3.ミレイナ、魔獣係になる(1)
王宮の庭園を掃き掃除していると、どこからか楽しげな笑い声が聞こえてきた。
手を止めて辺りを見回すと、少し離れた場所で、黒いワンピースに白エプロンという自分と同じメイド姿の女性達が歓談している。
その一人──少し赤みがかった髪の毛を一つに纏めた女性は、ミレイナがこちらを見つめていることに気が付くと笑顔で走り寄ってきた。
「ミレイナ、もうこんなに終わったの? 早い!」
笑顔のリンダは、美しく清掃された庭園の一角を見て表情を綻ばせる。
「無理しないでね。また足を痛めちゃうわ」
「うん、ありがとう。大丈夫」
ミレイナは笑顔で返すと、両手に拳を握って元気であるとポーズしてみせる。
ラングール国の王宮にとんぼ返りして早一週間が過ぎた。
ようやく足の具合がよくなってきたミレイナは、ラルフにお願いして昨日から仕事をさせて貰うことにした。居候のような形で居座ることに心苦しさを感じたのだ。
ラルフに聞くと、この王宮からアリスタ国まではおよそ百キロ以上離れているという。ミレイナはあの晩、その途中で保護されたようだ。
帰ろうにも遠すぎるし、竜人は竜化すれば空を飛べるので、アリスタ国まで道という道もない。もちろん、乗合馬車もない。そんなこんなで、ミレイナは今もここに留まっている。
そこで、様子を見に来たラルフにお願いして仕事をもらったのだ。
とは言え、ミレイナは素性も知れぬ迷子の人間なので、やらせて貰えることは限られている。
例えば、今やっている庭の掃き掃除だ。
集めた落ち葉などのごみをちりとりにすくい取り、袋に詰める。それを持って歩き出そうとすると、またリンダが声を掛けてきた。
「重いんじゃない? 一緒に行こうか?」
「え、本当? ありがとう」
ミレイナは思わぬ申し出に、表情を綻ばせる。王宮の裏手にあるごみ置き場はまではかなりの距離がある。手伝ってもらえるのは、とても助かる。
「お安いご用よ。さあ、行こう!」
リンダは屈託なく笑うと、落ち葉ごみが詰まった袋の取っ手のひとつを掴んだ。ミレイナも袋の反対側の取っ手を掴むと、二人は間にごみ袋を挟んだような形で歩き出す。
王宮に沿うように庭園の小道を歩きながら、ミレイナはその大きな建造物を仰ぎ見た。
ラングール国の王宮は、三階建ての大きなものだ。
真っ白な石造りで、窓枠には飾りの彫刻が施されており、前世で旅行したときに見たヨーロッパのバロック様式の建物に似ている。
三階建てだが、一階層ごとの天井が高いせいか、首を大きくのぞけらせて遥か見上げるほどに高さがあった。特徴的なのは、至る所に大きなテラスがあることだ。そして、そのテラスにはテーブルや椅子は置かれていない。
「どうしてどこのテラスにも、テーブルや椅子が置かれていないの?」
「え? だって、テーブルと椅子が置いてあると、竜になったときに出入りするのの邪魔でしょう?」
リンダはなにを当然のことをと言いたげに、不思議そうにミレイナを見返した。
つまり、テラスは竜化した竜人達が飛び立ったり降り立つときに使用する場所なので、テーブルや椅子があるのは邪魔ということのようだ。
「アリスタ国では、テラスに物を置くの?」
逆に聞き返されて、ミレイナはうーんと視線を彷徨わせる。
アリスタ国の王宮には、行ったことはおろか、見たこともない。けれど、町で見かけるテラスには大抵テーブルと椅子が置かれているし、花が咲き乱れる季節になるとテラスでデートを楽しむのは一般的な男女のすごし方だった。
「うん、大抵置いてあるわ。お友達とお茶をしたり、家族で団らんしたり、恋人同士でデートしたり……」
「え、デート!?」
リンダはぱっとこちらを向き、表情を輝かせる。
まだ言葉を交わすようになって数日だが、リンダはとても恋愛話が大好きなようだ。そういえば、ジェラールの部屋を掃除しているときメイド仲間と恋愛話に花を咲かせていた気がする。
「アリスタ国では、どんなデートをするのが普通なの?」
「うーん。たぶん、ラングール国と変わらないわ。庭園を歩いたり、一緒に食事に行ったり、演劇を見たり……」
「ミレイナも、そんなデートを?」
嬉々として恋愛話をするその様子を見ていて、ミレイナは首を傾げる。
誰かに似ているような──。
(あ、マノンだ!)
マノンとは、アリスタ国にいるミレイナの親友だ。よくお互いの自宅を行き来して、他愛のない話で遅くまで盛り上がったりした。
異国の地で思いがけずかつての親友に似た女性に出会い、ミレイナはなんだか嬉しくなる。
「ううん。わたしには、恋人がいなかったから」
ミレイナが左右に首を振ると、リンダは拍子抜けしたような顔をする。
「そうなの? ミレイナってふわふわしててすごく可愛いのに」
「そんなことないよ」
「そんなことあるわ。きっと、アリスタ国の男性は奥手なのね」
リンダは納得いかない様子で頬を膨らませてみせる。ミレイナはそんなリンダに曖昧に微笑み返した。
ミレイナは、芳紀まさに十八歳。
町で親しくなった男性にそれとなくデートに誘われたことは何度かある。けれど、結局それを断って殻に閉じこもるのはミレイナのほうだった。
獣人は忌み嫌われる存在だ。
恋人になって、いつか夫婦になることを考えると獣人であることを隠し通すことはできない。好きになった人に拒絶されることを恐れて、その気持ちに応えることができなかった。
「ラングール国の人達は、どんなデートを?」
ミレイナは努めて明るい声で、リンダに聞き返した。
リンダは待ってましたとばかりに表情を明るくして話し始める。
「ラングール国でも食事に行ったり、庭園を歩いたりは一緒ね。今の季節はロゼッタの花が見頃だから、それを見に行くのが定番」
「うん」
ミレイナは笑顔で相槌を打つ。
そういえば、ララとして過ごしていたときにそんなことを掃除係のメイドが話しているのを聞いた。
「でも、一番の憧れのデートは、やっぱり彼の背中に乗せて貰うことよ」
「背中?」
「うん、竜化した男性の背中に乗せて貰うの」
竜化した恋人の背中に乗せてもらう。
ミレイナからすると、想像すらしないデートだ。けれど、リンダはうっとりしたような表情をしているのでラングール国ではよくあるデート方法なのかもしれない。