番外編 竜王陛下、世界一の親バカになる
ここは竜人が治めるラングール国の王宮の一角。
既に夜はとっぷりと更け、真っ黒なクロスを敷いたような夜空にはまん丸の月が浮かんでいる。美しく整えられた王宮の庭園を、月明かりが優しく照らしていていた。
そんな中、竜王であるジェラールが落ち着きなく部屋の中を歩き回っていた。
「ラルフ、まだなのか?」
「まだですね」
「遅くないか?」
「初めてのときはこれが普通です。それに、先ほど同じ質問をされたときからまだ五分しか経っておりません」
「ミレイナに何かあったのかもしれない。見に行ったほうが──」
部屋のドアに手をかけようとしたとき、「ジェラール陛下」とラルフに呼び止められる。
「数時間前に『邪魔だ』とご自分が追い出されたことをお忘れですか?」
ラルフの冷ややかな制止に、ジェラールはうぐっと言葉を詰まらせ、ドアノブに伸ばしかけていた手を引っ込める。確かに、痛みに苦しむミレイナを見て動揺し、少々取り乱した自覚はある。
「少々ではありませんよ。一生懸命に対応する医師や助産師を魔法で無意識に威嚇するなど、言語道断です」
ラルフはまるでジェラールの考えていることを見透かしたように、ぴしゃりと言い放ったのだった。
竜王妃となったミレイナの懐妊が発覚したのは半年以上前のこと。
目覚め際に気持ちが悪いと言うことが増え、いつも美味しそうにもりもり食べていた食事も受け付けなくなった。
ミレイナが大病を患ったのではと心配したジェラールはすぐに国一番と誉れ高い名医を手配した。その結果、医師に笑顔で「おめでとうございます」と言われ、ジェラールが大喜びしたのは言うまでもない。
そして、今日の夕方頃からミレイナが産気づき、定期的なお腹の痛みを訴え始めた。すでにいつ生まれても大丈夫なように万全の体制で待機していた医師と助産師達によってミレイナは出産の準備に入ったわけだが、そこに駆けつけたジェラールがやらかしたわけである。
痛みに苦しむミレイナを見て動揺し、こともあろうか無意識に魔法を発動して医師と助産師を吹き飛ばした。全員無傷だったからよかったものの、あわや大惨事である。
そして、ジェラールは出産の邪魔であると入室禁止処分となった。
「もう日付が変わる。遅すぎないか?」
ジェラールが、先ほどと同じ台詞を呟く。その指先は落ち着きのなさを表すように、艶々と光る木製の執務机をトントンと忙しなく叩いていた
「今度は、先ほど同じ質問されてから四分三十二秒です」
静かに告げるラルフに、ジェラールは眉根を寄せる。
いつの間にそんなものを計っていたのか!
埒があかないからやっぱり様子を見に行こうとジェラールが立ち上がったそのとき、ドアがノックされる。
「陛下、ミレイナ様が先ほど無事に──」
その言葉を聞き終わらないうちに、ジェラールは部屋を飛び出してミレイナの元に向かう。ばしんと勢いよく目的の部屋のドアを開け放つと、ベッドに横たわるミレイナの姿が最初に目に入った。
「ミレイナ!」
「あ、陛下」
ミレイナはジェラールに気付くと、ふわりと笑う。ジェラールは足早にミレイナの元に歩み寄ると、ベッドサイドに膝をついてミレイナの手を握りしめた。
「随分と苦しそうだったが、なんともないか?」
「はい。想像以上に痛くてびっくりしましたが、ウサギ獣人は元々安産傾向が強いので」
ミレイナはジェラールを安心させるかのように笑う。けれど、その表情には疲労の色が見え、ジェラールを心配させないようにしているのは明らかだ。
「ミレイナ、頑張ってくれてありがとう」
手を握ったまま労るように額にキスをすると、ミレイナは嬉しそうにはにかむ。
そのとき、背後から「ふぇ」とか細い泣き声がした。笑顔の助産師が白い布に包まれた赤ん坊を連れてくる。
「ミレイナ様、ジェラール陛下、元気な女の子です」
助産師はミレイナの胸に抱かせるように赤ん坊を手渡してきた。ジェラールはこの赤ん坊を、覗き込む。
「小さいな……」
最後に生まれたての赤ん坊を見たのは妹のセシリアが生まれたときなので、二十年前以上前だ。ミレイナの胸に抱かれた赤子は、ジェラールの記憶の中の赤ん坊よりずっと小さかった。
「陛下と同じ、銀髪ですね」
ミレイナが腕に抱いた子どもを慈しむように見つめる。
「ああ、そうだな」
生まれたての子どもの髪は、ジェラールと同じ青みかかった銀髪だった。
「陛下も抱いてみますか?」
ミレイナにそう尋ねられ、ジェラールは戸惑ったもののおずおずとその赤ん坊を受け取る。
薄らと開いた目元から見える瞳も自分と同じ青だ。
「ジェラール陛下似でしょうか」
近くからジェラール達を見守る助産師が、にこにこしながらそう言った。ジェラールもその赤ん坊を見て、自分に似ているなと感じた。
自分に似た子どもが生まれてきてくれて嬉しい反面、愛らしいミレイナに似てほしかったと思わなくもない。
そのとき、赤ん坊がふわっ口を開け、くしゅっと小さなくしゃみをする。
その瞬間、ジェラールは赤ん坊に目が釘付けになった。
なぜなら──。
「あら? 半獣化しちゃったわ。見た目は陛下にそっくりだけど、この子は竜じゃなくてウサギに変化するのかしら?」
ミレイナが驚いたように口元に手を当てる。
ジェラールの腕の中にいる赤ん坊の側頭部。そこに、半獣化したときのミレイナと同じような垂れた耳が出てきたのだ。
その姿を一目見た瞬間、打ち抜かれた。
ウサギ姿のミレイナを見つけたときと同じような衝撃が走る。
天使だ。
小さな天使がいる。
垂れた耳を覆うもふもふの毛並みは髪色と同じく白銀色で、お尻を確認するとそこにもちょこんと小さな尻尾があった。
完全に獣化したときは白ウサギのような姿なのだろうか。
とにかく、想像を絶する愛らしさに違いない。
「ミレイナ、ありがとう」
ジェラールは言葉を詰まらせながらも、もう一度ミレイナに感謝の言葉を贈る。
ミレイナが産むならどんな子でも天使のように可愛らしいと確信していたが、これは想像以上だ。
「この子も、ミレイナも、俺が一生守る」
「はい」
嬉しそうに頷いたミレイナにジェラールは優しく笑いかける。
赤ん坊を抱いたままそっと体を屈め、触れるだけのキスを贈った。
◇ ◇ ◇
皆の笑顔が溢れる幸せな部屋の片隅で、ラルフはその様子を見守っていた。
「これはまずいですね。王女様と一緒に、世界一の親バカも誕生したかもしれません」
ラルフは、ぼそりと呟く。
ラルフは小さな頃からジェラールを見守ってきた側近中の側近だ。ジェラールの様子を見ていて、なんとなく嫌な予感がした。
そして、ラルフのその予想は見事に的中する。
母親譲りの愛らしさと父親譲りの美貌をもつ娘に近付く男の子をことごとく返り討ちにした結果、小さな天使に「パパなんか、きらいでしゅ!」と言われたジェラールがショックのあまり一週間以上執務できなくなるのは数年後のこと。
その期間中、ジェラールが休んだとばっちりはすべてラルフが被ったのだった。
〈了〉
最後までお読みいただきありがとうございます。
書籍版第2巻は7月10頃発売です。
両思いになる過程をなろう版から大幅加筆してありますので、こちらも是非よろしくお願いします!




