2.ミレイナ、脱走を図る(5)
ラルフが言ったとおり、その日食事はメイドが部屋まで運んできてくれた。
お昼ご飯のメニューは肉のソテーと生野菜のサラダ、パンとスープ、それにいちじくの乗ったタルトだ。
「食後の紅茶をご用意しますね」
「ありがとうございます」
普段、自分のことは全て自分でやっているミレイナは食事を配膳されるだけで恐縮してしまう。ましてや、ここへは招待されたわけでもないのだから。
お礼を言うと、メイドはにっこりと微笑んだ。ミレイナはその女性を見上げて、釣られるように微笑む。
(この人、あの日にジェラール陛下の部屋の掃除をしていた人だわ)
赤みを帯びた茶髪に、少しだけ低い鼻、くりっとしたグリーンの瞳。笑顔に愛嬌のある女性だ。名前は確か──リンダだっただろうか。
「なにかご入り用だったら、部屋のこの鈴を鳴らして下さいね。メイドの控え室に繋がっているから。わたしは普段別の場所を担当しているからいないかもしれないけれど、別の人が来てくれるはずよ」
リンダはそう言って微笑むと、食べ終えた食器を持って部屋を出る。
ミレイナは一人っきりになった部屋で、ソファーに座った。手を足に伸ばすと、今朝お医者様が巻いてくれたばかりの包帯が触れた。
「ここの人達は、なぜこんなにも親切にしてくれるのかしら?」
アリスタ国にいるとき、竜人とはとても恐ろしい人達だとされていた。
暴力を好み、冷酷非道な野蛮な民族。
ララとして過ごしている間にも感じたけれど、そのイメージと実際の印象があまりにも違いすぎて、戸惑ってしまう。
ミレイナはローテーブルに置かれた、先ほどリンダが用意してくれたティーセットに手を伸ばす。ポットから紅茶を注ぐと、美しく絵付けされたティーカップに透き通った赤茶色の液体が満たされる。
一口飲むと、柔らかで優しい味わいが広がった。
やることがなくて手持ち無沙汰で窓から外を眺める。ララの姿のときは目線が低くて何も見えなかったが、人の姿をしているとテラスの先までよく見渡せた。
そのとき、ミレイナは遠くからまた足音が近付いてくるのに気が付いた。どことなく、急いでいるような歩調だ。しかも、人の足音と共にもっと大きな何かが近づくような音もした。
(誰か来る?)
誰が近付いてきたのだろうとミレイナは耳を澄ましていると、足音はミレイナの部屋の前で止まった。ドンドンと荒々しくドアがノックされる。
「どうぞ」
言い終わるか否やというタイミングで、ドアがバシンと開かれた。
突然現れたその人物に、ミレイナは驚いた。青味を帯びた銀色の髪、深い青色の瞳、整いすぎて冷淡に見えるその人は、ラングール国の王であるジェラールだった。黒い上質な衣装には、襟や袖に金糸の刺繍飾りがふんだんに施されている。
そして、後ろにはフェンリルのゴーランを連れていた。
「お前に聞きたいことがある!」
ツカツカと歩み寄ってきて、ガシリと腕を掴まれてミレイナは恐怖を感じた。
元々竜人は長身な民族。たとえ人の姿を取っていても、ミレイナとは頭一つ分以上、身長が違う。しかも、相手は残虐非道と噂され、『白銀の悪魔』と呼ばれる竜王なのだ。
無意識に体が震えると、ジェラールはミレイナが怯えていることにすぐに気が付いたようで慌てて手を離した。
「悪かった。少し気が急った」
ジェラールは一瞬だけ狼狽えたように視線を彷徨わせたが、またすぐにその透き通るような青い瞳でミレイナを見つめる。
「お前──」
「ミレイナと申します」
「俺は竜王のジェラールだ。ミレイナに聞きたいことがある」
ジェラールはさきほどと同じ言葉を繰り返す。
「聞きたいことと仰られますと?」
「ああ。昨日の晩、あの森で生き物を見なかったか?」
ミレイナは質問の意図が掴めず、困惑した。
「犬のような生き物を見ました。私を襲っていたあの魔獣です。あとは、その子」
ミレイナが片手を上げて指さすと、ジェラールはその視線を追う。そこには、ゴーランがお座りしてこちらを見つめている。
「いや、そうではなくてだな。もっと小さくて──」
「小さい? そういえば、リスのような魔獣は見かけました」
「リスと似ているが、違うんだ。もっと、耳が長くて、体はリスより一回り大きい。これくらいだ」
ジェラールは両手で楕円を作って大きさを見せる。体調二十センチくらいだろうか。
ミレイナはジェラールの説明を聞きながら、ピンときた。
「……もしかして、ウサギですか?」
「そうだ! 見たのか!?」
少し冷たい印象のジェラールの表情が、途端に明るくなる。
ミレイナはその反応に呆気にとられた。