Section 2-Eight
たぶん今回が一番の百合回です。これからもっと百合度が増していくといいなぁ。
神秘の箱は開かれた。
ローゼさんの口から、何やら詩的な言葉が飛び出しました。その少し晴れやかな表情から察するに、謎が解けたことを示すもののようです。今ひとつ意味が分かりませんが。
「謎が解けたというよりは、解決への道筋が見通せた、という感じだな。証拠が揃っているわけでもないし、事件の全てを理解しているわけでもない。現時点では、な」
「そうなのですね……で、続きは明日ですか」
「ああ、今日はもう寝る。本を返してくるから、シャルロットは先に部屋に戻っていて」
ローゼさんは気だるそうに言って、受付に向かっていきました。
……まあ、こうなるとは思っていました。どんな推理をしたか、今すぐ教えてくれたりはしないのですね。見るからにひと仕事終えたような雰囲気を出していますし。
さて、この後はどうしたかといえば、実に単調なもので、順番にシャワーを浴びて、夜の深まる前にどちらも布団に入ってしまいました。ちなみに、わたしの安全を確保するためという理由で、ローゼさんが借りた部屋はひとつでしたが、ベッドは別々です。彼女はベッドもひとつで問題ないと言っていましたが、わたしが安眠できないもので。
……理由までは言いませんよ。恥ずかしいですし。
まあ、ふたり旅を始めた当初は、そばでローゼさんの寝息が聞こえるだけで、妙に寝つけなかったのですが、さすがに慣れました。
そんな感じで夜が過ぎ、朝を迎えたころ、わたしの方が先に起きました。ローゼさんはまだ寝ています。
「んっ……んん~~~」
どんな夢にうなされているのでしょうか、ローゼさんは寝苦しそうに顔をしかめて悶えています。
「ローゼさん、起きてください」
「んん……う、ナオコ、さん……」
その寝言に、彼女を起こそうと伸ばした手が、びくりと止まります。
ナオコさん……?
知らない名前です。これまでローゼさんの口から聞いたこともありません。もっとも、ローゼさんは自分のことについて、あまり多くを語りたがりません。わたしの知らないローゼさんの知人がいても、全く不思議ではありません。
それなのに……なぜ、わたしはこんなに動揺しているのでしょう。
もしかして、その名前をうわ言のように呟いたローゼさんの、一瞬見せた悲しそうな表情のせいでしょうか?
「…………」
ふと、視界の端できらりと光るものがありました。ローゼさんの枕のそばに、首飾りのようなものが見えたのです。ゆうべは気づきませんでしたけど。
……いえ、あれは首飾りでしょうか? 糸ほどに細い鎖が、真鍮か銅のような金属の丸い板の、真ん中に開いた穴に通されています。板の大きさはちょうど、そう、硬貨ほどの大きさです。何やら見慣れない文字も書かれています。
このような首飾りを、ローゼさんは身に着けていたでしょうか? 一緒に旅をしていて、宿のベッドで寝ることがこれまでなく、いつも野宿か車中泊でしたから、ローゼさんが上着を脱ぐことはほとんどありませんでした。単に上着に隠れて見えなかっただけでしょうか?
いえ、もしかしたらこれが、昨日の露店で買ったものなのかも……などと考えているうちに、ローゼさんが目を覚ましました。
「んー……ああ、おはよう、シャルロット」
「あっ、おはようございます」
「さて、シャワーでも浴びて眠気を飛ばすか……」
ベッドから降りてシャワー室に向かうローゼさんは、まだ眠そうにあくびをしながら、ふらふらの足取りで歩いて行きます。……本当に朝が弱いのですね。
結局、ナオコさんや首飾りのことは、ローゼさんに聞けませんでした。
* * *
さっきまでの寝ぼけたローゼさんはどこに行ったのか、宿屋を出た時には、いつものシュッとして冷厳そうなローゼさんに戻っていました。朝と昼間で、これほど印象に落差のある人も珍しいです。
それはともかく、街に出たローゼさんはすでに行き先を決めているのか、迷いのない足取りで歩を進めていきます。もちろんわたしは、とことことついて行くだけです。
「ローゼさん、今日はどこへ行くのです?」
「まずはクラウス化学からだな。わたしの予想どおりなら、今からでも証拠を入手できるはず……」
「いよいよ川に毒を流した犯人を捕まえるわけですね!」
「捕まえることまでは依頼されていないはずだが……シャルロット、止まって」
「はい?」
何事かと思いながらも、ローゼさんに言われるまま足を止めました。同時にローゼさんも足を止めます。目と口を閉じて、瞑想のように黙り始めました。
…………。
あれ、これは、いつまで続くのでしょう?
「あの、ローゼさん……?」
わたしの呼びかけに答えたのか、ローゼさんはようやく目を開きました。
「……やはり来たか」
そう呟くが早いか、ローゼさんはわたしの手を取って、足早に歩き始めます。唐突すぎてよろけそうになりましたけど、なんとか持ち直し、彼女の隣に並びました。
「えっ、ちょっ……ローゼさん?」
「振り返らないで。怪しい人物が二人、わたし達の後をつけてきてる」
「え?」
一瞬、本当かと思って振り向きそうになりましたが、寸前で思いとどまりました。いけません、いけません。
「誰ですか、その人たち」
「さあね。とりあえず好意的な連中でないことは確かだ。目立つ動きを見せれば、早い段階で手を打つだろうと思ったよ」
「何の話です?」
「犯人をあぶり出す、最も効率的なやり方の話さ。シャルロット、走るよ」
わたしの手を引いて、ローゼさんは急に走り出しました。わたしの履物は走るのに向いていないのですが……が、頑張ってついて行きます。
どうやら追っ手の方も、わたし達が走り出したことに気づいたようです。かすかですが後方から、「急に走り出した」「くそ、気づかれたか」という声が聞こえました。どちらも男性のようです。慌てて向こうも走り出しましたが、ただでさえわたし達に気づかれないよう距離をとっていましたから、簡単には追いつけそうにありません。
街の中はあちこちに、これから仕事に行こうとしている人たちの姿があります。その人たちの間を縫うように、ローゼさんとわたしは走り抜けていきます。それはもちろん追っ手も同様で、通行人に遮られて思うように距離を詰められず焦っているのか、ついには声をあげて怒鳴りました。
「おい! 待ちやがれ!」
もちろん待ちません。ローゼさんが逃げるからわたしも逃げます。
それよりも、懸念すべきことが他にあるのです。
「あの、ローゼさん、このままだとクラウス化学の建物を通り過ぎてしまいますよ」
「分かってる。そろそろあいつらを撒かないと」
素早く駆けながらも、ローゼさんの目はしっかりと、抜け道を探し当てていました。もしかしたら、昨日見た地図の内容を、くまなく記憶していたのかもしれませんが。
「こっちだ」
小声で告げながら、わたしの手をぐっと引いて、路地裏へと駆け込みます。
その先は……袋小路でした。
「ちょっ、行き止まりじゃないですか!」
路地裏の奥には、人の背丈の倍くらいはありそうな、高い壁がありました。地形的に、その向こうにも路地がありそうですが、これを乗り越えるのは至難の業です。
「どうするんです……わあっ!」
ローゼさんは、予想もしない行動に出ました。路地裏に入ってすぐ、わたしの腰に手を回して、片手でわたしの体を抱え上げたのです。そしてもう片方の手でわたしの両脚を持ち上げました。
……えっと、これは俗にいう、お姫様抱っこという物でしょうか。
わたしを抱きかかえたローゼさんは、地面を蹴って駆け出しました。わずかな距離で助走をつけると、跳躍し、まずはそばに二個だけ積まれていた木箱の上に飛び乗り、さらに跳躍して、片足がようやく収まるほど狭い窓の庇に飛び乗り、その勢いのまま壁の上まで飛び跳ねていったのです。
まさに、一瞬の出来事でした。一目で怯んでしまうほどの高さの壁を、たった二か所の足場を使って、自分の脚だけで飛び越えてしまったのです。しかも、わたしを抱えたままで……走り高跳びの選手も舌を巻くほどの跳躍力です。
ローゼさんは壁の上にも着地し、迷いなく壁の向こうへと飛び降ります。重力を感じさせないくらいに、ふわりと。
宙に浮いている時間は、きっとほんの一瞬だったでしょう。でもわたしは、この時だけ、まるで時間がゆっくりと動いているような……そんな気がしたのです。
ローゼさんの腕に抱かれていたわたしは、釘づけになっていました。決して離すまいと、より力の込められた腕が、これまでよりもぐっと近く、わたしを彼女に引き寄せていたのです。吐息がかかるほど間近に迫った、彼女のその横顔は……。
この世のものとは、思えませんでした。
しかし、夢心地に似た時間は、地面に着地した衝撃とともに、終わりを告げました。ローゼさんはなおも立ち止まらず、バネのように跳ねながら駆け出してゆきます。
路地裏を抜けたところで、ようやくローゼさんは落ち着きを取り戻しました。
「ふう……これでしばらく、あの連中も近づいてこないだろう。あいつらが路地裏に入ってくる前に壁を飛び越えたから、今ごろ、わたし達が消えたと思って取り乱しているだろうな」
どうやらローゼさんは、最初から追っ手を袋小路に足止めするために、あえて路地裏に入ったようです。でもこんな作戦、ローゼさんほどの超人的な跳躍力がなければ、そもそも実行すらできません。
いえ、それより、この状況を早くなんとかしてほしいのですが。
「あのー、ローゼさん……」
「ん?」
「そろそろ、下ろしていただけるとありがたいのですが……」
いま立っている通りにも、仕事に向かおうとしている人たちが多くいます。衆目にさらされながらのお姫様抱っこは、かなり恥ずかしいです。羞恥のせいなのか、さっき間近でローゼさんの横顔を見たせいか、体温と心拍の上昇が著しいのです。
「ああ、そうか」
特にローゼさんは表情ひとつ変えず、わたしを下ろしてくれました。これでようやくわたしも落ち着きました。……いえ、まだちょっと危ないですかね。
「本当にびっくりしましたよ。いきなり抱きかかえて、あの高さの壁を飛び越えるんですから……無茶しますよ、まったく」
「すまんな、時間が惜しかったんだ。先回りで証拠を処分されては適わないからな。だが、目的地には無事にたどり着いたぞ」
ローゼさんが見上げる先には、昨日も訪れた『クラウス化学』の建物がありました。追っ手を振り切った先ですぐ到着できるよう、何もかも計算したうえで、あの路地裏に逃げ込んだのでしょう。……どこまでも底の知れない方です。
「それじゃあ、そろそろ調査の仕上げといきますか」
ローゼさんはふっと笑みを浮かべながら、わたしと一緒に、その建物へと向かって歩き出しました。
* * *
わたしとローゼさんを迎え入れた、『クラウス化学』のドリーさんは、準備を整えて戻ってきたわたし達にさっそく尋ねてきました。
「それで、何か分かったのですか、探偵さん」
昨日はドリーさんに、何か分かったら連絡してほしいと言われていましたが、証拠隠滅を防ぐために、ローゼさんはあえて連絡を入れませんでした。ですが、翌日の朝早くに再訪したということもあって、ドリーさんはローゼさんの調査に、何かいい結果があると期待したようです。
とはいえ、ローゼさんのたどり着いた推理が、どれほどドリーさんの期待に添えているかは分かりません。先ほどからのローゼさんの言動を見て、わたしにも察しがついていました。この場所に証拠があって、連絡すれば隠滅される恐れがあるということは……。
「ええ、仮説は立ちました。だからここで、それを立証しようかと」
「立証、ですか」
「ここにある資料をもう一度調べれば、はっきりすると思いますよ。……あなた達の中に、川に毒を流した実行犯がいるということが」
ローゼさんはふっと笑いながら、そう告げました。
ローゼのプライベートが垣間見えた気がしますが、まだまだ多くは語りません。焦れながら今後の展開を注視してお待ちください。
次週から謎解きのターンです。




