9.ミレイナ、アリスタ国へ戻る(2)
トントントンとノックする音が聞こえ、ミレイナはハッとした。
(いけない、ボーッとしちゃった)
慌てて立ち上がると玄関へと歩み寄る。
少し隙間を開けて外を覘くと、艶やかな茶色い髪を肩で切りそろえた、可愛らしい女性が立っているのが見えた。
若葉を思わせる緑色の目が合うと、その女性──ミレイナの一番の親友であるマノンはにこりと笑う。
「こんにちは、ミレイナ!」
「マノン! どうしたの?」
「遊びに来たの。暇だったから」
マノンは軽い調子でミレイナの家に入ってくる。そして、台所でスープを作っているのを見つけるとそれを覗き込んでお玉でぐるりとかき混ぜた。
「いい匂い。美味しそう」
「お昼に食べようと思ったの。マノンも食べる?」
「いいの? うん、食べる! これ、お土産」
マノンは嬉しそうに笑うと、ミレイナに紙袋を差し出す。中には、パンや焼き菓子などが入っていた。
「わあ! お店のね? ありがとう!」
ミレイナはそれを見て歓声を上げる。マノンはとっても美味しいパン屋さんで働いており、そのパン屋さんでは焼き菓子やケーキも売っているのだ。
「戻ってきて、問題なく過ごせてる?」
「うん、大丈夫。今日は国境沿いに魔法石の採集に行ってきたわ」
「国境沿いに行くのはいいけれど、気をつけてね。前回はいい人に助けられたみたいだからよかったけれど、また前みたいに怪我したら大変よ?」
ミレイナが配膳したスープをスプーンで掬ったマノンは、心配そうにミレイナを覗き込む。
ミレイナはそんなマノンに微笑み返した。暇だったから、なんて言いながら、本当はミレイナを心配して見にきてくれたのだろう。
マノンはミレイナの一番の親友であり、ミレイナがウサギ獣人であることを知る数少ない一人だ。
あの日魔法石の採集に行ったままミレイナが行方不明になったので、ずっと心配して探してくれていたようだ。
先日ミレイナがひょっこり戻ってきた際には泣いて喜んでくれた。
どうしていたのかとしきりに聞かれるので、『国境沿いのいざこざに巻き込まれて怪我をしたところをたまたま通りかかった竜人に助けられた』と曖昧に濁して伝えてある。
マノンはそれを聞いてとても驚いていた。
「本当にいい人に助けてもらえてよかったよね。竜人がそんなに親切だなんて、知らなかったよ。野蛮で粗暴な人種って聞いていたからさ」
「そんなことないよ。私達と同じだったわ。少なくとも、私が知り合った人達は」
ミレイナは曖昧に微笑んで答える。
ラングール国には親切な人もいれば、嫌な人もいた。
つまり、彼らはミレイナ達アリスタ国民となんら変わらない。
「ふーん。でも、なんでそれなら、そんなふうに『野蛮』とか『残虐』とか言われているんだろうね。ラングール国の竜王なんて『白銀の悪魔』だもんね」
マノンは持ってきたパンを千切りながらふーむと唸る。
実はそれは、ミレイナもずっと気になっていたことだった。
ミレイナはその噂を信じておりラングール国の人々が野蛮で粗暴なのだとずっと信じ込んでいた。けれど、実際に彼らと接して竜人も普通の人間も同じなのだと知っている。
それに──。
竜王が冷酷非道な悪魔だというのは完全な間違いだ。
確かに冷淡に見えるし口調は素っけないところが多い。けれど、仲間思いで優しい人だった。
「ミレイナ?」
呼び掛けられて、ミレイナはハッとする。
「手が完全に止まってるよ」
「あ、ちょっと考え事していて」
ミレイナはお皿によそったスープを見つめた。
透き通ったスープの中には、カットした野菜がゴロゴロと入っている。大好きなラングール人参も。
以前の食いしん坊のミレイナであれば、夢中でペロリと食べてしまっただろう。
「何かが違うの」
「え? 不在中に家に誰かが入ったってこと?」
マノンは驚いたように部屋の中を見渡す。
「ううん、そうじゃなくって。なんとなく毎日が味けないって言うか、物足りないような気がして。ふとしたときに、『あの人はどうしているかな』って思って……。どうしてかしら?」
「『あの人』って、助けてくれた竜人の人?」
「うん」
眉根を寄せるミレイナのことを見つめていたマノンはミレイナの顔をまじまじと見つめ、プッと吹き出した。
「なんだ、そんなこと」
「なんだって何? こっちは大真面目よ?」
「簡単よ。ミレイナは、きっとその人が特別なんだわ」
マノンはそう言いながら、くすくすと笑う。
「怪我したときに助けてくれて親切にしてくれたんだものね? しかも、若い男の人だったんでしょ? そりゃあ、好きになっちゃうわ。私もきっと好きになる」
「好き?」
「そうだよ。その人、独身だよね? もう一度、会いに行けば? お礼を言いに来たって言って」
マノンは目を輝かせて、いい考えが浮かんだとばかりに人差し指を立てる。
「無理だよ」
「なんで? 遠いから? でも、歩いて帰ってこれたじゃない」
「ううん。だって、私は獣人だもの」
ミレイナはその問いに正確に答えることができず、いつものように言い訳をして視線を伏せた。
ジェラールはラングール国を統べる竜王で、あんなことがなければ一生視界に入ることすら許されなかったであろう雲の上の存在だ。
それに、先日の舞踏会で愛する人を見つけていて、今頃幸せに過ごしているだろう。
それに対して、自分は隣国の一介の平民で、しかも獣人だ。
「よくわかんないけどさー」
マノンは考えるように宙に視線を彷徨わせ、言葉を選ぶようにゆっくりと喋る。
「ミレイナが好きになるくらいの人だから、獣人だとかそんなこと、きっと気にしないんじゃないかなー。それに、助けて三ヶ月近くも面倒見る位なんだから、ある程度の好意はあったと思うんだよね」
にこりと微笑まれて、ミレイナは瞠目した。
──獣人だとか、そんなこと、気にしない。
そうだろうか。
あのとき自分がララですと告げても、彼は受け入れてくれただろうか。それなら、言えばよかったと後悔が湧き起こる。
(こんなこと、今更考えても仕方がないけどね)
ふと脳裏に、フェンリル達を撫でて嬉しそうにしているジェラールの横顔が浮かぶ。
(会いたいな……)
その願いは叶うことはないけれど、それならば自分の知らない場所でとびきり幸せになっていてほしい。
ミレイナはそんなことを思い、自分の気持ちに蓋をした。
 




