10.ミレイナ、竜王陛下と再会する(2)
◇ ◇ ◇
翌日、ミレイナは鳥達の知らせを受けて朝からとある場所へと向かった。
(ここ?)
鳥達に案内された場所にあったのは二階建ての洋館で、大通りからはタイル張りの白い壁面と赤い屋根、それに、四角形の窓が等間隔に並んでいるのが見える。いかにも貴族の屋敷といった風体の建物だ。
金属製の柵状になった門の隙間からは、見覚えのあるラングール国の衛兵の制服を着た人の姿が何人か見えた。どうやら、ここで間違いはなさそうだ。
「ごめんください」
正面から正攻法で入ろうとすると、入口で衛兵に呼び止められた。
「お嬢さん、どんなご用事で?」
「こちらにいる方と、少しお話がしたいと思って」
「ああ、それなら悪いが、今日は駄目だ。誰も入れるなって言われている」
追い返すように立ち塞がられ、ミレイナは大人しくそれに従いおずおずと家に戻る……と見せかけて、屋敷の角を曲がると塀に向かって大きくジャンプした。
ジャンプ力には自信がある。
伊達にウサギ獣人してないんだからっ!
「あ、おいっ!」
ミレイナが塀を跳び越えたことに気が付いた屋敷の衛兵が慌てた様子で駆け寄ってくる。
ミレイナは必死に走ったが相手とは体力が違う。追いつかれて腕をつかまれそうになったところで、バチンと火花が散って衛兵が弾き飛ばされた。
(な、何?)
何が起こったのかよくわからないが、助かったことだけはわかった。
ミレイナはその隙にウサギへと姿を変えて庭にあった生け垣に逃げ込んだ。
「あっ! どこに行きやがった!」
すぐに立ち上がった衛兵が、すぐ近くて自分を探す声がする。ミレイナは震えそうになる体を叱咤して全神経を耳に集中させた
[陛下、どこ?]
僅かな音も聞き逃さないよう耳を澄ましていると、遠くから「ガォォ!」という猛獣の唸り声が聞こえ、大きな銀色の狼のような生き物が走ってくるのが見えた。
(もしかしてゴーラン?)
ミレイナは生け垣から飛び出すと、全力でそちらへと走った。
[ゴーラン! ジェラール陛下のところに連れていって!]
ミレイナはウサギ姿のまま叫ぶ。
次の瞬間、子犬を運ぶように頸の後ろをパクリと咥えられ、ゴーランは猛然と走り始めた。
◇ ◇ ◇
ジェラールは目の前の男を眺めた。
ラングール国とアリスタ国の国境地域を治めているという男は、中年という年齢を考慮してもおおよそ軍人を兼ねた辺境伯とは思えぬほど緩みきった体をしていた。
大きくせり出した腹を抱え、顎は二重になっている。
「では、ここにサインを……」
目の前の男が書類の空白欄を指さし、ジェラールにペンをペン立てごと差し出す。ジェラールはその書類に目を通し、眉を寄せた。
「なぜアリスタ国側の責任者が国王ではない? こちらは国王がきているのだから、そちらも国王が出るのが筋だろう?」
「恐れ多くも、私はこの地を治める辺境伯として、ラングール国との交渉の全権を任せられております。つまり、私の言葉は国王の代弁、私の行為は国王の代行です」
目の前の男の慇懃無礼な態度に、ジェラールは内心で苛立った。ラルフが事前に言っていたとおり、無礼な男だ。
普通に考えれば、和平のためにわざわざ出向いた竜王に対して国王が出迎えないなど、あり得ない話だ。
しかし、ここで事を荒立たせては、せっかく辿り着いた和平交渉が決裂し、これまでの苦労が水の泡になる。
ジェラールは込み上げる怒りを封じて、そのペンを取ると文字を走らせた。
「ありがとうございます。これでつつがなく調印式は終了です。では、親愛の証に酒を」
辺境伯が背後に向かって片手を上げると、後ろに控えていた陰気な男が部屋のドアを開け、外に立っていたメイド姿の女性が二つのグラスと果実酒を運んできた。
「この地域でとれる葡萄を使用した、名産の酒です」
辺境伯がそう説明する酒は、血を思わせるような赤色だった。並々とグラスに注がれ、ひとつがジェラールへと手渡される。
そのときだ。
僅かだが、魔力が弾けるような空気の揺れを感じた。しかも、自分がかけた防護魔術に酷似したものが。
(……ミレイナ?)
ジェラールはハッとして窓の外を見る。
しかし、三階であるそこからは白い雲が浮かぶ青空と、背の高い木々の葉しか見えない。
(気のせいか……?)
ジェラールは首を振る。
「それでは、乾杯」
「乾杯」
ジェラールが片手でグラスを掲げてそれを仰ごうとしたそのとき、異変が起きた。
メイドが外に出ようと開きっぱなしだったドアから、屋敷の外で待つように言っていたはずのゴーランが飛び込んできたのだ。
そしてその直後、ゴーランのほうから何かがジェラールに向かって真っ直ぐに飛びかかってきた。
その拍子に、手に持っていたグラスが指先から転げ落ち、ガシャーンと大きな音を立てる。
「なんだ、何事だ! 魔獣だ! 魔獣が現れたぞ! すぐに殺せ!」
辺境伯が慌てた様子で立ち上がる。
ゴーランはそんな辺境伯と衛兵達に向かって牙をむいて威嚇した。
あまりの大きさと気迫に、周囲にいた衛兵達も怯んだように一歩下がる。
一方、ジェラールは自分の胸に飛び込んできたものを信じられない思いで見つめた。
忘れるはずもない、ふわりとした感触、軽く小さな体、長い耳とつぶらな瞳──。
「ララか?」
ララはジェラールを見上げると、ピョンと床に飛び降りた。そして、次の瞬間には人間の姿──ミレイナになった。
「ジェラール陛下、飲んではいけません。毒が入っております!」
ミレイナが必死の様子でジェラールに訴えかける。
「なっ、なんだこの小娘は! どこから現れた! おい、衛兵! 何をしている!」
辺境伯が怯んで動けない衛兵達を怒鳴りつける。その瞬間、衛兵達が一斉にミレイナに飛びかかろうとして、ミレイナは怯えたように体を震わせた。
ジェラールは咄嗟にミレイナを抱き寄せ、自分の影に隠す。そして、辺りを鎮めるように片手を上げた。衛兵達もピタリと動きを止める
「竜王陛下! その娘が言うことはでたらめです。今すぐ捕らえて投獄してきますのでお渡しください」
「嘘! 昨日、毒を混ぜて殺してしまおうって言っているのを聞いたわ!」
ミレイナは恐怖で小刻みに震える体を叱咤して、そう叫んだ。




