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Section 2-Five


 車で山道をひたすら下っていくと、徐々に森がまばらになっていき、民家も目立つようになってきます。通りすがりの人に尋ねてみると、中心部の街までさほど距離はないとのことです。どうもここはまだ街の中というわけではないようです。


「この道を真っすぐ行くと、橋が見えてくるけど、それを越えた先に街があるよ。堀で囲まれた内側が街で、外側が田舎、分かりやすいだろう?」


 通りすがりの男性は笑って言います。笑える要素は見当たりませんが。


「堀で囲まれた街か……さながら城塞都市だな」

「都市っていうほど大げさな所じゃないけど、防御に特化した所ではあるな。この辺りは昔から、土地や水を巡る小競り合いが絶えなかったから」

「……ふもとの地域と、森の中の地域で?」

「そうそう、ここ二十年くらいはおとなしくなって、互いに行き来するのも自由になったけど、まだわだかまりが完全に消えたわけじゃない。先の戦争の時も、詳しくは知らんが何かいざこざがあったみたいだし」


 例の製油工場のことでしょうか……あれだけの施設を建てるとなると、いくらか森を切り開いたはずですから、昔から森に住んでいる人たちと、ちょっとした言い争いになっても不思議はありません。


「ふうん……ところであなた、呪われた川の話は知ってる?」

「ああ、もちろん知ってるさ。こっちでも話題になったからな。川の水を飲んだやつらが次々と体を壊してるってやつだろ?」

「その件で、川の調査をした業者を探しているんだけど、どこにいるか分かるか?」

「さてね……どこが調べたのかは知らないけど、ここらで水質調査を請け負っている業者なんて、ひとつしか思い当たらないな」

「それは?」

「『クラウス化学』ってところだ。住所は知らねぇけど」

「うん、名前が分かれば充分。どうもありがと」


 ローゼさんはそれだけ告げると、ぷいっと男性から目を背け、そのままブレーキを解除して発進してしまいました。本当に、誰に対しても淡々としています。

 ローゼさんの運転する車に揺られながら、わたしは尋ねます。


「探すのですか? クラウス化学という業者を」

「今のところ、それしか手掛かりがないからね。たとえハズレでも、同じく水質調査をやっている所なら、思い当たるものを教えてくれるだろうし」

「そうですね……でも、名前しか分からないのにどうやって探すのです?」

「水質調査は、あの森に住んでいる人たちが直接業者に頼んだわけじゃない。最初は病院、次に役所が事態を把握して、それから業者に依頼が来る。一般人でも真っ先に思いつくくらいだから、それなりに名前が知られていて、病院や役所とも連携しているような業者だ……いくらでも調べる方法はある」


 ローゼさんは何か確信があるようですが、まあ見ていなさいと言うばかりで、詳しいことは教えてくれません。もはやわたし、ローゼさんの手並みを見るだけの、ただの観客になっていないでしょうか……。

 街を囲む堀にかかる橋を越えて、わたし達は街の中へ入っていきます。街の中と外側の境目には堀だけでなく、すぐ内側に、堀に沿うように土塁が築かれています。人の膝の高さくらいはありそうです。要するに、


「防御壁としてはたいして役に立ちそうにない」


 というものです。ローゼさんに言わせれば。


「なんであんなものが作られたんでしょうね……」

「対立していた頃の残滓(ざんし)でしょ。自分たちの住む区域と、その外側に、明確な境界線を作っておきたかったのよ。最初は壁でもあったかもしれないけど、戦争の混乱で取り壊されて、今は申し訳程度に土塁が残っているだけ……ということじゃない?」

「はあ……完全に撤去しないところに、隠れたわだかまりが透けて見えますね」

「特にこの街の人たちにとっては、先住民族的な森の住人よりも、文化的で経済的な生活をしているという自負があるから、境界を完全に取り除くことに抵抗があるのね。見てごらんなさいよ」


 進行方向に目を向けると、そこには、石造りの高い建物が並び立つ光景が広がっていました。広い通りではあちこちで商いが行なわれていて、とても賑やかです。

 ローゼさんと旅を始めてまだ数日ですが、ようやく街らしい街に来られた気がします。

 途中で車を止めて、降りることなく、この賑やかな街を見渡します。どこを見ても人の姿があるなんて、久々に見たかもしれません。


「なんというか、つい五年前まで戦争があったとは思えないですね……」

「これでもかつて文明が栄えていた頃と比べれば、充分に復興しているとは言えない。建物は壁のあちこちに補修の跡があるし、商いのほとんどは物々交換だ。貨幣を使った取引はたぶん、この市場(いちば)とは違う場所で行なわれていると思う」

「これでも文明的というわけではないんですね……」

「どの程度なら文明と呼べるかは、また時代によって違ってくるけどね。さて、給油して車を置いたら、さっそく調査を始めるよ」


 ローゼさんは再び車を動かし、街の人に停車できる場所を尋ね、その場所に向かいます。そして付近で宿屋を探します。すでに日が傾いていたので、先に宿泊する場所を確保しておいて、調査はその後に始めるとのことです。仕事に臨むときは快適な夜を過ごす、というのがローゼさんの流儀だと、本人が語っていました。

 車を置いて、宿屋を見つけ、宿泊の手続きをしたら、いよいよ調査開始です。

 まずは『クラウス化学』の拠点を探します。といっても、ほとんど手間をかけずに見つけられました。宿泊施設の職員が、この地域の地図を貸してくれたからです。


「こういう宿には、街の外から来る人も泊まる。そういう人のために地元の地図を貸し出しているのさ。小さいボロ宿だとあまりないけど、最低限の設備が整っている所なら、ほぼ確実に街の地図が手に入る。そして、名の知られた業者なら、地図でも省略されずに記載されているというわけだ」


 舌を巻きます。宿選びすら調査の一環だったとは。でも確かに、有名な業者だったら地図で探せば見つけられる、考えてみれば当たり前のことです。


 果たして、地図に書かれていた『クラウス化学』の場所を手掛かりに、その本拠地に辿り着いてしまいました。本当に、あっという間に。

 建物は他と同じく石造りの二階建てで、『クラウス化学』の看板も出ています。この地域で伝統的に使われている文字ではなく、アルビタニア王国をはじめ世界中で使われているユーロピア系の文字です。だからわたしにも読めましたが、ここはユーロピアとゆかりのある業者なのでしょうか。

 建物の中に入り、大量の木箱が所狭しと積まれている空間に踏み込みます。ちょうど通りかかった職員らしき人にローゼさんが声をかけ、事情を説明しました。森に住んでいる人から依頼を受けて、呪われた川について調べていて、水質検査をした業者の人に話を聞きたいと……建前も何もない、ありのままの事実です。ローゼさんは仕事中でも嘘を禁忌としているようです。


「やりづらくないですか?」

「いや? 意外となんとかなるものよ。それに今回は、あまり素性を隠さずに調べた方がうまくいくと思うから」


 さっきからローゼさんは、何か考えがあっても手の内を明かしてくれません。わたしはまだ助手として信頼されていないのでしょうか……。

 しかし、意外となんとかなるというローゼさんの言葉どおり、水質検査の責任者の人と話をする段取りが、あっさりと整いました。どうやら向こうも、川の問題が一向に解決しないことで頭を抱えていて、探偵が協力してくれたらありがたいと考えたようです。


「いやあ、ここ最近は森の人たちも、この街で水を買うようになって静かになりましたけど、初めのうちは苦情が絶えなくて……いつになったら川の水が安心して使えるようになるんだ、とか、ちゃんと調べているのか、とか」


 責任者の男性は手拭いで汗を拭きながら言いました。ちょっと肥満気味なせいか、さして暑くないのに汗っかきです。あるいは少し緊張しているのでしょうか。


「それで、あの川の被害について調べているそうですね」

「ええ」男性の問いにローゼさんが答えます。「探偵のローゼです。まあ、本名ではなく通り名ですけど。彼女は相棒のシャルロット」


 ちらっと顔を向けて、わたしのことも紹介してくれたので、挨拶代わりに会釈します。左手でスカートの裾をつまみ上げ、右手を胸元にあてて、ぺこりと小さく頭を下げました。

 ……変だったでしょうか? ローゼさんのわたしを見る目が、どこかかすかに怪訝そうですが。


「私はここの部署の責任者で、ドリーといいます。川の水質調査には、私も責任者として毎回同行していました」

「同行していた、ということは、検査は複数人でしていたんですね?」

「ええ。私以外は人員を変えて、いつも三人体制で検査に行っています。それと、検査の日取りについては私と上司で相談しながら決めていて、当日まで他の人には一切知らせないようにしています。もちろん他の社員にも知らせていません」


 抜き打ち検査ということですね。徹底しています。


「やっぱり、外部に検査の日取りが漏れないようにしているわけですか」

「最初はそこまで徹底してなかったんですが、何度検査しても異常が見つからないのに、次々と被害の報告があるものですから、我々が検査する日を、あえて避けながら有害物質を流している可能性が浮上したんです」


 この人たちもどうやら、あれを呪いではなく、意図的に流された有害物質のせいだと考えているようです。まあ、ローゼさんも言っていましたが、それが順当な考えです。


「それで抜き打ちという形にしたわけですね。ところが、被害は収まらなかった」

「ええ……上層部だけで人員や日取りを決定する形にしてからも、それは変わりませんでした。そのうち呪いだなんて騒ぐ人も出てきて、頭を抱えていますよ」


 ドリーさんはその言葉どおり、頭を抱えて困ったような表情をしています。

 わたしも少し気になって尋ねました。


「そういえば、この街でも呪いの噂は広まっているみたいですね。でも山のふもとなら、ここにも川は流れていると思いますけど、呪いに怯えているような人は見当たりませんでしたよ」

「わたしも同じことが気になっていた。いい視点だな」


 これは褒め言葉でしょうか……ローゼさんと同じ考えだといわれて、わたしは嬉しくて拳をぎゅっと握りしめました。いえ、こっそりと。


「ああ、それは当然ですよ。森の方では被害が多く報告されていますけど、この街では同じ期間にひとりも被害者が出ていないんです。確かにこの街でも川の水は使われていますけど、浄水設備を通して各所に供給されているので、ここの水は呪われていないと思われているんですよ」

「それは、なんというか……」

「機械を通しているから呪いが無効だとか、都合のよすぎる解釈だな」


 ローゼさんはバッサリと言い切りました。こういう、どんなふうにでも解釈できてしまういい加減さが、呪いが科学と相容れない所以なのでしょうね。


「ああ、そうだ。呪いといえば……」ローゼさんが思い出したように尋ねます。「最初は上流にあった製油工場が原因として疑われていましたよね。なんでも、工場が稼働していた頃、汚染された廃水を川に流していたことがあったとか」

「ええ、それは確かですよ。私も、その流出事故が起きたとき、検査に立ち会っておりましたから。もっともその時は戦争中でしたから、せっかくの検査結果も握りつぶされて、うやむやにされてしまいましたけどね。森の長老もそれでお怒りでしたから、今回のことでも真っ先に工場が原因だと言い出されて……」


 なるほど、森の長老が主張したから、真っ先に工場が検査対象になったわけですね。

 ……って、誰ですか、森の長老。


「えーと、森の長老というのは、あの森の地域を治めている方ですか」

「まあ、そんなところですかね。この熱帯地域には大小さまざまな部族があって、互いが干渉も争いもせず、うまく縄張りを決めて暮らしていたんですよ。長老は、あの森を中心とした部族のリーダーでしてね。ところがユーロピア系の裕福な国がこの辺りに進出してきたとき、そうした縄張りを無視して開発を進めたものだから、部族間の争いが起きてしまって……そのせいもあって、森の長老は、ユーロピア系の国々が投資して発展したこの街に対して、あまりいい感情を持っていないんです」

「ふうん、どこでもよく聞く話ね。強国が自分たちの都合で他国を開発して支配下に置いた結果、争いの火種をばらまいてしまった……ここもその例に漏れなかったわけね」

「まさしくそういう話です」ドリーさんは肩をすくめて言います。「特にこの街の有力者一族であるケルマ一家の棟梁とは、昔から仲が悪かったですから、なおさらいい顔をしないのです。ケルマ氏がこの一帯を統合してひとつの街にしようと提案したときも、神聖な森をこれ以上荒らされてたまるかと突っ返したそうですから」


 さっき通りすがりの人が言っていたいざこざというのは、このことでしょうか。

 それにしても、次々と登場人物が現れますね。というか、ドリーさんのお話はいつまで続くのでしょう。ここには水質検査の詳細を知るために来たはずなのですが。ローゼさんも全く話を戻そうとしませんし。


「そのケルマ一族というのは、どれほど影響力を持っているのです?」

「少なくともこの街の統治機関には顔が聞きますよ。さすがにこの国の政府にまでは手が届かないと思いますけど、この街で彼らに逆らえる人はいないと思いますね」

「じゃあ、例の製油工場とは、特に繋がりはないんですか?」

「うーん……いや、そうでもないですね。あくまで噂ですが、あの森に工場を誘致する際に、一族が資金的な後ろ盾になったと言われています。まあ、戦争の混乱期のことですし、結局工場も閉鎖されましたから、今となっては確かめようもないですけどね」

「…………」

「ところで、そろそろ水質検査の資料を見せてもよろしいでしょうか……」


 どちらかといえば聞かれてもいない話を延々と続けていたはずのドリーさんが、話を本筋に戻してくれました。


「ああ、そうでした。とりあえず検査の手法と結果、それと日取りや人員についての記録と、関係する被害の記録があれば見せてください。川の水の被害が起きた時点から、全部です」


 なんですって? 正気ですか、ローゼさん。つまり一年分の記録を全部見るということになりますけど。わたし、そこまで付き合える自信ははっきり言ってないですよ?

 ……なんて、言えるはずもありません。ローゼさんは相棒と言ってくれましたが、扱いは要するに助手ですから。

ごり押しで現状変更しようとすると、ろくなことにならないということです。中には中国やロシアみたいに、国家規模でやらかすところもあります。こういう自分本位で身勝手な国が未だにいるから、世界から戦争がなくならないんですねぇ。

というわけで、次週も手掛かりが沢山ばらまかれます。推理を進めつつお待ちください。

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