Section 2-Thirteen
ローゼの先を読む力は凄まじいです。
その頃、ケルマ氏は屋敷の玄関で途方に暮れていました。
「ど、どういうことだ、これは……」
窓の警報装置を壊されたので、ローゼさんとわたしが窓から逃げ出したことを、ケルマ氏以外の人は気づきません。窓の外に、衛兵を配置していなかったからです。高い壁に囲まれているから、逃げ出すにはどこかの出入り口を通るしかなく、そこさえ固めておけば充分だと思ったのでしょう。まさか壁の上に着地して、壁の上を走って逃げ出すとは、ケルマ氏は考えもしなかったのです。
部屋の中にいた衛兵も全員倒されて、追いかけられる状態じゃありません。仕方なくケルマ氏は部屋を飛び出し、残っている衛兵に直接号令をかけて、追いかけることにしました。
しかし、下の階に来てみると、とても号令をかけられる状況にありませんでした。
大勢の人が屋敷の玄関に押しかけていて、衛兵たちと押し問答を繰り広げていたのです。屋敷内に入れないよう、鉄柵で阻んではいますが、その向こうからは様々に訴える声がいくつも混ざって響いてきて、収拾がつかないほどの騒ぎになっています。
「おい、何が起きている!」
ケルマ氏が、衛兵のひとりに声をかけました。
「それがよく分からなくて……川の呪いの正体を、早く教えてくれと」
「はあっ?」
ケルマ氏は眉をひそめました。確かにケルマ氏は、川の呪いの正体を知っています。自分が命令して起こさせたものですから、知っていて当然です。でもなぜ、ここに集まっている市民たちは、ケルマ氏が呪いの正体を知っていると思っているのか……。
その理由に、ケルマ氏はすぐ思い当たりました。
「くっ……あの小賢しい小娘がぁ!」
怒りを露わにして叫んでも、もはやこの状況を打開する手立てはありません。初めからローゼさんの手のひらの上で踊らされていたと、気づいたときにはもう遅いのです。
* * *
さて、どういうことかと言いますと。
ケルマ一族の屋敷に連れていかれると想定していたローゼさんは、『クラウス化学』で資料を預かったとき、一部を切り取るだけでなく、表紙に書き込みをしていたのです。それは、わたし達が連行された後、ケルマ一族が川の呪いの正体を突き止めた、という噂を流すように頼むものでした。衛兵たちが去った後、開きっぱなしの資料を片付けようとして閉じたとき、初めてその伝言が見つかるようにしたのです。
この噂が流れれば、人々はケルマ一族の邸宅に殺到して、なんとか情報を得ようとするでしょう。一族の者たちを足止めするのみならず、説明に窮する状況に追い込むことで、その後の追跡もやりにくくさせる狙いがありました。わたし達が探偵だという噂が流れれば、一族がわたし達から情報を得たと勘繰られ、わたし達に何らかの濡れ衣を着せることも、追跡する名分を作ることもできなくなります。ニックさんが実行犯であることもいずれ公になりますし、下手に嘘をつけば逆に自分たちが追い込まれます。
ローゼさんはこれらを全て見越して、あの資料に書き込みをしたのです。本当に、この人だけは敵に回しちゃいけませんね。
さて、わたし達は結局、衛兵たちに見つかることなく、車を置いていた場所に到着しました。ようやくわたしはお姫様抱っこから解放され、ローゼさんと一緒に車に乗り込み、いよいよ駐車場を出発します。
……と思ったのに、ローゼさんが車のエンジンをかけた途端、プスンと音をたてて、一瞬で振動が止まりました。燃料は入っているので、原因は一つしかありません。
「このっ……!」
ローゼさんは若干苛立たしげに、もう一度エンジンをかけます。今日のローゼさんは感情がよく動きますね。
幸い、今度は普通に動いてくれたので、いよいよ出発です。
街と外を隔てる堀にかかる橋までは、賑やかな大通りを経由しなければなりません。そこには、別の場所から遅れてやってきた衛兵も何人かいましたが、彼らがわたし達の車に気づいたときには、もう橋を渡っていました。彼らはもちろん徒歩なので、きっと追いつけず見失うでしょう。
わたしは車の助手席から、お世話になったこの街に手を振って、少しずつ離れていきます。
* * *
ふもとの街を後にして、わたし達を乗せた車は森の中に入り、山道を登って行きます。調査も終わったので、あとは依頼人のベルサさんの家に行って、報告するだけです。色々ありましたが、ようやく仕事が終わりに近づいています。
森の中を進む車に揺られながら、わたしは運転中のローゼさんに尋ねます。
「ローゼさん、兵隊さんだったんですね」
「まあね……ケルマ氏の言っていた噂話は、残念ながら全て本当だ。わたしとしては、別に知られても構わないけど、知られて気分のいい過去ではないんだよな」
先の世界戦争が、どれほど凄惨を極めたものだったのか、記憶喪失のわたしでも知識としては知っています。ローゼさんが兵士としてその戦争に参加して、武勇伝として語られることのなかった、悲惨な出来事に遭遇しているだろうことは、容易に想像できます。
「とはいえ、皮肉なことに戦闘員としての経験があったから、今のように探偵として危険な調査も請け合えるようになったわけだが」
「確かに、衛兵に囲まれたときも、少しも動揺していませんでしたよね……あ、そうです。結局あのガラス玉は何だったのですか?」
「言っただろ、ただのガラス玉だ。昨日、露店で買ったものだからな」
「ああ、あれですか……」
昨日の出来事を思い出して、ようやく腑に落ちました。そういえば、あのときローゼさんは、何を買ったかわたしはまだ知らない方がいいと言っていました。
「なんでそのことを教えてくれなかったのですか」
「だってシャルロット、顔に出るだろう?」
はい? わたしは眉をひそめました。
「シャルロットの表情で、あれが普通のガラス玉だと気づかれたら、連中の気を逸らすことはできなかった。もちろんその程度の表情の変化は、気づかれない可能性が高い。でもケルマ氏が気づく可能性は皆無じゃなかった。相手の洞察力を推し量れないうちは、シャルロットに事情を話すわけにいかなかったんだ」
「なんですか、それ。わたしを信用してないってことですか。そうなんですか」
「信用はしているよ。ただ、敵を騙すにはまず味方から、というからな」
むう……釈然としませんが、結果的にはローゼさんの目論見どおりに事が運び、謎が解かれて敵陣からも逃げられたわけです。わたしが事情を知っていたら、ここまで上手くいったかどうか……いったはず、と自信をもって言うことはできません。我ながら、顔に出やすい方ではないかと、自覚もしていますし。
でもまさか、ローゼさんにもそう思われていたなんて……。
あれ? それなら、ひょっとして。
気づいているのでしょうか……わたしが徐々に自覚し始めている、この想いに。
確かにわたし、ローゼさんのことが好きですし、頼りになる人だと思いますし、とても懐いていると思っています。でも、時折見せる凛々しい表情や、何があってもわたしを守ろうとする姿勢、いくつもの些細な仕草を見るたびに感じる、この心地よい温かさは……胸の高鳴りは……締めつけられるような痛みは……。
果たして、その程度の“好き”なのでしょうか?
わたしはちらっと、隣に座ってじっと前を見ているローゼさんの横顔に、視線を向けました。相変わらず、何を考えているのか分かりません。
あの、寝言で呟いていた、ナオコさんとは誰なのか。枕元に置かれていた、奇妙な首飾りは何だったのか。不思議とわたしは、彼女に聞くことができませんでした。
その理由も、今なら分かる気がするのです。
でもその理由を、ローゼさんに気づかれるのは怖い気もします。
きっとわたしは呪われているのです。川の呪いのようなふざけたものじゃなく、本当にどうしようもないほど、深刻な呪いに……。だから今は、こうして静かに、彼女を見つめることしかできないのです。
せめて、この視線の意味に気づかないでほしいと、祈りながら。
これにて、第二章は完結です。
トリックは別に難しくないですが、動機を突き詰めていった結果、第一章よりも大幅に長くなってしまいました。そして第一章よりも、百合度がちょっと高くなったと思います。ラストは完全に、シャルロットが恋心を自覚しています。美人でかっこよくて頭もよくて頼りになる……こんなの女性でも惚れますね、たぶん。
さて、第三章の準備はもう整っていますので、一週空けてから、さっそく始めようと思います。今回の第二章よりはコンパクトにまとまる予定です。お楽しみに。




