2.ミレイナ、脱走を図る(3)
ミレイナは自分の足首に巻かれた包帯を見つめ、ため息をつく。
「なんでこんなことに?」
ミレイナは昨晩、ジェラールにより保護されて王宮にとんぼ返りした。
今度は人間として。
魔獣に襲われて負った怪我はジェラールから指示を受けた医師が手当てしてくれた。そして、今は王宮の端にある一室をあてがわれて、そこにいる。
ミレイナは途方に暮れて外を眺めた。
窓から見える庭園は手入れが行き届いており、芝生が敷かれている。
そして、庭園の一角には以前ジェラールの部屋にも飾ってあったロゼッタの花が咲いているのが見える。ロゼッタの花は、前世の世界のハイビスカスによく似ていた。
その合間を、男女が楽しげに歩いている姿が遠目に見えた。二人とも、とても幸せそうな笑顔を浮かべている。
「デートかしら?」
幸せそうな光景に、笑みがこぼれる。
しばらくその光景をぼんやりと眺めていると、背後のドアの向こうから足音が近付いてくるのが聞こえ、ミレイナはドアの方を振り返った。
じっと見守っていると、足跡はドアの前で止まり、トントントンと規則正しいノック音が聞こえる。
「どうぞ」
声を掛けるとドアが開き、現れたのは一人の男性だった。
目に掛かる前髪を横に流し、そこからは髪と同じ黒い瞳が覗いている。少し吊り気味の瞳と太い上がり眉から、無骨そうな印象を受けた。
(この人、前に会ったことがあるわ……)
ミレイナはその男性をまじまじと見つめる。
確か、初めてラングールの王宮に連れてこられた日にジェラールと話していた男性──名前はラルフだったはずだ。
その後も何度かジェラールの執務室に訪ねてきたのを見たことがある。
「こんにちは、お嬢さん。加減はどうだい?」
「お陰様で大丈夫です」
ラルフににこりと微笑まれ、ミレイナがおずおずとそう答えた。
(なにかしら?)
ラルフのこちらを観察するような視線に、ミレイナは居心地の悪さを感じて思わず身じろいだ。ラルフはミレイナを見下ろしたまま、すっと目を細める。
「少し話が聞きたいんだが、いいかな?」
「はい」
ミレイナが頷くと、ラルフは部屋にあったソファーセットの椅子に座り、ミレイナにも座るように促した。
「きみは──」
「ミレイナです」
「そう、ミレイナ。なぜ、昨晩あんな場所に一人でいた?」
ミレイナは答えに少し迷い、昨日同様に下手にうそをつかずに事実をいくつか組み合わせて話すことにした。
「国境沿いで魔法石の採集をしていたら、いつの間にか森に迷い込み、そのまま迷子になりました」
「国境沿いからあそこまで歩いただって?」
「はい……」
ラルフは納得できないような様子で眉を寄せる。
アリスタ国の国境からミレイナが魔獣に襲われた位置までどれくらい離れているのかわからないが、ミレイナはしらを切って頷いた。
ラルフはしげしげと目の前の少女を見つめた。
昨日の夜遅く、皇帝であるジェラールが従獣であるゴーランを連れてどこかに出かけた。
そして、深夜にずぶ濡れになってようやく戻ってきたと思ったら、足に怪我をしたこの少女を連れていたのだ。
迷子になったアリスタ国の人間のようだと聞き、ラルフはすぐに魔獣の密猟者であることを疑った。魔獣の毛皮や牙などは、魔力の源になる。
そのため、最近はアリスタ国の密猟者による魔獣の密猟が相次いでいる。
それだけでも問題だが、もっと大きな問題もあった。
竜化した竜人の子供をただの竜だと勘違いして傷付けるケースが出ているのだ。
しかし、密猟者であればたった一人であんなに森の奥深くまで入り込む必要がないし、武器を何も持っていないのもおかしい。
「それを何か証明する術はあるか?」
ラルフにそう聞かれ、ミレイナは途方に暮れた。
証明?
どうやって証明すればいいのだろう。
しばらく考えて、あることに気付く。そういえば、あの日収穫したものを入れた籠を置きっぱなしにしてきた。
「国境沿いの草原に、私が放置した籠がまだ落ちているかもしれないわ。魔法石と、たくさんの人参が入った──」
「人参?」
「ラングール人参よ。好きなの」
ミレイナはなんだか恥ずかしくなって、顔を俯かせる。
まさか誰も、人参を主食にしている人間がいるとは思うまい。
正確に言うと人間じゃなくてうさぎ獣人だけど、それは今ここで言う必要はないので勿論説明はしない。
「話はわかった」
しばらく無言でこちらを見つめていたラルフは、おもむろに立ち上がる。
ミレイナはハッとして顔を上げた。
「あの、私はこれからどうすれば?」
「まずは傷を癒やされよ。部屋からは無断で出ないように。食事はしばらく、部屋に運ばせる」
それだけ言うと、ラルフはすたすたとドアの方へ歩いて行き、部屋を出て行った。
ドアがバタンと閉まり、足音が遠ざかってゆくのが聞こえた。