7.ミレイナ、迷子捜しをする(3)
[あそこの上だよ]
ようやくラトが立ち止まり、こちらを振り返る。
ミレイナはラトの向こう側、前方へと視線を向けた。ロッククライミングでもするような切り立った高い崖が目の前に立ち塞がっている。その上には、ドラゴンが飛んでいるのが見えた。
[クレッグ君の匂いがするよ]
エミーナの言葉に、ミレイナは[え、本当?]と聞き返す。
[うん、する]
[上の方かな?]
シェットとイレーコもエミーナの言葉に同意するようにそう訴え始める。
(崖の上にいるってこと?)
ミレイナは崖を見上げて目を懲らし、耳を澄ます。
周囲の音に交じり、僅かに子供の泣き声が聞こえてきた。
(あっち?)
少し左に目を向けると、崖の中腹に少し窪んだ場所があり、声は確かにそこから聞こえてくる。高さにすると十メートルくらいある。
「クレッグ君!」
ミレイナは両手を筒型に合わせると口に当て、そこに向かって叫ぶ。すると、その穴からひょこりと小さな男の子が顔を出した。限りなく銀に近いプラチナブロンドの髪に青い瞳の、可愛らしい男の子だ。泣いていたせいで、顔は涙でぐっしょりと濡れている。
「助けて! 降りられないの」
クレッグがミレイナに対して叫ぶ。
「待ってるから、竜になって下りておいで」
「無理だよ。怖いよ! 助けて!」
自分で竜化してそこに行ったのだから同じように竜化すれば下りられるはずだが、クレッグは顔を歪ませる。
(どうしよう。あんな高いところ、登れないわ)
ミレイナが竜人であれば簡単に助けることができるのだろうが、それは無理だ。途方に暮れていると、遥か頭上からバサリとなにかが飛んできた。
「ギャア」
ミレイナは驚いてそちらを見る。それは、ドラゴンの子供だった。
[わぁ、ラドン! 久しぶりだなー]
[え? ラドン?]
シェットの言葉に、ミレイナは驚いた。今目の前に降り立った小さなドラゴンは赤茶色の鱗で足の片方が黒い。よくよく見れば、確かにラドンと特徴が一致する。
恐らく「なにをしているのか?」と聞いてきたラドンに対し、ミレイナは身振り手振りを交えて崖の中腹に竜人の子供が取り残されていることを説明する。
するとラドンは首を傾げ、遥か頭上に飛んで行ってしまった。
そして、すぐに戻ってきたラドンは大きな成竜と一緒だった。以前に見たジェラールの姿に比べれば小さいが、それでもかなりの大きさだ。
その成竜が崖の中腹で動きを止め、穴の中に顔を突っ込む。そして顔を出したときには、クレッグを口にくわえていた。ドスンと地上に降りると、クレッグをポンと地面に落とす。
[助けてくれたのね! ありがとう!]
ミレイナは呆然とするクレッグに駆け寄ると、その小さな体を抱きしめた。
ラドンといた成竜は返事をするように「ギャッ」と鳴くと、すぐに上空へと飛び立って行く。ラドンもそれに続いたが、しばらく旋回するように上空を飛んでいた。
[もしかして、見送ってくれているのかしら?]
ミレイナはラドンの姿を見上げ、目を細める。
[ラドン、助けてくれてありがとうね]
自分が助けた魔獣がすっかり元気になって無事に森の中で過ごしていることを、ミレイナはとても嬉しく思った。
◇ ◇ ◇
この日、地方都市に視察に行っていたジェラールが王宮に戻ってきたのは日暮れ近くになった頃だった。
王宮に降り立つと、それに気付いたラルフが慌てた様子で駆け寄ってきた。
その表情はいつになく強張ったものだった。
「どうした? 忙しないな」
「クレッグ様が行方不明です」
「クレッグが? 何者かの仕業か?」
ジェラールの表情が途端に険しいものへと変わる。
クレッグはジェラールの妹の子供で、ジェラールは結婚しておらず子供がいないので、現時点では竜王としての王位継承権一位に当たる。まだ三歳で、ついこの間初めての竜化に成功したと喜んでいた。
「わかりません。魔獣の森に向かったとの情報があり、今、全力で捜索しております」
「すぐにゴーランを連れて探しにいく」
ジェラールは脱ぎかけた上着を再び羽織ると、舌打ちした。
タイミングが悪いことこの上ない。
最近アリスタ国と和平に向けた交渉をしており、今日も国境沿いの地方都市ではそのことについての訴えが相次いだ。不法にラングール国側に入り込み、資源の盗掘をしていると。
以前からこの状況を打開しようと交渉を進めているのだが、こちらが竜王自ら出向くことを打診しているにも拘わらず先方は辺境の領主しか対応に現れず、話がなかなか進まない。
再三にわたって「アリスタ国王を」と要求しているのだが、領主はこの件に関しては自分が任されているというばかりで暖簾に腕押しだ。
アリスタ国側が国境を破ってこちらの国に侵入し魔獣を密猟し魔法石の盗削をしているというのは、もはやラングール国にとって疑いようがない事実だった。しかし、アリスタ国側はいくつもの証拠を突きつけても惚けるばかりだ。
そして、最も懸念すべきは本物のドラゴンに間違えられた竜人の子供がアリスタ国の密猟者に撃たれたり、連れ去られることだった。アリスタ国は密猟を認めないので、当然子供を傷つけたことも認めない。
「アリスタ国に連れ去られていなければいいのですが──」
ラルフは青ざめた表情で、ジェラールの後を追いかけた。
「ゴーラン。クレッグを探してくれ」
ジェラールは執務室でのんびりと昼寝していたゴーランに語りかける。ゴーランは元々、赤ん坊だったときにジェラールが保護した野生のフェンリルだった。
親を密猟で殺され、たった一匹だけ生き残っていたところを拾ったのだ。
そして、それ以来ずっとジェラールの従獣として過ごして早六年になる。
両親を人間に殺されたところを目の前で見たせいか殆ど人に懐かないのだが、ジェラールのことは信頼してくれている。
そして、ジェラールもゴーランを絶対的に信用していた。
ゴーランに探してくれと言って探せなかったものはこれまでにたったひとつしかない。
ウサギのララだ。
そして、ララを見つける代わりに見つけたミレイナに、ゴーランはよく懐いた。
なんとも不思議な巡り合わせだ。
ジェラールが差し出したクレッグの上着をゴーランはクンクンと嗅ぐ。そして、心得たとばかりに立ち上がり、軽快に歩き始めた。
「よし、行くぞ」
ジェラールはすぐにその後を追いかけた。