9 お前はミザリーかシャイニングか 後編
「あれは、身体強化っ!?……ま、まさか奥様は、ドリティス公爵家の血が濃いのですか……」
「え」
オーマイガ! そんなの聞いてないよ公式!
ってかドリティス公爵家って何系の家系よ!?
「お嬢様!?」
モニカから瓶をぶんどってそれでドアノブをガンガン叩く。このままではいずれスコップで穴が拡がって、そこから腕を入れて鍵を開けようとする。その前に鍵ごとドアノブを叩き落とすっ……!
「ヴェロニカ!? おやめ、お前っ……お母様の言うことがきけないの!」
ききませんよ! きくわけないでしょうに!
ドア一枚しかない目の前でスコップをガンガン打ち付けられて、その度に木製のドアがメリメキメキャッっと悲鳴を上げて、私の心臓も悲鳴が止まらない!
「お前はわたくしの物なのにっ……わたくしの物なのにいいいい!!!」
っひ! 怖い怖い怖いってばもう!
穴から顔をだしたお母様と目を合わせたら呪われる。
もうやだなにこれ。異世界転生してこの世の春が来たと思ったらすぐこれ? 震えで瓶を落としてしまった。恐怖で涙が止まらない。
「お嬢様! 右に避けて下さい!」
転がるように右に避けた。モニカの言葉にすぐ従った。
振り返るとヒラリと舞い上がり、ドアノブに踵落としを決めそうな顔をしたモニカが頭突きをした……お母様に。
「「っ〜っっ!?」」
そりゃ痛いよな。
モニカはおでこを直撃。
お母様は、顔というか顎に直撃したせいか白眼をむいた。もしかして脳みそを揺らすことに成功したのだろうか? お母様が痙攣してる……まさかのKO?
「……な、んで……邪魔するのよおおお!!!」
……じゃなかった。第2ラウンド。
モニカの手をひき窓に駆け寄る。
どうにかして逃げれないかと窓を開けて地上を見下ろすと、クラっとした。10歳の体で2階から飛び降りるのは無理。
「ヴェロニカアアアアア"!!!」
うるせーーー!!!
音量下げろ音ゲー!
ホラー系フリーゲームの最後画面で脅かすラスボスみたいな顔しやがって誰か助けてえええっっっ!!
……怖い……無理。
モニカがテーブルの面をドアに被せて時間稼ぎをする。どうしよぅ……。
壁にある重い家具はたてつけで動かせないし、令嬢の部屋に武器になりそうな物なんて一切置いてない。
神様……明日からはダイニングにある鋭利な燭台(ロウソク3本刺せるやつ)を枕の下に入れて寝ます。もう油断しません。だからお願い助けてえええっっっ!
「……あっ」
そうだドライオキシン!
もうあれで殺ろう!
見るとお母様と応戦するモニカの足元に転がっていた。
ようし、ようし。
明日のことは来年考えよう。
世間で私の名前が有名になったら、領地に引っ込んで髪を染める薬剤と、カラコンの開発に没頭しよう。あとホクロ除去する手術も。
ドガァ! とモニカが弾き飛ばされテーブルごと下敷きになった。
「モニカァ!?」
もうこれしかない。手にした瓶の蓋をあけると、頭上から声がかけられた。
「……ヴェロニカ……そんなにお母様のこと、きらい?」
「……ちょっと無理です」
ドアの大穴に、お母様が腕を突っ込んだ。
そしてガチャリと鍵をあけた。
お母様が部屋に入ってきた。
瓶を持ったまま後退りする。
「ほらぁ危ないから……ね? お母様も、こんなもの捨てるわ」
スコップを落としたその手で、それをよこせと、私の手の中の瓶を凝視してくる。
おやぁ……?
これ、いけんじゃね?
「それ以上近付いたら、わたくし自害しますわ」
「…………」
「ドライオキシンは経皮吸収性……これに触れれば体内に毒がまわります」
「……よく、お勉強してるのね……それでこそ王妃に相応しいわ。やっぱりお前を生んでよかったぁ」
徐々に摺り足で近付いてくる。
マジでそれ以上寄らないでくれと、見せつけるように瓶に指を突っ込むと、お母様が目を見開き一歩後退した。
「王妃にはなりません。王家からの婚約打診もお断りしました」
「嘘よ! お前はマティオス殿下の婚約者になったと、ドリティス公爵も仰ってたもの! だから迎えにきたのよ!」
「嘘ではありません。お母様は陛下の婚約者、その最終候補だったなら解るはずです。わたくしが殿下と婚約したなら、今この時間帯にわたくしが屋敷に居ることじたいおかしいと思いませんか?」
そう、お茶会があったあの日。
お父様は陛下に言われたのだ。
──ヴェロニカ嬢はまだ10歳、いま正式に婚約したら、高等部に入るまでの5年間、毎月200時間以上の妃教育を強いることになる。周りの協力も得れぬまま強要したところで、お互い無駄な時間を過ごすだけになる。だから今回は痛み分けしよう、と。
毎月200時間って、1日6時間強だから。
王宮まで馬車で往復6時間で合計12時間以上だから。軽く見積もって半日なわけよ。実際はもっと時間をとられるだろう。つまり、殿下の婚約者になった令嬢は、ほとんど屋敷にいないわけよ。
「……お前は……殿下の婚約者になったのに、なぜ王宮にいかないの? また……あの男が、邪魔しているのね……お母様と暮らしていた時は、お前は賢かったのに……やっぱり男親はダメね……」
「はぁ?」
もういい加減にしろと、あまりの怒りと呆れで瓶から指を引っこ抜いてしまったのがいけなかった────一瞬で距離を詰めたお母様に首を掴まれ、そのまま体を持ち上げられた。
ヒュウ、と肺に残っていた酸素が絞られた。
な、んて、力。
「もういい、このまま……お前を連れて帰るわ!」
首を掴まれたままなのに、もう肺に酸素が残っていない状態なのに、勝手に口から反論が出る。
「ッ、が、えらな、い……しんでも、やだぁ!」
「……この、でき損ないが! 帰ったらお母様と再教育よ! 絶対にお前を取り戻してみせるわ!」
実の娘の首を絞めながら頬擦りする母親を世間ではなんと言うんだろ……毒親だ…………実の父親を殺せと娘に毒薬を渡す母親を世間ではなんと言うんだろ…………ああ……これも毒親だ……
お父様ぁ…………。
『テメーなにカマ店に俺の履歴書送ってんだよ! ふざけんなよ! なんで採用の電話がかかってくんだよ!』
『ネカマしたいならせめてリアルでオカマして稼げニート!』
『枯れ専喪女に言われたくねー!』
『ころしてやるぅフシュルルル!』
……こんなネカマニートの走馬灯で終わりたくない…………まだまだお父様とたくさん話して遊んで思い出つくって……せめて最後にお父様との走馬灯で終われるよう、お父様との思い出を量産するまでは、……生きるっっ!
刹那、どすんと落ちた。私の身体が。地面に。
落下の衝撃で空気を吸った瞬間、体が悲鳴を上げた。
ヒュウ、と喉に酸素が通り、額に大量の汗が湧き出てくる。激しい頭痛に眩暈。動きたくない程の倦怠感。なのに体は意図せずただただ床の上をのたうちまわった。
呼吸すればするほど喉に激痛が走り、反射的にむせ返れば苦しさは増し、心臓が止まるんじゃないかと危惧する。
(やっべぇ……し、ぬ……!)
それはトン、と頭に何かが触れた感触で一瞬でおさまった。
「危なかった……生きようとする生体反応と、それに耐えきれない小さな生命力の狭間で、命の灯火が消えるところだった」
「……っ、あ……」
艶々の黒髪に、白髪まじりの仙人髭。
黒縁眼鏡からキラリと異彩を放つ、
「コールドバッハ先生!」
と、侍女長だった。