Section 2-Four
ベルサさんの夫が、水と燃料を携えて帰ってきたところで、ベルサさんがわたし達の事情を説明してくれました。道の途中で車が燃料切れになって動かないこと、探偵として川の呪いの調査に乗り出すことを。幸い、もう一度ふもとの街に行けるだけの燃料は残っているとのことで、分けてもらえることになりました。
ただ、一本道だから迷わないとはいえ、ここまで結構歩いてきましたから、燃料入りの容器を抱えて車まで戻るのは大変です。……と、思っていたのですが。
「おー、お嬢さん力持ちだねぇ」
同行している旦那さんが感心しています。燃料の容器は一抱えほどありそうですが、ローゼさんは肩に担いで運んでいます。全く苦しくなさそうです。
「この程度の荷物なら片手で運べる。教練で運ばされたものはこの比じゃなかった」
「教練? 探偵の養成所でもあるのかね」
「……探せばどこかにはあるんじゃないか」
煮え切らない返答です。探られたくない事でもあるのでしょうか。そもそも、探偵の養成所で、そんなきつい力仕事を任されるというのが、どうも腑に落ちないのですが。
結局、ローゼさんの過去には誰も突っ込まないまま、雑談しながら歩いていくうちに、ようやく車が見えてきました。燃料の切れた中古の車を盗んでいく人は、さすがにいなかったみたいです。
「お、無事だな。車が盗まれることはなくても、部品が盗まれることくらいは覚悟していたけど」
わたしの考えを見通したように、ローゼさんは車のあちこちを見ながら言いました。心を読まれたかと思ってびっくりしましたよ……。
「しかし、お嬢さんがそれだけ力持ちなら、俺が付き添う必要はなかったかな」
「ふもとの街に行けば、燃料が買えるんだろう? それまでの分だけもらえたら十分だ。元々全部使うつもりはなかったし、余った燃料はそっちに返すから、付き添いは必要だったよ」
「おお、そうか」
旦那さんは簡単に納得しましたけど、車を動かせるようになるなら、余った燃料を車に積んで戻ってくれば、旦那さんが付き添う必要はなかったのでは……それとも、全部持っていかれると疑われないようにするためでしょうか。
そんなわたしの疑問をよそに、ローゼさんは燃料を車に注入し、運転席に入ってエンジンをかけます。ブルンと音を立てて震え出し、止まる様子はありません。
「動きそうですね」
「よし、行くか。おじさん、燃料ありがとう」
「結構もっていったな……まあいいか。川の呪いで苦しめられずに済むなら安いものだ」
満杯に入っていたはずの容器には、三割ほどしか残っていませんでした。旦那さんは複雑そうな顔をしながらも、最後は笑って許してくれました。
なんというか、すみません。
「ほら、シャルロットも早く乗って」
「あ、はい」
わたしが助手席に乗り込んだことを確認して、ローゼさんは車を発進させました。ふもとの街へ……ではなく、なぜか逆方向へ。いきなり急発進して百八十度旋回するものですから、遠心力で飛ばされるかと思いましたよ。うわあ。
呆然と立ち尽くしている旦那さんには見向きもせず、ローゼさんは元きた道を逆走していきます。
「あの……たぶん、ふもとの街は逆方向ですよ?」
「その前に行くところがある」
「行くところ?」
「例の製油工場だよ。さっきの話だけじゃ、はっきりしないことがあるからな。とうに稼働していないそうだが、現場を見て分かることもあるだろう」
製油工場で過去に起きた殺人事件の噂に、腑に落ちない点がいくつもあるとローゼさんは話していました。果たしてこの噂が信用に値するのか、これから確かめるのでしょう。
わたしはまだ、ローゼさんが実際に調査するところを見ていません。ですので、ようやく探偵らしいところが見られると、わたしは内心わくわくしています。
事前にこの地域の地図を見せてもらっていたので、製油工場があった場所は分かっています。道も複雑ではないので、その場所に行くのは簡単です。でも、実際には目印も何もないのに、ローゼさんは分かれ道でも迷わず進んでいきます。一度しか見ていない地図の中身を、寸法も含めて正確に記憶しているようです。すごい。
というわけで、思いのほか早く、くだんの製油工場に辿り着けました。
「…………」
車を降り、ローゼさんと二人並んで、呆然としながら大きな建物を見上げます。見てくれは確かに工場ですが、長く放置されたからでしょうか、ボロボロに朽ちているうえに大量のツタが絡みついています。
「なんというか、見る影もありませんね……」
「わたしは結構見慣れているけどな。ん?」
ローゼさんの視線がちょっと下がって、日に焼けて変色した看板に向きます。
「ここ、官営工場だったのか」
「はい?」
「役所が作り、役所が管理している工場ってこと。この地域の規模だと、国が運営していると見るべきね。まあ、作った油は戦争に利用するしかないから、国の管理下にあるのは自然なことだ。当然ここの責任者も、国から派遣された役人ってことになる」
……ローゼさんが腑に落ちないところ、その一。見つけました。
「そんな人が突然いなくなったら、遺体を隠してもすぐに気づかれますよね?」
「国との連絡役でもあっただろうし、連絡が途絶えたら異常事態を疑うのは自然だよな。当然警察も動き、捜索が始まる。もっとも工場の方は、代わりの責任者をすぐに派遣して、操業停止にならないようにしただろうけど」
「政府や警察が動いたなら、もっと確かな情報が広まっているはずですね」
「少なくとも責任者の性別くらいは、はっきりと伝わっていてしかるべきだ」
でもベルサさんは、殺された責任者のことを噂程度にしか聞いていませんでした。これは確かにおかしいです。
「まあ、おかしいのはそれだけじゃないけど」
ローゼさんは工場の中に向かって、てくてくと歩き出します。稼働していないとはいえ国の所有物です、勝手に入っていいのでしょうか……。
もう、知りません。わたしは迷いを振り切って、ローゼさんの後を追います。
工場の内部はほとんど空っぽで、設備も残っていませんでした。その代わり、開放された扉や窓から入り込んだらしき、枯葉や木の枝が床に散乱しています。中はとても広々としていますが、稼働していた頃はどうだったでしょう……体感として狭いと思っていた人は少なからずいたかもしれません。今となっては知りようもありませんが。
ローゼさんは、足元の枯葉や枝を踏みながら、どんどん先へ進んでいきます。時折、枝が折れてパキッという音が鳴ります。わたしはローゼさんのように丈夫な靴を履いていないので、そうした枝の破片を避けながら進んでいます。
奥まで行くと、非常口らしき扉が開けっ放しになっているのが見えてきました。ローゼさんはその扉をくぐって外に出ました。
非常口の向こうには、森の入り口があります。工場が閉鎖されてから、ずっと管理が行き届いていないらしく、この森の木々にもツタが絡みついています。建物のそばは割と開けていますが、森の中は薄暗そうです。
鳥や虫の鳴き声が聞こえます。その声に紛れて、さわさわと静かな音が……川が近くにあるのでしょうか。
「思ったより川が近いな……まあ、廃水を捨てるなら近い方がいいけど」
「ローゼさん。ここって植物から油を取っていたんですよね。だったら、植物を育てる農場が近くにあると思いますけど、どこにあるんでしょう?」
「さあね。どこにあったとしても、戦争から五年たって、工場の中もあんな状態なんだ、恐らく農場も原形を留めていないだろう。あるいは、この建物の中で、人工的に栽培していた可能性もある。どちらにしても当時の状況を知るのは困難だ。当事者に話を聞かない限りは、な」
「当事者、いるでしょうか……」
「どうだろうな。まあ、見つけなくてもどうにかなるとは思うが」
ローゼさんはそう言って森の中に入っていきます。もちろん人が通れる道などないので、木々の間に茂る草を踏みつぶしながら進みます。何度も言いますが、わたしは森の中を歩くには向かない服装をしているのです……。
しかし、ローゼさんについて行ってみると、さして歩くことなくたどり着けました。森の木々の間を縫うように、静かに流れている川に。
「……って、浅すぎませんか、この川」
岩の間とか地面の凹んだところを、ちょろちょろと水が流れているだけの、川と呼ぶにはあまりに規模が小さいものでした。さっきと同じ川とは思えません。
わたしは少し意外だったのですが、ローゼさんは淡々としたものです。
「川の上流なんてこんなものよ。実際に見るまでどんな状態か分からなかったけど」
……ローゼさんが腑に落ちないところ、その二。見つけました。
「こんなに小さかったら、人間の体をいくら細切れにしても流せませんね」
「水流の勢いも弱いしね。そもそも、下流にはこの川の水を普段から使っている家が三十近くあるんだ。肉片や血が流れてきたら、誰か一人くらい気づいて、それこそ噂どころじゃない騒ぎになるだろうさ」
確かにそうです。ベルサさんの話を聞いた時点で、このことには気づくべきでした。それにしても、魚を採って食べる話をした時もそうでしたが、肉片とか血とか、おぞましい単語をよく平然と使えますね……。
「もちろん事件当時、大雨が降っていたりすれば話は違ってくるけど、後で発覚する危険を考えたら、遺体は埋めた方がずっといい。まあ、犯人たちが合理的に行動したとは限らないし、もしかしたら、川に捨てたことだけが嘘で、本当に殺人があって、この森に埋めた可能性もあるけど」
「少なくとも、遺体が細切れにされて川に流されたという噂の、信憑性には疑問がありますね」
ローゼさんが事件当時の天候について尋ねたのは、このためだったようです。大雨であれば、いくら小さい川でも増水して流れも速くなりますし、水を汲むために川へ出ることもないから、捨てた遺体が見つかる危険性は減ります。
でも、海などに到達するまでに誰にも見つからず、どこにも引っかからず、都合よく流れてくれる保証はありません。細切れにすれば数も増えますから、途中で見つかる可能性は常にあります。仮にそうした危険を顧みずに犯行に及んでも、どこかで遺体の一部が見つかれば……そして、工場の責任者が失踪したと判明すれば、それこそあやふやな噂ではすまないでしょう。
「というわけで、やはり殺人の噂は作り話である可能性が高い。巡り巡って、川の呪いの話も、意図的に流されたものだと考えられる」
ローゼさんはくるりと踵を返し、工場に向かって歩き出しました。わたしはローゼさんにぴったりとついて行きながら尋ねます。
「ローゼさん、誰が何の目的でこんなことをしたか、分かるって言っていましたけど」
「確信があるわけじゃないけど、だいたいの見当はついている。もっとも、犯人や目的を特定したところで、今回の依頼を達成できる保証はない」
「え?」
「わたしの想像が正しければ、この調査、割と危険を伴うかもしれない」
ローゼさんが冷静に告げたその言葉に、わたしは一瞬、びくりと震えました。
どういうことでしょう……ローゼさんが誰に目をつけたのか分かりませんが、もしかするとそれは、相当な危険人物なのでしょうか。ベルサさんの話の中に、それらしい人物がいたという記憶はありませんが。
工場の敷地を出たところで、ローゼさんはわたしに向き直ります。
「どうする? 今なら引き返すこともできるけど」
「ローゼさんは行くんですよね。だったらわたしも行きます」
わたしがはっきり答えると、ローゼさんは眉間にしわを寄せました。
「……分かっていると思うけど、命の保証はできないよ。あんたからの依頼もあるから、できる限り守るつもりではいるが」
「ええ、分かっています。でも、わたしからの依頼の対価は、ローゼさんの仕事を手伝うことです。安全なところでローゼさんの帰りをただ待っているだけなんて、そんなことはできません」
「別にいつも調査に付き合ってほしいと言ったわけではないんだが……」
ローゼさんがわたしを調査に連れて行きたくないのは当然です。この人には、この先に危険が待っていると分かっているから、わたしを巻き込みたくないのです。決して意地悪で言っているわけでないことは理解しています。
ですが……わたしはじっとローゼさんを直視します。ゆずる気はない、降りる気はないという意思表示です。そのうちにローゼさんは根負けしてしまいました。
「はあ……絶対にわたしから離れるなよ」
「はい! 絶対に離れません!」
「いや、適切な距離を保って行動しなさい」
覚悟を決めてローゼさんの腕にしがみついたわたしに、ローゼさんは顔をしかめながら言いました。振り払おうとはしないのですから、この人も意外と甘いのです。
……人が見てない所で、結構イチャイチャしてそうですね、この二人。
それにしても、ローゼはいったい何者なのか、少し綻びが見えた気もしますが、お楽しみはもう少し後に取っておきましょう。
次週から、事件解決の手掛かりを大量放出します。




