9.ミレイナ、アリスタ国へ戻る(3)
マノンは一時間ほどお喋りをして、その後自宅へと帰っていった。マノンの働いているパン屋さんは午後からがおやつに買いにくる人達で一番忙しい時間帯なのだ。
「じゃあ、またくるね」
「うん。私も今度ケーキ買いにいくよ」
ミレイナは笑顔で手を振ってマノンを見送ると、家に戻ろうとくるりと振り返る。
そのとき、視界にオレンジ色の頭と緑の尾を持つ特徴的な鳥達が群れになっているのを見つけてふと足を止めた。
(あの鳥、今朝見た……。たしか、ラングール国の王宮にもいた渡り鳥だわ)
ミレイナは周囲を見渡して誰もいないことを確認すると、半獣へと姿を変える。
[鳥さん、こんにちは!]
下から呼び掛けると、その鳥達はミレイナに気が付いて下を向く。
[こんにちは、お嬢さん]
一羽が答えた。
[つかぬことをお伺いするけど、あなた達はもしかして、ラングール国からきたの?]
[ラングール国?]
[西にある、竜人の国よ]
[ああ、そうだね。それがどうかしたの?]
鳥が頷いたのをみて、ミレイナは目を輝かせた。ジェラールの様子を知っているかもしれないと思ったのだ。
[竜王陛下は最近、どんなご様子か知っている?]
[竜王陛下? ここ最近は覇気がないって仲間内では噂だったね]
[覇気がない?]
ミレイナは思っても見なかった情報に、呆然として聞き返す。てっきり、愛する人と結婚して幸せに暮らしているという言葉が聞けると思っていたのに。
[婚約されたとか、聞いていない?]
[婚約?]
ミレイナと話していた鳥は少し首を傾げ、周囲の仲間に目配せする。その鳥達もそんな話は見聞きしていないようで、一様に首を傾げた。
[ところで聞いてくれよ。ここ最近、ラングール国は嵐の日が多くてさ、渡ってくる途中もずっと大雨でひどい目に遭った。きっと、竜王陛下の気分が沈んでいるせいで起きている異常気象だよ]
その鳥は、とてもよく喋る鳥だった。ミレイナの話が終わったと認識するやいなや、旅の途中の冒険譚を延々と話し始める。
ミレイナはその話に耳を傾けながらも、頭の中はほかのことでいっぱいだった。
(ジェラール陛下、どうしたのかしら?)
婚約をしていないどころか、覇気がないなんて。
体調でも崩しているのだろうか。あの人は竜王として臣下に弱いところを見せたがらないから、苦しくても我慢していそうな気がする。
(きちんと婚約されるまでは、見届けてから帰るべきだったな……)
心配で仕方がないけれど、今のミレイナにはどうすることもできない。
ミレイナはどうかジェラールを始めとするラングール国で知り合った面々が元気でいますようにと、心の中で祈りを捧げた。
◇ ◇ ◇
ここはラングール国の王宮の一角。
髪の色を変え、赤茶色のケープを目深に被ったジェラールは、魔獣舎の前に立った。
こちらに気が付いた中にいる魔獣達が一斉に寄ってきて、柵越しにジェラールを見上げる。ここ最近の、見慣れた光景だった。
ただひとつを除いて──。
「あ、こんにちは」
ジェラールの姿に気が付いたメイド姿の女がぺこりとお辞儀をする。黒い髪に緑の瞳の、よくミレイナと一緒にいたメイド──リンダだ。
ミレイナがアリスタ国に帰ってからも、ジェラールは定期的に魔獣舎に様子を見に来ていた。ただ、ジェラールの姿で見に来てしまうと新しい魔獣係が萎縮してしまうかもしれないと思い、見た目は変えている。
ジェラールは視線だけリンダに向けると小さく頷き、また魔獣達へと視線を戻す。
「変わりないか?」
ジェラールの問いに、リンダは少し考えるように視線を彷徨わせる。
「そうですわね。ミレイナがいないのが寂しいのか、時々柵の外を眺めては誰かを待つような仕草をします」
「そうか」
ジェラールは頷くと、魔獣達に手を伸ばす。その柔らかな毛並みに触れると、沈んでいた気持ちが解れていくのを感じた。
──魔獣や動物達と触れあうと、心が和みます。もふもふ効果です!
いつだかミレイナが笑顔でそう言っていたことを思い出す。
(たしかに、癒やされるな)
ジェラールはほんの僅かに口元を綻ばせる。けれど、一度沈みきってしまった陰鬱な気分を完全に浮上させるほどの効果はない。
(ミレイナは、元気にしているだろうか)
またウサギの姿で矢で射られたりしていなければいいのだが。
ミレイナに渡したペンダントには、ジェラールが魔法で加護を与えた。それにより守られているとは思っても、心配でたまらない。
本当はあの笑顔を自分の手で守ってあげたいのに、手の届く範囲で保護してやれないのがとてももどかしかった。
魔獣達を撫でながら、ジェラールは自嘲気味にフッと笑みを漏らす。
(よもや自分がこんなにも未練がましい男だとは思っても見なかったな)
ミレイナはラングール国を離れてアリスタ国に帰ることを望んだ。
ジェラールはラングール国の竜王なのでアリスタ国で暮らすことはできない。つまり、彼女は自分が近くにいない生活を望んだのだ。
帰りたい、と言われたとき、頭が真っ白になった。
本当は全力で止めたかった。
けれど、ミレイナの薄茶色の瞳を見たら、止めることができなかった。まるで泣きそうな、何かから逃げたいような、そんな瞳をしていたから。
そして、自分がミレイナにしてやれる唯一のことは、彼女が望むような生活をすることを叶えてやることだけだと悟った。
最後に背に乗せたのは、ミレイナが自分の思いに応え、やはりラングール国に残ると言ってくるのではないかという僅かな望みを託したものでもあった。
魔獣達が覇気のないジェラールを心配そうに見つめ、手の甲を舐める。ジェラールは少し口元を綻ばせ、魔獣達を見つめた。