1.ミレイナ、竜王陛下に拾われる(1)
新連載です。よろしくお願いします!
ミレイナは半ば泣き出したい気分だった。
(な、なぜこんなことに?)
こんな状況、戸惑わずにはいられない。
自分を膝に乗せて背中を撫で、蕩けるような笑顔を向けてくるのは、完璧なまでに整った顔立ちのイケメンだ。
筋の通った高い鼻梁に薄い唇。男性的な凜々しさを持つ鋭い瞳は、爽やかな空を思わせる水色。青みがかった独特の銀髪をさらりと流し、まさに生ける彫刻とでも言おうか。
「どうした、もう食べないのか? よし、俺が食べさせてやろう」
仕方がないと言いたげに、口元にカットしたラングール人参が差し出される。その匂いに釣られて思わず一口囓ると、目の前の人はそれは嬉しそうに破顔した。
「いい子だ。もっと食べるといい」
可愛くてたまらないと言いたげな美しい水色の瞳。大きな手で頭を優しく撫でられ、その手はそのままミレイナの体のラインをなぞる。
イケメンの膝に乗せられ、優しく微笑みかれられながら手ずから食事を食べさせられる。
乙女なら一度は憧れる夢のようなシチュエーションだが、ミレイナは素直に喜べない理由があった。
(だめ、だめ! 太っちゃうから食べちゃだめー!)
ミレイナは必死にイケメンの誘惑及び食欲と戦う。
なぜなら、ミレイナを愛しくてたまらないと言いたげなこの目の前の男──ジェラールこそ、『白銀の悪魔』と呼ばれ、人々に冷酷非道と恐れられる竜王陛下その人であり、ミレイナのことを太らせて食べてしまおうと企んでいるのだから!
◇ ◇ ◇
それは遡ること半日ほど前のこと。
ミレイナは、自宅から歩いて一時間ほどの場所にある草原に来ていた。
この草原はちょうど国境付近にあり、ミレイナが住むアリスタ国と隣国ラングール国のどちらにも所属しない地域だ。
視線の先に特徴的な細い葉が茂っているのを見つけ、ミレイナは口の端を上げる。歩み寄って丁寧に土を避けるとオレンジ色のしっかりとした根が現れた。
予想通り、それは大好きなラングール人参だった。
「うーん、大っきい! 美味しそう」
今日は大きなラングール人参を四本も見つけてしまった。持って来た籠は採掘した魔法石と人参でいっぱいになっている。
「何にして食べようかなー」
そのまま切って囓るのもよし、ボイルサラダにしても美味しいし、シチューに入れてもまた絶品。
町の市場さんで売っている普通の人参も美味しいけれど、やっぱりここの草原に自生しているラングール人参が一番美味しい。噛んだときの甘みが違う。
そんなことを思いながら夢中で地面を探していると、すぐ近くでヒュンっと風を切るような音がしてドシンと何かが落ちた。
「え?」
不思議に思ったミレイナは胸の高さまで茂る草木をかき分け、そちらに向かう。草の影に人工的な大きな丸い石を見つけ、それが何かを悟るまでにはさほど掛からなかった。投石砲の砲丸だ。
(なんでこんなところにこんなものが?)
そう思っているところにまた、近くにドーンと砲丸が落ちる。
(これってもしかして……。うそっ! まずいわ。国境のいざこざだ)
振り返って目を凝らせば、後方に国防軍が集まっているのが見えた。
ミレイナは慌てて自分がいることを知らせようと両手を振る。しかし、兵士は皆上空を見ており、ミレイナの存在に気が付く者はいなかった。
「早く逃げなきゃ」
ミレイナは籠を両手で抱きしめると、自宅の方へと向かって進み始める。しかし、胸の辺りまで高く伸びた草木のせいで走ることができない。
不意に、地面に黒い影が映った。
空を見上げると、体長三メートルはありそうな大きな生き物が何匹も飛んでいるのが見えた。広げた翼はかつていた世界で見た飛行機のように大きく広がっている。
(竜人だ!)
竜人とは、その名の通り竜化することができる人間のことだ。人間とは違い多くの魔力を持ち、いくつかの不思議な魔法を使えると言われており、隣国のラングール国を治めている。
ミレイナはその中に一匹だけ銀色に輝く美しい竜がいるのに気付いた。
周りの竜より一回り大きく、その姿はこんな状況であることも忘れて見惚れてしまいそうなほど雄々しい。
それに向かって、一斉に矢が放たれる。
銀竜が一瞬光り輝き、次の瞬間に強い突風が吹き荒れる。吹き飛ばされた矢がミレイナの周囲に雨のように降り注いだ。
(どうしよう、どうしよう)
ミレイナは半ばパニックに陥っていた。
このままここに居ては危険だ。耳が人並み外れてよいミレイナがこんなに軍が近くまで迫っているのに気が付かないことなんて、今まで一度もなかったのに。人参掘りに夢中になりすぎた。
ミレイナは咄嗟に変化を取る。
ピョンと長い耳が現れ、ポンと尻尾が生える。そして体は縮み、その姿は小さなウサギへと変わった。
獣人が忌み嫌われるこの世界でこの姿になることは普段ならまずないけれど、今は緊急事態だ。体が小さければ流れ矢に当たる可能性も低くなるはずだ。
小さくなったミレイナは収穫物が入った籠をあきらめて、生い茂る草木の合間を駆けだした。ここからだと自宅方向に戻るより、ラングール国側の森に逃げ込む方が近い。
「痛いっ!」
駆け出してすぐに足の辺りに鋭い痛みを感じて体が倒れる。
痛む後ろ足を見ると、薄茶色の毛並みに黒色の矢が突き刺さっているのが見えた。普段なら黄金色の毛並みが真っ赤に染まっている。
(痛い……。けど、逃げなきゃ)
ミレイナは矢が突き刺さったままの足を引きずり、必死に進む。生い茂る緑色の視界が霞み、急激な寒さを感じ、それ以上進むことができなくなった。
どれくらいそこにいただろう。いつの間にか騒がしかった辺りはシーンと静まりかえる。
どちらが勝ったのかはわからないけれど、勝敗が決したのだろう。
(私、ここで死んじゃうのかな……)
目を閉じると聞こえてくるのは、草木を揺らす風の音、鳥が羽ばたくような音、何かの大きな足音……。
ペットショップで働いていたときに世話していた犬に舐められたときのような不思議な感触を頬に感じ、ミレイナは薄らと目を開けた。
視線だけを動かすとシベリアンハスキーに似た巨大な犬が自分を舐めていた。
(夢?)
ミレイナはぼんやりとそれを見上げる。
「ゴーラン、どうした?」
低い声がして、その犬の背後から少し青みがかった白銀の髪と、空のような澄んだ青い瞳が見えた。
(銀髪……。もしかして、白銀の悪魔?)
銀色の髪は竜王の証。
圧倒的な強さと威圧感、そして容赦ない戦い方。隣国の若き竜王はアリスタ国で『白銀の悪魔』と呼ばれ恐れられていた。
(でも、綺麗──)
目の前にいるのは悪魔なのに、不思議と恐怖心はない。むしろ、命の灯火を消しつつあるミレイナには天から遣わされた天使のようにすら見えた。
まだ十八歳。
前世に引き続き、今世も短い人生だった。
次に生まれ変わるなら、今度こそ長生きして好きな人と結ばれて、幸せな生涯を終えたい。
ミレイナの意識は闇に呑まれてゆく。
ミレイナ、ウサギ獣人の十八歳。
特筆すべきこともない平凡で短い人生をここに閉じる。
──はずだった。
ところがだ。これはどういうことなのか?
なぜ自分がジェラールの膝に乗せられて餌付けされているのか、意味がわからない。
つい一時間ほど前、ミレイナは真綿に包まれたような心地よさを感じて意識を取り戻した。目を開けると、目の前に広がるのは黒毛の混じった銀色の毛並み。
(え!?)
気付いたら、本当に真綿ならぬもふもふに包まれていた。
しかも、相手はシベリアンハスキーのような見た目でありながら体長二メートルはありそうな生き物──恐らく魔獣だ。
安心しきっているようで、スースーと規則正しい寝息を立てている。
(もしかして、三度目の人生は魔獣として?)
そう思ったのも束の間、ミレイナは足に鋭い痛みを感じた。
視線を向ければ、自分には馴染みのある黄金色の毛並みに真っ白な包帯が巻かれている。
(そうだ、私……、国境のいざこざに巻き込まれて流れ矢が当たって──)
でもここはどこだろう?
ミレイナは辺りを見渡す。
ミレイナの家が丸々何軒入るのだろうと思うほど広く、天井は高い。
テラスへと続く壁の一面は大きく開放されており、柔らかな日差しが室内に差し込んでいる。
(誰かの家? それにしては随分と広いけれど……)
そのとき、遠くから足音と話し声がするのが聞こえてミレイナは身を縮こませた。
また竜人の子が……、とか、魔獣が……という会話に混じり、そろそろお妃を、などという単語も断片的に聞こえた。
「面倒だ」
「では、二ヶ月後に年頃の貴族令嬢をラングール国中から集めましょう」
「お前、俺の話を聞いているのか? それと、今日の報告書を届けてくれ」
「かしこまりました。そろそろ出来上がっているはずですので、それを持ってすぐに伺います」
バシンと乱暴にドアが開け放たれ、一人の男が部屋に入ってきた。
青みがかった銀髪を目にしたときミレイナは自分の横で寝ているのが魔獣だということも忘れてその毛並みに隠れるように身を寄せる。しかし、無情にもその水色の瞳とばちっと目が合ってしまった。
男がミレイナの方へまっすぐと歩み寄り、屈み込む。大きな手で抱き上げられた。
「お前、目が覚めたのか」
目の前の人はミレイナが意識を失ったときにいた人で間違いがない。
高い鼻梁に彫りの深い整った顔立ちは、ため息が出そうな美しさ。そして、青みがかった銀髪は竜王の証だ。
ミレイナはゴクリと喉を鳴らす。
隣国のラングール国は『竜王』と呼ばれる絶対的に強い存在の王が頂点に立つ竜人達の国だ。
噂話でしか聞いたことがないが、竜王が機嫌を損ねると周囲には稲妻が走り、嵐が起きるという生ける伝説があるような存在である。
現竜王はまだ若く、青年という言葉がぴったりの見た目だった。
しかし、その圧倒的な強さと容赦ない戦い方から多くのアリスタ国民から恐れられる存在で、竜王の特徴であるこの珍しい青みがかった銀髪から『白銀の悪魔』と呼ばれていた。
(この人が白銀の悪魔? でも、私を助けてくれた?)
ミレイナはおずおずとジェラールを見返す。
こちらを見つめる青い瞳が心なしか嬉しそうなのは気のせいだろうか。
ジェラールはミレイナを抱いたままソファーに座ると、ミレイナをそっと自分の膝の上に乗せる。そして、体を伸ばしてテーブルの上に置かれていた人参を手に取り、ミレイナに差し出した。
大好きなラングール人参の匂いがして一口囓ると、ジェラールはそれはそれは嬉しそうに相好を崩した。
「よしよし、もっと食べろ」
大きな手が背中と頭を優しく撫でる。
ミレイナは大いに困惑した。
(なんでこんなことに……?)
目の前の男は『白銀の悪魔』と呼ばれる残虐非道な竜王なはずなのに。
(噂はうそで、本当はすごく優しい人なのかしら?)
訳がわからないまま大人しく餌付けされていると、不意に背後のドアをノックする音が聞こえた。
「入れ」
ジェラールの許可とほぼ同時に、ドアが開く。
そこに現れたのは、上質な貴族服に身を包んだ若い男だった。黒髪を短く整えた凜々しい雰囲気で、片手に何かの書類を持っている。
「陛下、書類をお持ちしました」
聞き覚えのある声で、先ほど部屋の外でジェラールと会話していた人だとわかった。ジェラールはミレイナを膝に乗せたまま、上半身だけを捻ってドアの方を向く。
「助かった。執務机に置いておいてくれ。見ろ、ラルフ。こいつ、目を覚ましたぞ」
ジェラールがミレイナを指さすと、ラルフと呼ばれた男はツカツカとこちらに歩み寄り、ジェラールの膝元を覗く。
「ああ、それ。目を覚ましたらなら魔獣の保護獣舎に連れていけばどうですか?」
「これは魔獣ではないだろう? なんだったかな……、そうだ『ウサギ』というらしい」
「たいして変わらないでしょう。こんなものをジェラール陛下の部屋に置いておいてどうするおつもりです? ゴーランと違ってなんの役にも立ちません」
ラルフと呼ばれた男とジェラールは会話を続ける。
ミレイナはその男達を見比べながらじっと話に聞き入った。
ふと、ジェラールの真っ青な瞳と視線が交わる。
ジェラールはなぜか眉間に深い皺を寄せこちらを見つめていた。
「俺の聞いた話では──」
「陛下の聞いた話では?」
ラルフが先を促すように問い返す。
「アリスタ国ではこれを食べるらしい。だから、太らせてみようかと」
──なんですと?
ミレイナは我が耳を疑った。
人生十八年で、いや、前世の二十五年も含めた四十三年間で最も衝撃的な発言である。
「なんだ? 震えているな」
ミレイナを抱き上げているジェラールが訝しげに眉を寄せる。
「チビだから怖がりなんじゃないっすか? それにしても、食うにしてもこんなちっこいと肉が殆どなさそうだなー。うまいんですかね?」
ラルフがミレイナの耳を掴んで引っ張り上げようとして、ジェラールが慌ててそれを止めた。
「止めろ、これは俺のだぞ」
いやいやいや。ミレイナはぷるぷると震えながら首を振る。
一言言わせていただくと、ミレイナは誰のものでもない。
それに、これで震えるなという方が無理がある。目の前の二人が、自分を太らせて食べようと相談しているのだ。しかも、一方は全部俺が食うから触るなと牽制までしている。
(に、逃げないとっ!)
白銀の悪魔が本当は優しい人だなんて幻想だった。太らせて食べるなんて、あそこで死んだ方がまだ安らかな死を迎えられた気がする。
(ああ、なんてこと……)
あまりの衝撃に、ミレイナは本日二度目の意識消失に至ったのだった。