表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/22

8 お前はミザリーかシャイニングか 前編

 最近お父様は忙しい。

 先日も農民から数百通もの手紙が届き、それが地方官から分家に渡り、更には侯爵家にまでヘルプの要請がきていた。


 なにやら前期の種植えで、誤って発芽率の低い種を使用してしまったことにより痩せた麦や身が空の穀物ができてしまい、それ故に税を免除して欲しいとか、日照りによる不作で納める税を麦から金子に変えて欲しいとか、殆どが農作絡みだった。


 納める税を麦から金子に変えるのは問題ないらしい。


 農民は支援金が申請できるガチの水害とか災害じゃない限り、どれだけ困っていても馬とか牛とか金子とか代替品で税を支払う。とにかく納税だけはきちんとしておくと、質の良い種や苗を優先的に受け取れる種権納税者の権利が死守できるからだそうだ。それほど農民にとって種権というのは大事で、手離すのは畑を止めて休耕地にする時だけらしい。昨夜からお父様の執務室が慌ただしいことになっていて、ドアの前で聞き耳を立てつつも、ちょっと心配になってきた。


「中には本当に困っている者もいるでしょうが、痩せた作物、というのがきな臭いですね。種権納税者なら発芽率8割をこえる質の良い種を手に入れている筈です。免税の対象にするのはどうかと」


 このさき飢饉とか餓死者が出たりとか不安になったけど、代官からの報告では雨の日数や気候からいって不作は考えられないみたい。


「この報告書によると、あまりにも種や苗の仕入れ値が安すぎる。恐らく悪質な行商から古い種を仕入れたのだろう……はぁ」


「……近年この手の輩が増えておりますが、ついにこちらの領地にもきましたか」


 なんだろう。

 粗悪品つかませられる系の詐欺かな?

 ぅう。なんかやな予感……。


「早めに摘んでおこう。キリンガとビスローの分家に話は通しておくか」



 と、いうわけで。


 お父様、執事のイーサンと従者を連れてしばらく出張です。


 ぅう……。屋敷にお父様がいない。

 来月は私と色とりどりの薔薇が咲く王都の貴族庭園と、そのあと領地で遊び倒す予定があるから(本来なら仕事は分家に指示してのんびり屋敷で結果待ちするところを)さっさと済ませてヴェロニカと遊ぶ時間を確保したいと、お父様自らが張り切って行ってしまいました。


 それもこれも、数年前から他領に出没してる農民をターゲットにした粗悪品詐欺のせいだ。その手口は巧妙で、安さにつられて種を買ってしまった農民の中には、タダ同然で手に入れた罪悪感に訴え出れない者も沢山いたそう。本当はもっと前からあった被害が水面下で徐々に拡大して、それが公の場にでた時には既に壊滅状態で解体した村も他領には沢山あったんだって。



「キエトロ領地も水面下にそのような被害が隠れている可能性があるわけよね」


 いつもは美味しいステーキが喉を通らなくて、半分も食べられなかった。残りは後で侍女長にあげよう。


「ヴェロニカお嬢様。確かこの件は先に秘書のレイザーが現地に向かって現状を把握しにいきましたから、解決は早々かと」


 紅茶を淹れてくれたモニカが励ますように私に拳をぎゅっと握ってみせた。


「わたくしはお父様や領地のみんなが無事なら、それでいいわ」


 ぅう。それよりお父様を張り切らせてしまったのが自分だということに後悔した。あ〜、お出かけしたいなんて言うんじゃなかったなぁ……。




 翌日。

 今日は週2で雇ってる家庭教師が時間になっても来なかった。私の専属教師5年目のコールドバッハ先生。数学と植物の学者で、厳格で神経質そうなお顔が特徴の好好爺である。


「困ったわね。今日あたり、お父様に提出する成績表の作成をお願いしたかったのだけれど……」


 王都の貴族庭園は日帰りで行けるけど、そのあと領地に戻って遊び倒すなら、しばらく家庭教師はお休みになる。


「聖アズーリ貴族学園への入学は再来年ですが、来年は入学試験がありますしね」


 そうなのよ。

 その受験資格を得るためにも、今のうち成績表を作っておかなきゃいけない。それを提出し、聖アズーリ貴族学園を受験するだけの成績があることを証明しなければいけない。


 成績表がなくても受験はできるけど、その代わり金貨10枚請求されるのよねぇ。伯爵以上の貴族はみんな親に払ってもらって受験するみたい。大変よね。


 ……私? そんなもんに金貨10枚も払うくらいならと、イーサンに交渉して全額お小遣いとして貰いましたけど?


 だって文系大学出の私には、中等部試験なんて難しくないし、おまけにこの異世界、地球とはくらべものにならないほど、勉強が遅れている。


 国語は朗読や詩を覚えるだけで、前世みたいに現代とか古文とかないのよね。


 歴史はそのまま、この国のことを勉強するだけ。ヴェロニカ10歳の記憶とゲームの予備知識もあるからか、覚えるのが簡単だった。


 数学はさらに驚き、各分野の学者を目指しているとか、相当の理由がない限り、中等部は四則演算までしかないとコールドバッハ先生が教えてくれた。楽勝すぎる……。


 化学や生物は魔術の教科にまとめられている。課外授業もあるみたいだけど、魔法を含め貴族令嬢にはあまり必要とされていない教科だそうだ。


 英語は、挨拶などの軽い外国語や、他国の主要国を学ぶだけ。今のところこれが新鮮で1番楽しい教科かな。ケンリッチ帝国と、サガント国、カナラマナラ大陸共通語、他にも5ヶ国語を学び、その国の歴史もコールドバッハ先生に教えてもらっている。


 成績表は頼めば作成してくれる家庭教師がいるのに、わざわざ受験資格を得るために学園に金貨10枚も払う意味がわからないよね。


「先生はいつも持病のお薬を携帯していると言っていたわ。何事もなければよいのだけれど」


 もしかしたら途中で馬車が悪路にはまってしまったのかもしれないと、下男やら他の使用人が日が暮れる前に探しにいった。



 それから小一時間、屋敷の門の外にモーライト家の馬車がきていると急いで引き返してきた。



「……お母様が来たの? それともまた従者が手紙を届けに?」


 モニカの顔が険しい。


「どうやら……奥様のようです」


 机にひろげていた教科書やペンを片付ける。


 あー……うん。

 ……聞こえてきた聞こえてきた。



「────奥様、お待ち下さい!」



 もう部屋のすぐ側、ドアからお母様の声がはっきりと聞こえてくる。さっと庇うように側に立ったモニカの手を握る。

 乱暴にドアが放たれた。

 真っ赤な顔に湯気が立ったようなお母様。

 以外に大女だ。お父様と同じくらいの背丈。

 目尻には小皺が刻まれ、白髪がちらほらと目立った。

 その後ろを追いかけるようにして下男のクルーヤがお母様の前に立ちはだかった。


「おどきなさい!」


「ぼ、僕は侯爵様に雇われている下男です。奥様からお給金を貰っているわけではありませんので僕をどかすことはできません」


「お黙り! わたくしはまだこの家の女主人よ! モニカ、お前も邪魔よ! 出ていきなさい!」


 やっべぇ…………。

 まるでゲームのヴェロニカ・キエトロ。

 それが目の前にいる。


 クルーヤを扇子で押し退けたお母様はドアから一歩室内に踏みこむと、狙いを定めたようにギロリと私を睨み付けてきた。



「お前のお父様はね……お金でわたくしを買ったのよ。ねぇ、ヴェロニカ……お母様、とても可哀想でしょう?」



 やっべぇ…………。

 まるで魔女化したヴェロニカ・キエトロ。

 いきなり会話に入るところも情緒がおかしいですよ。



「……と、言いますと、お母様は侯爵家との政略婚が嫌だったと?」


「そうよ! あの男は汚らわしい成金侯爵よ! いくら当家に援助したとはいえ、千年以上続く由緒あるドリティス公爵家と共に繁栄してきた我がモーライト家の血を欲しがるなど、身の程知らずにも程があるわ!」


「……そうですか」


「ウフフ──でもヴェロニカはわたくしに似てよかったわぁ。その美しい薄紫色の髪も、アメジストのような瞳も、ほらぁ、見て、お母様にそっくりよ」


「あ、ハイ」


「あの男に体を暴かれるなど、屈辱以外の何物でもなかったけれど、わたくしと瓜二つなヴェロニカは鏡を見ているようで楽しいわ」


「……どうも」


「将来は王妃になってね。お母様は学生時代は現国王陛下の婚約者……最終候補だったのよ。でもあの男に邪魔された……困窮した家族からも頼まれ……っ、嫌だったのに……王族への道を閉ざされたのよ……」


「はぁ……」


「だからこそヴェロニカ! お前はお母様が成し得なかった王妃になる夢を叶えてちょうだい!」


「それも政略婚ですね」


「お母様がついているから大丈夫よ。邪魔が入るとすれば、お前のお父様ね。生まれたばかりのヴェロニカを、わたくしを見るような、あのいやらしい目でいつも見ていたもの。わたくしを邪魔したように、ヴェロニカの足も引っ張るに決まってる」


「はぁ……」


 ようし、ようし。開いたドアの外に数人の使用人が集まってきた。体格があり鞭を持ったマクーシノ(御者)や、スコップを担いでギリースーツを着たチャリオット(庭師)もいる。


 ようし、ようし。彼等の見た目だけで、貴族令嬢のお母様を卒倒できそうだ。遠慮せず飛びこんできて欲しいが、躾が行き届いているせいか令嬢の部屋に入ってこん。くそぅ。アイコンタクトしたいが大柄なお母様が邪魔。てか怖い。


 なんかうまく表現できないけど、

 めっちゃ怖いんです、この人!

 だってさっき睨みつけられたとき以外は、あとは殆ど私と目ぇ合ってないんですよ!


 叫ぶ時は天井、あとは自分の足元しか見てませんこの人。


 なんなの? キチなの? サイコパスかなんか?


「──だから、ね? こうするしかないのよ」


「はい?」


「ほら、これを──お父様の食事に混ぜなさい」


 いきなり渡された瓶。

 黒いドロドロの液体が微量だけ入った分厚い瓶。そこにはカナラマナラ大陸共通語でドライオキシンと薬名が載っていた。


 あ、これゲームの画面で見た瓶だわ。確かこの瓶を翳してヒロインが祈ると、中味は無毒になる。


 ドライオキシンは、聖女が毒を浄化する修行の一環で、神殿に厳重な警備のもと保管されている。あ、ならこれ毒か。これをお母様がどうやって手に入れたかはわからないが、いちおうハンカチで巻いてから、後ろ手でモニカに渡した。モニカの手汗が凄いな。私もです。ビビってます。


 お母様に対して言葉は悪いけど、殺さなきゃ勝てないなって本能が警告してきます。倒さないとこの世の果てまで追いかけてきて絶対逃がしてくれない呪いタイプの犯罪者ですね。恐怖をやり過ごす為の分析終了──それと顔どころかホクロの位置まで同じとか嫌すぎる。


「わかった? 返事は、ヴェロニカ?」


「その前にまずはご挨拶を……お母様、お会いしとうございました」


 ワンピースの裾を摘まんでカーテシーをする。

 途端、パァァっと弾けるような笑顔を見せたお母様は、多少老けてようとさっきまでの犯罪者臭を消し飛ばすほどの美貌を見せた。


 ようし、ようし。

 目線を合わせようと腰を低くしたお母様を、私は渾身の力で突き飛ばした。


「っ、きゃあ!?」


 ドアの入り口でクルーヤがお母様を受け止め室外に引っ張る。そう、アイコンタクトは大事。素早くドアを閉めたモニカが鍵もかけた。


「……えぇ?……ヴェロニカ?」


 ああ……ほんとびっくりした。


「クルーヤ、チャリオット、マクーシノ、お帰りいただいて。お母様をきちんと馬車に乗せるのよ」


「ヴェロニカ………………お前ぇぇえええ! お母様になんてことを!」


「来るなら来ると、きちんと連絡を頂けたらもてなしましたのに……次はお父様がいらっしゃるときに来て下さいね? お父様はいま、」


「ヒっ……嫌よ!」


「……」


 そういやモーライト家から私宛に手紙が届いた後日、不安になってイーサンにお母様のことを聞いた。その時は、屋敷に旦那様がいらっしゃる時は、絶対に奥様は来ないと言っていたから、そこまで毛嫌いしているのかと思ったけど。今のお母様は、咄嗟に出た声色に警戒心や恐怖心のようなものが感じられた。ふむ……。


「お母様のことは、今夜にでもお父様に報告させて頂きますから」


「……ッ」


 はったりだけどね。

 お父様あと2週間は帰ってこないから。

 勿論この毒薬のことも、後日きちんとお父様にちくっておこうとモニカが手に持つ瓶を見る。


 ん……急に静まった?



「「「ぎゃああああああぁああッ!!」」」



 男の悲鳴と布擦れの音。


「チャリオット!? クルーヤ!? マクーシノ!?」


 名前を叫んだモニカがドアに近付くと、何かでガン!とドアを叩き付ける音がして──それは次第にザクッ!っと板が刻まれるような、なんかやばい音になってきた。


 この音……

 チャリオットのスコップ?

 スコップでドアを、叩き割ろうとしてる?


 えっ……どっち……?

 チャリオットだよね? チャリオットだよねぇ!?


 メリッとドアの繊維が剥がれて、そこから濃い紫色の眼が現れた。



「……ヴェロニカ……お願いよぉ……お母様と、来てぇ……ここにいたら殿下の婚約者になれないわぁ……お前を連れて帰らないと……」



 まずい。

 本当に逃がしてくれないタイプの犯罪者だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ