Section 2-Twelve
本当はここで第二章を終わらせるつもりでしたが、物語性を追求した結果、文字数が結構多くなってしまったので、もう一話分増えることになりました。
ローゼの無敵感が止まりません。
「…………っ?」
これまでほとんど感情のこもってなかったローゼさんの眼差しに、唐突に怒りや侮蔑が混じったものですから、ケルマ氏も驚いたように目を見開きました。
「わたしはシャルロットを、彼女が平穏に暮らせる場所に連れていかなければならない。少なくとも、平然と槍を向けるような所では、そんな暮らしは望めない。わたしはシャルロットに、嘘をつくわけにはいかないんだ……誰がテメェなんかに渡すか、ふざけたこと抜かすなクソ爺ぃ!」
……これにはわたしも、唖然としてしまいます。
これまでどんなに言葉がきつくても、その言い分は理路整然として、決して無闇に貶めるようなことはしませんでした。でも、ローゼさんのこの言葉は、一歩間違えたら人格すら否定しかねない、凶暴が過ぎる悪口でした。こんなに感情を昂らせ、露わにするなど、わたしの知っているローゼさんからは考えられません。
さすがにここまで言われたら、ケルマ氏も黙ってはいません。怒りの形相で椅子から立ち上がり、怒鳴り散らします。
「言葉を慎め、小娘が! この私を侮辱する気か!」
「侮辱されるだけのことをしたという自覚はないのか?」
「! そうかそうか、私に歯向かうということは、命を捨てても構わんのだな。お前ら、この小娘どもを串刺しに……」
「これ、何だか分かる?」
衛兵たちに殺害命令をしそうになったケルマ氏を遮り、ローゼさんは言い放ちました。ケルマ氏に向かって差し出した右手には、小さなガラス玉がありました。赤、青、黄色など、様々な色の紋様が埋め込まれています。
出鼻をくじかれたケルマ氏は、どこか戸惑っているようです。
「な、何だ、ただのガラス玉にしか見えないが」
「ええ、ただのガラス玉よ。でもこれを使うと、ここにいる衛兵全員を、一瞬で倒すことができるんだけど」
「ばっ、馬鹿も休み休み言え。そんなことできるわけが……」
「ないと思う? 例えばこの玉の中に、衝撃を受けたら強烈な光と音を出して、周りにいる人間を残らず気絶させてしまう仕掛けがあったら?」
「なっ……!」
「あるいは、粉々に砕け散って、その破片で敵の目などを攻撃する仕掛けかもしれない。もしくは即効性のある猛毒の気体が圧縮されて入っていて、割れたとたんに全部ぶちまけられる仕掛けかもしれない……どう? 戦前の技術だったら、どれも可能よね? 全部、実在の兵器に応用された技術だし」
「ローゼさん……?」
なんだか様子がおかしいです。まるで、わざと相手を怖がらせているような口調です。実際、ケルマ氏も動揺を隠せていません。
「そ、そんな危険なものを使ったら、お前だってただでは済まないだろう」
「ええ、そうね。でもわたし、この程度の危険なら何度も掻いくぐってきたから」
どんな修羅場ですか。というか、わたしはそんな経験ないですよ? 巻き込まないでくれます?
「じゃあ、どんな仕掛けが入っているか、今この場で試してみましょうか」
「おい、やめろ!」
ケルマ氏や衛兵たちの制止が始まるより早く、ローゼさんは怪しげなガラス玉を、軽くひょいと真上に……放りました。
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それは、まさに一瞬の出来事でした。
金属同士がぶつかるような激しい音が、まるで機関銃のように鳴り響いたかと思うと、気がついたときには、ローゼさんが衛兵の槍を握って、切っ先をケルマ氏の鼻先に向けていたのです。
あれ? 一体、何があったのでしょう……?
こつッ。
「いったぁ! あ、これさっきのガラス玉……」
ローゼさんが真上に放ったガラス玉は、わたしの頭上に落ちてきました。その痛みでようやく我に返ったので、改めて、急に静かになった周囲を確認しました。
愕然としました。
さっきまで槍を構えてさっきを放っていた衛兵たちが、全員倒れて気を失っていたのです。それも、綺麗に円弧の形になって倒れています。まるで、わたし達を囲んでいたあの布陣のまま、ドミノ倒しの要領で倒れたように。
……ぞっとしました。ローゼさんが何をしたか、すぐに理解しました。
ローゼさんはガラス玉を真上に放ち、ケルマ氏や衛兵たちがそれに気を取られている間に、衛兵の一人から槍を奪い取り、その槍をものすごい速さで振り回したのです。兜の耳のあたりが凹んでいるということは、その部分を直撃したのでしょう。いちばん脳への影響が強い部分です、気絶くらいしても不思議はありません。
しかし、驚異的な早業です。投げられたガラス玉に気を取られても、その隙は本当に一瞬です。その間に槍を奪い取り、ほとんど勢いをつけることなく振り回し、十五人近い衛兵を残らず倒したのですから。それに、持ち替える暇はないはずですから、恐らく槍の付け根を掴んで振り回したはずです。強度のある先端ではなく柄で、兜に守られた側頭部を殴打するのですから、力加減を間違えたら槍が折れてしまいます。
繊細にして大胆、凶暴にして綿密、ローゼさんの戦闘力の凄まじさを垣間見ました。もはや探偵に求められる域を超えています。
「はっ、ははは……」
この信じがたい光景に、気が遠くなったのか、ケルマ氏の笑いは乾いています。
「そうか、思い出した。何年か昔に新聞で見たんだ。お前さんのことを」
「…………」ローゼさんは目を細めます。
「北の大陸を掌握していた大国、アムリゴ合衆国……その陸軍の戦闘員として、先の世界戦争で前線に立って躍動した、少年兵の女がいた。あるときは銃を持った三十人の敵兵に囲まれながら、丸腰のまま全員を殺害して無傷で帰還し、あるときは単身で敵の陣地に乗り込み、弾丸の雨を掻いくぐりながら陣を壊滅させ、あるときは女子供の人質に紛れて攻撃しようとした敵兵を、的確に見つけ出しては瞬殺し、人質全員を無傷で解放させた。とにかく語り草に事欠かない存在だ」
「それって……」
「その戦闘員の少女の、顔立ちの美しさと、卓越した戦闘技術、そしておびただしい返り血で真っ赤に染まったその姿から、人は彼女をこう呼んだ……“戦場の薔薇”と。それがお前だったんだな!」
ケルマ氏は歪みまくった形相で、ローゼさんに指を向けました。
ローゼさんが元々、大国の陸軍の戦闘員……それならば、この信じがたいほどの身体能力にも納得がいきます。
「……昔の話だ」ローゼさんは少し目を伏せます。「前線を抜けてからは、誰ひとりとして殺していない。わたしは、もう誰も死なせないと決めたんだ」
そう言ってローゼさんは、ケルマ氏に向けていた槍を引っ込め、素早く回しながら持ち直し、柄の先を床にどんと突き立てました。戦いは終わった、という合図です。
「そっちから話すことはもうないな? わたしも聞きたいことは全て聞いた。というわけで帰らせてもらう。行くよ、シャルロット」
突き立てた槍を放り出し、ローゼさんはわたしの手を取りました。何しろわたしも腰が抜けて、床にへたり込んでいましたから、手を貸してくれるのはありがたいです。
「フン、馬鹿め」ケルマ氏は尊大な態度を取り戻しました。「逃げられると思うな。ここはすでに他の衛兵たちが取り囲んでいる。入り口の前にも大勢待機している。お前たちはここから出ることすらままならん」
「馬鹿はお前だろ。敵に手の内を明かすとか間が抜けすぎだ」
ローゼさんは真顔で言い返すと、さっき通ってきた扉ではなく、ケルマ氏の後ろにある窓に向かって歩き出しました。もちろん、わたしの手を引いて。
唖然とするケルマ氏には目もくれず、ローゼさんは窓を開け放ちました。外の様子を確認して呟きます。
「うむ……あの塀までの距離なら、なんとかなりそうだな」
「フン、愚かな……窓から出た途端に警報装置が作動して、すぐにでも外の衛兵たちが駆けつけて来るわい」
「警報装置って、これのこと?」
ローゼさんがケルマ氏に見せたのは、指でつままれた四角い物体でした。明らかに何らかの小型の機械でしたが、一部からちぎれた配線がはみ出ています。どう見てもそれは、手で無理やり引きちぎられた、警報装置の成れの果てでした。
ケルマ氏があんぐりと口を開けて、それはもう面白い顔をしていました。
それにしても、穴だらけの目論見で川を毒で汚したり、警報装置などの手の内を簡単に明かしたり、挙句に全部見破られたら短絡的な行動に出て、最後はこの顔です。ローゼさんの言うとおり、確かにこの方は少々お馬鹿さんなのかもしれません。
「ひゃあっ?」
ローゼさんは突然、わたしの体を両手で抱え上げました。本日二度目の、お姫様抱っこです。
「じゃあ、わたし達は帰るね。残り少ない平穏な時間を、せいぜい楽しむんだな」
そしてローゼさんはその場で跳躍し、窓の桟に片足をかけ、その足で踏みきって窓の外へ飛び出しました。
また、これです。
人並み外れた跳躍で宙を舞いながら、ローゼさんの腕に抱かれ、ものすごく間近にこの人の横顔を見ていると……重力も時間も忘れてしまいそうになります。
ですが、ローゼさんが着地したことで、すぐにわたしは現実に引き戻されました。
どこに着地したかといえば、ケルマ邸を囲っている塀の上です。幅は人間の足の長さほどしかありません。助走もつけずに窓から飛び出し、こんな幅の狭い塀の上に着地して、ほとんど体勢を崩さないって、どういう運動神経をしているのでしょうか……。
あまつさえ、ローゼさんは塀の上を走っていきます。もちろん、わたしをお姫様抱っこしたままです。平衡感覚まで人並み外れています……。
曲がり角の所で塀から飛び降り、後は普通に地面を走っていきます。立ち止まる時間が惜しいからでしょうか、まだわたしを抱きかかえたままです。この辺りはあまり人通りがないものの、ずっとこの格好はやはり恥ずかしいです……まあ、下ろされたら下ろされたで、どこか名残惜しくなりそうですが。
たぶんケルマ氏の衛兵たちも追ってきているでしょうが、まだ姿は見えません。ローゼさんが裏道ばかり通っているせいで、なかなか見つけられないのでしょう。
「ローゼさん、これからどちらへ?」
「もちろん帰るんだよ。車を置いている所に。さすがに街の外に出れば、深追いを諦めるでしょ」
「まあ、あの人たち、しばらくあの屋敷から出られないでしょうしね……」
今ごろあの屋敷で起きているであろう、騒ぎのことに思いを馳せ、わたしは苦笑しました。
次週でこの章は(本当に)完結します。
最後まで百合ムーブ全開でお送りしますので、どうぞお楽しみに。




