5.ミレイナ、ドラゴンを保護する(5)
ラングール王国の王宮は広大な敷地を誇っているが、その正面には城下町、背後には魔獣の森が広がっている。ミレイナはこの日も、いつもの散歩同様に王宮の裏手に広がる森へと向かった。
裏口から王宮を出るとすぐに、魔獣の森の入口がある。
ミレイナがララの姿で逃げ出したのも、この裏口からだった。
何重にも立ち並ぶ木々と、その合間に生える低木。
足下には落ち葉と土の地面が広がり、木々の合間からは木漏れ日が差し込んでいる。森といっても鬱蒼と茂っているわけではなく人が歩く程度の空間は広がっているので、林といったほうが前世が日本人だったミレイナにはしっくりとくる。
「この辺かしら?」
三十分ほど歩き、ミレイナは辺りを見渡した。ジェラールに視線を向けると、間違いないと頷いたのでやはりここでラドンを保護したのだ。
「ドラゴンは……、いませんね」
「だから、怪我をした後に自分で移動してきたのだろうと言っただろう」
ジェラールが呆れたようにミレイナを見下ろすと、ミレイナはフェンリル達に顔を寄せていた。
ミレイナはジェラールに聞こえないように、そっとフェンリル達に囁く。
[ここからはいつものゲームよ。ラドンの匂いを探して?]
[任せて!]
すぐに先頭を歩き始めたのは、好奇心旺盛なエミーナだ。
その背後をシェットとイレーコが続き、その後ろをてくてくとラドンがついてゆく。
「ここ?」
先頭のエミーナが立ち止まって振り返ったので、ミレイナはしゃがみ込んでラドンに話しかけた。
ラドンはしきりに『ギャーギャー』と鳴いているが、残念ながらミレイナには何を言っているかがわからなかった。
辺りを見回したが、やはり親ドラゴンは見当たらない。
「仲間を呼んでいるのかしら?」
ミレイナは困って眉尻を下げた。この声で親ドラゴンが気付いてくれれば、あるいはラドンの家族を探し出すことができるかもしれない。
「巣の近くには水辺があると言っているんだからここではないだろう? この辺りの水場を探そう」
ミレイナとラドンを見下ろしていたジェラールが、周囲を見渡す。
「え?」
ミレイナは驚いて、ジェラールを見上げた。
「陛下はドラゴンの言葉がわかるのですか?」
「竜人であれば、完全ではなくともなんとなくわかるものだ。むしろ、これだけ必死に訴えているのにお前が全くわかっていないことに驚いた」
ジェラールが呆れたように肩を竦める。
「水場、ですか」
ミレイナは周囲を見渡した。
どの方向を見ても木々に覆われていて、水辺は見えなかった。目を瞑り、じっと耳に意識を集中させる。
「俺が飛んで探してきてやる」
「いえ、大丈夫です。たぶん、あっちです」
ミレイナは自分から見て二時の方向を真っ直ぐに指さす。そちらの方向から、かすかに滝が流れ落ちるような水音が聞こえたのだ。
「なぜわかる?」
「なんとなくです」
ミレイナはふふっと笑って返事を誤魔化す。
そちらの方向に歩いて行くと、間もなくはっきりと水音が聞こえてきた。木々の向こう側に、明るい光が見えるので、木が生えていない空地があるのがわかる。
「ここ、見覚えある?」
ミレイナがラドンに尋ねるか否やというタイミングで、ラドンは興奮気味に水辺のほうに走りより「ギャア、ギャア」と鳴いた。地面に脚を付けたまま小さな体で翼を羽ばたかせ、頭上を見上げている。
雲ひとつない蒼穹に、ミレイナは黒い影が映るのを見た。
遥か上空を悠然と飛んでいるそれの長い尻尾と大きな体から、すぐにドラゴンだとわかった。一、二、……六。大きいドラゴンから小さなドラゴンまで、全部で六匹いる。
「あっ!」
次の瞬間、ラドンがバサリと翼を羽ばたかせ、空に飛び立った。
治ったとは知っているものの本当に大丈夫かと見守るミレイナの心配をよそに、ラドンはどんどんと高度を上げていった。
「旋回しているな。あれはあの子ドラゴンの家族で、無事に送り届けてくれたお前にお礼を言っているのだろう」
はるか頭上を見上げていたジェラールは、そう呟いた。
「私ではなく、助けてくれた陛下にお礼を言っているのでは?」
「お前だろう? 世話したのはお前だ」
「でも、怪我をして動けなくなっているところを見つけて保護したのは陛下です」
「だが、世話をしたのはお前だ」
「…………。では、二人にお礼を言ってくれていると思いましょう」
「埒が明かないな。では、そういうことにしておこう」
ミレイナが折衷案を出すと、普段は冷たそうに見えるジェラールの口元が少しだけ綻ぶ。
こちらを見つめる今日の青空のような瞳が優しく細まるのを見て、胸がとくんと跳ねるのを感じた。
ミレイナは慌てて目を逸らす。
「どうした?」
「いえ、なんでもありません。無事に戻ってくれてよかったなと」
「そうだな」
ミレイナはちらりと窺い見る。
ジェラールは先ほどドラゴン達が飛んでいた大空を見上げていた。
◇ ◇ ◇
結局、王宮に戻ったのは出発してから二時間半後のことだった。
普段ならここまで長くならないのだが、ジェラールが付いてきてくれたことがよっぽど嬉しかったのか、魔獣達がなかなか帰ろうとしないので時間が掛かってしまったのだ。
「お時間を取らせて申し訳ございません。こんなに時間が掛かるとは思っていなくって」
ミレイナはジェラールに低頭平身で謝罪する。すると、ジェラールは片手でそれを制した。
「よい。一緒にいくと決めたのは俺だ。よい息抜きになった」
なおも遊ぼうと誘うフェンリル達を、ジェラールは両手であやしながら撫でている。
「陛下は、とてもこの子達に懐かれておりますね」
「そうか? 誰にでもこうなのであろう?」
「いいえ。結構この子達、気難しいのですよ。気に入らない人にはすぐいたずらするから、何人もお世話係が辞めることになりました」
ミレイナは首を横に振る。
実際、今でこそミレイナやリンダにはなついているものの、この魔獣達はなかなかこれまでの魔獣係に懐かなかった。ジェラールは何を言いたいのかとミレイナを怪訝な顔で見返す。
「つまり、この子達が陛下に懐くのは、陛下がお優しいと知っているからですわ」
「俺が優しい?」
その言葉は予想外だったようで、ジェラールは瞠目した。
「はい。魔獣達は、意外とそういうところに敏感なのですよ」
ミレイナはジェラールに、にこりと笑いかける。
ジェラールは返事することなく顔をふいっと逸らしてしまった。
(あ。もしかして、照れているのかしら?)
青みがかった銀色の髪の合間からは覗く耳がほんのり赤くなっているのを見て、ミレイナは胸の内にこそばゆさを感じて表情を緩めたのだった。