2.ミレイナ、脱走を図る(4)
ラルフはミレイナの部屋を出ると、その足でジェラールの執務室へと向かった。ジェラールは、北部地域の都市整備計画の書類を確認している最中だった。
「陛下。昨日連れて帰っていらした娘ですが、確かに密猟者には見えませんね。本人は迷子になったと言っていました」
ジェラールは書類からゆっくりと顔を上げると、ラルフを見返す。
「知っている。昨日もそう言っていた。それで、俺は彼女に会いにいってもいいか?」
「まだだめです。もしかすると、陛下を狙う刺客の可能性もあります」
「武器も持たずに夜中に一人で森で泣いている刺客なんて聞いたことがないがな。しかも、弱そうだ」
ラルフはジェラールの発言を無視するように話を続けた。
「迷子だった証拠はあるかと聞いたら、国境沿いで魔法石の採集をしていた籠を置きっぱなしにしてきたと言っていました。念のため、事実かどうか確認してきます」
「俺はその間に会いに行っても?」
「いけません。確認が取れるまで待って下さい」
ラルフにぴしゃりと言い放つと、ジェラールを見返す。
「なぜ、陛下はそんなに彼女と話をしたいのですか?」
ジェラールはぐっと言葉に詰まった。
ウサギのララの居場所を知らないかと聞きたいからと打ち明けるのは、竜王の沽券に関わる。
そう、なにを隠そう、ジェラールは無類のもふもふ好きだった。
ふわふわの毛並みの魔獣達を愛でると、心が癒やされる。
しかし、ラングール国にはもふもふを愛でる習慣がない。魔獣などのもふもふを触って喜ぶのは子供くらいだ。
竜王がもふもふ好きなどと知られるのはなんとなく恥ずかしい。
そのため、ジェラールは細心の注意を払ってこの『無類のもふもふ好き』の事実を隠し通し、フェンリルのゴーランだけを従獣として側に置き、ぐっと我慢して過ごしてきた。
──だが、しかしだ。
ついに先日、運命の出会いをしてしまった。
黄金色の毛並みに包まれた、小さな天使に出会ったのだ。
愛らしいその姿を見た瞬間、一気に虜になった。
長い耳、薄茶色いつぶらな瞳、黄金色の柔らかな毛並み。人参を囓るときにもぐもぐと動く口元。
どれを取ってもまさに生ける天使である。
部屋に置いておくことを不審がるラルフには『太らせて食べる』と適当な嘘を並べてやり過ごした。ジェラールから言わせれば、あの天使を食べるなんてありえない。
ところが昨日、ジェラールが留守にしている間に、その天使──ララがどこかへいってしまった。必死に執務室内を探してもおらず、メイド達に探させるわけにもいかない。
そこで、鼻が極めてよく利くゴーランに探させてその後を追うと、森であの少女と出会った。
ゴーランはなぜか役目を果たしたとばかりにその少女に寄り添い、それ以上ララを探そうとはしなかった。
怯えたような表情でこちらを見つめるつぶらな瞳はララと同じ薄茶色。
胸の位置まで伸びた髪の毛もララの毛並みと同じ黄金色。
さらにその小柄な体つきがなんとなくララを彷彿とさせ、怪我をしていたこの少女を保護して王宮まで連れて帰ってきた。
しかし、肝心のララが未だに見つからない。
フェンリルであるゴーランの鼻のよさは折り紙付きだ。絶対にあの辺りにいたはずなのだ。
もしかするとあの少女が森で見かけたかもしれないと思い、ジェラールは一刻も早く話を聞きに行きたかった。
だが、それを話すと自分がもふもふ好きだとラルフにバレてしまう。ラルフは側近というだけでなく、ジェラールの幼いときからの親友でもある。絶対にからかわれる。
ジェラールはなんの感情も乗せない表情で、ラルフを見返す。
「俺が保護してきたのだから、様子を見に行くのは当然だろう? 魔獣を保護した際も、いつもそうしている。それに、不審な人物であればすぐに罰しなければならない」
「人間は、魔獣ではありませんよ。ところで、彼女は陛下が抱えるか乗せるかして帰ってきたのですか?」
ジェラールは僅かに眉を寄せた。
「そんなわけないだろう。ゴーランの背に乗せた。なぜそんなことを?」
「彼女から、陛下の気配が強く感じられたので」
気配が移る、というのは番いになった竜人同士が長時間触れあっていたりすると、互いの魔力が相手に移ることだ。
「気のせいだろう。もしくは、人間には少し触れただけで気配が移りやすいのかもしれない」
ジェラールは事実、あの少女には殆ど触れていない。触れたのは、木から下ろすために手を貸したときだけだ。
ラルフは納得いかなそうな表情を浮かべたが、それ以上は聞いてこなかった。
「では、取り急ぎ確認に行って参ります」
ジェラールはその後ろ姿を見送ってから、広い執務室内を見渡す。
いつも隠れているカーテンの裏にも、ソファーの下にも、やっぱりララはいなかった。