1.ミレイナ、竜王陛下に拾われる(3)
白銀の悪魔にラングール国へ連れ去られた翌日、諸悪の根源であるジェラールはミレイナの元に大量のご馳走を持ってきた。
昨日もあった青菜に始まり、キャベツ、大根とバリエーションが増えた。さらに、ミレイナの大好物であるラングール人参まで!
しかも、全てがみずみずしくて新鮮なものばかり。
しっかりと洗われて衛生的なものだ。
ミレイナは昨日のあの一件以来、一切食事を取っていなかった。
断食すること丸一日。もはや胃袋の限界である。
「ほら、食べろ」
鼻先に順番に野菜が差し出される。しかしミレイナも負けていない。
なぜなら、食べて太ったら殺されてしまうのだ。
「駄目だな……。これはどうだ?」
低い声がして、今度は鼻先にラングール人参が押しつけられる。
(あ、いい匂い……)
ずっと我慢を続けていたミレイナだったが、大好物のラングール人参が差し出されたときに遂に理性が崩壊した。
殺されるという事実も忘れて食べた。
しかも、出されてたラングール人参を全部。
「全部食べたな。そうか、やっぱりお前はこれが好きなんだな? たしか、最初に食べていたのもこれだった」
ミレイナを抱き上げたジェラールが満足げに呟く。わかりにくいが、よく見ると口角が上がっていて笑っているようにも見えた。
(しまったわ!)
遂に食欲に負けて食べてしまった。
こんなふうに鼻先に押しつけるなんてひどいじゃないか。あらゆる手段を使ってミレイナを太らせようという執念を感じる。
「もういいのか? もっと食べろ」
ジェラールは今度はほうれん草を差し出してくる。
釣られて危うく食べてしまいそうになったミレイナは、慌ててプイッと体の向きを変える。
少し痛みが引いた足を引きずりながら椅子の影に隠れようとしたら、あっけなく腹の下に手を入れられて抱き上げられてしまった。そして、そのまま連れられて、執務机に向かうジェラールの膝の上に乗せられる。
(な、なぜ!?)
そんなに警戒しなくても逃げないのに──。
いや、逃げる気は満々だけど、まだ足が完治していないから逃げることなんてできないのに、用心深いことこの上ない。
オロオロするミレイナを尻目に、ジェラールは何か書類を捲り始めた。仕事をしているように見えるその姿を見て、どうやら今すぐに殺されることはなさそうだと悟る。
ミレイナは小さくため息をつくと、ジェラールを見上げた。執務机の上に置かれた書類を読んでいるようで、鋭い視線はまっすぐに一ヶ所を見つめていた。
(何を読んでいるのかしら?)
後ろ足で立ち上がれば覗けるかもしれないが、それで治りかけた足がまた悪くなったら困るのでミレイナは諦めて大人しくしていた。ジェラールは時折、思い出したようにナツメヤシを摘んでいた。
(ナツメヤシが好きなのかな?)
ペンを走らせるカツカツという音が、シンとした部屋に響く。
(温かいな……)
じっとしているとズボン越しに伝わってくるジェラールの体温が心地いい。
不覚にも、ミレイナはいつの間にかすやすやと眠っていた。
◇ ◇ ◇
ミレイナはその日の晩、ジェラールが持ってきた皿を見て驚いた。
(す、凄い。執念を感じるわ)
そこにはいつもの野菜ラインナップに加えてりんごやブドウなどのフルーツまで乗っている。
さらに目を引くのは、別皿に用意されて山盛りになったラングール人参だ。ミレイナが食べやすいように、全てが一センチ角のスティック状にカットされている。
「ララ。持ってきたぞ」
ジェラールはミレイナに、ラングール人参を差し出す。『ララ』というのは、どうやらジェラールが付けたミレイナの名前らしい。
ミレイナは鼻を寄せ、おもむろにそれをむしゃむしゃと食べた。
(うーん、美味しいわ)
やっぱりラングール人参は最高である。シャキシャキとした食感と、噛めば噛むほど広がるほのかな甘み。これぞ神がこの世に作り給うた究極の食材に違いない!
ミレイナはまだ大量に皿に残るラングール人参を物欲しげに見つめた。
美味しそう。本当はもっと食べたい……。
けど、我慢だ。
だって、食べ過ぎて太っちゃうと自分が食べられちゃうもの。
空腹に耐えかねたミレイナは色々と考えに考え、とある結論に至った。
それは、太らない絶妙な量だけを食べておけば、自分は当分食べられずに済むのでは? というもの。
そもそも、ずっと断食していては逃げる体力もなくなってしまう。
しかし、これが難しい。
なにせジェラールが、大量のご馳走を持ってくるのだ。
なんという非情さ!
ありとあらゆる手段を使ってミレイナを太らせようという確固たる執念すら感じる。その証拠に、ジェラールはミレイナが食事する姿を見つめるとき、いつも嬉しそうだ。
「ララ、もういいのか? もっと食べろ」
低い声がして、ミレイナの食事の様子を眺めていたジェラールによって鼻先に再びラングール人参が押しつけられる。
(あ、いい匂い……って、そうじゃない! 危うく食べてしまうところだったじゃない!)
ミレイナはプイッと体の向きを変える。
まだ痛む足を引きずりながら椅子の影に隠れようとしたら、あっけなく腹の下に手を入れられて抱き上げられてしまった。
「ララ、寝るぞ」
そのまま抱かれて連れて行かれたのは、執務室と扉で続きになっている寝室だった。
竜王に相応しい装飾と豪華な絨毯が敷かれた広い部屋で、その中央にはミレイナの普段使いしていたベッドの五倍くらいの広さがある天蓋付きの大きな寝台が置かれている。
腕から逃れようともがいているとジェラールに床に下ろされた。
一緒に寝室に付いて来たフェンリルのゴーランが、慣れた様子で絨毯の上で丸くなっている。
(なるほど、あそこで寝るのね)
それを見て、ミレイナも同じように部屋の片隅、柱の陰で寝ようとした。
ところがだ。
せっかく辿り着いたのに、またもやジェラールに抱き上げられ、ポンと寝台に乗せられた。
(なぜっ!)
こんな姿になっているとはいえ、ミレイナも乙女の端くれ。若い男と同衾するなどとんでもない。すぐに逃げ出そうと試みた。
しかし、ミレイナはベッドの端まで行ってすくみ上がった。
(ちょっとこのベッド、高すぎじゃない!?)
高い。
思った以上に床が遠い。
人型であればなんら問題ない高さなのだが、今は小さなウサギ姿。ここから落ちたら今度こそ足の骨が折れるかもしれない。
さすがは竜王様の巨大ベッド、スプリングの厚さが半端ない。
「ララ、落ちるぞ」
胸に抱き寄せられてミレイナは慌てた。
(近い、近いんですっ)
しかも相手は超絶美形。
さっきから視界に入れないようにと頑張っていたけれど、今のジェラールは寝間着のシルクのローブを着ており、全く色っぽいシチュエーションでもないのに超絶な色気を放っている。
引き締まった胸元がチラリと見えて、ミレイナは慌てて目を逸らす。
(こんな状況で寝られるわけないでしょ!)
寝ている間に部屋の構造を調べて脱出方法を検討しようと思っていたのに、計画が丸崩れだ。
(ララって名前付けて、餌付けして寝室にまで連れてくるなんて、なんだかまるでペットみたい……)
昨日の『太らせて食べる』発言を聞いていなければ、ミレイナは間違いなくペットにされたのだと勘違いしただろう。
思った以上に居心地がよく、このままここで暮らしてもいいかなと思っていたかもしれない。
トン、トンと規則正しく背中を指先で叩かれる。まるで子供を寝かしつけるような心地よさに、絶対に寝られないと思っていたミレイナはあっけなく陥落したのだった。