4.ミレイナ、魔獣舎の環境改善を図る(1)
翌日、赤茶色のケープに付いたフードを深々と被ったミレイナは、緊張の面持ちで魔獣の保護施設の前に立った。手には掃除用のほうきと、ごみを詰めるための麻袋を持っている。
入口の鉄柵に手をかけるとカチャリと音がする。
すると、シーンとしていた獣舎の中から鳴き声や唸り声が聞こえた。
[あの人、性懲りもなく戻ってきたよ。脅し方が足りなかったんだよ]
[本当? じゃあ、今度は軽く噛みついてやろうかしら?]
魔獣達が話し合う声が聞こえ、ミレイナはフードに隠れた長い耳をぴょこんと立てる。
どうやら、いや、間違いなく歓迎はされていないようだ。
ミレイナはごくりと唾を飲み込み、意を決して鉄柵のドアに手をかける。キーっという音と共にドアが開き、ミレイナは薄暗い舎内にゆっくりと足を踏み入れた。
その瞬間、「ガオオォ!」という唸り声がして何かが飛びかかってきた。
「きゃっ!」
ミレイナは驚いて、尻餅をつく。すると、ミレイナに襲いかかってきたなにかは仰向けのミレイナの胸にのしかかってきた。
(噛まれるっ!)
ミレイナは咄嗟にきつく目を閉じる。けれど、痛みはいつまで経ってもやってこず、かわりに顔の辺りをクンクンと嗅ぐ気配がした。
[待って。この人、ジェラールの魔力の匂いがする]
[本当だ。昨日と違う人だ。見た目が違う]
[けど、昨日の人と同じ格好しているよ]
恐る恐る目を開けると、三匹の狼型の魔獣の子供──子供と言っても通常の大型犬くらいのサイズはある。恐らく、ゴーランと同じフェンリルだ──がミレイナの顔を覗き込んでいた。ミレイナが視線だけを動かすと、三匹と視線が絡まる。
[こんにちは、皆さん。新しく魔獣係になった、ミレイナです]
倒れたままのミレイナがへらりと笑ってそう告げると、三匹は驚いたように目を見開いた。
まさか人間が魔獣の言葉を喋るとは思っていなかったようで、三匹のフェンリル達はじりじりと後ろに下がった。
ミレイナは立ち上がって落ちていたほうきを持ち、ケープに付いた埃を払うと獣舎内を改めて見回した。
中には狼型の魔獣──フェンリルが三匹と、獣舎の端にミレイナが森で迷子になったときにも見かけたリスが一匹いた。みな、一様に奇妙なものを見るような目でこちらの様子を窺っている。
ミレイナは頭に被っているフードをパサリと脱ぐと、改めて四匹に向かって笑いかけた。
[ウサギ獣人のミレイナです。今日からみんなのお世話をするから、よろしくね]
[ウサギ獣人? なんだ、それ?]
フェンリルの一匹、耳が黒い子が訝しげに問いかける。
[人間と動物の中間に位置する亜人よ]
[聞いたことがないし、見たこともないよ]
隣にいた色が白っぽいフェンリルが一歩前に出てミレイナを見上げる。水色の瞳にはまだ警戒心が残っているが、それと同じくらいに好奇心も滲み出ていた。
[隣の国には少しだけいるのよ。この国に住む竜人は、竜と人間の中間に位置するでしょう? それと一緒]
[ふうん? そっか]
白いフェンリルは納得したようで、警戒心を緩めているのを感じた。
[私、あなた達の環境をよくしたいと思っているの。協力してくれる?]
[何を?]
[これからお掃除するから、邪魔しないでねってこと]
ミレイナは持っているほうきを差し出すと、にこりと微笑んだ。
掃き掃除をしていると、背後からじっと見つめる視線を感じる。
(嫌われてはいないけれど、まだ警戒されているって感じかしら?)
ミレイナはそんなことを思いながら黙々と獣舎内を掃除する。
最後にしっかりと清掃されたのはいつなのだろう。地面にこびりついた汚れは、デッキブラシで擦り、午前中にはピカピカに磨き上げた。
(こんなものでいいかな……)
ふと見上げると、太陽は随分と高い位置にある。いつの間にか、昼近い。
[わたし、今日のごはんの用意をしてくるわね]
昨日の用意された前任の魔獣係が用意した食事は半分近くが食べ残されていたが、傷んだものを食べてお腹を壊しては大変だ。それはもったいないけれど捨てることにしよう。
ミレイナは、四匹の魔獣達に声をかけてから王宮の調理場に余り物の食材をもらいに向かおうとした。すると、魔獣達は顔を見合わせ、一匹がおずおずとミレイナの元に近付いてきた。
[あのね、ここのごはん、いつもしょっぱいの。私、しょっぱくないご飯が食べたい]
[しょっぱい?]
ミレイナは眉を寄せた。
(もしかして……)
まさかと思って獣舎の脇にある作業場に向かうと、嫌な予感は的中だった。そこには、肉を塩漬けにして干したものがぶら下がっていたのだ。
更に、誰に食べさせるつもりなのか、塩、こしょうという基本調味料まで置いてある。塩分の全てが悪いとは言わないが、人間と同じ味付けにしたら魔獣達がしょっぱいと感じるのは当たり前だ。
(きっと、生き物を飼う知識が何もないのね。よかれと思ってしたのだろうけど、これはないわ)
ミレイナはがっくりと項垂れた。
きっと、これまで魔獣係をしてきたメイド達は肉に味をつけるためにこれらを使っていたのだろう。
そして、余ったときには傷みにくくするように塩漬けにして干して保管したのだろう。
だが、竜人と違って普段は野生の生肉を食べてきた魔獣達に、これはない。
(衛生面だけじゃなくて、改革しなきゃいけないところがたくさんね)
山積する課題に、ミレイナは腕まくりをするとやる気を漲らせたのだった。