10.ミレイナ、竜王陛下と再会する(3)
ジェラールはそんな辺境伯とミレイナの顔を交互に見つめると、ふむと頷く。
「確かに、私にはこの娘が言うことの真偽がわかりかねる」
その言葉に、辺境伯がホッと息を吐き、ミレイナはさっと顔を青くする。しかし、ジェラールが続けた次の言葉を聞いた瞬間、辺境伯は表情をなくした。
「真偽を確かめるために、閣下がまず、その杯を飲み干してみられよ」
明らかに動揺した様子の辺境伯は、額の汗をハンカチで拭き取ると、いやらしい笑みを浮かべる。
「友好の祝杯とは、互いに酌み交わすものです」
「今は友好の祝杯ではなく、この娘が言うことの真偽を確かめるために飲んでくれと言っているんだ。飲めないのか?」
圧倒的な威圧感のある冷然とした口調に、辺境伯はふるふると体を震わせる。そして、残っていたひとつのグラスを片手でなぎ倒すと、近くにいた衛兵の剣を奪い取ってジェラールに切りつけてきた。
「きゃあ!」
ミレイナは恐怖で悲鳴を上げる。
だが、次の瞬間ジェラールに力強く抱き寄せられ、ジェラールは残る片手を、宙を切るように振る。その手の動きに合わせて突風が起き、ジェラールと辺境伯との間には氷の壁が現れた。
「衛兵! 竜王を殺せ!」
辺境伯の一声で、たちまち辺りは乱戦の様相を呈した。
しかし、竜人族は幾らかの魔法が使える上に、身体能力も人間とは比べものにならない。ただ一人ジェラールと共に部屋にいることを許されたラルフを加えた二人に対して相手は十人を超えていたが、勝負は一瞬で決まった。
「これはどういうことだ?」
ジェラールは衛兵から奪い取った剣の先を辺境伯の首元にヒタリと当てると、氷のような眼差しで見下ろす。
尻餅をついた辺境伯の口から「ひっいぃ!」と声にならないような音が漏れた。
◇ ◇ ◇
辺境伯がラルフを始めとするジェラールの部下達に縛り上げられる様子を、ミレイナは呆然と見守った。
「後ほどこいつを連れて、アリスタ国王に抗議に行く。まずは下で見張らせておけ」
ジェラールの指示に、ラルフは辺境伯達を引きずって下へと降りていった。
ミレイナとジェラール以外誰もいなくなった部屋は不気味なほどに静まりかえり、静謐が辺りを覆っていた。
「ミレイナ、お前は──」
その沈黙を破るように、ジェラールが口を開く。
「お前は、ララなのか?」
その問いかけに、ミレイナはびくりと肩を震わせて恐る恐るジェラールを見る。ジェラールの空のような透き通った水色の瞳と目が合った。
遂に、知られてしまった。
ウサギの姿から目の前で人間に変わったのだから、気付かれないわけがない。
ミレイナはぎゅっと目を瞑り天を仰ぐと、覚悟を決めてジェラールを見つめる。
「はい、そうです。私は獣人です。ウサギの」
ミレイナはそう言うと、視線を伏せる。
ジェラールの視線が自分に降り注いでいるのが、痛いほどわかった。
次の瞬間、ぐいっと腕を引かれてあたたかな温もりに包まれる。
ジェラールの腕に囲われ、ミレイナは戸惑った。
「……陛下?」
「無事でよかった」
ぎゅうぎゅうと力強く抱きしめられ。頭上からほっとしたような声が落ちる。
ジェラールに抱きしめられただけで、先ほどまでの恐怖心が全て溶けてゆくのを感じた。
こんなにもこの人はララを心配してくれていたのかと、ミレイナは安心させるようにおずおずとジェラールの背中に手を回した。
「私は無事です。だって、陛下が二回も助けてくださったではないですか」
ミレイナは先ほど衛兵から自分を守ってくれた加護がジェラールによるものだとは知らなかったので、ララを助けてくれたときとミレイナを助けてくれたときの『二回』を思い浮かべてそう言った。
「これまで黙っていて、申し訳ありません。──私はただ、あなたに気味が悪いと思われるのが怖かった」
獣人は元々の人数が少ない上に、半分が獣だと忌み嫌われる存在だ。ミレイナがラングール国に滞在した間に知る限りでは、ラングール国には獣人はいないように見えた。
(きっと、さぞかし気味が悪い人間だと思われているわ)
ミレイナは悲しみに耐えるように、視線を伏せた。
するとジェラールはミレイナに回していた腕を少し緩めて距離を取ると、ミレイナの顔を覗き込んできた。出会った日の青空のように澄んだ水色の瞳と目が合う。
「気味が悪いものか。……俺を助けるために、危険をおかしてここに来てくれたのか?」
「はい」
こくりと頷くミレイナを、ジェラールはまるで愛しいものでも見るような、蕩けるような瞳で見つめてきた。
「獣人であることは知っていた。……実は以前、お前の頭から耳が生えているのを見た」
「えっ!」
ミレイナは驚いて顔を上げると、ジェラールをまじまじと見つめる。細心の注意を払っていたつもりだったのだが、いつ見られたのだろうか。
「いつ?」
「クレッグを助けたときだ」
ジェラールはそう言うと、ミレイナの頭の辺りを眺める。
「あの姿にもなれるのか?」
「はい。あの姿は半獣です。半獣になると、魔獣達の言葉が理解できるので魔獣係をしている間ケープで全身を隠してあの姿をとっていました」
竜の言葉は理解できませんでしたが、とミレイナは付け加える。
「見せてくれないか?」
そう言われ、ミレイナは戸惑った。けれど、今更隠す必要もないかと思い直し、半獣へと姿を変えた。
ジェラールはミレイナの姿を食い入るように見つめ、そっとその手を伸ばす。
ぴょこんと伸びた耳を優しく触れられる感覚がした。
撫でるようなその手つきにミレイナはくすぐったさを感じて、顔を赤くした。
「へ、陛下……」
「すまん、珍しくて。痛かったか?」
ミレイナの消え入りそうな声に、ジェラールが慌てたように手を引く。
「いえ。痛くはないのですが、恥ずかしいです……。耳ですので」
「そうか、悪かった」
ジェラールは僅かに眉を寄せ、手を離すとゴホンと咳をする。
このとき、ジェラールが内心で半獣の姿の可愛らしさに悶絶していたことなど、ミレイナは知るよしもない。




