2.ミレイナ、脱走を図る(6)
「いいえ、見ていません」
「……そうか」
それを聞いた瞬間、ジェラールは今度はわかりやすくがっかりした表情を見せた。
ミレイナはその様子を見つめていて、もしかしてと思い当たる。
「もしかして、陛下は昨晩、ウサギを探してあそこにいらしたのですか?」
ジェラールは少し居心地が悪そうに視線を彷徨わせたが、はあっと息を吐いた。
「ああ。保護していたウサギがいなくなったんだ。ゴーラン──ここにいるフェンリルは鼻がとても利く。確かにあの辺りにいたはずなのだ」
そこまでして食べたかったのかと驚きを禁じ得ない。
だからゴーランはまっすぐにミレイナに向かってきたのかと、ようやく合点した。
「……。ウサギはそんなに美味しくないですよ?」
ウサギを食べたことは前世も含めて一度もないけれど、そう言ってやんわりとウサギを食べるのは諦めるように誘導する。すると、ジェラールは不本意そうに眉間に皺を寄せた。
「食べるわけがないだろう。保護していたんだ」
「え? 食べないんですか?」
二人の間に沈黙が落ちる。
(じゃあなんで、『太らせて食べる』なんて言ったの!?)
自分を食べるために保護していたのだと思っていたミレイナはジェラールの思わぬ答えに驚いた。
初めて連れてこられた日に、確かに『太らせて食べる』と聞いたのに、一体あの発言はなんだったのか。
「……アリスタ国ではウサギを常用的に食べるのか?」
「人によります。私は食べません」
そう答えると、ジェラールはどこかホッとしたような表情を浮かべた。そして、二人の間に沈黙が落ちる。
「たぶん──」
ミレイナは考えるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「保護していたということは、怪我をしていたのですね? そのウサギは傷が癒えたので、家に帰ろうとしたのだと思いますわ。陛下がそのウサギを保護したのは、アリスタ国の方向だったのではありませんか?」
「お前はウサギの生態に詳しいのか?」
「…………。以前、飼っていましたので。動物の世話をする仕事をしていました」
「そうなのか?」
ジェラールは驚いたように、ミレイナを見つめる。
ミレイナはいささかの居心地の悪さを感じて身じろいだ。うそは言っていない。
以前──前世のペットショップ店員だったときに犬や猫、小鳥やウサギも世話していた。
「ウサギは森で一匹で生きていけるものか?」
「元々森で一匹で生きていたなら、大丈夫ですよ」
「寒さで震えていないだろうか?」
「もふもふの毛で覆われていますからね。大丈夫かと」
「食事に困っていないだろうか?」
「なんでも食べるんで平気です。その辺の草とか探して食べます」
なにも心配する必要ないと言い放つミレイナに対し、ジェラールはなおもなにか言いたげな表情を浮かべる。
(もしかしてこの人、本気で心配しているのかしら?)
ここにきてミレイナはようやく理解した。
ジェラールは、ララがいなくなって心配しているのだ。この気に掛け方は、食べられなくてがっかりしているというものではない。
「陛下、大丈夫です。そのウサギはきっと元気にしています」
元気づけるように言うと、ジェラールは少し考えるように押し黙ったが、すぐに顔を上げた。
「そうか。では、その言葉を信じるとしよう。邪魔をしたな」
ジェラールは話は終わったとばかりに立ち上がる。ミレイナは肝心のことを伝え忘れていることに気が付いた。
「あの、陛下」
「なんだ」
ジェラールがこちらを振り向く。
「助けてくれて、ありがとうございます。私のことも、そのウサギのことも」
一瞬驚いたような表情を見せたが、ジェラールはほんの少しだけ口角を上げた。
「構わない。傷が治るまで、ここで癒やせばよい。困ったことがあればメイドに伝えよ」
ジェラールについて行こうと立ち上がったゴーランは、一旦立ち止まるとこちらに歩み寄ってきて、クンクンと鼻を寄せる。そして、ブンブンと尻尾を振った。
「ふふっ、いい子ね。可愛い」
ミレイナは笑みをこぼしてゴーランの頭と首の辺りをわしゃわしゃと撫でる。大きさは比べものにならないが、まるで犬のようだ。
昔ペットショップで世話をしていたシベリアンハスキーを彷彿とさせる。
ジェラールは入口からこちらを振り返り、意外そうな顔をした。
「魔獣を怖がらないなど、珍しいな」
「だって、いい子です。可愛いわ」
ミレイナが笑顔でそう答えると、ジェラールは少し考えるように黙り込んでから口を開いた。
「王宮の外れに、魔獣を保護している施設がある」
「魔獣を保護している施設、ですか?」
「ああ。魔獣が好きなら、行ってみるといい。ゴーラン、行くぞ」
ジェラールに呼ばれたゴーランは、ゆっくりとそちらに向かって歩いてゆく。
それを確認したジェラールは今度こそ踵を返すと、振り返ることなく部屋を後にした。
ミレイナは遠ざかる足音を扉越しに聞きながら、ふうっと息を吐いた。
「食べるつもりじゃなかったのね」
でも、同時にまた先ほどの疑問がよみがえる。
「じゃあ、なんであんなこと言ったのよ……」
あの発言のせいで、ミレイナは死の恐怖に怯え、更には大好きなラングール人参を目の前にしながらお預け状態で耐えたのだ。ひどいじゃないか!
理由を考えてみたけど、さっぱり思い付かない。
(あの人って、やっぱり掴みきれない人だわ)
部下に対して威圧的な物腰や冷淡な態度を見せたと思えば、ララに対して見せた優しい眼差しもする。それに、ミレイナのこともこうして助けてくれた。
どんな人物かは分かりかねるが、アリスタ国でよく耳にした『残虐な悪魔』というのは違っている気がした。




