1.ミレイナ、竜王陛下に拾われる(2)
ウサギ姿のミレイナのモデルは、ネザーランド・ドワーフです(^^)
片側がガラスになったショーケースになった小さな仕切りの中に入れられた子犬達を順番に抱き上げ、体調に異常がないかを確認してゆく。
抱き上げられた子犬たちは皆、嬉しそうに尻尾をブンブンと振った。
「うふふ、今日も元気ねー」
益々尻尾を激しく振った子犬がペロペロと顔を舐める。
「わわっ、くすぐったいよ」
(ああ、可愛いなあ。幸せだなぁ)
思わず笑みが漏れる。
ペロペロなめられてくすぐったい……。
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(夢……?)
ミレイナは頬を舐められるような感触を感じてゆっくりと意識を取り戻した。いつの間にか、大きく開いた開口部から見える外はすっかり闇に包まれていた。
今度は頭のてっぺんをペロリと舐められて、ミレイナは飛び上がる。
見上げると、先ほどはすやすやと眠っていた魔獣──これは大きな狼の姿をしているからフェンリルだろうか──がミレイナを熱心に舐めていた。そして、ミレイナにクンクンと鼻を寄せてくる。
(わわっ)
見た目は自分とは比べものにならないほど大きく厳つい魔獣なのに、こうされると犬のように見える。
(か、可愛いかも……)
ミレイナには、物心ついた頃には不思議な記憶があった。
今とは全く違う世界の日本という国で、ペットショップの店員として働いていた前世の記憶だ。
ミレイナが働いていたペットショップは給料は高いとは言えなかったし、生き物を扱っているのでお盆も正月もなく世話は発生した。一般的に言えば働きやすいとは言い難い職場だったかもしれない。
それでもミレイナはその仕事が大好きだった。
なぜなら、可愛いもふもふ達を思う存分にもふることができるから!
ちょっとツンな猫ちゃんも、人懐っこいわんちゃんも、全部が全部最高である。
ちょっとしたストレスも彼らを抱きしめてモフモフすればあら不思議。たちまちスッと胸の内が軽くなるのを感じた。
記憶が間違っていなければ、そんな一度目の人生は二十五歳のときに仕事帰りに交通事故に巻き込まれて幕を閉じた。
──そして今世。
ミレイナのもふもふ好きを知って神様が気を利かせくれたのか、あるいは運命のいたずらか、気が付いたときにはミレイナは自分自身がもふもふに変身できる獣人として、全く違う世界で二度目の生を受けていた。
この世界にはいくつかの国が存在し、ミレイナが暮らすのはアリスタ国と呼ばれる人間が支配する国だ。絶対王制が敷かれており、地方は国王から爵位を賜った領主達が治めている。
ミレイナ達獣人はといえば、アリスタ国では『亜人』と呼ばれる存在で、元々は奴隷階級だった。
獣人は純粋な人間より力が強かったり鼻が利くなどの特徴があるため、奴隷として扱うにはちょうどいい。それに、少数民族であることと半分は獣であるということが多くの人にとって非人道的な扱いをすることへの罪悪感を半減させたようだ。
今は奴隷として扱うことが禁止されているが、それでも獣に変化する気味の悪い人種として差別の対象になっているのは確かだ。
だから、ミレイナは子供の頃から獣人であることをできるだけ隠して過ごしていた。仲のよい友人は知っているが、そうではない人たちには言わないようにしている。
大人になり親が先立ってからは、ミレイナは国境沿いの森の近くで魔法石を収集してそれを売ることでお金を稼ぎ、細々と暮らしていた。
魔法石は魔法の燃料になるもので、魔力を持たないアリスタ国の人々の暮らしには欠かせない大事なものだ。しかし、あいにくアリスタ国ではあまり魔法石が産出されず、その殆どが隣国ラングール国との国境沿いに集中していた。
国境沿いはいざこざがよく発生するので安全とは言い難い。
けれど、ウサギ獣人で耳の利くミレイナは注意すれば巻き込まれることはなかったし、あの辺りで取れるラングール人参が大好物だったのでどうせ定期的に採りに行く。
ただ、あのときは人参掘りに夢中になりすぎた。
ミレイナはおずおずと体を起こす。
ぴょんと跳ねると、傷ついた太もも部分にズキンと痛みを感じた。ミレイナは包帯が巻かれたままの足を見つめる。
(この足でアリスタ国まで逃げるのは無理ね……)
そもそも、今いるこの建物からアリスタ国まではどれくらい離れているかや、周りがどうなっているかすらわからない。今逃げ出しても、おそらく野垂れ死にするだけだろう。
(人型に戻って事情を話し、助けを求めれば大丈夫かしら?)
ミレイナはそう考えて、すぐにそのアイデアを打ち消すように首をブンブンと振る。
アリスタ国にいるとき、よく噂でラングール国の竜人達は血気盛んで乱暴、残虐で野蛮な人種だと聞いた。
そんな人達に、食用に連れ帰ったウサギが実はあまり関係のよくない隣国の国民だと知られたら?
きっとスパイ容疑を掛けられてその場で処刑される。万が一命が助かったとしても、珍しい獣人として見世物小屋に売られて悲惨な生涯を送ることになるだろう。
(やっぱり、ウサギの姿のままで脱出の機会を窺うのが一番よね)
ミレイナは痛む足を引きずりながら外が見える開口部へと向かった。
大きく開放されていると思ったその壁は、よく見れば薄らとガラスのような壁ができていた。きっと、魔法によるシールドだ。
目を凝らしたが、視線の低いミレイナからは真っ暗な空しか見ることができず、そこからは何も読み取ることができなかった。
丸い月がテラスをほんのりと明るく照らしている。
そのときだ。
カツカツと足音が聞こえてきてミレイナは慌てて近くのカーテンの影に隠れた。ドアを開けて入ってきたのは予想通り、白銀の悪魔と呼ばれる竜王、ジェラールだ。
「ん? あいつどこに行ったんだ?」
フェンリルが立ち上がり、尻尾を振りながらジェラールに歩み寄る。そこにミレイナがいないことに気付いたジェラールは眉を寄せて部屋の中を見渡していた。
「ゴーラン。あのウサギはどこに行った?」
問いかけられたフェンリル──名前はゴーランというらしい──はその言葉を理解したかのようにこちらに目を向ける。そして、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
(ひぃぃ! こないで!)
なんとか隠れようとカーテンに包まるように身を潜めてみたが、無駄な努力。ゴーランはミレイナの元まで来ると鼻先でカーテンの影から押し出した。
「ああ、いた。移動できるようになったということは、だいぶ元気になったんだな」
ジェラールはミレイナの元まで歩み寄ると、片手を腹の下に入れてむんずと胴体を抱き上げる。ミレイナはぎゅっと目を閉じて恐怖と戦った。
鼻先に何かを突きつけられるような感触と、爽やかな緑の香り……。
「どうした? ウサギは葉が好きだと聞いたんだが……」
低い声がして恐る恐る目を開けると、目の前に突きつけられているのはミレイナにとって見慣れた野菜だった。
(これ、青菜?)
青菜をミレイナの鼻先に押しつけるジェラールはじっとこちらの様子を見守っている。
どうやら、食べろということらしい。
お腹は空いている。なにしろ、人参を一切れ先ほどジェラールに食べさせられた以外には、今朝から殆ど何も食べていないのだ。
ラングール人参をたくさん収穫したからお昼ご飯にどう調理しようかとルンルンだったのに、こんな災難に見舞われたせいで!
──けれど、だがしかしだ。
ミレイナはゴクリと唾を呑んだ。
食べたい。目の前に突きつけられた青菜のみずみずしさよ。きっとシャキシャキで美味しいこと間違いなし!
(でも、これを食べて太らされた挙げ句、私が食べられちゃうのよね?)
これぞ究極の選択。
美味しい青菜を食べて最後に自分が食べられて死ぬか、青菜を諦めて飢え死にするか。
最終ルートが結局死ぬことに繋がるのが、さすがは悪魔だ。
「食欲がないのか?」
こちらを見つめていたジェラールが少しがっかりしたように嘆息する。太らせられないのがよっぽど残念なようだ。
青菜を皿に戻したジェラールは今度は両手でミレイナを抱き上げ、肘を折ってそこに乗せて胸に寄せるように抱きかかえると、空いている片手で背中を撫でてきた。
「本当に小さいな……」
小さな呟きが聞こえる。
(ひいぃぃ! 確認してるわっ! 重さと太り具合を確認してる!)
これは、絶対に太るわけにはいかない。太ったら最後、命がない。
ミレイナはこの日の夜、ひもじさを我慢して泣く泣く食事を諦めたのだった。