後編「恒例行事」
「……ということがあったの、覚えてる?」
「何度目だよ、この話。それに、あれが俺たちのきっかけだからな。忘れるわけがないさ」
同じベッドで横になっている彼が、私に微笑みかける。
確かに、彼の言う通りだ。あのアクシデントこそが、私たち二人を結びつけてくれたのだ……。
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あの後。
いつのまにか砂浜を走り抜けて、私は岩場でしゃがみこんでいた。
「みんなに見られた。三島くんに見られた。どうしよう。もう合わせる顔がない……」
恥ずかしい。本当に恥ずかしい。穴があったら入りたい、というのは、まさに今こういう時の心境なのだろう。
「ビキニなんて、着るんじゃなかった。慣れない水着なんて、着るんじゃなかった……」
ワンピース型とは違って、紐で結ぶタイプ。脱ぐ時に解けないと困るから、蝶結びにしておくのだが、まさか少し腕を動かしただけで解けてしまうとは……。
もしかして、私の結び方が悪かったのだろうか?
今さら遅いが、そんなことを考えていると、
「由貴子ちゃんって、あんな大きな声も出せるんだな。由貴子ちゃんの新しい一面を見せてもらえて、なんだか嬉しいよ」
後ろから声をかけられて、私は飛び上がるほど驚いた。
首だけで振り返ると、そこに立っていたのは三島くん。
つい先ほど、合わせる顔がないと思ったはずなのに、まじまじと彼の顔を見つめてしまう。
「三島くん……? どうして……?」
「忘れ物を届けに来た」
彼が手にしているのは、私の水着のトップ。
いや、持ってきてくれたのは助かるけど、普通こういうのは、同性の久美ちゃんあたりの役目だよね……? なんで男の三島くんなの……?
頭の中に疑問符をたくさん浮かべながらも、とりあえず、ビキニを返してもらう。私が付け直す間は、彼も背中を向けてくれた。
しかも。
「ビキニの紐の蝶結びは、一度ではなく二度結んでから蝶を作るようにすれば解けにくい、という話だ」
と、アドバイス。私としては、なぜ男なのにそんな知識があるのか、と詰問したいくらいだった。
さらに。
「それでも『また落ちるんじゃないか』と心配なら、今日は俺が、つきっきりでガードするからさ」
「えっ?」
「ほら、せっかく来た以上は、ちゃんと海で遊ばないと、もったいないだろ? でも、みんなのところには、ちょっと顔を出しづらいかと思って……。だから今日は、人気のないところで、俺と二人で海水浴を楽しむ、というのはどうかな?」
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「……そう言って、あなたは私を独占したのよね、あの日」
当時の私にしてみれば、むしろ独占されて嬉しかったわけだが……。
後で彼から聞き出した話によると。
あの場面における、私の「いやあああああああああ!」という叫び声。それを耳にした瞬間、彼は「この子は放っておけない」という気持ちになったのだという。私のことを、強く意識したのだという。
「そして海水浴から帰ってからも、あなたは私を構ってくれて……。二人で一緒に遊ぶようになって、今に至るのだから、人生ってわからないものね」
普通ならば「そうだね」と言ってくれる彼なのに、返事がない。
よく見ると、もう彼は目を閉じていた。耳をすますと、寝息も聞こえてくる。
「あら。それじゃ、私も……」
大学時代の海水浴のアクシデントについて振り返るという、結婚記念日の恒例行事を切り上げて。
夫の隣で、幸せな眠りにつくのだった。
(「夏の浜辺の一大事」完)