず声を上げる。さっきから周りにも人がいて、ずっと一部始終を見ているはずだが、誰もが静観している。別に構わない。素人の助けなんてあるだけ無駄だ。
わたしは、さっきも使ったライターを取り出し、着火した。まずいと思ったか、男は反射的にライターを払いのけた。だが、それこそがわたしの狙いだ。
首を絞めるために腕に力を入れていると、両手は握りしめられて手が出せない。だがひとたびその力を抜いてしまえば、隙が生まれる。ライターを払いのけたその手の、小指を瞬時に掴んだわたしは……その小指を、あらぬ方向へひねった。
「うがあっ!」
末端の痛みは凄まじい。男は思わず、わたしの首を絞めていた腕を離した。すかさず男の腕から抜け出したわたしは、無防備な男の股間に向かって、つま先をぶち込んだ。
まあ、どうなったか言うまでもないだろう。もう一人の男もあえなく倒れた。二人とも気絶まではしていないようなので、駄目押しのためにわたしは、倒れた男の胸板を踏みつけて、睨みつけながら告げた。
「二つ、約束しろ。ひとつ、エミリアに関する契約は全て白紙にすること。もうひとつ、二度と彼女の前に現れないこと。両方とも今この場で約束しろ。さもなくば、睾丸だけでなく目も潰す」
二本の指をピッと向けると、男たちは揃って慄きすくみ上がった。
「ひいぃっ!」
「する! 約束する! 契約も破棄するしもう二度と来ないから!」
「そうか。あんたらの親玉にも同じ約束をさせておけ。その旨を書いた誓約書を、明日までにエミリアのもとに持ってこい。間違ってもばっくれようなんて考えるなよ」
「わ、分かりました……」
これだけ力の差を見せつければ大丈夫だろう。わたしは一旦、彼らを解放した。途端に男たちは這う這うの体で逃げ出した。まったく、口ほどにもない連中だ。
周りで傍観していた街の人たちも、何も見なかったようにその場を離れていく。肉屋のおばさんが言うように、ろくでもないやり方で幅を利かせる一部の人間に、媚を売ることで生きている奴も多くいるのだろう。そんな有象無象など、わたしは興味ない。
服屋の中に戻り、呆然としているエミリアのもとへ。
「邪魔者はいなくなった。さあ、話の続きをしよう」
「探偵さん、素手で息の根を止められるって、誇張じゃなかったですね……」
「ああ、あんなのお話にならない。腕力だけが上等な猿だもの。とりあえず、ちょっと厳しめに釘を刺しておいたし、しばらくは奴らもエミリアに手を出せないでしょ」
「……ありがとうございます」
エミリアはわたしに向かって、深々と頭を下げた。本来ならエミリアがどうなろうとわたしに責任はないし、単にわたしの個人的な事情で助けたに過ぎない。それでここまで深く感謝されても困るばかりだ。それに……。
「礼を言うのはまだ早い」
「え?」
「お父さんに会うのがまだ怖いというなら、無理に会わなくていい。だけどわたしは、あなたの父親から、あなたの消息を探るように依頼されている。こうして生きている以上、わたしはその証拠を携えて、お父さんの所に戻らなければならない」
「生きている証拠、ですか……」
「そういうわけで、エミリア。お父さんに、手紙を書いてくれないか?」
わたしの提案に、きょとんとするエミリア。
さっき考えていたことだ。エミリアは父親に会いたくても会うのが怖い。わたしはコルドバにエミリアの消息を報告しなければならない。二つの問題を同時に解決するには、エミリアの自筆で手紙を書き、それを使って近況報告に代えるのがいい。直接会う必要もないし、面と向かって言えない事情も手紙だと伝えやすくなる。郵便なんて便利な制度はないから、わたしが持っていくしかないが、これも調査の報告を兼ねると思えばいい。
「どうだろう?」
今までは、エミリアを追う連中がどこで見ているか分からないから、父親に報告する手段がなかった。でも今ならできる。あとは、わたしを信頼できるかどうかだが……。
エミリアは口元をぎゅっと結ぶ。しばらく逡巡したのち、覚悟を決めたような表情をわたしに見せた。
「書きます。終わるまで、待っていてくれますか?」
「……ああ、もちろんだ」
エミリアが店の奥に引っ込んでいってから、わたしは天を仰いでひと息つく。こんなに早く片づくとは思わなかった。こんなに晴れやかな気分で、シャルロットのもとに帰れるなんて思わなかった。
今日のわたしは調子が悪かった。そういうことにしておこう。
ローゼも何だかんだ、シャルロットへの思いを強くしています。
次週でこの章は完結です。




